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第四章 王立学院中等部三年生
274 はじめてのおつかい①
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Side:アシェル14歳 秋
いつもの時間にアシェルはぼんやりと寝不足な瞼を持ち上げる。
昨日と一緒で温かい温もりを抱きしめていて——いや、包まれている。
アークエイドの胸の中で、今日は抱きしめられていた。力の抜けた腕が地味に重い。
起こしてしまわないようにきょろきょろと視線を動かせば、やっぱりアシェルの方から寄って行ったらしい。
(なんでだろ……嬉しい……。)
本当は謝って、すぐにでも離れるべきなのだろう。
でもこの重たく感じる腕も、決して柔らかくない胸板も、そしてふんわり香るアークエイドの匂いも。
安心できて、この腕の中にいれることが嬉しくて、心がぽかぽかと温かくなってくる。
(もう少しだけ……。)
アークエイドがまだ寝ていることを確認して、アシェルはもう一度微睡もうとした。
そのタイミングで漆黒のまつ毛が震え、サファイアブルーの瞳が開かれる。
「ん……アシェ、おはよう。まだ眠そうだな……もう少しだけ。」
珍しくアシェルよりも遅く起きたアークエイドはすんなり目覚めず、口調はしっかりしているのに寝惚けているようで、アシェルの額や首筋に何度かキスを落としてまた寝息をたてた。
(アークはやっぱりキス魔だ。)
突然の出来事に顔を真っ赤に染めながら、溢れてくる寝入る時と寝起きのシーンばかりな記憶の欠片を一つ一つ確認していく。
確認しなくてはいけないくらい沢山の欠片が溢れてきて、アークエイドとの親密さを物語っていた。
アークエイドがアシェルより遅く起きることは稀にあるが、寝惚けたのはスタンピードが起こったらしい時のただ一度だった。
(何を……忘れてるんだろう。何かに気をつけなきゃって思ったんだけどな。)
思い出した記憶の欠片を見返しても、それが何か分からなかった。
考えているうちにまたうとうとと微睡、結局イザベルが起こしに来てようやく二人とも目覚めたのだった。
アシェルが忘れているのは、王族は一目惚れした相手がエネルギー源で安定剤だという事だ。
本来ならコレだけ近くで過ごし、距離を空けているとはいえ近くで寝起きすれば、アークエイドの睡眠時間は僅かでも体力が回復するはずだった。
スタンピードの時のように、睡眠を取る間もないほど働いていない限りは。
今回の場合は仕事などではなく、アシェルが寝入るのを確認してからアークエイドも寝ていることと、昨夜は話し合いで就寝が少し遅かったこと、アシェルに触れたくても触れられないことが原因である。
意識的にスキンシップを控えているが為に、特に夜中はアシェルが擦り寄ってきて初めて触れることが出来るので、十分な睡眠がとれていないだけだった。
アークエイドが一番体力や気力を回復できるのは、アシェルを抱きしめて寝る時なのだ。
イザベルに起こされ朝食の為に着替え、家族から気を付けてと声を掛けて貰い。
部屋に戻ってもう一度着替えた。
邸で着ていたドレスよりもシンプルながらも、ちょっとしたところに刺繍やレースがあしらわれていて、見るからに高そうだと感じる。
髪の毛はハーフアップで編み込まれ、下手に装飾品を着けて物取りに狙われてはいけないからと、結い上げた銀髪の一部は垂らされて巻かれている。
華やかであり、手入れの行き届いた銀髪が太陽の光でキラキラと輝くので、装飾品にも劣らないイザベル渾身の出来だ。
「いいですか。メイディーの家紋を持って歩くという事は、アシェル様は公爵家の貴族令嬢として振舞わなくてはなりません。挨拶をしても頭を下げてはダメです。会話を交わすのが最低限でも失礼になりません。一人称はわたくしで、緊急時以外は走ってはいけません。緊急時でも、走る前にペンダントの魔道具を使ってくださいませ。それと、お誘いを受けたからと殿方についていってはいけません。分かりましたか?」
「分かったわ。わた——くしに声をかける男性なんて居ないと思うけど。」
実際問題、イザベルの目から見れば今日のアシェルに声をかける男はいないだろう。
平民にはまずいない銀髪に、瞳は直系色のアメジスト色。
さらには両耳のピアスが見えるように髪を結わえており、ピアスにぶら下がったプレートにはメイディー公爵家の家紋が揺れている。
これで一人歩きのアシェルに声を掛けるとしたら、余程の世間知らずか、身分を知ったうえでの不届き物かという事になる。
