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第一章
32話:説諭
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昨夜は、帰りが遅くなってしまった。
もし守衛さんが久遠に気づいて声をかけてくれなければ、この時間までこのデスクで寝ていたかもしれない。そんな恐ろしい事態にならずに済んだことに安堵しつつも、今日は寝不足による頭痛がなかなか消えてくれない。
こめかみを時々マッサージしながら朝のメール処理をする。そこへ、不意に声がかかった。
「小島さん、ちょっと」
顔を上げると、神永がデスクからこちらを見ていた。
表情は変わらないし、いつもの落ち着いた声だ。けれどそこには、硬さが含まれている気がした。
上司に呼び出されるというだけで緊張するのに、相手が神永なのだ。心臓がバクバクと鳴り、変な汗がにじんでくる。
それでも立ち上がり、神永のデスクまで向かった。
「昨日、遅くまで残っていたんだってね」
冷たいわけではないのに、温度の読めない声音。
「……すみません。勉強が追いつかなくて」
「残業申請もせずに……一人でここで寝てたって守衛さんから聞いたよ」
言い訳しようとしたが、言葉がまとまらない。
「小島さん」
軽く名前を呼ばれるだけで、背筋が伸びる。
「オフィスは大学の自習室じゃない。契約の仕事とそれ以外の時間の区切りが曖昧になると、会社の問題になるから」
胸に痛いほどまっすぐ刺さる言い方だった。
「……はい」
神永はゆっくりと息を吸い、静かに続けた。
「自分が頑張ればなんとかなるっていうふうには思わないでほしい。それで体調を崩したり、もし事故が起きたりしたら、迷惑を被るのは会社なんだ」
淡々とした口調は、叱責というより、苛立ちを抑えつけたような声音に聞こえる。余計に汗が溢れ出す。
「急に補佐を頼んで、焦らせている非はこっちにもある。不安もあると思うけど……」
「……ごめんなさい」
また迷惑をかけてしまったのだと、胸の奥がちくりと痛んだ。
迷惑をかけまいと行動する結果、すべて神永の迷惑になっているような気がする。
「分からないことがあるなら、その都度教えるから。同じ質問を何度してもいいから、全て詰め込もうと焦らなくていいよ。……当日も、なにか分からないことがあれば周りに聞いていいからね。周りにも頼って」
そこまで言うと、神永はふっと視線を外した。
「戻っていいよ」
久遠は深く頭を下げ、その場を後にした。
胸が重い。自分の至らなさが理由だと分かっているから余計に辛い。
デスクに戻ると、隣の席の派遣社員・溝口さんが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」
「……残業しちゃって、怒られちゃいました」
ぽつりと言うと、溝口さんは小さく笑って首を振った。
「きっと心配してるだけよ。チーム長って、良くも悪くも責任感の塊みたいな人だから。部下が倒れたりしたら、あの人が一番気に病むタイプ」
「はい。……ありがとうございます」
溝口が、どんまいどんまい、と背中を温かく叩いてくれて、じわりと心が溶けて自然と笑みが零れた。
しかし溝口さんは急に腕を組んで、うーんと唸った。
「でもさ、チーム長って久遠ちゃんに対してちょっと変よね」
「へ、変……ですか?」
なにか察されてしまったのかと、ぎくりと警戒した。
「みんなと同じにも見えるような気もしなくはないけど……久遠ちゃんにはなーんか……よそよそしいというか、仰々しいというか……」
言いながら急に手を打つ。
「わかった、ツンデレだ」
「つ、ツンデレ……?」
久遠は思わず声が裏返った。
「別に意地悪してるわけじゃないのよね。ただ、言ってることは優しいのに、距離感とか緊張感がなんか……独特?2人ってなにか気まずい事件でもあった?」
「い、いえ!なんにも!」
「ほんと? 一応、パワハラとかセクハラとか、もし何かあったらすぐ言うんだよ?」
「だ、大丈夫です!いっ、神永さんに限ってそんなこと……」
「だよねー。まあ一応ね」
にこっと笑いながら、溝口さんは久遠の背中をぽんと叩く。
「でも、悩みごとがあったら何でも言って。期限付き社員同士、楽しく出社しよ」
