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第一章
75話:8年越しの「好き」②
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「……私が辞めることが、チームにとってもいいんじゃないかなって、前から思ってたんです」
久遠が語り出すと、神永は眉を顰めた。資料室は薄暗いけれど、相手の表情の動きくらいは十分分かる。
「どうして?チームの皆も別に君のこと疑わないと思うけど。そんな人たちじゃない」
首を振る神永に、久遠も首を振る。
「そうなんですけど、そうじゃなくて……。……私がネクサイユに来てから、チーム長もやりづらかったですよね」
どうせもう、会うことはないのだ。
これまで思っていたことを正直に言わないと、この空間から出してもらえないような気がして口を割った。
「だって、本当は会いたくなかったはずですし、私を別の部署に行かせようとしてたのも知ってるんです。……あ、もちろん、それを責めているわけじゃなくて、そう思うのも当然だと思ってるので、だから……」
ブーッブーッブーッ
2人きりだった空間に、異音がした。久遠のスマホが電話を受信したのだ。
一時、会話が中断する。その静けさの中で電話だけが根気強く鳴るので、久遠はバッグから私用のスマホを取り出した。
『霧島さん』
着信は、霧島からだったみたいだ。LINEをすることはあるが、電話をかけてくるのは珍しい。いや、珍しいどころか、これが初めてだった。なにか緊急の連絡なのだろうか。
早く逃げ出したいと思っていたこの神永との2人きりの空間に、電話という形ではあるが休息所が現れてくれてほっとした部分があった。応答のためにスワイプしようと親指で画面に触れる。
「っ!」
突然、背後からスマホが奪われた。
「な、なんでっ」
思いがけない行動に、抵抗の余地は少しもなかった。
久遠が伸ばした手も虚しく、神永はそのまま電話を切ってしまう。背の高い神永に奪われてしまうと、久遠では到底取り返せない。
「あの、電話……」
「これからあいつのところに行くの?」
静かな声で遮られる。
「え?」
「あいつと付き合ってる?」
間髪入れずに聞かれて、頭の中がぐるぐると混乱した。
言われていることが分からなかった。辛うじて、"あいつ"が指しているのが霧島であるということまで分かった後も、やっぱり質問が分からない。
「そんな、なんで……?」
「答えて。あいつのことが好き?」
神永一織らしくなかった。人のものを勝手に奪って、話を聞かず、畳み掛けるだなんて。
「どうして、そんなこと聞くんですか?」
「気になるから」
真っ直ぐにそう言われ、久遠は絶句した。
「……どうしてですか?」
「どうしてって?」
「……どうして、そうやって……何でもないみたいな顔で振り回すんですか?」
消え入るような声が出た。
久遠は、脳の一部で何かが溢れ出してしまったのを感じた。そして、溢れ出したものを抑制するための脳機能の停止。もう、止められなくなってしまった。
「他の部署に行かせようとしたり、『もう会いたくなかった』って言ったり、『はじめまして』って……!」
そこまで一息で言ってしまい、呼吸が乱れる。一度息を吐ききってから、息を飲み込み、呼吸を整えてからまた話す。
「嫌われてるって思えたら楽なのに……。ならなんで、時々優しくするんですか?私に」
神永は何も答えない。
そこではっとした。立場も忘れて、つい言い過ぎてしまった。神永に関する揺れ動きで脆くなっていた心が、限界に達してしまっていたみたいだ。
なんで時々優しくするのかなんて、聞いてどうする。期待が砕かれて終わるだけの回答が返ってきたら?自分を守れる自信がない。
「……ごめんなさい。変なことたくさん言った。忘れてくださ――っ」
バッグにケーブルを乗せ、荷物をまとめようとするとその手を止められる。
肌が触れたことに驚いていると、そのまま腕を引かれ、壁に押し付けられた。
「っ!」
視界が神永でいっぱいになる。
「……だから。あいつのところに行くの?行かないの?まだ話終わってないじゃん」
いつもより余裕のない声が、久遠の体の奥を震わせる。目の前に神永の瞳があり、胸が震える。
「は、離してください」
近さの拷問から逃がしてほしかった。それに、泣きそうになってしまっている目を神永に見られたくなかった。
ブーッブーッブーッ
再び、久遠のスマホが神永の手の中で震えた。きっと、先ほど不自然に切られた電話を不審に思い、霧島がかけ直してきたのだ。
しかし、それも神永が片手で切ってしまう。
「……霧島のことが好きなの?もう付き合ったりしてるの?」
視界がすべて神永になる景色が、展示会の設営作業を行ったあの日と重なる。あの時壁ドンになったのは事故だったけれど、今回は、神永がわざと久遠を逃がさないように閉じ込めている。
「ち、違います」
「こっち見て。ちゃんと答えて」
神永の腕が頑として動かないので驚いた。
壁と神永に挟まれた久遠が、ふるふると首を振る。すると、神永はまた「見て」と言って、久遠の頤に指をかけて上を向かせた。
――っ!
