134 / 313
第三章 王立学院中等部二年生
133 記憶持ちの相談④
しおりを挟む
Side:アシェル13歳 春
二日間かけて覚えていることを話し終えた後、アシェルの記憶を探る相談は難航していた。
あれから一週間の間に、何度かアシェルはパニックを起こして、その度にアレリオンとアークエイドに抱きしめられ、落ち着かせてもらった。
アークエイドに引き戻されたのも一度や二度ではない。
それでも全く記憶の蓋は開く気配を見せなくて、細かく話せば話すほど、記憶の蓋と紐づいている記憶が多すぎる事だけが判明していく。
お陰で、話している間中ずっと、アシェルは頭痛に悩まされることになった。
「多分……僕が結婚して子供を産むビジョンが見えないというか、忌避感があるのは、僕が虐待を受けていたからですね。虐待を受けた子供は、それを自分の子供に行ってしまって、虐待が連鎖することがあるらしいです。そういう風に、施設長の奥さんに言われました。カウンセリングにも行ったけど、どうしてもカウンセリングの先生は信用できなくて、早々に打ち切られた記憶があります。……原因は分かったけど、この忌避感はあってもなくても、実際に母親になるまで分からないやつですね。まぁ、この世界には乳母もお世話係も居るので、気にしなくていい問題な気がします。というわけで、アーク。問題は一つ解決したよ。あとは、アークの言う特別な好きが分からないだけになった。」
「アシェが前に言っていたやつか。そっちの方がアシェに分かってもらうのが難しそうなんだがな。」
アークエイドは苦笑するが、分からないものは分からないのだ。仕方がない。
「ねぇ、アシェ。そろそろ思い出すのを止めないかい?一つは問題が解決したんだろう。その特別な好きは、過去の記憶には関係ないものだ。開かない記憶の蓋に触れる時間が長いほど、頭痛が酷くなってきてるんじゃないのかい?」
「アン兄様にはお見通しですか。……そうですね。起きてる間は、頭痛のしていない時間が無くなってきました。痛みも増してます。詳細に思い出せば思い出すほど、思い出そうとするほど、あまりにも蓋と絡まった情報が多すぎて……親友達のことですら、中学以降は軽い頭痛がします。」
心配するアレリオンに素直に告げれば、隣から手が伸びてきて頭を撫でられる。
アシェルがあまりにもパニックを起こすので、今はアークエイドとアレリオンに挟まれる形でソファに座っていた。
「やっぱり、かなり負荷がかかっているんだね。本当に薬も効かないし、これ以上はお勧めしないよ。それでも、アシェが思い出したいって言うなら、いくらでも協力はするけれど……。」
「まだ記憶の蓋があるのも、頭痛がしちゃうのも気になりますけど……なるべく思い出を思い出さないようにすれば、なんとかなる……かな。僕の幼少期のころのことも知れましたし、忌避感の一つは判明しましたから、十分に収穫はありました。僕に付きっきりになってくれてありがとうございます。」
「ふふ、僕もアシェの抱えている記憶のことを知れて、十分に収穫はあったよ。純情なアルには言えないね。」
それがアシェルの前世の中学生時代からのことだろうと予想する。
「確かに。純情なアル兄様が聞いたら卒倒しそうですね。マリクの発情期の抑制剤を作る時は、全く気にしてなさそうでしたけど。基本的にアル兄様は初心ですからね。」
「本人はそんなつもりがなさそうなところも可愛いよね。……アシェ、何か感じる?」
急にアレリオンの顔つきが険しくなり、声を落とした。
アシェルも『探査魔法』を使って周囲を探る。
「っ!!アン兄様の隙間を縫って、別の魔力がっ!!アン兄様っ!!アーク!!」
器用にアレリオンの魔力の波の隙間をついて、別の誰かの魔力がこの部屋を、アシェル達の周りだけを埋めている。
明らかにアシェル達全員を狙っている魔力に声を上げるが、アレリオンが蹲り頭を抱え始めた。
「これは……闇の干渉系か!俺のことは気にするな。それより長兄とアシェの方が問題だ。」
「気にするなって……くそっ、押し返せないっ。」
こちらが相手の魔力に気付いたことがバレ、全力で何かしらの魔法が襲ってくる。
それも、術者の魔力が常に流れ続けている類のものだ。
「王家に闇の、特に精神干渉系はかなり効きにくいんだ。だが、これは禁術のはずだぞ。」
「アークは大丈夫なんだね?っ!!頭……痛い……。」
アークエイドは一先ず大丈夫そうだということが判明したが、アシェルを今までの比にならないほど激しい頭痛が襲う。
記憶の蓋を無理やりこじ開けられるような激痛に、アシェルは意識を落とした。
魔法の得意な二人が悪意を持った敵の魔法の影響を受ける中、アークエイドは『ストレージ』からブロードソードを取り出し、周囲を警戒する。
「でん、か……アシェは……?」
少し虚ろな目をしたままのアレリオンが、なんとか意識を現実に戻してアークエイドに問いかける。
「頭痛を訴えて気を失った。禁術で闇の精神干渉系ということしか分からない。何を受けた?」
「これは。トラウマを強制的に思い出させるものですね……どうやら私のトラウマは、アシェが幼少期の頃のトラウマと一緒だったようです。笑わなくなった何も映していないアシェを思い出しました。そして、それがずっと続くような感覚も。今回のこの話が無かったら、まだ私も囚われていたままかもしれません。」
冷静に分析しながら、アレリオンも『ストレージ』から取り出したブロードソードを構えた。
魔法の方が得意だが、剣で戦えないわけではない。
特に精神状態が乱れている今、かなりの手練れである敵と魔法戦になると押し負ける可能性もあった。
「ご名答。殿下に術が効かないのは分かっていましたが、まさかメイディーの一人が、こんなに立ち直りが早いとは思いませんでしたよ。」