「可能性が無いとは言い切れませんので。もし相手がしつこいようであれば、ペンダントに付けた家紋ではない方、冒険者ギルドタグをみせてください。家紋が効かない相手でも、アシェル様のタグの方が効果がある場合がございます。門限は18時です。徒歩でとのことですが、もし間に合いそうになければ各エリアに馬車の停留所がありますから。そちらで辻馬車を拾ってメイディー公爵邸までと伝えれば帰ってこれます。それでも間に合いそうにない時は、ペンダントで護衛を呼び出してくださいませ。そうすれば邸の方にも遅くなることが伝わります。」
護衛って電話代わりにもなるんだなと、少し方向違いなところで感動しながらアシェルは頷いた。
——電話代わりのものは設置と設定の必要な高価な魔道具なので、単純に護衛の一人が伝達に走るだけである。
「アシェ、気を付けてな。少し用事が入ったから、アシェが帰った時に俺は居ないかもしれない。夜はまた泊りに来るからな。」
「うん、分かったわ。アークもお出かけなのね。気を付けて。いってきます。」
大勢に見送られたくないアシェルの為に、普段使用人が出入りするのだという裏門を使わせてもらって邸の外へ出た。
ここからは一人で、護衛はいるけれどアシェルが呼ばないと来ないことを再実感し、少しだけ心細くなる。
「まずは……学校を外から見て、ダンジョンがあるって広場を見て、冒険者ギルド……。」
イザベルから譲り受けた王都の観光マップを片手に、行き先の確認をする。
——この観光マップは、イザベルが地方から出てきた同僚に貰ったものだ。
この観光マップには、教えてもらった通りの綺麗な円と直線の街路が描かれ、何処がどういうエリアかの説明や、馬車の停留所の位置、観光案内所を兼ねている商業ギルドの位置や、何処が見どころかなど描かれている。
更に裏面には、恐らく資金提供者だろう。飲食店や商店の名前と説明がずらりと並んでいた。
マップの数字と照らし合わせればいいようである。
メイディー公爵邸を出たら、お城が見える方向に向かって歩く。
城壁のすぐ隣に公爵邸があると聞いていたが、広い庭を有しているからだろうか。
隣という割にはなかなか城壁に辿り着かなかった。
正門から出ればまた違ったのだろうかと思いながら、気を取り直して今度は東側に進む。
王宮を四角く囲む城壁を中心に、城下町は放射線状に区分けされている。
王立学院の敷地にも外周を囲う様に塀があるらしいので、スタート地点として良い目印になると思ったのだ。
「おっきい……。」
王立学院には貴族が通っていて警備が厳重だと聞いたので、なるべく不審にならないように気をつけながら。学院エリアと冒険者エリアを分断する大通りを歩いていく。
目立たないが丁度城壁と王立学院、それから冒険者エリアにある王立病院と同じような位置に、平民向けだという学校も建っていた。
希望者しか通わないらしく、大体は裕福な家の平民が通うらしい。
レンガ造りの可愛らしい建物だった。
「やっぱり、建物は洋風なのね。所謂中世ヨーロッパ風とかいうやつかしら?ファンタジーの定番だものね。上下水道はしっかりしてそうだわ。」
ぶつぶつと、アシェルは自分の考えを口にしていた。
これは薫の時からの癖のような物で、自分の考えに集中しすぎるとついついぶつぶつと考えを呟いてしまうのだ。
こうして言葉にすることで、頭の中で情報が整理されるような気もしている。
無口で口下手な方だったが、普段から薫と共に過ごしていた咲と健斗はこの独り言を聞く機会が多く、ある意味この癖のお陰で三人のコミュニケーションは円滑だったと言える。
この癖が無ければ、いつも一緒に過ごす咲と健斗であっても、薫が本当は何を考えているのか、何が好きで嫌いかなど、理解することは無かっただろう。
咲と健斗は何も言わなかったが、この癖は何も知らない人からすると気味が悪いものだった。
ただでさえぼそぼそと聞こえにくいのに、内容が理解できないと何か違う言語で呪詛を呟かれていると感じるようだ。普段の薫のイメージのせいでもあったのだが。
薫はこの癖が他者に不快感を与えると思っているので、今日は一人で散歩が出来て良かったと心底思う。
気になる風景や物を見て、独り言を呟かない自信が無かったからだ。
ちなみにアシェルが全く気にしないのは、家族が全員同じような癖を持っていたからに過ぎない。
身近な人に自分の思考に入り込む人間が居なければ、恐らく今のアシェルのように独り言を言う自分のことを気にしていただろう。
「それにしても、本当に真っ直ぐ。測量の技術が高いのかしら?それとも魔法で何か便利なものがあるのかしら。さっきから馬車も沢山走ってるのに、道路に歪みもないわ。これも魔法?それともやっぱり、建築法が特殊なのかしら。あぁ、もしかしたら整備が行き届いているのかもしれないわ。きっとこの区分けの道路は主要道路だものね。」