強制的に目が合ってしまい、顔が赤くなる。ここが暗い部屋でなければ、無様なほど真っ赤な顔を晒してしまっていた。
「……怒ってるから、こんなことするんですか?」
「怒ってるよ。君の気持ちがわからないから」
久遠の顎に触れている神永の指先が冷たい。
「離してください!」
久遠が、神永の胸をぐ、と押すと、やっと離れてくれた。
久遠の鼓動は頭がガンガンするほど激しくなっていて、目眩すらする。
神永の意味不明な行動に腹が立ってきているのに、どうしても好きだから、近づかれるとこんなにドキドキしてしまう。
久遠は一度深呼吸をした。神永も乱れた襟を整え、一つ息を吐く。
先に口を開いたのは、久遠だった。
「……私とチーム長は、これでもう関係ない人になれるんです。たとえ私が……たとえば、霧島さんと付き合ったって、もうチーム長には関係ないんです。今日でもういなくなるから、心配しないでください」
ずっと、神永の生活圏内に入ってしまっていることが申し訳なかった。けれど、それももうおしまいだ。明日からまた、交わらない世界で生きる日々を再開することができる。
だからあなたは、ありすさんと、ただ仲良く――。
久遠がまたバッグの方へ向かおうとすると、また神永の腕が伸びてきて、久遠の行く手を妨げた。
バンッ
また壁に追いやられてしまい、どうしたらいいのか分からなくなる。
神永は、久遠の頭のそばの壁に肘をつき、壁との間に久遠を閉じ込めた。
明らかに、単なる上司と部下との関係を逸脱した距離感。身体は硬直し、ただ神永の次の言葉を待った。
「……ごめん、聞いて」
神永の声が、頭上で、耳のそばで響く。先ほどまでの強さは消え失せて、切ない声だった。
「君が今、霧島のことが好きだとしても、俺は君が好きだ。だから……どこかに行くなんて言わないで」
「え?」
何を言われたのかわからなくて、久遠はうわずった声を漏らした。けれど、神永は続ける。
「今度は飽きられないように頑張るからだから……俺とまた付き合って。今は俺のこと好きじゃなくたっていい。俺が、頑張るから」
"今度は飽きられないように"......?