第三者の声が聞こえ、鋭い殺気を感じると同時に、アークエイドの目の前でアレリオンと敵の刃が交わり甲高い音が鳴る。
「おやおや。剣の腕もそこそこですか。」
突然現れた長身の男は、全身黒尽くめで目元だけ肌が覗いている。
「誰だ。」
「名乗る必要はないでしょう。知ったところで意味がないですからねっ!」
アレリオンの剣をはじいた男は、そのままアークエイドに刃を振り下ろす。
それをアークエイドは受けながら、どうにかしてアシェルの傍から離れようとするが、相手はかなりの使い手らしく、思い通りには動いてくれない。
「そちらのメイディーの一人を守るつもりですか?こそこそと三人で引きこもって何をしていたのか知りませんが。こちらとしては好都合でしてね。」
「知るかっ。」
キンッキンッと刃が交わり小さな火花が散る。
アークエイドの視界の端で、アレリオンがアシェルを抱き起して移動させようとしているのが見えた。
「……貴方は……。」
「アシェ、気が付いたかい?敵襲だ。戦えないだろう、安全な場所に——。」
「誰?」
立ち上がり瞼を上げたアシェルの言葉に、アレリオンの表情が驚きに変わる。
「あぁ、思い出した。貴方はアシェルの兄ね?ここは……まだ分からないわ。ねぇ、敵はどっち?忍者?黒髪??」
「その忍者と呼んだ方だ。君は……。」
まだ動揺しているアレリオンを無視して、アシェルは現状を見渡し状況を把握する。
アレリオンの目の前にいるのは、どこか虚空を見つめているような、あの幼い時に見たアシェルの瞳だった。
「そう。あぁ、あの子はお茶会の子ね。質問の答えだけど、私は薫。でも、アシェル。待ってね、まだ記憶が混ざってないの。でも、あれは邪魔ね……こう、かな?」
淡々と話しながら、アシェルは『拘束』を使った。
アークエイドと打ち合いをしていた男の身体が硬直する。
「アシェ……?」
急に動きを止めた男から距離を取り、警戒しながらアークエイドがアシェルの元へ近寄ってくる。
「まだ私は薫の意識の方が強いの。兄にも伝えたけど、もう少しだけ待ってね。それにしても、魔法って便利ね。身体が使い方を覚えていてくれて助かったわ。」
まるで友人に近寄るような軽い足取りで、アシェルは黒尽くめの男に近づいた。
「貴方ね。アシェルの記憶の蓋を無理やりこじ開けたのは。私がアシェルには要らない記憶を封印していたのに、余計なことをしてくれたわね。……この世界はどこまで許されるのかしら?ねぇ、王子様は知ってる?この人を傷つけたら、私は逮捕されるかしら?」
「かおる……といったか?いや、返り討ちにするのは犯罪にならない。」
アレリオン同様に、アークエイドも戸惑いながら問いに答えた。
「そう。この世界は良い世界ね。アシェルの記憶は色に溢れているわ。どうしようかな……身体強化……そうね、これを使えば骨ぐらい簡単に折れるね。ねぇ、貴方は何故、王子様を狙うの?」
沈黙を貫く男の手から剣を取り上げ、床に放り投げる。
アシェルが触れていないのに、男の手が開かれたままアシェルの前に出された。
「答えないなら一つずつ折るね。」
その指を握ったアシェルは、ぼきっと鈍い音を響かせて男の指を折る。
あらぬ方向に曲げられ折られた痛みに、声こそ上げ無いものの男の顔が苦痛に歪んだ。
「まだ答える気はない?じゃあ、次ね。」
またぼきっと鈍い音が響く。
男が答える気が無いのが分かったのか、一定の時間で一本ずつ指の骨を折っていく。
片手が終われば、もう片方の手がアシェルの前に差し出されて、同じように曲がっていく。
「しぶといのね。それに面白くないわ。とりあえず、腕と足の骨を折っておけば逃げられないかな。」
淡々と喋るアシェルの言葉に合わせて、男の肘と手首の丁度間と、両脚が膝とかかとの丁度間が、ぼきっと大きな音を立てて曲がった。
同時に四肢を襲った激痛に男が失神したのを見届けて、男を縛っていた拘束を解いた。
「これで邪魔者は使い物にならなくなったわ。アシェルの役目はこれで合ってたかな、お兄様。」
「……あぁ、合っているよ。」
「良かったわ。……貴方は私にとっての咲と健斗と一緒ね。名前は……アークエイド。この国の第二王子。合ってる?」
アークエイドの前まで歩み寄り、まじまじと顔を見てからそう問いかける。
「あぁ、合っている。」
「髪が伸びたのね。……思い出したのがお兄様とアークが居る時で良かったわ。アシェルの記憶を引き出すのには、二人が居れば問題ないみたい。」
言ってアシェルは一人、ソファに腰掛ける。
「ところでアレは警察……違うわね。騎士団?に引き渡さなくていいの?犯罪者でしょ。」
「あぁ、騎士団に引き渡す。」
アークエイドがサーヴァントベルを慣らすと侍女が一人やってきて、アークエイドから話を聞いて慌てて出て行く。
それから程なくして、白い騎士服を着た男——ダニエルがやってきた。
「殿下っ、ご無事ですか!?」
「あぁ。仔細は後で話す。とりあえずそいつを牢に繋いでくれ。」
「はっ。」
ビシッと敬礼したダニエルが、失神して骨が曲がった男を抱えて出て行く。
そこまで確認してからアークエイドとアレリオンは、先程までのようにアシェルの隣に腰掛けた。
「アシェ……じゃないのか?」
「その質問の答えはノーね。私はアシェル。ただ薫の記憶がまだ強いだけ。やっと冒険者登録をしたところまで思い出したわ。咲が聞いたらとても喜びそうな世界ね。」
少しだけ表情を綻ばせたアシェルに、アレリオンが質問する。
「サキとケントというのは、前世のアシェ……カオル嬢の幼馴染で親友の二人かい?」