歩みを緩めることなく。
傍から見れば少し早歩きだと言われる速度で、アシェルは次なる目的地を目指す。
「大きな時計台……。こちらの時計は、何を基準にしているのかしら。24時間で一日だけれど、暦は日本と一緒なのかしら?……あちらの時計が無いから比べられないわ。地図で見ると平面的な世界かと思っていたけれど。他の大陸が見つかっていないだけで球体なのかしら。球体でなければ、この世界の昼夜はどうやって訪れるのかしら。魔法がある世界だから、考えても分からない可能性もあるわ。そもそも、同じ物理法則が使えるとは限らないものね。」
大きな時計台の根元にはダンジョンの入り口となっている建物があって、出入り口には受付の人が居る。
観光マップによると、冒険者タグという身分証明書を提示してもらうことで、住民が誤って入ることを防ぐとともに、誰が戻って誰が戻っていないのかを管理するためでもあるらしい。
受付は24時間、誰かしらがいるそうだ。
「屋台は冒険者向けの道具が多いみたい。それにしても……キャンプ道具は突き詰めたら同じ形になるのかしら?ホムセンで見覚えのある形のものが多いわ。でも便利だからこの形になっているのよね。ダンジョンの入り口はもっと怖い感じかと思ったけれど、普通の建物が建っててよく分からないわ。なんだか……お化け屋敷の入り口みたい……。」
思わず咲と健斗と入ったお化け屋敷を思い出してしまい、自身の身体をギュッと抱きしめた。
あの時薫を抱きしめてくれた咲も健斗も、今は居ないのだ。
「……大丈夫。アレはお化け屋敷なんかじゃないわ。そう……幽霊でもこちらでは魔物だもの。僕なら、魔物は怖くない。発生機序も生態も、ある程度でもちゃんと解明してる。怖かったものは、何一つこちらにはないんだから。」
お化けも、怖い大人も、嫌な眼で見てくる同級生も。
何一つこちらにはないのだ。
その代わりに、薫の大切だった二人も。
「……いつまでもこうしてても仕方ないわ。次に行かないと。」
門限までに帰り着けなくなってしまう。
========
Side:アークエイド15歳 秋
アシェルに用事が出来たと伝えたアークエイドは、あの後すぐに変装し。
アシェルの兄であるアレリオンと、学校が休みのリリアーデとデュークの双子、ダニエルを含めた白騎士二人を交えてアシェルを尾行していた。
否、尾行ではなくアシェルの護衛に当たっていた。
アシェルの独り言はあのペンダント型の魔道具を通して、ばっちり護衛という名の保護者達に丸聞えである。
「アシェル嬢の観点が全く分からないね……。普通のご令嬢は市井を歩いても、治水や街路の整備を気にしないと思うんだけれど?」
「アッシュ……。それは僕にだって分からないからね?メイディーだからじゃなくて、あくまでも薫の記憶が影響しているんだと思うよ。流石の僕でも、あんなこと気にしたことないからね?」
「待って、それがグレイニール殿下の喋り方なのは見た目としっくりくるけど。正直アシェの独り言より、アッシュの中身がアークって事についていけないわ。ねぇデューク、これ、本当にアークなの?なんていうか、別人なんだけど??」
「目の前で変装するところを見てただろ。見てたけど、正直グレイニール殿下だと言われた方がしっくりくる。てっきりエイディになると思ってたんだけどな。」
イレギュラーに対応できるように冒険者風の衣装を身に纏った双子は、アレリオンと会話しながら柔和な笑みを浮かべたアークエイドをまじまじと見る。
アークエイドはいつものマルベリー色のカツラと瞳の色を瑠璃色に変える魔道具ではなく、茶髪のカツラに薄い青の入った色付き眼鏡をかけていた。
ご丁寧にその眼鏡の下の瞳は、グレイニールそっくりな黒紫色だ。
「仕方ないだろう。アシェル嬢はエイディの姿を見慣れているんだから、何をきっかけに思い出すか分からないからね。今の私の姿ならアンと一緒に市井にいてもおかしくないし、私の付き人としてアンがいるのもおかしくないだろう?」
「こちらも見つからないように気をつけてはいるし、アークエイド殿下が一緒じゃないから警戒もしてないし。今のところは大丈夫だけれどね。何をきっかけにアシェが僕らに気付くか分からないから、最大限誤魔化せるところは誤魔化さないと。僕は見分けがつくけど、殿下の影武者技術というか、普段とのギャップが激しいのは認めるけどね。」
「クスクス、アンは酷い言いようだなぁ。背格好は同じだし、これでも似るようにだいぶ頑張ってるんだけどね?アビーもシルも気付かなかったし、入れ替わりに気付くのはアンくらいなものだよ。」