苦しそうな神永の表情を見ながら、久遠は目を瞬かせる。
頭の中が、これまでにないほど混乱する。今彼から言われた言葉が、様々な欠片となって混ぜ合わされていく。かと思うと、再会してからの神永の振る舞いの記憶も出てきて、とめどない濁流になる。
"また付き合って"って、なに?どういうこと?どうしてそんなこと言うの?だって、神永一織は私を恨んでいるはずで……。
「え?違う、私……え?」
神永の腕の中で、久遠は目を白黒させる。完全にパニックだ。
ここの薄暗い空間が、より現実味を奪っている。
「困らせてごめん」
神永は少し腕を伸ばし、久遠から距離を取ると、謝った。
「いや違うそうじゃなくて……っ!私、私は……」
混乱の濁流に飲み込まれそうになるが、今言えることを伝えたい。
これだけは、確かなことだから――。
「あなたのこ、とが好き……」
自分でも、言いながらよく分からくなって、目の前にある神永の左右の瞳の間で、久遠の視線も揺れる。
目の前の人はまだ、"一織くん"でも、"神永チーム長"でもない。どちらともつかない存在を前にどう呼んだらいいかわからず、出てきたのは"あなた"だった。
「え……?」
神永の目が見開かれる。
「私、あなたのことが好きです。ずっと。ずっと好き……」
ただただ神永の瞳に吸い寄せられて、瞬きもできない。自分が何を言っているのか、この場でふさわしい言葉を本当に発せているのかも定かじゃないまま、うわ言みたいに呟いた。
久遠が言うと、2人は時が止まったように見つめ合った。
その5秒は永遠のようにも感じられたけど、いきなり、視界がぶち破られた。
「んっ!」
唇に何かがぶつかった。――と、思うとすぐに、口の中に柔らかい感触が入り込んでくる。
キスされている。
そう理解した時には、角度を変えられ、再び唇を重ねられる。
「ん、ぁ、ちょっ……」
神永はさらに久遠の口に侵入してくる。久遠が肩を叩くけれど、神永によってその手は壁に押し付けられてしまった。そして、そのまま指を絡められ、久遠は腰が砕けそうになる。
懐かしさと新鮮さが同居した感触に、彼女は微かに身震いした。神永は久遠を壁に押し付けたまま角度を変えてもう一度唇を重ねる。
「ん…!」
久遠が小さく息を漏らすと、それを合図にもっと深くなる。それに久遠が及び腰になると、力強く腰を引き寄せられ、逃げ場を失った。
「行かないで」
唇を少しだけ離して、彼が言った。切羽詰まった声色だった。久遠が答える暇もなく繰り返し唇を重ねられ、久遠の身体は固まり、シャツの中で汗が滲むのを感じた。
「待っ……チーム長っ……」
神永はゆっくりと唇を離すと、親指の先で久遠の涙を拭った。
「だめ。チーム長って呼ばないで」
薄暗い部屋の中で、神永の目が艶やかに光っている。視線を外すことが出来ない。
神永はそのまま久遠の首元に頭を落とし、首筋にキスした。未知の感覚が怖くて、目を瞑る。彼の柔らかな唇が首筋を這う度、お腹の奥がきゅっと切なくなるのを感じた。
「久遠」
神永はそのまま、耳元で久遠の名前を囁いた。腰がゾクゾクして、涙が滲む。
久遠も、おずおずと口を開いた。その名前を呼ぶ資格なんてないと思っていた、自分の中で宝物箱に閉じ込めておいた、大切な名前を紡ぐために。
「一織、くん……」
また唇が重ねられた。
まだ、何が起きているのか分からない。もしかしたら、夢の中にいるのかもしれない。末期の自分が見る、理想を詰めた夢。
でも、不確かだからこそ、この時間から醒めたくなかった。夢でもいいから触れられたかった。腰を寄せている神永の手も、触れている唇も、息遣いも、全ての感覚を感じたくて目を閉じる。
涙が頬を流れるのを感じる。熱くて、その感覚はリアルだ。
「ずっとこうしたかった」
唇を離してすぐ、彼がそう言った。その言葉に揺らされる鼓膜からすべて溶けて、この時間が永遠になればいいのにと思う。
ゆっくりと顔が離されて、やっと神永の顔にピントを合わせられる。視線が交わる。神永は少しだけ笑みをこぼすと、また久遠の涙を優しく拭ってくれた。
資料室に西日が入ってきて、2人の影を壁に映し出している。
久遠は、神永の目にも浮かんでいる涙に手を伸ばす。触れていいのか、だめなのか。勇気が足りなくて一度手を下ろそうとすると、神永から久遠の手を掴み、自分の頬に沿わせた。久遠も、指の腹で神永の頬を撫でた。確かにそこに、彼が存在するみたいだった。
「夢みたい。久遠、ほんとに久遠だよね」
久遠の気持ちをそのまま神永が言ったので、おかしくなって笑みがこぼれる。
久遠は胸がいっぱいで何も言葉にできなかったけれど、神永の首に手を回した。すると、神永の方からまた唇を食まれ、2人は静かに笑い合った。
