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第四章 王立学院中等部三年生
217 プロポーズ大作戦①
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Side:アシェル14歳 春
4月1日。
今日はトラスト伯爵家をメイディー邸に招いて、晩餐会をする日だ。
名目上は王立学院を卒業したばかりの、アルフォードとリュートの卒業祝いと就職祝いを。
それから、実はアレリオンとアルフォードはトラスト伯爵家の子供達とは幼馴染らしく、その幼馴染をアシェルとメルティーに紹介してくれるために。
もしかしたらアシェルの乳母であるサーニャの献身や、アシェルの為に幼少期に侍女になったイザベルを労う目的もあるかもしれない。
そして仕掛け人であるアレリオンの目的は、トラスト伯爵家の長女であるサルビアへの求婚だ。
今夜アレリオンがプロポーズするつもりであることは、アシェルとアルフォード、そしてイザベルだけが知っている。
そんな晩餐会の前に、アシェルは自室でイザベルと攻防戦を繰り広げていた。
「アシェル様。こちらを着て下さいませ。」
「ぜーったいに嫌。何でドレス着なきゃいけないのさ。そうでなくても、いつもよりキラキラした服着なきゃいけないのに。」
「我儘を言わないでください。我が家は全員、アシェル様が女性であることは知っているのです。ドレスで晩餐会に参加するのは当たり前でしょう。」
「当たり前じゃないもん。別に男装でも良いはずだもん。僕にドレスは似合わないし、可愛いメルやベルのエスコートをする側が良いの。」
寝台の上で大きな枕を抱え、頬を膨らませて全力で嫌だとアピールしてくるアシェルに、イザベルはため息を溢す。
つい先日、社交界デビューを女性でするべきか悩んでいたのに、今は晩餐会用のドレスを着たくないと言っている。仮に女性と明かすとして、こんな状態でパーティー用のドレスを本当に着るのだろうか。
まだ成人していないので夜会程派手なドレスでは無いものの、デイパーティーのドレスだって晩餐会のものに比べると装飾は派手になると言うのに。
「アシェル様。我儘をおっしゃらないでください。なんでアシェル様の我儘は、そういうのばかりなんですか……。今日は母は邸から来るので居ませんし、私にだって準備があるんです。トラスト家を招いていただいているのに、私だけ出席しないわけにもいきませんしね。これ以上駄々をこねるようでしたら、他の侍女に支度を代わっていただきますよ?」
「他の人は嫌。でもドレスも嫌。ベルかメルをエスコートするんだもん。」
「本日は晩餐会で、エスコートは不要でございます。」
「……知ってる。けど、ドレスは嫌。」
普段のアシェルなら用意した言い訳が通用しないと分かればイヤイヤながらも頷くのに、今日はどうしても嫌だと言い張っている。
これはドレスを着るくらいなら、あれだけ楽しみにしていた晩餐会への参加を拒否されそうだ。
「……きちんと理由をお話下さい。理由次第では、旦那様に掛け合ってまいりますので。」
「本当に?……怒らない?」
「怒りませんから。」
「晩餐会が終わったら……ベルもサーニャも、家族とトラスト家のタウンハウスに帰るでしょ。」
イザベルもサーニャも雇い主であるアベルから、仕事のことは忘れて今日は家族でゆっくりとするように言われている。
そもそも邸に勤める時は通いなので、いつもより少し帰宅の時間が早くなるだけだ。
時折夜勤もしているのだが、そういう日は何かイベントや来客があって使用人全員が忙しかったり、予めアシェルが寝なくなると分かっている日だ。
普段であればアシェルは早くに寝る支度を終えて寝てしまうし、起きていても寝台の上で本を読むだけで、その後はちゃんと寝ていると報告を受けている。
基本的にアシェルは一度寝てしまえば朝まで起きないし、夜中に使用人を呼びつけることもない。アシェル専属侍女とは言え、通いでも十分なのだ。
メルティーの世話が無ければマルローネを借りてくるところだが、今回はメイディー家も全員参加だ。
マルローネを借りるのは諦めて、確実に侍女達の世話を拒否するアシェルの為にイザベルは出仕したのだ。
脱ぐのは最悪、一部の手伝いを兄妹の誰かに頼めば脱げるだろうが、流石に着飾るのを一人でとはいかない。
「確かに本日は、いつもより早く帰らせていただきますが……。」
「……寝る前……寝る前にベルもサーニャもいないのに、ドレス着たくない。……やっぱり、我儘だって……怒る?」
「はぁ……アシェル様がドレスを着たくない理由は分かりました。……それは私がアシェル様がお休みの支度を調えられる迄居れば、ドレスでも良いのですか?」
イザベルの問いに、アシェルは頭を振る。
今日は夜までお世話してもらうつもりはないのだ。
「それはダメ。折角ベルもサーニャも家族と過ごせるのに。冬休みもあげられなかったから、ちゃんと家族と過ごして。」
「……分かりました。旦那様に確認してまいりますので、お待ちくださいませ。」
パタンと小さな音を立てて、イザベルが部屋を出て行く。
余計な手間を掛けさせてしまっていることは分かっているし、ただのアシェルの我儘だということも分かっているのだが、どうしても今日はドレスで晩餐会に参加したくないのだ。
折角サーニャもイザベルも、侍女としてではなくお客様として晩餐会に参加するのだ。
それなのにアシェルがドレスで人目を気にしていたら、二人は様子がおかしいことに気付いてしまうだろう。そしてさっきのイザベルみたいに、寝支度が終わるまで邸に残ると言いかねない。
もしアシェルが大丈夫だからと帰らせても、二人は次の出仕まで気が気じゃないだろう。
