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しおりを挟むそんな、冴えないサラリーマンの前世を思い出してから五年ほどが経った現在。僕は十歳、カケル兄さんは十三歳になっていた。
父や家庭教師による厳しい教育も未だ健在であるがすっかり慣れてしまい、厳しい言葉を投げかけられたりするがもはやそんなもので僕の心が乱れることはない。兄さんも僕のように心の持ちようを学んだみたいで、辛い表情をすることも減っている。むしろ家庭教師を軽くあしらう術さえ身につけていて、ねちっこく説教されないようにと上手く立ち回っているようだ。
家庭教師は度々「灰羽家に生まれたからには」とか「現当主様のように」とか「灰羽家を支えるものとして」云々ながーい説教をたれてくるのだが、未だ僕は兄さんのように上手いこと回避できない。兄さんが聞かないぶんを僕が聞かされている気がしないでもないが、まぁそこは僕の立ち回りが下手なだけなので兄さんに文句を言うつもりもない。むしろ相手を不快に思わせずにあしらう手腕を尊敬しているくらいだ。さすがは次期当主である。前世の僕も、兄さんくらい上手な躱し方を知っていたらもう少しましな人生を送れていたのだろうかと思わずにはいられない。
とまぁそんな感じで、兄さんと僕は将来に向けて二人三脚で日々切磋琢磨しながら走っているわけなのだが……ここ最近、二人して頭を痛めている案件がある。
それは――。
「いやだ!僕こっちの服がいい!」
「し、しかしトマリ坊っちゃん。本日はレオン様の生誕パーティーです。主役のレオン様より目立つようなお召し物はマナー的にも……」
「マナーとかしらない!僕がこっちがいいって言ってるの!こっちじゃないといやだ!」
扉の向こうから、子どもが泣きわめく金切り声と、使用人の困り果てた声がした。
並んで廊下を歩いていた僕と兄さんは立ち止まり、顔を見合わせてから同時にため息を吐く。
「トマリのやつ、また癇癪を起こしているのか」
「そうみたいだね」
「はぁ……出発まで時間がないんだぞ」
兄さんは呆れたような表情を浮かべて額に手を当てる。
トマリとは、僕と兄さんの弟、灰羽家の三男坊だ。そして僕たち二人が頭を痛めている案件そのものでもある。
トマリと僕の年の差は三つ。今年から僕たちと同じ学園に通い始めたばかりの小学一年生だ。
灰羽家は、誰もが名前を聞いたことがあるくらい有名な家で、一応さまざまな事業を手掛けている「灰羽グループ」のトップでもある。父はその「灰羽グループ」の会長だから、それを継ぐ予定の兄さんや兄さんの側近をする僕の教育に力が入るのも頷ける。そして本来であれば、そんなお家柄に生まれた子どもは末弟だろうがなんだろうが、家に恥じぬようにと厳しく躾けられるはずだ。
しかしどういうわけか、トマリは両親から大変甘やかされながら育てられている。
両親はトマリが欲しいと言ったものはおもちゃ、ゲーム、アクセサリーなど、どんなものであっても買い与えたし、僕や兄さんの私物を欲しがったらそれを譲らなければ僕たちを「お兄ちゃんなんだから譲ってあげなさい」と叱った。僕の場合はおもちゃやゲームといったものが欲しいと強請っても必要ないと突っぱねられた経験しかないので、この時点で扱いの差には首をひねった。
それから、トマリも僕や兄さんと同じように五歳から家庭教師がついたのだが、件の説教が長い家庭教師ではなく別の人だった。しかも父から厳しくしないようにとの指示があったようで、問題を一問でも正解すれば過剰に褒め称え、不正解でも折檻などは当然ながらないし、面倒くさいと授業をサボっても家庭教師や両親は諭すことなく放置している。両親曰く、自由にさせることで育つ個性もあるとのことだが、物は言いようだなとさすがに呆れた。
そうやって、欲しい物は人のものだろうが手に入り、どんなことをしても誰にも叱られることなく周りから甘やかされ続けた結果、思い通りにならなかったら癇癪を起こし自分が世界の中心であると信じて疑わない傲慢でワガママなクソガキに育ってしまった。
ここ最近は他人への態度もひどくなってきて、世話をしてくれている使用人へ暴言を吐いたり、同級生を見下すような言動をとっているとも聞く。さすがに看過できず兄さんと僕がトマリを注意したりするのだが、何せ叱られ慣れていないものだから泣き喚き出して全く話にならない。
当然ながら、僕たちとトマリの関係性は決して良好とは言えない。トマリ自身も兄である僕たちより自分の方が両親から愛されていると自覚を持っているので、トマリは僕たちを下に見ている。そんな状態なので、僕たちの言うことを聞かないのは必然だ。
しかし、父のあの溺愛甘々ぶりを見るに、トマリには家のなにかしらのことを任せる気はないのだろうと思う。だから、あんなのに無駄な時間を割くくらいなら見捨ててしまってもいいのではと、僕は一度兄さんに提案したことがあった。
けれど兄さんは頷かなかった。
それは決して弟への愛からではない。
なにも成し遂げていないのに、さも自分が崇高な人間であるかのようなあの尊大な態度は、いつか絶対、なにか大きなトラブルを呼び寄せる、という懸念からだ。
兄さんのその懸念にはさすがに納得した。
先にも述べたように、灰羽家は国内有数の名家であり、「灰羽グループ」のトップである。そういった立場にある者は、人から恨まれたり誰かから足を引っ張られることも少なくない。今の父でさえかなりの粗探しをされているのだから、跡を継いだ際には兄さんも父以上に身辺を探られるだろう。
そうなったとき、なにを仕出かすかわからないトマリは非常に危険だ。問題を起こしていなくても、足を引っ張りたい者はトマリに目をつけ利用するだろう。なにか問題が起きて、それがトマリが全面的に悪くても、責任を取らされるのは上の人、つまり父や兄さんだ。最悪の場合、失脚することになる。そうなったら灰羽家だけではない、灰羽家に仕える者や「灰羽グループ」に属している従業員たちにも多大なる迷惑、そして多大な賠償金もかかるだろう。
僕はそこまで想像して、身震いした。露頭に迷うのだけは勘弁願いたい。
というわけで、一刻も早くトマリという爆弾を処理し、どうにか更生できないかと諸々手を尽くしているわけである。
が、先程の金切り声でわかるように、僕たちのその取り組みの成果は未だ得られていない。僕たちがトマリに厳しくする以上に、両親が甘やかしてしまうのだ。
両親はとことんトマリに甘い。ホイップクリームもびっくりの甘さである。そんな両親にトマリをこれ以上甘やかすなと言ったって聞くわけがない。
二人で対策を考えてもいい案は浮かばず、兄さんもそろそろ諦めかけてしまっている。かくいう僕も、これ以上は付き合いきれないとさえ思っているのだ。
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