表情も言葉も豊かなアークエイドは、リリアーデの頭を混乱させてくる。
着替えの最中にグレイニールと入れ替わっていたと言われていたほうが、すんなり納得できそうだ。
だがしかし。今聞き捨てならないことを口にした。
「待って、シルの前に中身アークのグレイニール殿下が出たの??一体何があったか知らないけど、うちの妹に——!」
ぶわりと巻き上がった形を持たない魔力に、アークエイドは慌ててリリアーデの口を抑えた。
このままでは大声で怒鳴りつけられてしまい、濃密な魔力と相まってアシェルにバレるリスクが高まってしまう。
「待て、わざとじゃないんだ。シルフィード嬢には見せられない状態の対応に、兄上がいかざるを得なかった。シルフィード嬢に余計な心配をかけないためにも、俺が少し影武者をこなしただけだ。誓って、シルフィード嬢には触れていない。」
「……はぁ。分かったから、リリィを離してあげて。」
「早とちりしてごめんなさい。」
「いや、妹のことだ。気になるのも仕方ない。……とりあえず、今日はアッシュとして過ごすから。口調や表情は演技だ。早く慣れてくれ。」
「頑張るわ。」
そうこうしている間に、アシェルはダンジョン前広場までやってきた。
相変わらずブツブツと言っている内容は、あまり一般的とは言えない着眼点だ。
「ねぇ、リリアーデ嬢。アシェの言っている平面とか球体とかって、何の話だい?それにホムセンは?」
「えっと、それは今いる世界の大地がどういう形をしているかって言う話ででして。天動説がどうとか地動説がどうとか、地球——日本があった世界の土台の名前です。平面だとか球体だとか、物凄ーく長い年月をかけて解き明かしたやつなんです。ってことまでしか私には分かりませんっ。ホムセンはホームセンターって言って、いわゆる万屋です。ガーデニングに必要なモノから家電や寝具まで。色んな道具や日用品を売っている大きな商店です。」
唐突なアレリオンの質問に、リリアーデは頭をフル回転させて説明する。
といっても、専門的なことは詳しくないし、なんなら勉強嫌いなので地球は丸い!以上。くらいの感覚しかない。
百合としての記憶を引き出しているからか、すっかり敬語でお嬢様言葉を忘れてしまっているリリアーデを見て、デュークは何故今日護衛として呼ばれたのかを理解した。
護衛の能力だけをみるなら、王都に慣れ親しんで実力もあるエラートとマリクを呼んだ方が良いのだ。
魔法に長けたアレリオンに、どちらもこなせるアークエイド。騎士団員とも顔見知りで対人戦に長けたエラートに、獣人の身体能力と耳と鼻で不審者を感知できるマリク。
王都組のメンバーがアシェルからアレリオンに代わっただけだが、パーティーとしてのバランスがとても良いのだ。
リリアーデにアシェルの話す、よく分からない単語や文章の意味を聞きたい。
ついでに護衛を任せるとなると、リリアーデは魔法寄りで近接戦闘は不得意。街中でリリアーデのような魔法は危険。
となると、そのリリアーデと一緒に動ける適任がデュークだったわけだ。
不意に、アシェルの口調と様子が変わる。
「アシェっ!」
「バカッ、アークがが跳び出したら隠れて護衛の意味がないだろうがっ。」
デュークは咄嗟に跳び出そうとしたアークエイドを捕まえ、落ち着くまで拘束する。
もしかしたらリリアーデとセットなだけでなく、こういう咄嗟の役割もあるのかもしれないと、デュークは考えを改めた。
「お化け屋敷は、そんなに怖いものなのかい?」
「えーっと、人によっては大嫌いですね。レイスとかグールみたいなものを模した作り物だったり、生きた人間がなりきってたり……そういうのがおどろおどろしい空間で待ち構えていて、その中を通り抜けるっていう。簡単に言うと恐怖感を楽しむ娯楽なんですけど……。正直私も苦手です。」
「へぇ、不思議な娯楽なんだね?あぁ、アッシュ。心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと気になる様子だけど、アシェの声にはまだ力があるから。ほら、立ち直ったでしょ?本当に酷い状態なら、僕の方が飛び出てるよ。それに……アッシュが自ら動くのはダメだよ。勝手に一人で動こうとしないでって、いつも言ってるよね?」
アシェルの様子に慌てなかったアレリオンは、笑顔でアークエイドの行動を咎める。
「う……すまない、アン。頭に血が上ってしまったようだ。気を付けるよ。」
「うん、そうしてよね。さぁ、次に行こうか。」
アークエイドは気を取り直したアシェルの姿に安堵し、アレリオンについていく。