「嬢なんてつけられても違和感しかないわ、アン兄様。アシェで良い。そう。私の幼馴染で親友で家族。二人が居る場所が、私がいてもいい世界だった。アシェルはとても愛されて育ったのね。とても楽しい記憶ばかりだわ。嫌な記憶を封印していて正解だったわね。」
記憶を引き出しながらアシェルは続ける。
「そろそろちゃんと混じったかな。それにしても、あのクソ社長のせいで私は死んだのか……咲と健斗の結婚式、出たかったな。別に生に執着してたわけじゃないけど、それだけが唯一の心残りだったな。死因がしょうもなさすぎて、二人に伝わってないと良いけど……その前に葬儀ってどうなったんだろ。さすがに20歳を目前に死ぬなんて思ってなかったから、何の手配もしてなかったんだけど。そもそも行方不明者扱いになってる可能性もあるのか……。まぁ、二人の結婚式に出なかったら、不思議に思われるかもだけど、その方が悲しませなくて良いか。ごめんね、アン兄様、アーク。びっくりさせちゃったよね。もう僕の記憶と混じったから大丈夫だよ。」
「アシェっ。良かった……また僕の妹が、笑わなくなったかと思った……。」
アシェルがいつもの表情で微笑めば、泣きそうな表情をしたアレリオンにぎゅっと抱きしめられる。
「僕はお兄様達に沢山愛情を貰って、気にかけて貰って、色々な知識を与えて貰ったから大丈夫。……残念ながら、アークの言う特別な好きは解らないままだけど。嫌な記憶も全部思い出しましたよ。でも、聞かない方が良いと思います。胸糞悪い話しかないから。」
「アシェが話しても良いと思うなら、僕は聞いておきたい。その記憶がアシェの本質と繋がっているんだろう?」
「俺も聞いておきたいな。アシェの嫌がることをしたり、思い出させたりしたくない。」
「ふふ、二人とも優しいなぁ。じゃあ、抜けていた穴の話をしますね。」
アシェルは前世の記憶を思い出しながらゆっくりと口を開いた。
「中学生に上がって、咲と健斗と施設の部屋でエッチなことをしていたのが、どこからか施設長にバレて、肉体関係を迫られました。出来損ないで役立たずの私でも、施設長の言うことを聞けば、私も咲も健斗も高校まで進学させてくれるって言われて。あとは、咲の創作活動を止めないことと、健斗の部活動も許可を貰いました。咲は漫画を描くのがとても上手かったし、健斗はスポーツ特待……スポーツが上手で成績がいいから、学費を一部免除で高校に入れたんです。小学校と中学校までは義務教育ですが、高校は違ったので。最初は施設長だけで、あとからは男性職員も混じって、いわゆるご奉仕をさせられました。普段の職員達は優しくて、親代わりだと勝手に思っていたので、施設長を相手にした時よりショックを受けましたね。時々暴力も振るわれて、服で隠れる場所にあざをつくったこともあります。施設であった体罰は、体のいい理由をつけて、あざがある理由を誤魔化すためですね。高校生になったら、施設長が学費を稼ぐためという名目で援交をさせました。お金を貰って、身体を売ることですね。それをどう知ったのか、担任が知っていて脅されました。昼休みが教師、放課後が施設長に連れていかれていたのが、抜けていた記憶です。卒業して施設を出て、それは無くなったんですが、職場でセクハラとパワハラは受けていました。その時には咲と健斗とは離れ離れになっていたので、また色のない世界に逆戻りです。世界とズレている違和感を抱えたまま、どこか自分自身をもう一人の自分が見下ろしているような、そんな他人事の世界で生きてました。そして最後の記憶……本当にしょうもない記憶です。」
深呼吸してアシェルは続きを話す。
「大量の仕事を押し付けられた私は、夜遅くまで一人で残って残業していました。そこにお酒を飲んだ社長がやってきて、レイプされました。最初からそのつもりで私に仕事を押し付けたって言ってましたね。私があまりにも無反応だったのが面白くなかったんでしょうね。首を絞められました。そんな状況でも、私は色のない世界を見下ろしていたんです。咲と健斗の結婚式には出られそうにないな、なんて考えながら。実際、絞殺されたんで、本当にでれなかったんですけどね。これが薫の一生です。そんな普通に生きていくには不要な記憶ばかりだったから、小さい時の嫌な記憶も一緒に封印しました。アン兄様とアル兄様から、魔法と言うものの存在を教えてもらって、体内魔力を認識出来るようになった段階で、嫌な記憶にだけ蓋をすることを強く願ったんです。……お陰で、疲れからか発熱しましたけどね。」
「アシェが唯一風邪をひいた時、あの時か……たしかに時期的にも一致するね。アシェ、辛いことを話してくれてありがとう。もうそんな思いはしなくて良いんだからね。それと、アシェがどんな記憶を持っていても、どんな人生を歩んでいたとしても、僕の大切で可愛い妹だよ。それだけは忘れないで。」
アレリオンの腕の中に優しく包まれる。
「ふふ、大丈夫ですよ。なんたって僕は、英才教育のお陰で対抗手段を得ましたし、まだまだ知りたいことが沢山あるんです。それに、男女の関係については無駄に知識と技術を得ましたからね。小さい時は覚えてない方が良かったですけど、今思い出したからと言ってどうということはないです。あぁ、そんなこともあったなって感じで。思い出に引っ張られて、あんな空虚な世界で生きていきたくないですし。」
「なら良かった。もう頭痛はしないかい?」
「はい。綺麗さっぱりです。」
「良かった。……アシェ、今日はここに泊まらせてもらいなさい。大丈夫だとは思うけれど、さっきの魔法でどんな影響が出るか分からないからね。殿下も一緒の方が安心だろう。報告なんかは全て僕がしておくから。殿下、それで良いですか?」
「あぁ。逆に任せてしまっていいのか?」
アシェルを撫でてから離れたアレリオンは立ち上がり礼をする。
「はい。それよりも殿下はアシェと一緒に居てやってください。今回は賊の侵入に気付けなかったこと、殿下を危険に晒してしまったことを深くお詫びいたします。」
「気にするな。別に珍しいことでもないしな。それより、アレリオン殿は大丈夫なのか?」
「私のトラウマはアシェのことでしたし、こうやってアシェが無事なんです。大丈夫ですよ。それでは、失礼します。」
最後ににっこりと笑ってアレリオンが出て行く。
「僕もごめんね……真っ先に気を失うなんて。」
しょんぼりと肩を落としたアシェルの身体がふわりと持ち上がった。
なぜ今の流れで抱き抱えられるのか。
少し咎めるような視線を向ければ、アークエイドが笑う。
「くくっ、ちゃんとアシェだな。さっきは急にあの眼をしたから、もうアシェが戻ってこないんじゃないかと思って怖かった。」
優しく寝台に降ろされて寝かされ、アークエイドの腕の中に包まれる。
「薫もアシェルも僕だから、僕が居なくなるなんてことは無いよ。リリィが前世の記憶を持っててもリリィなのと一緒。……ただ、一気に薫だった時のことを思い出したから、アシェルとしての記憶を引き出しにくくなってたんだ。状況が把握できるまで、この無駄に広くて豪華な部屋は、夢でも見てるのかななんて思っちゃった。」
アシェルはクスクスと笑う。
きっと異世界転移とかした人は、同じような感想を持つんだろうなと思う。
「こうやってアシェが腕の中に居るのが、夢だったら困るな。もう寝るか?」
「そうだね。少し疲れちゃった。というか、最初からそのつもりで、僕をここに連れてきたんでしょ?」
「あぁ。疲れていそうな顔をしていたからな。」
こうやってアークエイドがアシェルを抱きしめている状態は寝る時だ。
些細な変化に気付いてくれた幼馴染にお礼を言い、もう一つ、思い出した影響でアークエイドには伝えておきたかったことを口にする。
「アークには伝えておきたいんだけど……前に僕が幼馴染が見えた気がしたって言ったの、覚えてる?」
「あぁ。カオルの眼をした時だな?」
どうも何も映していないように虚空を眺める瞳は、薫の眼ということになったらしい。
あながち間違いではないので、訂正せずに続きを話す。
「うん。あの時ね。口でご奉仕してむせたことと、ちゃんと口で受け止めれなかったことで、怒られるって思ったんだよね。アークはそんなこと言わないって分かってたんだけど、ちゃんと覚えてないからこそ、漠然とした不安を感じてたっていうか……。ちゃんと言いつけを守らないと、咲と健斗が危ないって思ったんだ。自分だけなら何をされても耐えられるけど、咲と健斗だけはどうしても守りたかった。だから、あの二人が見えた気がしたんだと思う。もう二人の顔も思い出せるよ。」
「そうか……。アシェもカオルも、自分のことは二の次なんだな。俺はアシェに自分自身を大切にしてもらいたいと思ってる。」
「ふふ、だってどちらも僕だし、本質は一緒だもの。それに自分のことは大切にしてるつもりだよ。」
「どの口がそれを言うんだ……。まぁいい。アシェが自分を後回しにするなら、俺がアシェのことを一番に考えれば良いだけだ。」
少し呆れたように言った後、チュッとアシェルの頬にキスが降ってくる。
「アークが一番に決まってるでしょ。一応この国の王子様でえらいんだから。」
「一応ってなんだ、一応って。」
「だって、アン兄様への口の聞き方とか見てたら、あぁ、王子様なんだなぁって思うけど、普段は僕の幼馴染なんだもん。あんまり王子様って思ったことないよ。」
「まぁ、それなら良いか。」
「そうそう。多分僕が襲われるより襲いたい派なのも、前世の記憶のせいだとは思うけど、既に僕の意識としてそう思ってるから。僕のこと好き勝手にするのは止めてよね。アークがシたいなら、いつでも気持ちよくしてあげるから。」
強くやられっぱなしは嫌だと思っていたのは、きっと前世の記憶のせいだ。
だが男として振舞うのも長く、ずっとそう思ってきたから、原因が分かったからと言って意識が変わるわけではない。
「俺は気持ちよさそうなアシェを見るのが好きなんだがな。蕩けた顔でおねだりしてくるアシェは可愛かったぞ。」
「今すぐ忘れて、記憶から消去して。」
「くくっ、無理な相談だな。寝惚けたアシェは貴重だし、甘えてくれるのも嬉しかったしな。」
「あーもうっ!言わないで、恥ずかしいからっ。あんなの僕じゃないっ、いいから忘れて。寝るよ、おやすみ。」
かぁっと頬が熱くなるのを感じながら、隠す場所のない顔をアークエイドの胸の中に埋めた。
そんなアシェルを愛おしそうに見つめるアークエイドの視線には気付かないまま、瞼を閉じる。
嫌な視線のことも、嫌な思い出も一杯思い出したので、寝つきが悪いかと思っていたが、アシェルの予想外にすんなりと眠りへ誘われた。
「おやすみ、アシェ。」
そんなすぅすぅと寝息をたて始めたアシェルに安堵して、アークエイドは腕の中にいる愛しい存在を抱きしめながら眠りについた。
二日間かけて覚えていることを話し終えた後、アシェルの記憶を探る相談は難航していた。
あれから一週間の間に、何度かアシェルはパニックを起こして、その度にアレリオンとアークエイドに抱きしめられ、落ち着かせてもらった。
アークエイドに引き戻されたのも一度や二度ではない。
それでも全く記憶の蓋は開く気配を見せなくて、細かく話せば話すほど、記憶の蓋と紐づいている記憶が多すぎる事だけが判明していく。
お陰で、話している間中ずっと、アシェルは頭痛に悩まされることになった。