その柔らかな言い方に、久遠の胸の重さがまた少しほどけた。
昨夜は、帰りが遅くなってしまった。
もし守衛さんが久遠に気づいて声をかけてくれなければ、この時間までこのデスクで寝ていたかもしれない。そんな恐ろしい事態にならずに済んだことに安堵しつつも、今日は寝不足による頭痛がなかなか消えてくれない。
こめかみを時々マッサージしながら朝のメール処理をする。そこへ、不意に声がかかった。
「小島さん、ちょっと」
顔を上げると、神永がデスクからこちらを見ていた。
表情は変わらないし、いつもの落ち着いた声だ。けれどそこには、硬さが含まれている気がした。
上司に呼び出されるというだけで緊張するのに、相手が神永なのだ。心臓がバクバクと鳴り、変な汗がにじんでくる。
それでも立ち上がり、神永のデスクまで向かった。
「昨日、遅くまで残っていたんだってね」
冷たいわけではないのに、温度の読めない声音。
「……すみません。勉強が追いつかなくて」
「残業申請もせずに……一人でここで寝てたって守衛さんから聞いたよ」
言い訳しようとしたが、言葉がまとまらない。
「小島さん」
軽く名前を呼ばれるだけで、背筋が伸びる。
「オフィスは大学の自習室じゃない。契約の仕事とそれ以外の時間の区切りが曖昧になると、会社の問題になるから」
胸に痛いほどまっすぐ刺さる言い方だった。
「……はい」
神永はゆっくりと息を吸い、静かに続けた。
「自分が頑張ればなんとかなるっていうふうには思わないでほしい。それで体調を崩したり、もし事故が起きたりしたら、迷惑を被るのは会社なんだ」
淡々とした口調は、叱責というより、苛立ちを抑えつけたような声音に聞こえる。余計に汗が溢れ出す。
「急に補佐を頼んで、焦らせている非はこっちにもある。不安もあると思うけど……」
「……ごめんなさい」
また迷惑をかけてしまったのだと、胸の奥がちくりと痛んだ。
迷惑をかけまいと行動する結果、すべて神永の迷惑になっているような気がする。
「分からないことがあるなら、その都度教えるから。同じ質問を何度してもいいから、全て詰め込もうと焦らなくていいよ。……当日も、なにか分からないことがあれば周りに聞いていいからね。周りにも頼って」
そこまで言うと、神永はふっと視線を外した。
「戻っていいよ」
久遠は深く頭を下げ、その場を後にした。
胸が重い。自分の至らなさが理由だと分かっているから余計に辛い。
デスクに戻ると、隣の席の派遣社員・溝口さんが心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫?」
「……残業しちゃって、怒られちゃいました」
ぽつりと言うと、溝口さんは小さく笑って首を振った。
「きっと心配してるだけよ。チーム長って、良くも悪くも責任感の塊みたいな人だから。部下が倒れたりしたら、あの人が一番気に病むタイプ」
「はい。……ありがとうございます」
溝口が、どんまいどんまい、と背中を温かく叩いてくれて、じわりと心が溶けて自然と笑みが零れた。
しかし溝口さんは急に腕を組んで、うーんと唸った。
「でもさ、チーム長って久遠ちゃんに対してちょっと変よね」
「へ、変……ですか?」
なにか察されてしまったのかと、ぎくりと警戒した。
「みんなと同じにも見えるような気もしなくはないけど……久遠ちゃんにはなーんか……よそよそしいというか、仰々しいというか……」
言いながら急に手を打つ。
「わかった、ツンデレだ」
「つ、ツンデレ……?」
久遠は思わず声が裏返った。
「別に意地悪してるわけじゃないのよね。ただ、言ってることは優しいのに、距離感とか緊張感がなんか……独特?2人ってなにか気まずい事件でもあった?」
「い、いえ!なんにも!」
「ほんと? 一応、パワハラとかセクハラとか、もし何かあったらすぐ言うんだよ?」
「だ、大丈夫です!いっ、神永さんに限ってそんなこと……」
「だよねー。まあ一応ね」
にこっと笑いながら、溝口さんは久遠の背中をぽんと叩く。
「でも、悩みごとがあったら何でも言って。期限付き社員同士、楽しく出社しよ」
その柔らかな言い方に、久遠の胸の重さがまた少しほどけた。
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