久遠が語り出すと、神永は眉を顰めた。資料室は薄暗いけれど、相手の表情の動きくらいは十分分かる。
「どうして?チームの皆も別に君のこと疑わないと思うけど。そんな人たちじゃない」
首を振る神永に、久遠も首を振る。
「そうなんですけど、そうじゃなくて……。……私がネクサイユに来てから、チーム長もやりづらかったですよね」
どうせもう、会うことはないのだ。
これまで思っていたことを正直に言わないと、この空間から出してもらえないような気がして口を割った。
「だって、本当は会いたくなかったはずですし、私を別の部署に行かせようとしてたのも知ってるんです。……あ、もちろん、それを責めているわけじゃなくて、そう思うのも当然だと思ってるので、だから……」
ブーッブーッブーッ
2人きりだった空間に、異音がした。久遠のスマホが電話を受信したのだ。
一時、会話が中断する。その静けさの中で電話だけが根気強く鳴るので、久遠はバッグから私用のスマホを取り出した。
『霧島さん』
着信は、霧島からだったみたいだ。LINEをすることはあるが、電話をかけてくるのは珍しい。いや、珍しいどころか、これが初めてだった。なにか緊急の連絡なのだろうか。
早く逃げ出したいと思っていたこの神永との2人きりの空間に、電話という形ではあるが休息所が現れてくれてほっとした部分があった。応答のためにスワイプしようと親指で画面に触れる。
「っ!」
突然、背後からスマホが奪われた。
「な、なんでっ」
思いがけない行動に、抵抗の余地は少しもなかった。
久遠が伸ばした手も虚しく、神永はそのまま電話を切ってしまう。背の高い神永に奪われてしまうと、久遠では到底取り返せない。
「あの、電話……」
「これからあいつのところに行くの?」
静かな声で遮られる。
「え?」
「あいつと付き合ってる?」
間髪入れずに聞かれて、頭の中がぐるぐると混乱した。
言われていることが分からなかった。辛うじて、"あいつ"が指しているのが霧島であるということまで分かった後も、やっぱり質問が分からない。
「そんな、なんで……?」
「答えて。あいつのことが好き?」
神永一織らしくなかった。人のものを勝手に奪って、話を聞かず、畳み掛けるだなんて。
「どうして、そんなこと聞くんですか?」
「気になるから」
真っ直ぐにそう言われ、久遠は絶句した。
「……どうしてですか?」
「どうしてって?」
「……どうして、そうやって……何でもないみたいな顔で振り回すんですか?」
消え入るような声が出た。
久遠は、脳の一部で何かが溢れ出してしまったのを感じた。そして、溢れ出したものを抑制するための脳機能の停止。もう、止められなくなってしまった。
「他の部署に行かせようとしたり、『もう会いたくなかった』って言ったり、『はじめまして』って……!」
そこまで一息で言ってしまい、呼吸が乱れる。一度息を吐ききってから、息を飲み込み、呼吸を整えてからまた話す。
「嫌われてるって思えたら楽なのに……。ならなんで、時々優しくするんですか?私に」
神永は何も答えない。
そこではっとした。立場も忘れて、つい言い過ぎてしまった。神永に関する揺れ動きで脆くなっていた心が、限界に達してしまっていたみたいだ。
なんで時々優しくするのかなんて、聞いてどうする。期待が砕かれて終わるだけの回答が返ってきたら?自分を守れる自信がない。
「……ごめんなさい。変なことたくさん言った。忘れてくださ――っ」
バッグにケーブルを乗せ、荷物をまとめようとするとその手を止められる。
肌が触れたことに驚いていると、そのまま腕を引かれ、壁に押し付けられた。
「っ!」
視界が神永でいっぱいになる。
「……だから。あいつのところに行くの?行かないの?まだ話終わってないじゃん」
いつもより余裕のない声が、久遠の体の奥を震わせる。目の前に神永の瞳があり、胸が震える。
「は、離してください」
近さの拷問から逃がしてほしかった。それに、泣きそうになってしまっている目を神永に見られたくなかった。
ブーッブーッブーッ
再び、久遠のスマホが神永の手の中で震えた。きっと、先ほど不自然に切られた電話を不審に思い、霧島がかけ直してきたのだ。
しかし、それも神永が片手で切ってしまう。
「……霧島のことが好きなの?もう付き合ったりしてるの?」
視界がすべて神永になる景色が、展示会の設営作業を行ったあの日と重なる。あの時壁ドンになったのは事故だったけれど、今回は、神永がわざと久遠を逃がさないように閉じ込めている。
「ち、違います」
「こっち見て。ちゃんと答えて」
神永の腕が頑として動かないので驚いた。
壁と神永に挟まれた久遠が、ふるふると首を振る。すると、神永はまた「見て」と言って、久遠の頤に指をかけて上を向かせた。
――っ!