「多分……僕が結婚して子供を産むビジョンが見えないというか、忌避感があるのは、僕が虐待を受けていたからですね。虐待を受けた子供は、それを自分の子供に行ってしまって、虐待が連鎖することがあるらしいです。そういう風に、施設長の奥さんに言われました。カウンセリングにも行ったけど、どうしてもカウンセリングの先生は信用できなくて、早々に打ち切られた記憶があります。……原因は分かったけど、この忌避感はあってもなくても、実際に母親になるまで分からないやつですね。まぁ、この世界には乳母もお世話係も居るので、気にしなくていい問題な気がします。というわけで、アーク。問題は一つ解決したよ。あとは、アークの言う特別な好きが分からないだけになった。」
「アシェが前に言っていたやつか。そっちの方がアシェに分かってもらうのが難しそうなんだがな。」
アークエイドは苦笑するが、分からないものは分からないのだ。仕方がない。
「ねぇ、アシェ。そろそろ思い出すのを止めないかい?一つは問題が解決したんだろう。その特別な好きは、過去の記憶には関係ないものだ。開かない記憶の蓋に触れる時間が長いほど、頭痛が酷くなってきてるんじゃないのかい?」
「アン兄様にはお見通しですか。……そうですね。起きてる間は、頭痛のしていない時間が無くなってきました。痛みも増してます。詳細に思い出せば思い出すほど、思い出そうとするほど、あまりにも蓋と絡まった情報が多すぎて……親友達のことですら、中学以降は軽い頭痛がします。」
心配するアレリオンに素直に告げれば、隣から手が伸びてきて頭を撫でられる。
アシェルがあまりにもパニックを起こすので、今はアークエイドとアレリオンに挟まれる形でソファに座っていた。
「やっぱり、かなり負荷がかかっているんだね。本当に薬も効かないし、これ以上はお勧めしないよ。それでも、アシェが思い出したいって言うなら、いくらでも協力はするけれど……。」
「まだ記憶の蓋があるのも、頭痛がしちゃうのも気になりますけど……なるべく思い出を思い出さないようにすれば、なんとかなる……かな。僕の幼少期のころのことも知れましたし、忌避感の一つは判明しましたから、十分に収穫はありました。僕に付きっきりになってくれてありがとうございます。」
「ふふ、僕もアシェの抱えている記憶のことを知れて、十分に収穫はあったよ。純情なアルには言えないね。」
それがアシェルの前世の中学生時代からのことだろうと予想する。
「確かに。純情なアル兄様が聞いたら卒倒しそうですね。マリクの発情期の抑制剤を作る時は、全く気にしてなさそうでしたけど。基本的にアル兄様は初心ですからね。」
「本人はそんなつもりがなさそうなところも可愛いよね。……アシェ、何か感じる?」
急にアレリオンの顔つきが険しくなり、声を落とした。
アシェルも『探査魔法』を使って周囲を探る。
「っ!!アン兄様の隙間を縫って、別の魔力がっ!!アン兄様っ!!アーク!!」
器用にアレリオンの魔力の波の隙間をついて、別の誰かの魔力がこの部屋を、アシェル達の周りだけを埋めている。
明らかにアシェル達全員を狙っている魔力に声を上げるが、アレリオンが蹲り頭を抱え始めた。
「これは……闇の干渉系か!俺のことは気にするな。それより長兄とアシェの方が問題だ。」
「気にするなって……くそっ、押し返せないっ。」
こちらが相手の魔力に気付いたことがバレ、全力で何かしらの魔法が襲ってくる。
それも、術者の魔力が常に流れ続けている類のものだ。
「王家に闇の、特に精神干渉系はかなり効きにくいんだ。だが、これは禁術のはずだぞ。」
「アークは大丈夫なんだね?っ!!頭……痛い……。」
アークエイドは一先ず大丈夫そうだということが判明したが、アシェルを今までの比にならないほど激しい頭痛が襲う。
記憶の蓋を無理やりこじ開けられるような激痛に、アシェルは意識を落とした。
魔法の得意な二人が悪意を持った敵の魔法の影響を受ける中、アークエイドは『ストレージ』からブロードソードを取り出し、周囲を警戒する。
「でん、か……アシェは……?」
少し虚ろな目をしたままのアレリオンが、なんとか意識を現実に戻してアークエイドに問いかける。
「頭痛を訴えて気を失った。禁術で闇の精神干渉系ということしか分からない。何を受けた?」
「これは。トラウマを強制的に思い出させるものですね……どうやら私のトラウマは、アシェが幼少期の頃のトラウマと一緒だったようです。笑わなくなった何も映していないアシェを思い出しました。そして、それがずっと続くような感覚も。今回のこの話が無かったら、まだ私も囚われていたままかもしれません。」
冷静に分析しながら、アレリオンも『ストレージ』から取り出したブロードソードを構えた。
魔法の方が得意だが、剣で戦えないわけではない。
特に精神状態が乱れている今、かなりの手練れである敵と魔法戦になると押し負ける可能性もあった。
「ご名答。殿下に術が効かないのは分かっていましたが、まさかメイディーの一人が、こんなに立ち直りが早いとは思いませんでしたよ。」
第三者の声が聞こえ、鋭い殺気を感じると同時に、アークエイドの目の前でアレリオンと敵の刃が交わり甲高い音が鳴る。
「おやおや。剣の腕もそこそこですか。」
突然現れた長身の男は、全身黒尽くめで目元だけ肌が覗いている。
「誰だ。」
「名乗る必要はないでしょう。知ったところで意味がないですからねっ!」
アレリオンの剣をはじいた男は、そのままアークエイドに刃を振り下ろす。
それをアークエイドは受けながら、どうにかしてアシェルの傍から離れようとするが、相手はかなりの使い手らしく、思い通りには動いてくれない。
「そちらのメイディーの一人を守るつもりですか?こそこそと三人で引きこもって何をしていたのか知りませんが。こちらとしては好都合でしてね。」
「知るかっ。」