そんな二人の後を双子は追い、更にその後ろを近衛騎士の二人は黙ってついていくのだった。
いつもの時間にアシェルはぼんやりと寝不足な瞼を持ち上げる。
昨日と一緒で温かい温もりを抱きしめていて——いや、包まれている。
アークエイドの胸の中で、今日は抱きしめられていた。力の抜けた腕が地味に重い。
起こしてしまわないようにきょろきょろと視線を動かせば、やっぱりアシェルの方から寄って行ったらしい。
(なんでだろ……嬉しい……。)
本当は謝って、すぐにでも離れるべきなのだろう。
でもこの重たく感じる腕も、決して柔らかくない胸板も、そしてふんわり香るアークエイドの匂いも。
安心できて、この腕の中にいれることが嬉しくて、心がぽかぽかと温かくなってくる。
(もう少しだけ……。)
アークエイドがまだ寝ていることを確認して、アシェルはもう一度微睡もうとした。
そのタイミングで漆黒のまつ毛が震え、サファイアブルーの瞳が開かれる。
「ん……アシェ、おはよう。まだ眠そうだな……もう少しだけ。」
珍しくアシェルよりも遅く起きたアークエイドはすんなり目覚めず、口調はしっかりしているのに寝惚けているようで、アシェルの額や首筋に何度かキスを落としてまた寝息をたてた。
(アークはやっぱりキス魔だ。)
突然の出来事に顔を真っ赤に染めながら、溢れてくる寝入る時と寝起きのシーンばかりな記憶の欠片を一つ一つ確認していく。
確認しなくてはいけないくらい沢山の欠片が溢れてきて、アークエイドとの親密さを物語っていた。
アークエイドがアシェルより遅く起きることは稀にあるが、寝惚けたのはスタンピードが起こったらしい時のただ一度だった。
(何を……忘れてるんだろう。何かに気をつけなきゃって思ったんだけどな。)
思い出した記憶の欠片を見返しても、それが何か分からなかった。
考えているうちにまたうとうとと微睡、結局イザベルが起こしに来てようやく二人とも目覚めたのだった。
アシェルが忘れているのは、王族は一目惚れした相手がエネルギー源で安定剤だという事だ。
本来ならコレだけ近くで過ごし、距離を空けているとはいえ近くで寝起きすれば、アークエイドの睡眠時間は僅かでも体力が回復するはずだった。
スタンピードの時のように、睡眠を取る間もないほど働いていない限りは。
今回の場合は仕事などではなく、アシェルが寝入るのを確認してからアークエイドも寝ていることと、昨夜は話し合いで就寝が少し遅かったこと、アシェルに触れたくても触れられないことが原因である。
意識的にスキンシップを控えているが為に、特に夜中はアシェルが擦り寄ってきて初めて触れることが出来るので、十分な睡眠がとれていないだけだった。
アークエイドが一番体力や気力を回復できるのは、アシェルを抱きしめて寝る時なのだ。
イザベルに起こされ朝食の為に着替え、家族から気を付けてと声を掛けて貰い。
部屋に戻ってもう一度着替えた。
邸で着ていたドレスよりもシンプルながらも、ちょっとしたところに刺繍やレースがあしらわれていて、見るからに高そうだと感じる。
髪の毛はハーフアップで編み込まれ、下手に装飾品を着けて物取りに狙われてはいけないからと、結い上げた銀髪の一部は垂らされて巻かれている。
華やかであり、手入れの行き届いた銀髪が太陽の光でキラキラと輝くので、装飾品にも劣らないイザベル渾身の出来だ。
「いいですか。メイディーの家紋を持って歩くという事は、アシェル様は公爵家の貴族令嬢として振舞わなくてはなりません。挨拶をしても頭を下げてはダメです。会話を交わすのが最低限でも失礼になりません。一人称はわたくしで、緊急時以外は走ってはいけません。緊急時でも、走る前にペンダントの魔道具を使ってくださいませ。それと、お誘いを受けたからと殿方についていってはいけません。分かりましたか?」
「分かったわ。わた——くしに声をかける男性なんて居ないと思うけど。」
実際問題、イザベルの目から見れば今日のアシェルに声をかける男はいないだろう。
平民にはまずいない銀髪に、瞳は直系色のアメジスト色。
さらには両耳のピアスが見えるように髪を結わえており、ピアスにぶら下がったプレートにはメイディー公爵家の家紋が揺れている。
これで一人歩きのアシェルに声を掛けるとしたら、余程の世間知らずか、身分を知ったうえでの不届き物かという事になる。
「可能性が無いとは言い切れませんので。もし相手がしつこいようであれば、ペンダントに付けた家紋ではない方、冒険者ギルドタグをみせてください。家紋が効かない相手でも、アシェル様のタグの方が効果がある場合がございます。門限は18時です。徒歩でとのことですが、もし間に合いそうになければ各エリアに馬車の停留所がありますから。そちらで辻馬車を拾ってメイディー公爵邸までと伝えれば帰ってこれます。それでも間に合いそうにない時は、ペンダントで護衛を呼び出してくださいませ。そうすれば邸の方にも遅くなることが伝わります。」
護衛って電話代わりにもなるんだなと、少し方向違いなところで感動しながらアシェルは頷いた。
——電話代わりのものは設置と設定の必要な高価な魔道具なので、単純に護衛の一人が伝達に走るだけである。
「アシェ、気を付けてな。少し用事が入ったから、アシェが帰った時に俺は居ないかもしれない。夜はまた泊りに来るからな。」
「うん、分かったわ。アークもお出かけなのね。気を付けて。いってきます。」
大勢に見送られたくないアシェルの為に、普段使用人が出入りするのだという裏門を使わせてもらって邸の外へ出た。
ここからは一人で、護衛はいるけれどアシェルが呼ばないと来ないことを再実感し、少しだけ心細くなる。
「まずは……学校を外から見て、ダンジョンがあるって広場を見て、冒険者ギルド……。」
イザベルから譲り受けた王都の観光マップを片手に、行き先の確認をする。
——この観光マップは、イザベルが地方から出てきた同僚に貰ったものだ。
この観光マップには、教えてもらった通りの綺麗な円と直線の街路が描かれ、何処がどういうエリアかの説明や、馬車の停留所の位置、観光案内所を兼ねている商業ギルドの位置や、何処が見どころかなど描かれている。
更に裏面には、恐らく資金提供者だろう。飲食店や商店の名前と説明がずらりと並んでいた。
マップの数字と照らし合わせればいいようである。
メイディー公爵邸を出たら、お城が見える方向に向かって歩く。
城壁のすぐ隣に公爵邸があると聞いていたが、広い庭を有しているからだろうか。
隣という割にはなかなか城壁に辿り着かなかった。
正門から出ればまた違ったのだろうかと思いながら、気を取り直して今度は東側に進む。
王宮を四角く囲む城壁を中心に、城下町は放射線状に区分けされている。
王立学院の敷地にも外周を囲う様に塀があるらしいので、スタート地点として良い目印になると思ったのだ。
「おっきい……。」
王立学院には貴族が通っていて警備が厳重だと聞いたので、なるべく不審にならないように気をつけながら。学院エリアと冒険者エリアを分断する大通りを歩いていく。
目立たないが丁度城壁と王立学院、それから冒険者エリアにある王立病院と同じような位置に、平民向けだという学校も建っていた。
希望者しか通わないらしく、大体は裕福な家の平民が通うらしい。
レンガ造りの可愛らしい建物だった。
「やっぱり、建物は洋風なのね。所謂中世ヨーロッパ風とかいうやつかしら?ファンタジーの定番だものね。上下水道はしっかりしてそうだわ。」
ぶつぶつと、アシェルは自分の考えを口にしていた。
これは薫の時からの癖のような物で、自分の考えに集中しすぎるとついついぶつぶつと考えを呟いてしまうのだ。
こうして言葉にすることで、頭の中で情報が整理されるような気もしている。
無口で口下手な方だったが、普段から薫と共に過ごしていた咲と健斗はこの独り言を聞く機会が多く、ある意味この癖のお陰で三人のコミュニケーションは円滑だったと言える。
この癖が無ければ、いつも一緒に過ごす咲と健斗であっても、薫が本当は何を考えているのか、何が好きで嫌いかなど、理解することは無かっただろう。
咲と健斗は何も言わなかったが、この癖は何も知らない人からすると気味が悪いものだった。
ただでさえぼそぼそと聞こえにくいのに、内容が理解できないと何か違う言語で呪詛を呟かれていると感じるようだ。普段の薫のイメージのせいでもあったのだが。
薫はこの癖が他者に不快感を与えると思っているので、今日は一人で散歩が出来て良かったと心底思う。
気になる風景や物を見て、独り言を呟かない自信が無かったからだ。
ちなみにアシェルが全く気にしないのは、家族が全員同じような癖を持っていたからに過ぎない。
身近な人に自分の思考に入り込む人間が居なければ、恐らく今のアシェルのように独り言を言う自分のことを気にしていただろう。
「それにしても、本当に真っ直ぐ。測量の技術が高いのかしら?それとも魔法で何か便利なものがあるのかしら。さっきから馬車も沢山走ってるのに、道路に歪みもないわ。これも魔法?それともやっぱり、建築法が特殊なのかしら。あぁ、もしかしたら整備が行き届いているのかもしれないわ。きっとこの区分けの道路は主要道路だものね。」
歩みを緩めることなく。
傍から見れば少し早歩きだと言われる速度で、アシェルは次なる目的地を目指す。