強制的に目が合ってしまい、顔が赤くなる。ここが暗い部屋でなければ、無様なほど真っ赤な顔を晒してしまっていた。
「……怒ってるから、こんなことするんですか?」
「怒ってるよ。君の気持ちがわからないから」
久遠の顎に触れている神永の指先が冷たい。
「離してください!」
久遠が、神永の胸をぐ、と押すと、やっと離れてくれた。
久遠の鼓動は頭がガンガンするほど激しくなっていて、目眩すらする。
神永の意味不明な行動に腹が立ってきているのに、どうしても好きだから、近づかれるとこんなにドキドキしてしまう。
久遠は一度深呼吸をした。神永も乱れた襟を整え、一つ息を吐く。
先に口を開いたのは、久遠だった。
「……私とチーム長は、これでもう関係ない人になれるんです。たとえ私が……たとえば、霧島さんと付き合ったって、もうチーム長には関係ないんです。今日でもういなくなるから、心配しないでください」
ずっと、神永の生活圏内に入ってしまっていることが申し訳なかった。けれど、それももうおしまいだ。明日からまた、交わらない世界で生きる日々を再開することができる。
だからあなたは、ありすさんと、ただ仲良く――。
久遠がまたバッグの方へ向かおうとすると、また神永の腕が伸びてきて、久遠の行く手を妨げた。
バンッ
また壁に追いやられてしまい、どうしたらいいのか分からなくなる。
神永は、久遠の頭のそばの壁に肘をつき、壁との間に久遠を閉じ込めた。
明らかに、単なる上司と部下との関係を逸脱した距離感。身体は硬直し、ただ神永の次の言葉を待った。
「……ごめん、聞いて」
神永の声が、頭上で、耳のそばで響く。先ほどまでの強さは消え失せて、切ない声だった。
「君が今、霧島のことが好きだとしても、俺は君が好きだ。だから……どこかに行くなんて言わないで」
「え?」
何を言われたのかわからなくて、久遠はうわずった声を漏らした。けれど、神永は続ける。
「今度は飽きられないように頑張るからだから……俺とまた付き合って。今は俺のこと好きじゃなくたっていい。俺が、頑張るから」
"今度は飽きられないように"......?
苦しそうな神永の表情を見ながら、久遠は目を瞬かせる。
頭の中が、これまでにないほど混乱する。今彼から言われた言葉が、様々な欠片となって混ぜ合わされていく。かと思うと、再会してからの神永の振る舞いの記憶も出てきて、とめどない濁流になる。
"また付き合って"って、なに?どういうこと?どうしてそんなこと言うの?だって、神永一織は私を恨んでいるはずで……。
「え?違う、私……え?」
神永の腕の中で、久遠は目を白黒させる。完全にパニックだ。
ここの薄暗い空間が、より現実味を奪っている。
「困らせてごめん」
神永は少し腕を伸ばし、久遠から距離を取ると、謝った。
「いや違うそうじゃなくて……っ!私、私は……」
混乱の濁流に飲み込まれそうになるが、今言えることを伝えたい。
これだけは、確かなことだから――。
「あなたのこ、とが好き……」
自分でも、言いながらよく分からくなって、目の前にある神永の左右の瞳の間で、久遠の視線も揺れる。
目の前の人はまだ、"一織くん"でも、"神永チーム長"でもない。どちらともつかない存在を前にどう呼んだらいいかわからず、出てきたのは"あなた"だった。
「え……?」
神永の目が見開かれる。
「私、あなたのことが好きです。ずっと。ずっと好き……」
ただただ神永の瞳に吸い寄せられて、瞬きもできない。自分が何を言っているのか、この場でふさわしい言葉を本当に発せているのかも定かじゃないまま、うわ言みたいに呟いた。
久遠が言うと、2人は時が止まったように見つめ合った。
その5秒は永遠のようにも感じられたけど、いきなり、視界がぶち破られた。
「んっ!」
唇に何かがぶつかった。――と、思うとすぐに、口の中に柔らかい感触が入り込んでくる。
キスされている。
そう理解した時には、角度を変えられ、再び唇を重ねられる。
「ん、ぁ、ちょっ……」
神永はさらに久遠の口に侵入してくる。久遠が肩を叩くけれど、神永によってその手は壁に押し付けられてしまった。そして、そのまま指を絡められ、久遠は腰が砕けそうになる。
懐かしさと新鮮さが同居した感触に、彼女は微かに身震いした。神永は久遠を壁に押し付けたまま角度を変えてもう一度唇を重ねる。
「ん…!」
久遠が小さく息を漏らすと、それを合図にもっと深くなる。それに久遠が及び腰になると、力強く腰を引き寄せられ、逃げ場を失った。
「行かないで」
唇を少しだけ離して、彼が言った。切羽詰まった声色だった。久遠が答える暇もなく繰り返し唇を重ねられ、久遠の身体は固まり、シャツの中で汗が滲むのを感じた。
「待っ……チーム長っ……」
神永はゆっくりと唇を離すと、親指の先で久遠の涙を拭った。
「だめ。チーム長って呼ばないで」
薄暗い部屋の中で、神永の目が艶やかに光っている。視線を外すことが出来ない。
神永はそのまま久遠の首元に頭を落とし、首筋にキスした。未知の感覚が怖くて、目を瞑る。彼の柔らかな唇が首筋を這う度、お腹の奥がきゅっと切なくなるのを感じた。
「久遠」
神永はそのまま、耳元で久遠の名前を囁いた。腰がゾクゾクして、涙が滲む。
久遠も、おずおずと口を開いた。その名前を呼ぶ資格なんてないと思っていた、自分の中で宝物箱に閉じ込めておいた、大切な名前を紡ぐために。
「一織、くん……」
また唇が重ねられた。
まだ、何が起きているのか分からない。もしかしたら、夢の中にいるのかもしれない。末期の自分が見る、理想を詰めた夢。
でも、不確かだからこそ、この時間から醒めたくなかった。夢でもいいから触れられたかった。腰を寄せている神永の手も、触れている唇も、息遣いも、全ての感覚を感じたくて目を閉じる。
涙が頬を流れるのを感じる。熱くて、その感覚はリアルだ。
「ずっとこうしたかった」
唇を離してすぐ、彼がそう言った。その言葉に揺らされる鼓膜からすべて溶けて、この時間が永遠になればいいのにと思う。
ゆっくりと顔が離されて、やっと神永の顔にピントを合わせられる。視線が交わる。神永は少しだけ笑みをこぼすと、また久遠の涙を優しく拭ってくれた。
資料室に西日が入ってきて、2人の影を壁に映し出している。
久遠は、神永の目にも浮かんでいる涙に手を伸ばす。触れていいのか、だめなのか。勇気が足りなくて一度手を下ろそうとすると、神永から久遠の手を掴み、自分の頬に沿わせた。久遠も、指の腹で神永の頬を撫でた。確かにそこに、彼が存在するみたいだった。
「夢みたい。久遠、ほんとに久遠だよね」
久遠の気持ちをそのまま神永が言ったので、おかしくなって笑みがこぼれる。
久遠は胸がいっぱいで何も言葉にできなかったけれど、神永の首に手を回した。すると、神永の方からまた唇を食まれ、2人は静かに笑い合った。
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