今日を入れて三日間お休みを言い渡しているのに、イザベルは明日押しかけてくる可能性すらある。
結局イザベルがアベルから男装の許可を貰ってきてくれ、煌びやかではあるものの、ちゃんとズボン姿で晩餐会の支度をしてもらった。
イザベルは使用人室で使用人仲間に支度を手伝ってもらうらしい。初めて見ることになるお嬢様なイザベルの着飾った姿を見るのが、とても楽しみだ。
執事の一人が部屋まで声を掛けに来てくれて、食堂に移動する。
道中付添ってくれて、まるで自動ドアであるかのように扉を開けてくれるのは、一応アシェルの部屋付きだった侍女達だ。
元はシェリーのお世話をしていたらしく、兄達は信用して大丈夫だと言ってくれていたのだが、どうしてもサーニャ以外に身を預けることが出来なかった。
そんなアシェルに彼女たちは、仕方のないことです。と笑って言ってくれた。普段近くで仕えて貰っているわけではないのに、こうしてサーニャやイザベルが居ない時には率先してお世話をしてくれる。
多分夜中の見回りや、呼び出した時の対応は彼女たちがしてくれているのだろうが、寝台の間近まで寄られない限りは目覚めないし、夜中にサーヴァントベルを鳴らしたこともないのでアシェルの予想だ。
長年メイディーに仕えているだけあって年配の方が多いし、使用人同士で結婚していて、邸の使用人室が二人の家だという夫婦も少なくない。
使用人同士と言っても基本的に貴族籍なのだが、家を継ぐ長男以外は、新しくタウンハウスを持つよりも仕えている邸に部屋を貰えるのなら、その方が生活が楽らしい。
子供は実家で里帰り出産する形になるらしいが、そういった夫婦は子供に使用人としてのイロハを教え込み、同じ環境で働かせたがるらしい。そして大体、同じように働くことになるそうだ。
親から継ぐ爵位か、自身が身をたてて得た爵位が無ければ、例え親が貴族籍でも裕福な家庭の子供でしかない。そんな子供にとって親の伝手で高位貴族に仕えることが出来るのは、ステータス的にとても幸運な事らしい。
そんな感じで、貴族籍でなくなっても先祖代々その家系に仕えている使用人が少なからずいるそうだ。
この辺りの知識は、全部イザベルからの受け売りだ。
ちなみに執事長をしているウィリアムは、本人が貴族籍で爵位を継ぐ身でありながら先祖代々メイディー公爵家の執事を務めてくれている家系だと聞いている。
我が家の食堂は王宮のように用途別にいくつもあるわけではないので、今日の晩餐会会場はいつも食事を食べている食堂だ。
アベルとメアリーは既に席についていて、同じタイミングで呼ばれた兄妹たちと食堂に入る。
二人に挨拶をして、もうすぐ客人は到着するからという言葉だけを交わす。
食事の開始まで兄妹で少しお喋りをすることはあっても、あまり両親と色々お喋りしたことはない。アベルもメアリーも、子供達の会話を見守っているだけだ。
アベルが食堂で饒舌に喋る時は、来客があるか調味料当てクイズをしている時くらいなものである。
「折角今日は、アシェの可愛いドレス姿が見れると思ったのにな。でもキリっとした今の恰好も、とてもカッコよくて好きだよ。」
「ありがとうございます。僕にドレスは似合いませんから。それにベルやメルのエスコートをしたいです。」
「トラスト家はアシェのことを女の子だって知ってるし、ドレスのアシェも可愛いんだから気にしなくて良いんだぞ。それにエスコートは——。」
「ベルのエスコートはまだ、他の人に譲る気はありませんからね。それに折角ベルがお洒落するんだから、例えエスコート不要の晩餐会だとしても、いつでもエスコートできるようにしておくのは紳士の嗜みです。」
「……分かってるよ。というか、もし必要になったら、アシェはオーレン嬢かイザベルのどっちか担当だろうしな。婚約者二人に、公爵家での晩餐会は無理って断られたらしいから、二人ともパートナーは連れてこないし。メルのエスコートはリュートがするだろ。移動するってなっても、サルビア嬢とリュートなら、まだ邸の中のこと覚えてるだろうしな。」
確かにアシェルが男装をしたことで、丁度男と女のバランスが良くなった。
流れ次第ではサロンに移動するかもしれないし、そこはさり気なくアルフォードにイザベルのエスコートを譲ってあげるつもりなのだが、上手くいくだろうか。
二人は一応お付き合いは始めたものの、互いの家族に伝えるかどうかは今日のアレリオンの結果次第になってくるだろう。
あのデート以来、二人はいつも通りの振る舞いをしているので、あの日が夢だったと言われた方が納得できそうなくらいだ。
「……あれ?オーレン嬢も邸には来てたんですよね?」
「アシェお義兄様……オーレン様がいらしてたのは、サーニャがイザベルを産むために産休に入る前でしょう?ギリギリまで邸には来てくれてたみたいだけど、2歳なら覚えてなくても仕方ありませんわ。わたくしだって、違うお邸にきたのは分かっても、エンディットの邸も、少しだけ過ごした王都の市井の家も記憶にありませんもの。瞳の色が同じでしたら、最初からこの邸で生まれ育ったと言われても、何の疑問も抱かなかったと思いますわ。」
「メル、嫌な事思い出させちゃった?ごめんね。」
メイディー公爵家の直系でないことは、貴族について学んで、鏡を見れば分かることだ。
メルティーが血の繋がりが無いことを気にしているのも知っているのに、余計な話をしてしまった。
「アシェお義兄様が謝ることじゃありませんわ。確かに血の繋がりがないことは早くに気付きましたけど、わたくしにもたっぷり愛情を注いでいただいたんですもの。誰が何と言おうと、わたくしはお義兄様達の妹で、大切な家族ですわ。って、充電はダメですわよ!着崩れしてしまいますし、お客様がいらっしゃるんですからね?するなら、お客様がお帰りになった後ですわ。」
三人が今まさに、メルティーを愛でようとしていたことが伝わってしまったようで、先手を打たれてしまった。
残念と笑い合っていると、ウィリアムが来客を告げ、アベルが許可をしたことで食堂へと招かれる。
「メイディー卿、お久しぶりでございます。本日は私の家族一同、お招きいただきありがとうございます。」
「リオネル、余所行きの固い言葉は要らないよ。それに今日は無礼講で、うちのアルフォードとリュート殿のお祝いのつもりだしね。さぁ、席についておくれ。それからお互いの家族の紹介をしよう。」
「ありがとうございます、アベル殿。遠慮なく楽にさせて貰いますね。」
トラスト伯爵家当主であるリオネルは、人の好い笑みで微笑んで、家族に着席を促した。
記憶にあるよりは老けてしまったがアシェルも何度か見かけたことのあるリオネルは、アベルやアレリオンと同じ宮廷医務官だ。
そして今日から出仕したアルフォードとリュートは、二人とも従軍医師として騎士に着任した。
メイディー地方に領を持つトラスト伯爵家も医師家系なのだ。
「まずはこちらから紹介しよう。妻のメアリー、息子のアレリオンとアルフォードは皆知ってるだろう。それから、娘のアシェルとメルティーだ。」
アベルの紹介に合わせて、皆頭を下げていく。
「今度はこちらだね。私はトラスト伯爵家当主のリオネル・トラストだよ。妻のサーニャと末娘のイザベルがいつも世話になっているね。あとはアシェル嬢とメルティー嬢は初対面だね。長女のサルビア、長男のリュート、次女のオーレンだ。」
リオネルの言葉に合わせて、あちらも頭を下げてくれた。
サーニャとイザベルにお世話になっているのはこちらなのだが。
互いの家族の紹介が終わったタイミングで料理が運ばれてくる。
デザート以外は一通り並べられたので、自由に歓談を楽しめということだろう。
「さぁ、まずは食事にしよう。ゆっくりとお喋りするのは、サロンでも出来るからね。」
どうやら食事の後はサロンで団欒タイムのようだ。
アベルのいただきますという号令で、いつもより豪華な食事が開始する。
大人達は早速ワインを片手に、談笑を始める。
それは子供達もだった。
アシェルは冷たいリンゴのジュースを片手に食事を摂り始める。
子供達と言っても、アシェルとメルティー、イザベル以外は成人しているので、それぞれ果実酒やワインを片手にだ。
「しっかし、本当に妹は男前だな。アル、お前妹に負けてるんじゃないか?」
「うるせぇ。これでも気にしてるんだよ、言うな。っていうか、リュートも学院でアシェを見たことあるだろ。」
「遠目にね。アルがアシェル嬢とメルティー嬢に近づくなって言ったんだろ?」
「お前の好みが、ちっちゃいかおっきいかに振り切ってるのが悪いんだよ。分かってて近付ける訳ねぇだろ。」
「はいはい。これでも俺には入学前から婚約者がいるのに、手を出すわけないだろ。」
「知ってるけど、それとこれとは別だ。」
二人はとても仲が良さそうなのに在学中に会ったことが無いと思っていたが、どうやらアルフォードの根回しだったらしい。
ちなみにオーレンも同じ王立学院生だが、見かけたことは無い。
「あの……嬢じゃなく、殿か呼び捨てで呼んで頂けませんか?違和感が……。」
「あぁ、そうだね。ごめんね、アシェル殿。でも今日はドレス姿を拝見できるかと思っていたから、少し残念だよ。ドレス姿もきっとお似合いになるのに。」
「僕はこっちの方が落ち着くので。」
苦笑するアシェルに、それでもやっぱり残念だと言ったリュートは、アルフォードに色目を使うなと睨まれていた。
「アルもアンも妹大好きなのは相変わらずなのね。メルティー様はご婚約されたけど、アシェル様はまだでしょう?あまり牽制していると、アシェル様の嫁ぎ先が無くなってしまうわよ?」
「サルビアがそれを言うの?」
「わたくしは知らない殿方と婚約したくないから独身なだけだわ。お父様たちもそれで良いって言ってくださっているもの。うちはリュートもオーレンも婚約したし、あとはベルだけよ。」
「……サルビアは結婚したくないの?」
「18をとっくに越えたわたくしは、立派な嫁き遅れだわ。別に結婚を是が非でもしたい訳じゃ無いし、誰でも良いのならとっくにもうどなたかに嫁いでいるわ。わたくしは良いのよ。弟と妹達が幸せになってくれるなら、それ以上の幸せは無いもの。女の幸せは結婚だけじゃないのよ。アンだって、弟や妹達には幸せな結婚をして欲しいでしょう?」
とてもしっかり者のお姉さんという雰囲気のサルビアに、確かにロマンチストというイメージは結び付かないのかもしれないと思った。
実際に話している内容を聞いていると、恋に夢見る乙女というよりは、かなり現実的な目線で生きているように思う。
それにどうもサルビアは、親視点でイザベル達のことを考えているようだ。
——きっとアシェルがサーニャを邸に縛り付けてしまったせいで、しっかり者のお姉さんで、兄妹の母親代わりにならざるを得なかったのだろう。
「それはそうだけど……でもメルの婚約相手はテイル公爵家の子息で、よく知ってる相手だから良かったけど。もしどこの馬の骨かも分から無い相手だったら、反対していたと思うな。アシェもメルもずっと邸に居てくれても構わないし、僕が次期当主だから、二人を一生養うくらい何の問題ないしね。」
「ふふっ、ほんと。アンったら相変わらずね。」
「サルビア姉様。笑い事じゃないですわ。わたくしたちのことより、サルビアお姉様にも幸せになって欲しいって、ずっと言ってますわよね?」
「あら、わたくしは幸せよ?リュートは就職したし、来年には結婚するでしょう。二人とも邸に居てくれて構わないって言ってくれているから、住み慣れた王都を離れる必要もないし。オーレンも婚約しているし、わたくしの心配事は、あとはベルだけよ。」
「それはお姉様の幸せとは言わないのよ。お姉様がお母様の代わりに頑張ってくれたのは分かるけれど、元はと言えばアシェル様のせいよ。お姉様がアシェル様の心配をする必要なんてどこにもないわ。」
「オーレンっ!ごめんなさい、アシェル様。気を悪くされたかしら。オーレンの言うことは気にしないでちょうだい。わたくしもリュートも、アシェル様のせいだなんて思っていないわ。」
「いえ……事実ですから。取り返しがつくことではありませんが、申し訳ありません。」
オーレンからの視線が鋭い気がしていたが、やはりアシェルはサーニャを奪った悪者なのだろう。
そう思われてしまっても仕方ない。事実。サーニャをメイディー邸に縛り付けて、母親を奪ってしまったのはアシェルのせいだ。
アシェルが本邸に移ってくるまで、サーニャは泊まり込みで、アシェルの世話をつきっきりでしてくれていたらしい。薄っすらと違う部屋に居たのは覚えているが、流石にその頃の記憶は朧気だ。
それに通いになっていたサーニャは、領地から戻ってしばらくはまた泊まり込みだった。
仮にそれがアベルからの命令であったにしろなかったにしろ、小さな時に母親と過ごせなかったオーレンには関係のないことだろう。
両親が居なかった薫にも。生母は亡くなっていて、たまにしか父親にも会えなかったアシェルにも分からない感覚だ。
だが本来ならアシェルにつきっきりになってくれたサーニャのように、子供の傍に母親が居るのは自然で当たり前の事なのだから。
「アシェル様……オーレン姉様の言うことは気になさらないでくださいませ。アシェル様にはお母様が必要だったことは、分かっているはずですので。」
「ありがとう、ベル。」
アシェルは咎められても仕方ないと思うのだが、どうやらサルビアはそうではないらしい。
オーレンへのお説教が始まってしまった。
「オーレン。何度も言っているでしょう?そもそも、お母様はメイディー邸にお仕えしているのよ。例えアシェル様のことが無かったとしても、そしてシェリー様が生きておられても。お母様はメイディー邸から離れたりはしなかったわ。オーレンは覚えていないかもしれないけど、わたくしの時もリュートの時も。それに、その時はシェリー様は出産されたわけでも無いのに、オーレンが産まれた時も。シェリー様はわたくし達まで一緒に、この邸で面倒を見てくださったのよ?乳母でもない使用人の子供を、本来部屋に入れること自体あり得ないことなのに。その恩義に応えるのは当然のことだわ。」
「それは何度も聞いたわ。わたくしは覚えてませんけどね。でも、いくらお姉様やお兄様がそう言っても、わたくしがお母様と一緒に過ごせなかったのは事実だわ。わたくしが覚えているのは、お母様を盗られたって事だけよ。」
「オーレン……まだ気にしてたのか?姉上の言う通り、母上はメイディーの使用人だ。そもそも俺達を産んだ後、一緒に過ごす時間があったことがおかしいんだって言ってるだろ。シェリー様が取り計らってくれてなければ、俺達が小さい頃に母上と日中一緒に過ごすのなんて不可能な話なんだから。ちゃんと勉強して、その辺りのことは理解したと思ってたんだけどな。」
「勉強はしたけれど、それとこれとは別よ。アシェル様が居なければ——。」
「オーレン、いい加減にしなさい。それ以上言うなら叩き出すわよ。アシェル様がお生まれになった時の話は覚えているでしょう。オーレンは、貴女さえ生まれてこなければ、生まれてこずに死ねば良かったのにって言われて嬉しいのかしら?」
サルビアの声が諭すようなものから、ピシャリとした怒気を含んだものに変わる。
その怒りにびくりと反応したのは、オーレンだけではなくアシェルもだった。
「アシェル様。席を外しましょう。お食事の残りとデザートはサロンの方へ届けさせますから、わたくしを一足先にサロンまでエスコートしてくださいませ。」
すっと立ち上がったイザベルが、アシェルの元まで来て右手を差し出す。
「ベル……でも、僕もちゃんとここに居ないと……。」
「アシェル様は、わたくしをエスコートするのは嫌って事かしら?それに、今の話だけれど。本来であれば使用人であるお母様は、アシェル様のことには関係なく、子供が乳離れをした時点で出仕するのは当たり前のことだわ。子供が乳離れをする前に出仕を再開する人も少なくないのよ。それが通いであっても、住み込みであっても。それを理解していないオーレン姉様が悪いのよ。オーレン姉様も使用人コースを受講しているのだから、それくらい学んだと思っていたのだけれど……。だから、アシェル様が気にすることは無いわ。」
そう言われても、はいそうですか。と思うことは出来ない。
事実がどうであれ、オーレンはあれだけアシェルに対して嫌な感情を持ってしまっているのだ。アシェルが原因でオーレンに寂しい思いをさせてしまったことに変わりはない。
「可愛いベルをエスコートするのが嫌なわけないでしょ。でも……。」
差し出された手を取れずにいると、隣に座るアレリオンが声を掛けてくれる。
「アシェ。イザベルをエスコートしてあげて。レディに誘われてエスコートしないなんて、紳士として失格だよ?今日のアシェは男の子なんだから、レディを待たせては失礼だろう。大丈夫。オーレンだって頭では分かっているはずだよ。ここはサルビアに任せて、イザベルと一緒に先にサロンに行ってなさい。サロンでイザベルに充電させて貰うと良い。」
「アン兄様……わかりました。ごめんね、行こうかベル。皆様、先に席を立たせていただく失礼をお許しください。」
立ち上がり食卓を囲む人々に頭を下げ、イザベルの手を取りサロンに向かう。
食堂を出る前にイザベルがウィリアムに耳打ちをする。きっと食事の手配を伝えてくれたのだろう。
4月1日。
今日はトラスト伯爵家をメイディー邸に招いて、晩餐会をする日だ。
名目上は王立学院を卒業したばかりの、アルフォードとリュートの卒業祝いと就職祝いを。
それから、実はアレリオンとアルフォードはトラスト伯爵家の子供達とは幼馴染らしく、その幼馴染をアシェルとメルティーに紹介してくれるために。
もしかしたらアシェルの乳母であるサーニャの献身や、アシェルの為に幼少期に侍女になったイザベルを労う目的もあるかもしれない。
そして仕掛け人であるアレリオンの目的は、トラスト伯爵家の長女であるサルビアへの求婚だ。
今夜アレリオンがプロポーズするつもりであることは、アシェルとアルフォード、そしてイザベルだけが知っている。
そんな晩餐会の前に、アシェルは自室でイザベルと攻防戦を繰り広げていた。
「アシェル様。こちらを着て下さいませ。」
「ぜーったいに嫌。何でドレス着なきゃいけないのさ。そうでなくても、いつもよりキラキラした服着なきゃいけないのに。」
「我儘を言わないでください。我が家は全員、アシェル様が女性であることは知っているのです。ドレスで晩餐会に参加するのは当たり前でしょう。」
「当たり前じゃないもん。別に男装でも良いはずだもん。僕にドレスは似合わないし、可愛いメルやベルのエスコートをする側が良いの。」
寝台の上で大きな枕を抱え、頬を膨らませて全力で嫌だとアピールしてくるアシェルに、イザベルはため息を溢す。
つい先日、社交界デビューを女性でするべきか悩んでいたのに、今は晩餐会用のドレスを着たくないと言っている。仮に女性と明かすとして、こんな状態でパーティー用のドレスを本当に着るのだろうか。
まだ成人していないので夜会程派手なドレスでは無いものの、デイパーティーのドレスだって晩餐会のものに比べると装飾は派手になると言うのに。
「アシェル様。我儘をおっしゃらないでください。なんでアシェル様の我儘は、そういうのばかりなんですか……。今日は母は邸から来るので居ませんし、私にだって準備があるんです。トラスト家を招いていただいているのに、私だけ出席しないわけにもいきませんしね。これ以上駄々をこねるようでしたら、他の侍女に支度を代わっていただきますよ?」
「他の人は嫌。でもドレスも嫌。ベルかメルをエスコートするんだもん。」
「本日は晩餐会で、エスコートは不要でございます。」
「……知ってる。けど、ドレスは嫌。」
普段のアシェルなら用意した言い訳が通用しないと分かればイヤイヤながらも頷くのに、今日はどうしても嫌だと言い張っている。
これはドレスを着るくらいなら、あれだけ楽しみにしていた晩餐会への参加を拒否されそうだ。
「……きちんと理由をお話下さい。理由次第では、旦那様に掛け合ってまいりますので。」
「本当に?……怒らない?」
「怒りませんから。」
「晩餐会が終わったら……ベルもサーニャも、家族とトラスト家のタウンハウスに帰るでしょ。」
イザベルもサーニャも雇い主であるアベルから、仕事のことは忘れて今日は家族でゆっくりとするように言われている。
そもそも邸に勤める時は通いなので、いつもより少し帰宅の時間が早くなるだけだ。
時折夜勤もしているのだが、そういう日は何かイベントや来客があって使用人全員が忙しかったり、予めアシェルが寝なくなると分かっている日だ。
普段であればアシェルは早くに寝る支度を終えて寝てしまうし、起きていても寝台の上で本を読むだけで、その後はちゃんと寝ていると報告を受けている。
基本的にアシェルは一度寝てしまえば朝まで起きないし、夜中に使用人を呼びつけることもない。アシェル専属侍女とは言え、通いでも十分なのだ。
メルティーの世話が無ければマルローネを借りてくるところだが、今回はメイディー家も全員参加だ。
マルローネを借りるのは諦めて、確実に侍女達の世話を拒否するアシェルの為にイザベルは出仕したのだ。
脱ぐのは最悪、一部の手伝いを兄妹の誰かに頼めば脱げるだろうが、流石に着飾るのを一人でとはいかない。
「確かに本日は、いつもより早く帰らせていただきますが……。」
「……寝る前……寝る前にベルもサーニャもいないのに、ドレス着たくない。……やっぱり、我儘だって……怒る?」
「はぁ……アシェル様がドレスを着たくない理由は分かりました。……それは私がアシェル様がお休みの支度を調えられる迄居れば、ドレスでも良いのですか?」
イザベルの問いに、アシェルは頭を振る。
今日は夜までお世話してもらうつもりはないのだ。
「それはダメ。折角ベルもサーニャも家族と過ごせるのに。冬休みもあげられなかったから、ちゃんと家族と過ごして。」
「……分かりました。旦那様に確認してまいりますので、お待ちくださいませ。」
パタンと小さな音を立てて、イザベルが部屋を出て行く。
余計な手間を掛けさせてしまっていることは分かっているし、ただのアシェルの我儘だということも分かっているのだが、どうしても今日はドレスで晩餐会に参加したくないのだ。
折角サーニャもイザベルも、侍女としてではなくお客様として晩餐会に参加するのだ。
それなのにアシェルがドレスで人目を気にしていたら、二人は様子がおかしいことに気付いてしまうだろう。そしてさっきのイザベルみたいに、寝支度が終わるまで邸に残ると言いかねない。
もしアシェルが大丈夫だからと帰らせても、二人は次の出仕まで気が気じゃないだろう。
今日を入れて三日間お休みを言い渡しているのに、イザベルは明日押しかけてくる可能性すらある。
結局イザベルがアベルから男装の許可を貰ってきてくれ、煌びやかではあるものの、ちゃんとズボン姿で晩餐会の支度をしてもらった。
イザベルは使用人室で使用人仲間に支度を手伝ってもらうらしい。初めて見ることになるお嬢様なイザベルの着飾った姿を見るのが、とても楽しみだ。
執事の一人が部屋まで声を掛けに来てくれて、食堂に移動する。
道中付添ってくれて、まるで自動ドアであるかのように扉を開けてくれるのは、一応アシェルの部屋付きだった侍女達だ。
元はシェリーのお世話をしていたらしく、兄達は信用して大丈夫だと言ってくれていたのだが、どうしてもサーニャ以外に身を預けることが出来なかった。
そんなアシェルに彼女たちは、仕方のないことです。と笑って言ってくれた。普段近くで仕えて貰っているわけではないのに、こうしてサーニャやイザベルが居ない時には率先してお世話をしてくれる。
多分夜中の見回りや、呼び出した時の対応は彼女たちがしてくれているのだろうが、寝台の間近まで寄られない限りは目覚めないし、夜中にサーヴァントベルを鳴らしたこともないのでアシェルの予想だ。
長年メイディーに仕えているだけあって年配の方が多いし、使用人同士で結婚していて、邸の使用人室が二人の家だという夫婦も少なくない。
使用人同士と言っても基本的に貴族籍なのだが、家を継ぐ長男以外は、新しくタウンハウスを持つよりも仕えている邸に部屋を貰えるのなら、その方が生活が楽らしい。
子供は実家で里帰り出産する形になるらしいが、そういった夫婦は子供に使用人としてのイロハを教え込み、同じ環境で働かせたがるらしい。そして大体、同じように働くことになるそうだ。
親から継ぐ爵位か、自身が身をたてて得た爵位が無ければ、例え親が貴族籍でも裕福な家庭の子供でしかない。そんな子供にとって親の伝手で高位貴族に仕えることが出来るのは、ステータス的にとても幸運な事らしい。
そんな感じで、貴族籍でなくなっても先祖代々その家系に仕えている使用人が少なからずいるそうだ。
この辺りの知識は、全部イザベルからの受け売りだ。
ちなみに執事長をしているウィリアムは、本人が貴族籍で爵位を継ぐ身でありながら先祖代々メイディー公爵家の執事を務めてくれている家系だと聞いている。
我が家の食堂は王宮のように用途別にいくつもあるわけではないので、今日の晩餐会会場はいつも食事を食べている食堂だ。
アベルとメアリーは既に席についていて、同じタイミングで呼ばれた兄妹たちと食堂に入る。
二人に挨拶をして、もうすぐ客人は到着するからという言葉だけを交わす。
食事の開始まで兄妹で少しお喋りをすることはあっても、あまり両親と色々お喋りしたことはない。アベルもメアリーも、子供達の会話を見守っているだけだ。
アベルが食堂で饒舌に喋る時は、来客があるか調味料当てクイズをしている時くらいなものである。
「折角今日は、アシェの可愛いドレス姿が見れると思ったのにな。でもキリっとした今の恰好も、とてもカッコよくて好きだよ。」
「ありがとうございます。僕にドレスは似合いませんから。それにベルやメルのエスコートをしたいです。」
「トラスト家はアシェのことを女の子だって知ってるし、ドレスのアシェも可愛いんだから気にしなくて良いんだぞ。それにエスコートは——。」
「ベルのエスコートはまだ、他の人に譲る気はありませんからね。それに折角ベルがお洒落するんだから、例えエスコート不要の晩餐会だとしても、いつでもエスコートできるようにしておくのは紳士の嗜みです。」
「……分かってるよ。というか、もし必要になったら、アシェはオーレン嬢かイザベルのどっちか担当だろうしな。婚約者二人に、公爵家での晩餐会は無理って断られたらしいから、二人ともパートナーは連れてこないし。メルのエスコートはリュートがするだろ。移動するってなっても、サルビア嬢とリュートなら、まだ邸の中のこと覚えてるだろうしな。」
確かにアシェルが男装をしたことで、丁度男と女のバランスが良くなった。
流れ次第ではサロンに移動するかもしれないし、そこはさり気なくアルフォードにイザベルのエスコートを譲ってあげるつもりなのだが、上手くいくだろうか。
二人は一応お付き合いは始めたものの、互いの家族に伝えるかどうかは今日のアレリオンの結果次第になってくるだろう。
あのデート以来、二人はいつも通りの振る舞いをしているので、あの日が夢だったと言われた方が納得できそうなくらいだ。
「……あれ?オーレン嬢も邸には来てたんですよね?」
「アシェお義兄様……オーレン様がいらしてたのは、サーニャがイザベルを産むために産休に入る前でしょう?ギリギリまで邸には来てくれてたみたいだけど、2歳なら覚えてなくても仕方ありませんわ。わたくしだって、違うお邸にきたのは分かっても、エンディットの邸も、少しだけ過ごした王都の市井の家も記憶にありませんもの。瞳の色が同じでしたら、最初からこの邸で生まれ育ったと言われても、何の疑問も抱かなかったと思いますわ。」
「メル、嫌な事思い出させちゃった?ごめんね。」
メイディー公爵家の直系でないことは、貴族について学んで、鏡を見れば分かることだ。
メルティーが血の繋がりが無いことを気にしているのも知っているのに、余計な話をしてしまった。
「アシェお義兄様が謝ることじゃありませんわ。確かに血の繋がりがないことは早くに気付きましたけど、わたくしにもたっぷり愛情を注いでいただいたんですもの。誰が何と言おうと、わたくしはお義兄様達の妹で、大切な家族ですわ。って、充電はダメですわよ!着崩れしてしまいますし、お客様がいらっしゃるんですからね?するなら、お客様がお帰りになった後ですわ。」
三人が今まさに、メルティーを愛でようとしていたことが伝わってしまったようで、先手を打たれてしまった。
残念と笑い合っていると、ウィリアムが来客を告げ、アベルが許可をしたことで食堂へと招かれる。
「メイディー卿、お久しぶりでございます。本日は私の家族一同、お招きいただきありがとうございます。」
「リオネル、余所行きの固い言葉は要らないよ。それに今日は無礼講で、うちのアルフォードとリュート殿のお祝いのつもりだしね。さぁ、席についておくれ。それからお互いの家族の紹介をしよう。」
「ありがとうございます、アベル殿。遠慮なく楽にさせて貰いますね。」
トラスト伯爵家当主であるリオネルは、人の好い笑みで微笑んで、家族に着席を促した。
記憶にあるよりは老けてしまったがアシェルも何度か見かけたことのあるリオネルは、アベルやアレリオンと同じ宮廷医務官だ。
そして今日から出仕したアルフォードとリュートは、二人とも従軍医師として騎士に着任した。
メイディー地方に領を持つトラスト伯爵家も医師家系なのだ。
「まずはこちらから紹介しよう。妻のメアリー、息子のアレリオンとアルフォードは皆知ってるだろう。それから、娘のアシェルとメルティーだ。」
アベルの紹介に合わせて、皆頭を下げていく。
「今度はこちらだね。私はトラスト伯爵家当主のリオネル・トラストだよ。妻のサーニャと末娘のイザベルがいつも世話になっているね。あとはアシェル嬢とメルティー嬢は初対面だね。長女のサルビア、長男のリュート、次女のオーレンだ。」
リオネルの言葉に合わせて、あちらも頭を下げてくれた。
サーニャとイザベルにお世話になっているのはこちらなのだが。
互いの家族の紹介が終わったタイミングで料理が運ばれてくる。
デザート以外は一通り並べられたので、自由に歓談を楽しめということだろう。
「さぁ、まずは食事にしよう。ゆっくりとお喋りするのは、サロンでも出来るからね。」
どうやら食事の後はサロンで団欒タイムのようだ。
アベルのいただきますという号令で、いつもより豪華な食事が開始する。
大人達は早速ワインを片手に、談笑を始める。
それは子供達もだった。
アシェルは冷たいリンゴのジュースを片手に食事を摂り始める。
子供達と言っても、アシェルとメルティー、イザベル以外は成人しているので、それぞれ果実酒やワインを片手にだ。
「しっかし、本当に妹は男前だな。アル、お前妹に負けてるんじゃないか?」
「うるせぇ。これでも気にしてるんだよ、言うな。っていうか、リュートも学院でアシェを見たことあるだろ。」
「遠目にね。アルがアシェル嬢とメルティー嬢に近づくなって言ったんだろ?」
「お前の好みが、ちっちゃいかおっきいかに振り切ってるのが悪いんだよ。分かってて近付ける訳ねぇだろ。」
「はいはい。これでも俺には入学前から婚約者がいるのに、手を出すわけないだろ。」
「知ってるけど、それとこれとは別だ。」
二人はとても仲が良さそうなのに在学中に会ったことが無いと思っていたが、どうやらアルフォードの根回しだったらしい。
ちなみにオーレンも同じ王立学院生だが、見かけたことは無い。
「あの……嬢じゃなく、殿か呼び捨てで呼んで頂けませんか?違和感が……。」
「あぁ、そうだね。ごめんね、アシェル殿。でも今日はドレス姿を拝見できるかと思っていたから、少し残念だよ。ドレス姿もきっとお似合いになるのに。」
「僕はこっちの方が落ち着くので。」
苦笑するアシェルに、それでもやっぱり残念だと言ったリュートは、アルフォードに色目を使うなと睨まれていた。
「アルもアンも妹大好きなのは相変わらずなのね。メルティー様はご婚約されたけど、アシェル様はまだでしょう?あまり牽制していると、アシェル様の嫁ぎ先が無くなってしまうわよ?」
「サルビアがそれを言うの?」
「わたくしは知らない殿方と婚約したくないから独身なだけだわ。お父様たちもそれで良いって言ってくださっているもの。うちはリュートもオーレンも婚約したし、あとはベルだけよ。」
「……サルビアは結婚したくないの?」
「18をとっくに越えたわたくしは、立派な嫁き遅れだわ。別に結婚を是が非でもしたい訳じゃ無いし、誰でも良いのならとっくにもうどなたかに嫁いでいるわ。わたくしは良いのよ。弟と妹達が幸せになってくれるなら、それ以上の幸せは無いもの。女の幸せは結婚だけじゃないのよ。アンだって、弟や妹達には幸せな結婚をして欲しいでしょう?」
とてもしっかり者のお姉さんという雰囲気のサルビアに、確かにロマンチストというイメージは結び付かないのかもしれないと思った。
実際に話している内容を聞いていると、恋に夢見る乙女というよりは、かなり現実的な目線で生きているように思う。
それにどうもサルビアは、親視点でイザベル達のことを考えているようだ。
——きっとアシェルがサーニャを邸に縛り付けてしまったせいで、しっかり者のお姉さんで、兄妹の母親代わりにならざるを得なかったのだろう。
「それはそうだけど……でもメルの婚約相手はテイル公爵家の子息で、よく知ってる相手だから良かったけど。もしどこの馬の骨かも分から無い相手だったら、反対していたと思うな。アシェもメルもずっと邸に居てくれても構わないし、僕が次期当主だから、二人を一生養うくらい何の問題ないしね。」
「ふふっ、ほんと。アンったら相変わらずね。」
「サルビア姉様。笑い事じゃないですわ。わたくしたちのことより、サルビアお姉様にも幸せになって欲しいって、ずっと言ってますわよね?」
「あら、わたくしは幸せよ?リュートは就職したし、来年には結婚するでしょう。二人とも邸に居てくれて構わないって言ってくれているから、住み慣れた王都を離れる必要もないし。オーレンも婚約しているし、わたくしの心配事は、あとはベルだけよ。」
「それはお姉様の幸せとは言わないのよ。お姉様がお母様の代わりに頑張ってくれたのは分かるけれど、元はと言えばアシェル様のせいよ。お姉様がアシェル様の心配をする必要なんてどこにもないわ。」
「オーレンっ!ごめんなさい、アシェル様。気を悪くされたかしら。オーレンの言うことは気にしないでちょうだい。わたくしもリュートも、アシェル様のせいだなんて思っていないわ。」
「いえ……事実ですから。取り返しがつくことではありませんが、申し訳ありません。」
オーレンからの視線が鋭い気がしていたが、やはりアシェルはサーニャを奪った悪者なのだろう。
そう思われてしまっても仕方ない。事実。サーニャをメイディー邸に縛り付けて、母親を奪ってしまったのはアシェルのせいだ。
アシェルが本邸に移ってくるまで、サーニャは泊まり込みで、アシェルの世話をつきっきりでしてくれていたらしい。薄っすらと違う部屋に居たのは覚えているが、流石にその頃の記憶は朧気だ。
それに通いになっていたサーニャは、領地から戻ってしばらくはまた泊まり込みだった。
仮にそれがアベルからの命令であったにしろなかったにしろ、小さな時に母親と過ごせなかったオーレンには関係のないことだろう。
両親が居なかった薫にも。生母は亡くなっていて、たまにしか父親にも会えなかったアシェルにも分からない感覚だ。
だが本来ならアシェルにつきっきりになってくれたサーニャのように、子供の傍に母親が居るのは自然で当たり前の事なのだから。
「アシェル様……オーレン姉様の言うことは気になさらないでくださいませ。アシェル様にはお母様が必要だったことは、分かっているはずですので。」
「ありがとう、ベル。」
アシェルは咎められても仕方ないと思うのだが、どうやらサルビアはそうではないらしい。
オーレンへのお説教が始まってしまった。
「オーレン。何度も言っているでしょう?そもそも、お母様はメイディー邸にお仕えしているのよ。例えアシェル様のことが無かったとしても、そしてシェリー様が生きておられても。お母様はメイディー邸から離れたりはしなかったわ。オーレンは覚えていないかもしれないけど、わたくしの時もリュートの時も。それに、その時はシェリー様は出産されたわけでも無いのに、オーレンが産まれた時も。シェリー様はわたくし達まで一緒に、この邸で面倒を見てくださったのよ?乳母でもない使用人の子供を、本来部屋に入れること自体あり得ないことなのに。その恩義に応えるのは当然のことだわ。」
「それは何度も聞いたわ。わたくしは覚えてませんけどね。でも、いくらお姉様やお兄様がそう言っても、わたくしがお母様と一緒に過ごせなかったのは事実だわ。わたくしが覚えているのは、お母様を盗られたって事だけよ。」
「オーレン……まだ気にしてたのか?姉上の言う通り、母上はメイディーの使用人だ。そもそも俺達を産んだ後、一緒に過ごす時間があったことがおかしいんだって言ってるだろ。シェリー様が取り計らってくれてなければ、俺達が小さい頃に母上と日中一緒に過ごすのなんて不可能な話なんだから。ちゃんと勉強して、その辺りのことは理解したと思ってたんだけどな。」
「勉強はしたけれど、それとこれとは別よ。アシェル様が居なければ——。」
「オーレン、いい加減にしなさい。それ以上言うなら叩き出すわよ。アシェル様がお生まれになった時の話は覚えているでしょう。オーレンは、貴女さえ生まれてこなければ、生まれてこずに死ねば良かったのにって言われて嬉しいのかしら?」
サルビアの声が諭すようなものから、ピシャリとした怒気を含んだものに変わる。
その怒りにびくりと反応したのは、オーレンだけではなくアシェルもだった。
「アシェル様。席を外しましょう。お食事の残りとデザートはサロンの方へ届けさせますから、わたくしを一足先にサロンまでエスコートしてくださいませ。」
すっと立ち上がったイザベルが、アシェルの元まで来て右手を差し出す。
「ベル……でも、僕もちゃんとここに居ないと……。」
「アシェル様は、わたくしをエスコートするのは嫌って事かしら?それに、今の話だけれど。本来であれば使用人であるお母様は、アシェル様のことには関係なく、子供が乳離れをした時点で出仕するのは当たり前のことだわ。子供が乳離れをする前に出仕を再開する人も少なくないのよ。それが通いであっても、住み込みであっても。それを理解していないオーレン姉様が悪いのよ。オーレン姉様も使用人コースを受講しているのだから、それくらい学んだと思っていたのだけれど……。だから、アシェル様が気にすることは無いわ。」
そう言われても、はいそうですか。と思うことは出来ない。
事実がどうであれ、オーレンはあれだけアシェルに対して嫌な感情を持ってしまっているのだ。アシェルが原因でオーレンに寂しい思いをさせてしまったことに変わりはない。
「可愛いベルをエスコートするのが嫌なわけないでしょ。でも……。」
差し出された手を取れずにいると、隣に座るアレリオンが声を掛けてくれる。
「アシェ。イザベルをエスコートしてあげて。レディに誘われてエスコートしないなんて、紳士として失格だよ?今日のアシェは男の子なんだから、レディを待たせては失礼だろう。大丈夫。オーレンだって頭では分かっているはずだよ。ここはサルビアに任せて、イザベルと一緒に先にサロンに行ってなさい。サロンでイザベルに充電させて貰うと良い。」
「アン兄様……わかりました。ごめんね、行こうかベル。皆様、先に席を立たせていただく失礼をお許しください。」
立ち上がり食卓を囲む人々に頭を下げ、イザベルの手を取りサロンに向かう。
食堂を出る前にイザベルがウィリアムに耳打ちをする。きっと食事の手配を伝えてくれたのだろう。
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