9 / 14
9話
しおりを挟む
「嘘つき」
ライラは小さくそう呟く。空気に紛れ込みそうなその声をリックは聞き逃さなかった。
「嘘などついていない」
「嘘ですよ……。そういうのは、私みたいなのにやっちゃいけないんです。こんな私を受け入れるふりをして、本当は自分が善人だと思いたいだけ。そんなの自己満足に浸ってるだけの偽善者じゃないですか!」
そう言っているライラが1番よくわかっていた。リックはそんな嘘をつく人でも、偽善者でもない。表立って見えなくても彼が優しさに溢れた人間であることは痛いほどにわかっている。だからこそ、彼女は拒絶するのだ。
「こんなことで嘘はつかない」
「嘘です!嘘だって言ってください、お願いだから……!」
その声は掠れていて、消えてしまいそうにも聞こえるものだった。これ以上この優しさに救われてしまえば、求めるようになってしまう。諦めてしまいたいと願うものを、彼に求めてしまう。ライラはそれが怖かった。
リックはそんなライラをじっと見つめる。そして彼女が震えていることに気がついた。
「……あなたは、怯えているのか?」
「っ!」
リックはライラに手を伸ばした。そして両手でライラの手を包み込む。すると彼はまるで氷のように冷たくなってしまった彼女の手を温めるようにそっと握った。
「な、何を」
「ライラ殿、俺たちは家族だ。そして夫婦だ。俺はあなたを避けたりしない。拒絶もしない。あなたを嫌ってもいないし、どうでも良いとも思っていない」
その声はどこまでも穏やかで、それでも確かな芯を持っていた。
「どうか俺のことを、信じてほしい。あなたを傷つけないように努力する」
「言葉だけならなんとでも言えるんです。でも人は裏切る。言葉は飾りでしかないから、きっとあなたも今言ったことを忘れてしまうでしょう」
「ならば忘れないように紙に書いたって良い。俺があなたを裏切ったなら、その時はどうしてくれても構わない」
ライラは次第に苦しくなっていくのを感じた。呼吸をするのがやっとなくらい、感情が暴れてしまっている。一つ間違えれば全てが壊れてしまいそうで、逃げ出したくてたまらなかった。なのに掌から伝わるリックの温もりが、ひどく心地よくてしかたがない。
「どうして、……どうしてそこまでするんですか?王命で夫婦になっただけなのに、どうして私に近づこうとするんですか?」
「それは……、わからない。俺は感情を忘れてしまっているから、何が原動力なのかは分からない。ただ俺は、あなたに泣いてほしくない。無理して笑ってほしくもない」
リックの言葉は途端に辿々しくなる。感情に関することは彼にはもう遠い記憶だ。思い出せそうで思い出せない。彼がライラに抱いているのは、この歪で愚かで儚い少女を今すぐ安心させたいと、本当の意味で笑わせてやりたいと思う感情は、一体何なのか。
ライラはそんなリックに願うように言葉を溢す。
「もう嫌なんです。期待しすぎてしまう自分も、失うかもしれないという不安も。今ならまだ間に合うから、だからもう私には」
その言葉を言い終える前にリックはライラを抱き締めた。いや、気づけば抱き締めていた。そして我に返ってもなお、離そうとは思わない。むしろ抱き締める力を強めた。何も言わせないように強く強く、その小さな少女が、これ以上彼女自身を苦しめてしまわないように。自分がすぐそばにいるのだということが嫌でもわかるように。
ライラは最初は抵抗しようとしたが、それが無駄なことだと分かると諦めた。でもリックの背中に手を回したりはしない。ただ彼の服をぎゅっと握っていた。
「……怖い。私はあなたが……。いなく、ならないで……」
泣きそうなその声に、リックは目を見開いた。
そしてようやく彼は思い出した。ずっと止まっていた何かが、まるで荒波のように大きく動き出す。まるで凍っていた血液が突然全身を駆け巡るような感覚にリックは襲われる。世界に色が付いたように、虚ろだった瞳に光が宿るように、それは彼を取り巻く全てを鮮やかに変えた。彼はそのとき何よりも自由だった。そして今なら自信を持って言える。この感情は……
「愛しいんだ、あなたが」
最初はいつも笑っているだけの人だと思っていた。でもどこか一歩引いているところがあって、近づこうとすれば逃げてしまう。怖がりで、本当は泣きたいのにそれを誤魔化して繕っている、愛情に飢えた歪な少女。その欠けたところがどうにも愛おしい。
一方でライラはリックの言葉に衝撃を受けざるを得なかった。いつの間にかリックの腕からすり抜けてしまうくらいには驚いていた。しかし、彼女のそれはまだ序の口だった。リックの顔を見てライラは思わず口を開く。
「……どうして、笑って……?」
そう、ずっと無表情だったリックがその美しい顔にさらに美しい微笑みを浮かべていたのだ。それはライラにとっては信じられないことだった。なぜならそれは彼の魔法が解けたことを意味してしまう。自分は何もした覚えがないのに、彼はもう先程までの彼ではなかった。
ライラは小さくそう呟く。空気に紛れ込みそうなその声をリックは聞き逃さなかった。
「嘘などついていない」
「嘘ですよ……。そういうのは、私みたいなのにやっちゃいけないんです。こんな私を受け入れるふりをして、本当は自分が善人だと思いたいだけ。そんなの自己満足に浸ってるだけの偽善者じゃないですか!」
そう言っているライラが1番よくわかっていた。リックはそんな嘘をつく人でも、偽善者でもない。表立って見えなくても彼が優しさに溢れた人間であることは痛いほどにわかっている。だからこそ、彼女は拒絶するのだ。
「こんなことで嘘はつかない」
「嘘です!嘘だって言ってください、お願いだから……!」
その声は掠れていて、消えてしまいそうにも聞こえるものだった。これ以上この優しさに救われてしまえば、求めるようになってしまう。諦めてしまいたいと願うものを、彼に求めてしまう。ライラはそれが怖かった。
リックはそんなライラをじっと見つめる。そして彼女が震えていることに気がついた。
「……あなたは、怯えているのか?」
「っ!」
リックはライラに手を伸ばした。そして両手でライラの手を包み込む。すると彼はまるで氷のように冷たくなってしまった彼女の手を温めるようにそっと握った。
「な、何を」
「ライラ殿、俺たちは家族だ。そして夫婦だ。俺はあなたを避けたりしない。拒絶もしない。あなたを嫌ってもいないし、どうでも良いとも思っていない」
その声はどこまでも穏やかで、それでも確かな芯を持っていた。
「どうか俺のことを、信じてほしい。あなたを傷つけないように努力する」
「言葉だけならなんとでも言えるんです。でも人は裏切る。言葉は飾りでしかないから、きっとあなたも今言ったことを忘れてしまうでしょう」
「ならば忘れないように紙に書いたって良い。俺があなたを裏切ったなら、その時はどうしてくれても構わない」
ライラは次第に苦しくなっていくのを感じた。呼吸をするのがやっとなくらい、感情が暴れてしまっている。一つ間違えれば全てが壊れてしまいそうで、逃げ出したくてたまらなかった。なのに掌から伝わるリックの温もりが、ひどく心地よくてしかたがない。
「どうして、……どうしてそこまでするんですか?王命で夫婦になっただけなのに、どうして私に近づこうとするんですか?」
「それは……、わからない。俺は感情を忘れてしまっているから、何が原動力なのかは分からない。ただ俺は、あなたに泣いてほしくない。無理して笑ってほしくもない」
リックの言葉は途端に辿々しくなる。感情に関することは彼にはもう遠い記憶だ。思い出せそうで思い出せない。彼がライラに抱いているのは、この歪で愚かで儚い少女を今すぐ安心させたいと、本当の意味で笑わせてやりたいと思う感情は、一体何なのか。
ライラはそんなリックに願うように言葉を溢す。
「もう嫌なんです。期待しすぎてしまう自分も、失うかもしれないという不安も。今ならまだ間に合うから、だからもう私には」
その言葉を言い終える前にリックはライラを抱き締めた。いや、気づけば抱き締めていた。そして我に返ってもなお、離そうとは思わない。むしろ抱き締める力を強めた。何も言わせないように強く強く、その小さな少女が、これ以上彼女自身を苦しめてしまわないように。自分がすぐそばにいるのだということが嫌でもわかるように。
ライラは最初は抵抗しようとしたが、それが無駄なことだと分かると諦めた。でもリックの背中に手を回したりはしない。ただ彼の服をぎゅっと握っていた。
「……怖い。私はあなたが……。いなく、ならないで……」
泣きそうなその声に、リックは目を見開いた。
そしてようやく彼は思い出した。ずっと止まっていた何かが、まるで荒波のように大きく動き出す。まるで凍っていた血液が突然全身を駆け巡るような感覚にリックは襲われる。世界に色が付いたように、虚ろだった瞳に光が宿るように、それは彼を取り巻く全てを鮮やかに変えた。彼はそのとき何よりも自由だった。そして今なら自信を持って言える。この感情は……
「愛しいんだ、あなたが」
最初はいつも笑っているだけの人だと思っていた。でもどこか一歩引いているところがあって、近づこうとすれば逃げてしまう。怖がりで、本当は泣きたいのにそれを誤魔化して繕っている、愛情に飢えた歪な少女。その欠けたところがどうにも愛おしい。
一方でライラはリックの言葉に衝撃を受けざるを得なかった。いつの間にかリックの腕からすり抜けてしまうくらいには驚いていた。しかし、彼女のそれはまだ序の口だった。リックの顔を見てライラは思わず口を開く。
「……どうして、笑って……?」
そう、ずっと無表情だったリックがその美しい顔にさらに美しい微笑みを浮かべていたのだ。それはライラにとっては信じられないことだった。なぜならそれは彼の魔法が解けたことを意味してしまう。自分は何もした覚えがないのに、彼はもう先程までの彼ではなかった。
6
あなたにおすすめの小説
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
王太子妃クラリスと王子たちの絆【完】
mako
恋愛
以前の投稿をブラッシュアップしました。
ランズ王国フリードリヒ王太子に嫁ぐはリントン王国王女クラリス。
クラリスはかつてランズ王国に留学中に品行不良の王太子を毛嫌いしていた節は
否めないが己の定めを受け、王女として変貌を遂げたクラリスにグリードリヒは
困惑しながらも再会を果たしその後王国として栄光を辿る物語です。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。
しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。
友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。
『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。
取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。
彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。
婚約者に「ブス」と言われた私の黒歴史は新しい幸せで塗り替えました
四折 柊
恋愛
私は十歳の時に天使のように可愛い婚約者に「ブス」と言われ己の価値を知りました。その瞬間の悲しみはまさに黒歴史! 思い出すと叫んで走り出したくなる。でも幸せを手に入れてそれを塗り替えることが出来ました。全四話。
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる