魔の山300景綺譚

十二滝わたる

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鳩待峠の木道

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 鳩待峠に着いたのは昼も大分過ぎた日差しの強い夏の終わりだった。昨日から、唐松林に周囲を囲われたカラマツペンションに宿泊している。

 ログハウスのような造りのペンションからはカラマツの梢の隙間から、遠くに富士山が見える時があるとオーナーから教えられたが、本当かどうかは分からなかった。

 周囲の自然が美しく、野鳥も窓辺に警戒することなしに集まってくるが、若い自分には少しの物足りなさを感じていた。

 「釣りはするの」とオーナーが聞いてきたが、その時は、あいにく釣りにはまったく興味がなかった。釣りとはフライフィッシングのことだと知ったのは、ずいぶんと後のことだ。自分で季節の疑似餌を作り、季節の水生昆虫の生態を学び、魚と対話する面白さを、どうしてあのときは気が付かなかったのだろうと少しの後悔を感じる。

 自然以外に何も無いペンションに連泊すると、最初は物珍しい野鳥や昆虫や植物も、普通に思えてくる。

 オーナーに、尾瀬に行ってくると告げたのはペンションの昼のカレーを食べた後のことだ。
 オーナーは、今からでは無理だよ時間的に、と引き留めたが、突然、どうしても尾瀬の草原の風を感じて見たくなった。

 鳩待峠からは谷底に向かうような細い木道をひたすら降りた。途中、大きな荷物を背負って黙々と求道者のようにすれ違う強力とすれ違う。強力の愛想の無さは、この自然は俺たちの守る世界だ、お前たちのような世俗に生きる者達などなんとも思ってないかのような雰囲気を醸し出していた。
 神聖な領域へ足を踏み入れる、そんな畏れ多さに少しはたじろぐ。

 地図も知識もないままに、道標頼りの無謀な散策だったのだろう。尾瀬とはいえ、運動靴と着替えもリックも持たない出で立ちは素人の甘い行動からくる。

 やっとの思いで、尾瀬の草原への入口に着く。燧ヶ岳が雄壮に出迎えたが、浄化槽の排水で等身大くらいに大きくなった水芭蕉は不気味に揺れていた。

 尾瀬の山小屋の売店のあんちゃんも、強力同様に浮き世離れしている。高い値段の飲み物を売りながら、ゴミは自分で持ち帰るものだとの価値観が正義のようだ。

 神聖な領域を汚しているのは、本当は、神聖な領域に世間から逃げてきた君たちのような、自分を特別視することで世間を見返そうとしている、はぐれ者や求道者面した山男達だと直ぐに分かる。

 燧ヶ岳も草原もすべてが美しかった。
 そこに集まる常連気取りのハイカーと欺瞞のハイカーを迎え入れる自称的な自然商売人と尾瀬の代名詞と期待し裏切られたお化け水芭蕉を除いては。

 遥かな尾瀬は遥かな話だ。

 
 
 


 
 
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