「大きな時計台……。こちらの時計は、何を基準にしているのかしら。24時間で一日だけれど、暦は日本と一緒なのかしら?……あちらの時計が無いから比べられないわ。地図で見ると平面的な世界かと思っていたけれど。他の大陸が見つかっていないだけで球体なのかしら。球体でなければ、この世界の昼夜はどうやって訪れるのかしら。魔法がある世界だから、考えても分からない可能性もあるわ。そもそも、同じ物理法則が使えるとは限らないものね。」
大きな時計台の根元にはダンジョンの入り口となっている建物があって、出入り口には受付の人が居る。
観光マップによると、冒険者タグという身分証明書を提示してもらうことで、住民が誤って入ることを防ぐとともに、誰が戻って誰が戻っていないのかを管理するためでもあるらしい。
受付は24時間、誰かしらがいるそうだ。
「屋台は冒険者向けの道具が多いみたい。それにしても……キャンプ道具は突き詰めたら同じ形になるのかしら?ホムセンで見覚えのある形のものが多いわ。でも便利だからこの形になっているのよね。ダンジョンの入り口はもっと怖い感じかと思ったけれど、普通の建物が建っててよく分からないわ。なんだか……お化け屋敷の入り口みたい……。」
思わず咲と健斗と入ったお化け屋敷を思い出してしまい、自身の身体をギュッと抱きしめた。
あの時薫を抱きしめてくれた咲も健斗も、今は居ないのだ。
「……大丈夫。アレはお化け屋敷なんかじゃないわ。そう……幽霊でもこちらでは魔物だもの。僕なら、魔物は怖くない。発生機序も生態も、ある程度でもちゃんと解明してる。怖かったものは、何一つこちらにはないんだから。」
お化けも、怖い大人も、嫌な眼で見てくる同級生も。
何一つこちらにはないのだ。
その代わりに、薫の大切だった二人も。
「……いつまでもこうしてても仕方ないわ。次に行かないと。」
門限までに帰り着けなくなってしまう。
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Side:アークエイド15歳 秋
アシェルに用事が出来たと伝えたアークエイドは、あの後すぐに変装し。
アシェルの兄であるアレリオンと、学校が休みのリリアーデとデュークの双子、ダニエルを含めた白騎士二人を交えてアシェルを尾行していた。
否、尾行ではなくアシェルの護衛に当たっていた。
アシェルの独り言はあのペンダント型の魔道具を通して、ばっちり護衛という名の保護者達に丸聞えである。
「アシェル嬢の観点が全く分からないね……。普通のご令嬢は市井を歩いても、治水や街路の整備を気にしないと思うんだけれど?」
「アッシュ……。それは僕にだって分からないからね?メイディーだからじゃなくて、あくまでも薫の記憶が影響しているんだと思うよ。流石の僕でも、あんなこと気にしたことないからね?」
「待って、それがグレイニール殿下の喋り方なのは見た目としっくりくるけど。正直アシェの独り言より、アッシュの中身がアークって事についていけないわ。ねぇデューク、これ、本当にアークなの?なんていうか、別人なんだけど??」
「目の前で変装するところを見てただろ。見てたけど、正直グレイニール殿下だと言われた方がしっくりくる。てっきりエイディになると思ってたんだけどな。」
イレギュラーに対応できるように冒険者風の衣装を身に纏った双子は、アレリオンと会話しながら柔和な笑みを浮かべたアークエイドをまじまじと見る。
アークエイドはいつものマルベリー色のカツラと瞳の色を瑠璃色に変える魔道具ではなく、茶髪のカツラに薄い青の入った色付き眼鏡をかけていた。
ご丁寧にその眼鏡の下の瞳は、グレイニールそっくりな黒紫色だ。
「仕方ないだろう。アシェル嬢はエイディの姿を見慣れているんだから、何をきっかけに思い出すか分からないからね。今の私の姿ならアンと一緒に市井にいてもおかしくないし、私の付き人としてアンがいるのもおかしくないだろう?」
「こちらも見つからないように気をつけてはいるし、アークエイド殿下が一緒じゃないから警戒もしてないし。今のところは大丈夫だけれどね。何をきっかけにアシェが僕らに気付くか分からないから、最大限誤魔化せるところは誤魔化さないと。僕は見分けがつくけど、殿下の影武者技術というか、普段とのギャップが激しいのは認めるけどね。」
「クスクス、アンは酷い言いようだなぁ。背格好は同じだし、これでも似るようにだいぶ頑張ってるんだけどね?アビーもシルも気付かなかったし、入れ替わりに気付くのはアンくらいなものだよ。」
表情も言葉も豊かなアークエイドは、リリアーデの頭を混乱させてくる。
着替えの最中にグレイニールと入れ替わっていたと言われていたほうが、すんなり納得できそうだ。
だがしかし。今聞き捨てならないことを口にした。
「待って、シルの前に中身アークのグレイニール殿下が出たの??一体何があったか知らないけど、うちの妹に——!」
ぶわりと巻き上がった形を持たない魔力に、アークエイドは慌ててリリアーデの口を抑えた。
このままでは大声で怒鳴りつけられてしまい、濃密な魔力と相まってアシェルにバレるリスクが高まってしまう。
「待て、わざとじゃないんだ。シルフィード嬢には見せられない状態の対応に、兄上がいかざるを得なかった。シルフィード嬢に余計な心配をかけないためにも、俺が少し影武者をこなしただけだ。誓って、シルフィード嬢には触れていない。」
「……はぁ。分かったから、リリィを離してあげて。」
「早とちりしてごめんなさい。」
「いや、妹のことだ。気になるのも仕方ない。……とりあえず、今日はアッシュとして過ごすから。口調や表情は演技だ。早く慣れてくれ。」
「頑張るわ。」
そうこうしている間に、アシェルはダンジョン前広場までやってきた。
相変わらずブツブツと言っている内容は、あまり一般的とは言えない着眼点だ。
「ねぇ、リリアーデ嬢。アシェの言っている平面とか球体とかって、何の話だい?それにホムセンは?」
「えっと、それは今いる世界の大地がどういう形をしているかって言う話ででして。天動説がどうとか地動説がどうとか、地球——日本があった世界の土台の名前です。平面だとか球体だとか、物凄ーく長い年月をかけて解き明かしたやつなんです。ってことまでしか私には分かりませんっ。ホムセンはホームセンターって言って、いわゆる万屋です。ガーデニングに必要なモノから家電や寝具まで。色んな道具や日用品を売っている大きな商店です。」
唐突なアレリオンの質問に、リリアーデは頭をフル回転させて説明する。
といっても、専門的なことは詳しくないし、なんなら勉強嫌いなので地球は丸い!以上。くらいの感覚しかない。
百合としての記憶を引き出しているからか、すっかり敬語でお嬢様言葉を忘れてしまっているリリアーデを見て、デュークは何故今日護衛として呼ばれたのかを理解した。
護衛の能力だけをみるなら、王都に慣れ親しんで実力もあるエラートとマリクを呼んだ方が良いのだ。
魔法に長けたアレリオンに、どちらもこなせるアークエイド。騎士団員とも顔見知りで対人戦に長けたエラートに、獣人の身体能力と耳と鼻で不審者を感知できるマリク。
王都組のメンバーがアシェルからアレリオンに代わっただけだが、パーティーとしてのバランスがとても良いのだ。
リリアーデにアシェルの話す、よく分からない単語や文章の意味を聞きたい。
ついでに護衛を任せるとなると、リリアーデは魔法寄りで近接戦闘は不得意。街中でリリアーデのような魔法は危険。
となると、そのリリアーデと一緒に動ける適任がデュークだったわけだ。
不意に、アシェルの口調と様子が変わる。
「アシェっ!」
「バカッ、アークがが跳び出したら隠れて護衛の意味がないだろうがっ。」
デュークは咄嗟に跳び出そうとしたアークエイドを捕まえ、落ち着くまで拘束する。
もしかしたらリリアーデとセットなだけでなく、こういう咄嗟の役割もあるのかもしれないと、デュークは考えを改めた。
「お化け屋敷は、そんなに怖いものなのかい?」
「えーっと、人によっては大嫌いですね。レイスとかグールみたいなものを模した作り物だったり、生きた人間がなりきってたり……そういうのがおどろおどろしい空間で待ち構えていて、その中を通り抜けるっていう。簡単に言うと恐怖感を楽しむ娯楽なんですけど……。正直私も苦手です。」
「へぇ、不思議な娯楽なんだね?あぁ、アッシュ。心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと気になる様子だけど、アシェの声にはまだ力があるから。ほら、立ち直ったでしょ?本当に酷い状態なら、僕の方が飛び出てるよ。それに……アッシュが自ら動くのはダメだよ。勝手に一人で動こうとしないでって、いつも言ってるよね?」
アシェルの様子に慌てなかったアレリオンは、笑顔でアークエイドの行動を咎める。
「う……すまない、アン。頭に血が上ってしまったようだ。気を付けるよ。」
「うん、そうしてよね。さぁ、次に行こうか。」
アークエイドは気を取り直したアシェルの姿に安堵し、アレリオンについていく。
そんな二人の後を双子は追い、更にその後ろを近衛騎士の二人は黙ってついていくのだった。
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