歪な2人の結婚生活

みっしー

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7話

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 シュベールから屋敷に帰る馬車の中で二人が言葉を交わすことはなかった。ライラは何も言わずに俯いていて、リックはそれをどうにかしようとは思わなかった。無理矢理話をさせるのは違うと考えたからだ。だから目も合わない彼女の頭に視線を置いたまま彼自身も静かにしていた。

 それから屋敷に着くと、ライラは突然リックの腕を掴んだ。そしてリックを弱い力で自分の部屋へと引っ張って連れていった。リックは抵抗しようと思えばいくらでもできるその手を見ながらされるがままにしていた。きっと彼女はまだこれから自分のすることに自信がないのだろう。そう思うと拒絶できるわけがなかった。

「……どうぞ」

「……ありがとう」

 促されるままに部屋に足を踏み入れる。ライラとリックは家族らしく生活をしているが、互いの個人空間には立ち入らないようにしている。なのでリックがライラの部屋に入るのはこれが初めてだった。

「こちらに座ってください。何もないので大したおもてなしはできないですけど」

「いや、構わない」

 ライラの言った通り彼女の部屋には必要最低限のもの以外何もなかった。人が生活しているような雰囲気もほとんどなく、それはどこまでも無機質な空間だった。その様子を軽く見回した後リックはライラに視線を戻した。すると彼女は一度だけリックの方を見た後、視線を下に落として口を開いた。

「何が、一番気になりますか?」

「どういう意味だ?」

「私の言動の何が一番不可解だと思いましたか?」

 ライラは静かに問う。それを受けてリックは少し考え込んだあと、吟味した答えを口に出した。

「無視だけは絶対にするなとあなたが言ったとき、俺はあなたが一瞬だけ別人のように思えた。そこにとても強い感情があるのではないかと思った。それは合っているだろうか?」

「決め事を作ったときの話ですね。確かに、そうかもしれません」

「ならばどうして無視に対して拘る?過去にそうやって傷つけられた経験があるということか?」

 リックのその言葉にライラは少しだけ黙り込んだ。しかしひとつ息を飲み込むと、震えた声で答える。

「そう、ですね。私が勝手に傷ついただけなのかもしれませんが」

「その話を詳しく聞かせてはもらえないだろうか。無理ならば強要はしない」

「いえ、話しましょう。私はそのためにあなたをここに連れてきたのですから」

 リックはそこでようやく気がついた。ライラが跡がつきそうなくらい強く彼女の手を握りしめていることに。それを見るとリックは元々良かった姿勢をさらに正した。それは話しづらいであろうことを話すライラに対するリックなりの誠意だった。



******************



 ライラの両親は政略結婚だった。それ自体は特に問題ではなく、彼らの仲があまり円満といえるものでもなかったというのも仕方のないことだった。夫婦はライラが生まれたときにはもう最低限の言葉しか交わさないほど冷え切っていた。結婚当初は歩み寄る努力も多少は見られたらしいが結局は諦めてしまったようだ。子どもの誕生は彼らにとっては子爵家の血を繋ぐための任務でしかなかったため、夫人がライラを身籠っても二人の仲が変わることはなく、その子どもに関心が向けられることもなかった。そんな中で生まれたのがライラで、長女として生まれた彼女は物心ついたときにはすでに一人だった。父も母も彼女に近づこうとは微塵も思わないらしく、そんな娘には使用人たちも無関心になり、一人で与えられたものを使って学び遊ぶだけしか彼女にはできなかった。名前も滅多に呼ばれない彼女は自分の名前を忘れないために眠る前はいつも自分に話しかけた。

「ライラ、今日は歴史の本を一冊読み切れたね」

「ライラ、明日は何をしようか?」

「ライラ、お父様とお母様はどうしてるかな?」

 そんな自分の言葉に答えることはしなかった。ただ一人で問いかけてそれが空気に沈んでいく。それは彼女にとって痛いほどに孤独を突き付けるものだった。それでも彼女はそんな状況を仕方がないと思っていた。父や母に愛を願うのはもはや無理なのだと年を重ねるごとに割り切るようになってしまったからだ。


 しかし、それが一変する事態が起きる。ライラに弟が生まれたのだ。別にそのこと自体がライラを苦しめることはなかった。ライラはむしろ自分に仲間ができるのだと信じていた。しかし、彼女の予想は大いに裏切られる。

「ヘンリー」

 弟は、名前を呼ばれていたのだ。

「ヘンリー、勉強の時間よ」

「ヘンリー、もっといい子にして」

「ヘンリー、何で言われたこともまともにできないの?」

 弟は決して優しくされていたわけではない。跡継ぎとして厳しく教育をされていた。ライラはそれを蚊帳の外でずっと眺めていた。両親の視線は揃ってヘンリーにある。ヘンリーは怖くて悲しくて泣いている。でもライラにはその気持ちがわからなかった。ただただずっと手を握り締めて弟と両親を見ていた。

 自分には向かなかった視線を、言葉を、弟は何の努力もなしに手にしている。ライラは弟が嫌いになった。自分には手に入らない全てを手にしてそれでも不幸そうな顔をする弟が大嫌いだった。



 それから時間が経って弟が7歳になった頃だろうか。ある日、孤独と嫉妬に苛まれるだけの変わり映えのないライラの生活を変える一つの出来事が起きた。弟が初めてライラに話しかけてきたのだ。しかしそれは友好的なものではない。何せ彼は嫌いな人間を見る顔をしてライラを睨みつけている。ライラはそれに反応することはなく無表情に弟を見つめていた。そんな中で弟の口から溢れたのはたった一言だった。




「……あなたは楽でいいですね」



 それは弟の本心だった。いつも厳しい言葉を浴びせられ、難題を押し付けられ、自分の能力以上のことを求められる苦痛は彼にとって耐えられるものではなかった。そして彼の視界の端にはいつもただ突っ立っているだけの姉がいる。何も求められることもなく立っているだけでいることを許されている姉がいる。幼い弟が何も求められないことの苦痛を知っているはずがなかった。だから今日も離れたところで何もせずにただそこにいるだけの姉に、何かを言ってやりたい気分になったのだ。

 一方のライラは言われたことの意味が分からず一瞬頭が真っ白になった。しかし次の瞬間、バチンッと大きな音が鳴った。その音で我に返って視線を下げると、赤く腫れた頬を押さえて床に倒れ込んでいる弟がいた。

 弟は自分が叩かれたことに気がつくと声を上げて泣き始めた。ライラはそれを耳で拾いながらも自分が何をしたのかあまりよくわかっていなかった。ただゆっくりと自分の掌を見てみるとそれは赤く染まっていて気が付けばじんわりと痛みが広がっていく。ああ、そうだ。今私はこの弟のことを叩いたのだ。ライラはそこでようやく自覚し、そして泣きたくなった。ひたすらに虚しいのだ。耳に響く弟の泣き声も、ヒリヒリと痛む手も、怒りと嫉妬と憎しみで綯い交ぜになった感情も。

 それでも泣くことは許されない。

「何を泣いているの、ヘンリー」

 弟の声を聞きつけて母がやって来たのだ。その声を聞いてライラは肩をびくりと揺らした。

「あ、姉上が、僕を叩いたんです!」

 弟がライラを指差してそう告げているとき、ライラは母に何を言われても仕方がないと思った。しかし、そんな考えはどうしようもなく無駄なものだった。

「あぁ、あの子。壊れたのかしらね」

 母はまるで壊れた家具でも見るかのように何の感情もない瞳でライラを見て、そしてそう言ったのだ。ライラはそこで視界が暗くなるかのように感じた。もはや自分は怒られもしないのだ。弟は泣いていることを今この瞬間にみっともないと叱られるのに、自分はただ壊れた物でしかない。ライラは笑った。声を上げて、まるでそこに何かおかしなものでもあるかのように笑った。それは本当の意味で、ライラが壊れてしまった瞬間だった。

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