キンッキンッと刃が交わり小さな火花が散る。
アークエイドの視界の端で、アレリオンがアシェルを抱き起して移動させようとしているのが見えた。
「……貴方は……。」
「アシェ、気が付いたかい?敵襲だ。戦えないだろう、安全な場所に——。」
「誰?」
立ち上がり瞼を上げたアシェルの言葉に、アレリオンの表情が驚きに変わる。
「あぁ、思い出した。貴方はアシェルの兄ね?ここは……まだ分からないわ。ねぇ、敵はどっち?忍者?黒髪??」
「その忍者と呼んだ方だ。君は……。」
まだ動揺しているアレリオンを無視して、アシェルは現状を見渡し状況を把握する。
アレリオンの目の前にいるのは、どこか虚空を見つめているような、あの幼い時に見たアシェルの瞳だった。
「そう。あぁ、あの子はお茶会の子ね。質問の答えだけど、私は薫。でも、アシェル。待ってね、まだ記憶が混ざってないの。でも、あれは邪魔ね……こう、かな?」
淡々と話しながら、アシェルは『拘束』を使った。
アークエイドと打ち合いをしていた男の身体が硬直する。
「アシェ……?」
急に動きを止めた男から距離を取り、警戒しながらアークエイドがアシェルの元へ近寄ってくる。
「まだ私は薫の意識の方が強いの。兄にも伝えたけど、もう少しだけ待ってね。それにしても、魔法って便利ね。身体が使い方を覚えていてくれて助かったわ。」
まるで友人に近寄るような軽い足取りで、アシェルは黒尽くめの男に近づいた。
「貴方ね。アシェルの記憶の蓋を無理やりこじ開けたのは。私がアシェルには要らない記憶を封印していたのに、余計なことをしてくれたわね。……この世界はどこまで許されるのかしら?ねぇ、王子様は知ってる?この人を傷つけたら、私は逮捕されるかしら?」
「かおる……といったか?いや、返り討ちにするのは犯罪にならない。」
アレリオン同様に、アークエイドも戸惑いながら問いに答えた。
「そう。この世界は良い世界ね。アシェルの記憶は色に溢れているわ。どうしようかな……身体強化……そうね、これを使えば骨ぐらい簡単に折れるね。ねぇ、貴方は何故、王子様を狙うの?」
沈黙を貫く男の手から剣を取り上げ、床に放り投げる。
アシェルが触れていないのに、男の手が開かれたままアシェルの前に出された。
「答えないなら一つずつ折るね。」
その指を握ったアシェルは、ぼきっと鈍い音を響かせて男の指を折る。
あらぬ方向に曲げられ折られた痛みに、声こそ上げ無いものの男の顔が苦痛に歪んだ。
「まだ答える気はない?じゃあ、次ね。」
またぼきっと鈍い音が響く。
男が答える気が無いのが分かったのか、一定の時間で一本ずつ指の骨を折っていく。
片手が終われば、もう片方の手がアシェルの前に差し出されて、同じように曲がっていく。
「しぶといのね。それに面白くないわ。とりあえず、腕と足の骨を折っておけば逃げられないかな。」
淡々と喋るアシェルの言葉に合わせて、男の肘と手首の丁度間と、両脚が膝とかかとの丁度間が、ぼきっと大きな音を立てて曲がった。
同時に四肢を襲った激痛に男が失神したのを見届けて、男を縛っていた拘束を解いた。
「これで邪魔者は使い物にならなくなったわ。アシェルの役目はこれで合ってたかな、お兄様。」
「……あぁ、合っているよ。」
「良かったわ。……貴方は私にとっての咲と健斗と一緒ね。名前は……アークエイド。この国の第二王子。合ってる?」
アークエイドの前まで歩み寄り、まじまじと顔を見てからそう問いかける。
「あぁ、合っている。」
「髪が伸びたのね。……思い出したのがお兄様とアークが居る時で良かったわ。アシェルの記憶を引き出すのには、二人が居れば問題ないみたい。」
言ってアシェルは一人、ソファに腰掛ける。
「ところでアレは警察……違うわね。騎士団?に引き渡さなくていいの?犯罪者でしょ。」
「あぁ、騎士団に引き渡す。」
アークエイドがサーヴァントベルを慣らすと侍女が一人やってきて、アークエイドから話を聞いて慌てて出て行く。
それから程なくして、白い騎士服を着た男——ダニエルがやってきた。
「殿下っ、ご無事ですか!?」
「あぁ。仔細は後で話す。とりあえずそいつを牢に繋いでくれ。」
「はっ。」
ビシッと敬礼したダニエルが、失神して骨が曲がった男を抱えて出て行く。
そこまで確認してからアークエイドとアレリオンは、先程までのようにアシェルの隣に腰掛けた。
「アシェ……じゃないのか?」
「その質問の答えはノーね。私はアシェル。ただ薫の記憶がまだ強いだけ。やっと冒険者登録をしたところまで思い出したわ。咲が聞いたらとても喜びそうな世界ね。」
少しだけ表情を綻ばせたアシェルに、アレリオンが質問する。
「サキとケントというのは、前世のアシェ……カオル嬢の幼馴染で親友の二人かい?」
「嬢なんてつけられても違和感しかないわ、アン兄様。アシェで良い。そう。私の幼馴染で親友で家族。二人が居る場所が、私がいてもいい世界だった。アシェルはとても愛されて育ったのね。とても楽しい記憶ばかりだわ。嫌な記憶を封印していて正解だったわね。」
記憶を引き出しながらアシェルは続ける。
「そろそろちゃんと混じったかな。それにしても、あのクソ社長のせいで私は死んだのか……咲と健斗の結婚式、出たかったな。別に生に執着してたわけじゃないけど、それだけが唯一の心残りだったな。死因がしょうもなさすぎて、二人に伝わってないと良いけど……その前に葬儀ってどうなったんだろ。さすがに20歳を目前に死ぬなんて思ってなかったから、何の手配もしてなかったんだけど。そもそも行方不明者扱いになってる可能性もあるのか……。まぁ、二人の結婚式に出なかったら、不思議に思われるかもだけど、その方が悲しませなくて良いか。ごめんね、アン兄様、アーク。びっくりさせちゃったよね。もう僕の記憶と混じったから大丈夫だよ。」
