【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影

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第一章

57話:2人きりの出張(4日目)②

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 さっきの音はどうやら、神永が勢いよく戸を開けたらしい。

 神永は、肩がわずかに上下していて、呼吸が整っていない。その様子に、久遠の方が息を呑む。

 2人はそのまま、言葉もなく見つめ合った。ほんの数秒だったはずなのに、やけに長く感じられる。

「また急にいなくなったかと思った」

 神永がぽつりとそう言った。 

 責めるような口調ではなかった。むしろ、確かめるような、少しだけ力の抜けた声。

 え?

 久遠は、すぐには意味を掴めず、間の抜けた声を出してしまう。

「いなくなりませんよ」

 仕事の人たちといる場で、勝手に消えるなんてことするはずがない。そう思って言ったはずなのに、声は自分でも驚くほど頼りなかった。久遠の目には、目の前の神永が、少しだけ弱っているように映っていたからだ。
 でもそれは、幻想だったのかもしれない。次に神永が続けた声は、硬さを取り戻していた。

「いなくなるの、得意でしょ」

 神永は目を逸らすようにしながら、ネクタイを緩めながらそう呟いた。

 その言葉が何を指しているのかが、一瞬分からなかった。でも、次の瞬間には、思い当たってしまう。

 ――あ。

 中学生の時。
 久遠が何も言わずに退院して、病棟から消えたこと。
 高校の時。
 2人ははっきりとした言葉も交わさないまま、関係がほどけていったこと。

 喉がきゅっと詰まる。反論しようとしても、特に言葉は見つからなかった。
 だけど、沈黙が長引くのはよくない。久遠はそう思い先に口を開いた。

「勝手に出てきてしまってすみません。中、戻りましょうか」

 これは謝罪でもあり、退路でもあった。場を離れ、仕事の顔に戻るための無難な選択肢。けれど、神永は首を振った。

「ううん、まだいいよ。中暑かったよね。少し出てよう」

 澄んだ夜風に溶け込むような、静かな声でそう言われてしまった。引き留めるようでも、突き放すようでもない。

 彼が言っていることはつまり、この場に2人で留まるということだった。

 2人きりで。このまましばらく。

 久遠は一瞬戸惑ったが、否定することもできず、黙って頷いた。

 再び沈黙が落ちる。波の音が、さっきよりも聞きづらい。波の音を探したいけど、聞こえない。海の方が遠ざかってしまったわけがないから、きっとこれは、久遠の交感神経のせいだ。

 久遠を緊張させるその静けさを破ったのは、神永だった。

「來くんと仲良くなれてよかったね」

 急に、仕事の話に戻されたような気がして、久遠は少し遅れて反応する。

「仲良く……多分、はい」

 來が久遠を見る時の苦々しい顔を思い出して、苦笑いが漏れた。

「どうやったの?」

 問いは短く、穏やかだった。責める調子も、探る色もない。きっと彼も、2人の間でこの沈黙が変に際立ってしまわないように、会話を続けてくれているのだろう。それが分かったから、久遠も答える。

「一緒に折り紙してました」

「うん」

 その「うん」が、不意に、昔と重なってしまった。

 中学から高校の頃。久遠の話をただ聞いてくれていた一織の、短いけれど温かな相槌。
 胸がきゅっと締まる感覚をかき消すように、久遠は言葉を重ねた。

「なんか、役割あげるといいんだろうなと思って。彼の部屋、クラスの子からの寄せ書きや、サッカーボールとかがあったんです。多分、学校ではすごく人気な子だったんです。あと、頼りにされたりもしてたんだろうなって」

 來のぶっきらぼうな態度と、病室に飾られた色とりどりの寄せ書きというコントラストは、初めて病室に訪問した時から久遠の胸に残っていた。

 病院では厄介な問題児に見えやすかったかもしれないけれど、学校で見せる姿と病院での姿は違うこともある。

「そこから急に病人扱いされるのって……彼にとってはとても苦しかったかもしれない。今は無力感を感じてるだろうし、そしたら、当然あんなにイライラもするし。それなら、なにか役割をあげたら張合いも出てくるだろうと思って、小児に教える折り紙の講師役に、君も回ってくれないかって言ってみたんです。もちろんはじめは相手にしてくれませんでしたけど。……でも、私の折り紙のセンスが無さすぎて」

 そこまで言って、久遠はあの時の來を思い出して少しだけ笑いが零れる。

「私が本見ながら折ってるの見て、彼がヤキモキしちゃったみたいで。『貸せ!』って。結果的に一緒に折ってくれるようになったので、私が折り紙不器用でよかったです」

 すると、神永から、小さく「ふ、」と息を漏らしたような音が聞こえたような気がした。神永の方を見ると、神永は顔を横に向いてしまっていて、口元を手で覆っている。それに、肩もわずかに揺れていた。

 ……笑ってる?

「よく思いついたね」

 やっぱり笑っていたのかも。彼が返してくれた言葉は、いつもに増して柔らかかった。

「私がそうだったので」

 考えるより先に、口が動いていた。

「あの時、あの温室に水やりをするっていう役目があるだけでもだいぶ――」

 そこまで言って、はっとする。

 ――ああ、最近ずっと"病棟"にいたせいだ。

 オフィスにいれば、その環境が久遠を緊張で縛ってくれる。神永との間でライン越えとなってしまうような余計なことを言わずに済む。
 けれど病院という場所は、久遠を簡単に退行させてしまう。幼い頃の記憶のほとんどが、白い廊下と消毒の匂いでできていることを、体が覚えているから。

 ――まずい。

 言葉が零れすぎたと気づいた瞬間、神永と目が合った。
 ばちりと視線がぶつかって、内心冷や汗をかく。

 温室の話をするなんて、ライン越えもいいところだ。だってあのガラスの中は……久遠と彼が出会った場所であり、毎日会っていた約束の場所であり、彼の涙を初めて見た場所で――。

 不自然なくらい唐突に、久遠は話を切った。

「チーム長の方は、今日のお仕事はどうでしたか」

 話題を投げると、神永は特に追及もせず、自分の担当している仕事の進捗を簡単に話してくれた。助け舟だったのか、それとも単なる報告なのかは分からない。

 話がひと段落すると、また沈黙が落ちる。

 夜風が徐々に火照った体を冷ましてくれていたみたいで、頭の中はとっくに冴えている。だからこそ久遠は焦った。何か言わなければと思って――でも何も思いつかない。

 結局、口をついて出たのは、無難な話題だった。

「……お土産、チーム長はどなたかに買っていかれないんですか?」

「お土産?」

 やっぱり変だと思われてしまっただろうか。後悔しながら、少し誤魔化すように続ける。

「たとえばチームの皆さんとか!あとは……ありすさんとか」

 神永が、わずかに眉を動かした。

「どうして小島さんが、ありすのこと知ってるの?」

 "ありす"。
 名前で呼ばれたその一瞬で、胸の奥がちくりと――いや、ぐっさりと痛んだ。
 彼が名前で呼ぶ女性は、かつては交際相手である久遠だけだった。ごくたまに出てきた同級生の名前も、全部名字呼びだったはず。

 ――やっぱり、付き合ってるんだなぁ。

 わかっているのに何度もこれを確かめて、自分で傷ついて、バカみたいだ。

「霧島さんのお店で知り合ったんです」

「……ああ。……そう」

 その短い返事に、これ以上、今の恋人とのことにお前が踏み込むなという線が引かれた気がした。

「ありすにお土産なんて、考えてもなかったけど」

「……そうなんですね」

「小島さんは誰かに買うの?」

 また、線を引かれた。話題を久遠の方に持ってこうとしている。

「私は……はい。霧島さんと凌也に。……あ、凌也って、この間のパーティーで会った元同期のことなんですけど――」
「覚えてるよ」

 半ば食い気味に言われて、久遠は少し驚いた。

 神永はというと、自分の口調が少しだけ久遠を遮るようなものになってしまったことを和らげるように、ほんの少し笑ったような、角を丸くしたような口調で続ける。

「どうしてその2人に?……近々、会う予定でもあるの」

「はい。私、まだ霧島さんのお料理をちゃんと食べたことがなくて。それで、今度はちゃんと色々食べたいなと思っていて……。凌也も食べるのが好きなので、話してるうちに一緒に行こうってなって」

 共通の知人の話題は楽だ。久遠は少し気が緩んでしまった。

「霧島さん、すごいですよね。いろんな国に一人で行って、言葉もそんなに分からないのに現地の人に料理を教えてもらって……それを自分のものにして」 

 神永の反応を確かめる前に、言葉が続いてしまう。

「霧島さん、"写真を撮るみたいだ"、って言ってました。みんなは旅行に行ったら景色を撮るけど、自分はレシピを切り取ってくるんだって。それを日本に帰ってきてから、現像するみたいに何度も料理をするって。……それ聞いて、面白いなぁと思って」

 そこまで言うと、突然、久遠の視界に何かが入ってきた。
「はい」と言って神永が急に差し出してきたそれは――未開封の水。

「酔ってそうだから。飲んだら」

 久遠は一瞬、きょとんとする。

 そんなふうに見えてしまうほど、顔が赤かったのだろうか。いや、口数が多かったからかもしれない。みっともないって、そう思われただろうか。

 慌てて、「すみません、ありがとうございます」と言って水を受け取り、そのまま飲む。

 すると神永が、隣で前を向いたまま言った。

「お土産、買わなくていいよ」

「え?」

「霧島とかの。……どうしても必要なら、俺が選ぶから」

 静かだけれど、はっきりした声だった。

 ――俺が選ぶ?どうして?

「え……でも、お手数かけちゃいますし」

「小島さんが選ばなくていい」

 戸惑っていると、さらに続く。

「選ばせたくないから。俺がそうしたいの」

 よく見ると、神永の頬もわずかに赤い。

 神永の意図は分からなかったけれど、とにかく、自分のお土産センスがそこまで信用ならないものかとちょっとだけ傷ついた。……たしかに折り紙センスの話はしてしまったけれど……。

 神永は久遠の方を見ないままだ。その様子に、久遠が断る余地はないのだろうと感じた。久遠は意味がわからないまま、「はい」とだけ小さくそう答えた。
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