「アシェっ。良かった……また僕の妹が、笑わなくなったかと思った……。」
アシェルがいつもの表情で微笑めば、泣きそうな表情をしたアレリオンにぎゅっと抱きしめられる。
「僕はお兄様達に沢山愛情を貰って、気にかけて貰って、色々な知識を与えて貰ったから大丈夫。……残念ながら、アークの言う特別な好きは解らないままだけど。嫌な記憶も全部思い出しましたよ。でも、聞かない方が良いと思います。胸糞悪い話しかないから。」
「アシェが話しても良いと思うなら、僕は聞いておきたい。その記憶がアシェの本質と繋がっているんだろう?」
「俺も聞いておきたいな。アシェの嫌がることをしたり、思い出させたりしたくない。」
「ふふ、二人とも優しいなぁ。じゃあ、抜けていた穴の話をしますね。」
アシェルは前世の記憶を思い出しながらゆっくりと口を開いた。
「中学生に上がって、咲と健斗と施設の部屋でエッチなことをしていたのが、どこからか施設長にバレて、肉体関係を迫られました。出来損ないで役立たずの私でも、施設長の言うことを聞けば、私も咲も健斗も高校まで進学させてくれるって言われて。あとは、咲の創作活動を止めないことと、健斗の部活動も許可を貰いました。咲は漫画を描くのがとても上手かったし、健斗はスポーツ特待……スポーツが上手で成績がいいから、学費を一部免除で高校に入れたんです。小学校と中学校までは義務教育ですが、高校は違ったので。最初は施設長だけで、あとからは男性職員も混じって、いわゆるご奉仕をさせられました。普段の職員達は優しくて、親代わりだと勝手に思っていたので、施設長を相手にした時よりショックを受けましたね。時々暴力も振るわれて、服で隠れる場所にあざをつくったこともあります。施設であった体罰は、体のいい理由をつけて、あざがある理由を誤魔化すためですね。高校生になったら、施設長が学費を稼ぐためという名目で援交をさせました。お金を貰って、身体を売ることですね。それをどう知ったのか、担任が知っていて脅されました。昼休みが教師、放課後が施設長に連れていかれていたのが、抜けていた記憶です。卒業して施設を出て、それは無くなったんですが、職場でセクハラとパワハラは受けていました。その時には咲と健斗とは離れ離れになっていたので、また色のない世界に逆戻りです。世界とズレている違和感を抱えたまま、どこか自分自身をもう一人の自分が見下ろしているような、そんな他人事の世界で生きてました。そして最後の記憶……本当にしょうもない記憶です。」
深呼吸してアシェルは続きを話す。
「大量の仕事を押し付けられた私は、夜遅くまで一人で残って残業していました。そこにお酒を飲んだ社長がやってきて、レイプされました。最初からそのつもりで私に仕事を押し付けたって言ってましたね。私があまりにも無反応だったのが面白くなかったんでしょうね。首を絞められました。そんな状況でも、私は色のない世界を見下ろしていたんです。咲と健斗の結婚式には出られそうにないな、なんて考えながら。実際、絞殺されたんで、本当にでれなかったんですけどね。これが薫の一生です。そんな普通に生きていくには不要な記憶ばかりだったから、小さい時の嫌な記憶も一緒に封印しました。アン兄様とアル兄様から、魔法と言うものの存在を教えてもらって、体内魔力を認識出来るようになった段階で、嫌な記憶にだけ蓋をすることを強く願ったんです。……お陰で、疲れからか発熱しましたけどね。」
「アシェが唯一風邪をひいた時、あの時か……たしかに時期的にも一致するね。アシェ、辛いことを話してくれてありがとう。もうそんな思いはしなくて良いんだからね。それと、アシェがどんな記憶を持っていても、どんな人生を歩んでいたとしても、僕の大切で可愛い妹だよ。それだけは忘れないで。」
アレリオンの腕の中に優しく包まれる。
「ふふ、大丈夫ですよ。なんたって僕は、英才教育のお陰で対抗手段を得ましたし、まだまだ知りたいことが沢山あるんです。それに、男女の関係については無駄に知識と技術を得ましたからね。小さい時は覚えてない方が良かったですけど、今思い出したからと言ってどうということはないです。あぁ、そんなこともあったなって感じで。思い出に引っ張られて、あんな空虚な世界で生きていきたくないですし。」
「なら良かった。もう頭痛はしないかい?」
「はい。綺麗さっぱりです。」
「良かった。……アシェ、今日はここに泊まらせてもらいなさい。大丈夫だとは思うけれど、さっきの魔法でどんな影響が出るか分からないからね。殿下も一緒の方が安心だろう。報告なんかは全て僕がしておくから。殿下、それで良いですか?」
「あぁ。逆に任せてしまっていいのか?」
アシェルを撫でてから離れたアレリオンは立ち上がり礼をする。
「はい。それよりも殿下はアシェと一緒に居てやってください。今回は賊の侵入に気付けなかったこと、殿下を危険に晒してしまったことを深くお詫びいたします。」
「気にするな。別に珍しいことでもないしな。それより、アレリオン殿は大丈夫なのか?」
「私のトラウマはアシェのことでしたし、こうやってアシェが無事なんです。大丈夫ですよ。それでは、失礼します。」
最後ににっこりと笑ってアレリオンが出て行く。
「僕もごめんね……真っ先に気を失うなんて。」
しょんぼりと肩を落としたアシェルの身体がふわりと持ち上がった。
なぜ今の流れで抱き抱えられるのか。
少し咎めるような視線を向ければ、アークエイドが笑う。
「くくっ、ちゃんとアシェだな。さっきは急にあの眼をしたから、もうアシェが戻ってこないんじゃないかと思って怖かった。」
優しく寝台に降ろされて寝かされ、アークエイドの腕の中に包まれる。
「薫もアシェルも僕だから、僕が居なくなるなんてことは無いよ。リリィが前世の記憶を持っててもリリィなのと一緒。……ただ、一気に薫だった時のことを思い出したから、アシェルとしての記憶を引き出しにくくなってたんだ。状況が把握できるまで、この無駄に広くて豪華な部屋は、夢でも見てるのかななんて思っちゃった。」
アシェルはクスクスと笑う。
きっと異世界転移とかした人は、同じような感想を持つんだろうなと思う。
「こうやってアシェが腕の中に居るのが、夢だったら困るな。もう寝るか?」
「そうだね。少し疲れちゃった。というか、最初からそのつもりで、僕をここに連れてきたんでしょ?」
「あぁ。疲れていそうな顔をしていたからな。」
こうやってアークエイドがアシェルを抱きしめている状態は寝る時だ。
些細な変化に気付いてくれた幼馴染にお礼を言い、もう一つ、思い出した影響でアークエイドには伝えておきたかったことを口にする。
「アークには伝えておきたいんだけど……前に僕が幼馴染が見えた気がしたって言ったの、覚えてる?」
「あぁ。カオルの眼をした時だな?」
どうも何も映していないように虚空を眺める瞳は、薫の眼ということになったらしい。
あながち間違いではないので、訂正せずに続きを話す。
「うん。あの時ね。口でご奉仕してむせたことと、ちゃんと口で受け止めれなかったことで、怒られるって思ったんだよね。アークはそんなこと言わないって分かってたんだけど、ちゃんと覚えてないからこそ、漠然とした不安を感じてたっていうか……。ちゃんと言いつけを守らないと、咲と健斗が危ないって思ったんだ。自分だけなら何をされても耐えられるけど、咲と健斗だけはどうしても守りたかった。だから、あの二人が見えた気がしたんだと思う。もう二人の顔も思い出せるよ。」
「そうか……。アシェもカオルも、自分のことは二の次なんだな。俺はアシェに自分自身を大切にしてもらいたいと思ってる。」
「ふふ、だってどちらも僕だし、本質は一緒だもの。それに自分のことは大切にしてるつもりだよ。」
「どの口がそれを言うんだ……。まぁいい。アシェが自分を後回しにするなら、俺がアシェのことを一番に考えれば良いだけだ。」
少し呆れたように言った後、チュッとアシェルの頬にキスが降ってくる。
「アークが一番に決まってるでしょ。一応この国の王子様でえらいんだから。」
「一応ってなんだ、一応って。」
「だって、アン兄様への口の聞き方とか見てたら、あぁ、王子様なんだなぁって思うけど、普段は僕の幼馴染なんだもん。あんまり王子様って思ったことないよ。」
「まぁ、それなら良いか。」
「そうそう。多分僕が襲われるより襲いたい派なのも、前世の記憶のせいだとは思うけど、既に僕の意識としてそう思ってるから。僕のこと好き勝手にするのは止めてよね。アークがシたいなら、いつでも気持ちよくしてあげるから。」
強くやられっぱなしは嫌だと思っていたのは、きっと前世の記憶のせいだ。
だが男として振舞うのも長く、ずっとそう思ってきたから、原因が分かったからと言って意識が変わるわけではない。
「俺は気持ちよさそうなアシェを見るのが好きなんだがな。蕩けた顔でおねだりしてくるアシェは可愛かったぞ。」
「今すぐ忘れて、記憶から消去して。」
「くくっ、無理な相談だな。寝惚けたアシェは貴重だし、甘えてくれるのも嬉しかったしな。」
「あーもうっ!言わないで、恥ずかしいからっ。あんなの僕じゃないっ、いいから忘れて。寝るよ、おやすみ。」
かぁっと頬が熱くなるのを感じながら、隠す場所のない顔をアークエイドの胸の中に埋めた。
そんなアシェルを愛おしそうに見つめるアークエイドの視線には気付かないまま、瞼を閉じる。
嫌な視線のことも、嫌な思い出も一杯思い出したので、寝つきが悪いかと思っていたが、アシェルの予想外にすんなりと眠りへ誘われた。
「おやすみ、アシェ。」
そんなすぅすぅと寝息をたて始めたアシェルに安堵して、アークエイドは腕の中にいる愛しい存在を抱きしめながら眠りについた。
0
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
【ご報告】
2月28日より、第五章の連載を再開いたします。毎週金・土・日の20時に更新予定です。
また、誤字脱字の修正および一部表現の見直しを行いました。ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。
引き続きよろしくお願いいたします。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
大金で買われた少女、狂愛の王子の檻で宝石になる ―無自覚な天才調合師は第二王子の婚約者(虫除け)を演じることになりました―
甘塩ます☆
恋愛
「君を金貨三十枚で買ったのは、安すぎたかな」
酒浸りの父と病弱な母に売られた少女・ユナを救ったのは、国中から「放蕩王子」と蔑まれる第二王子・エルフレードだった。
「虫除けの婚約者になってほしい」というエルの言葉を受け、彼の別邸で暮らすことになったユナ。しかし、彼女には無自覚の天才調合師だった。
ユナがその才能を現すたび、エルの瞳は暗く濁り、独占欲を剥き出しにしていく。
「誰にも見せないで。君の価値に、世界が気づいてしまうから」
これは、あまりに純粋な天才少女と、彼女を救うふりをして世界から隠し、自分の檻に閉じ込めようとする「猛禽」な王子の物語。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる