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第1部 エド・ホード
第23話 学生牢の囚人
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カミラは自宅謹慎の処分を受け、こちらに身寄りのない僕は、学生牢に入れられた。罪状は洞窟への侵入のみ。ラルフさんの死は事故と断定され、僕らの責任は問われなかった。
学生牢は大学の本館の地下にあった。雄ネジのような螺旋階段の坂にそって、鉄格子の部屋が連なっている。冷たいコンクリートの床の上に、便器と硬いベッドだけの部屋だった。食事はパンと野菜のスープ。当然、日差しの入る窓はなく、時間の感覚は次第に薄くなっていく。牢獄生活で最もきついのは、孤独でも変わらない食事でもなく、一日に終わりが来ないということだった。だんだん独りごとが増えていき、やがてするはずのない声が聞こえるようになった。森の声。父さんの声。僕らを襲ったバリアム公爵の声――。
「……違う違う、俺は本物の人間だ」
僕は必死に無視を決め込んだ。
「隣の独房に入ってる。お前、新入りだろう? ラルフ・シーモアを知ってるな?」
僕は壁に耳を当てた。
「俺はあいつの妹と親友だった。ジェイン・シーモア。利発で美人のいい子だったよ」
「ラルフさんを知ってるんですか?」
僕は壁の向こうに話しかけた。
「おお! 俺の存在を信じたのか。だったらお前は正常だってことだ。狂ったことのある奴はみんな知ってる。幻聴は知らないことも話すってな」
隣の男は高笑いをした。
「お前、ルイス・ホードの息子だろう?」
僕は返事をしなかった。僕は父さんの名前を知らなかった。
「無視すんなよ。さんざん独りで話してたろう? ルイス・ホード。お前の親父さんは本当にすごい人だったんだぜ。彼の言い遺した〈第三の術〉――魔術界はその大いなる謎によって、以後、二つに分断された。つまり〈アベカ派〉と〈ニバル派〉の二つに。当時の優れた魔術者たちは、誰もがその謎の研究をした。のちに〈ニバル派〉と呼ばれる手合いだな。バリアム公爵もその一人だった。かつてはラルフも師事していたことがあったが、今では人と言うより悪魔だな」
僕は黙って聞いていた。
「ニバル派の魔術者たちは、のちに一つの答えを出した。〈闇の魔術〉と呼ばれる禁じられたアートの錬成法だ。アベカ派の年よりどもは否定したが、お前の親父さんも、その力を使ってたって話だ。どうだ? どんなものか知りたいか?」
知りたい、と僕は壁の向こうに言った。
「いいだろう。キーワードは魂の分裂だ。化学も魔術も似たようなもので、莫大なエネルギーを産出するには二つのやり方がある。一つ、本来ばらばらであるものを融合すること。二つ、本来ひとつであるものをばらばらにすること。前者は大昔から知られていた。自然のラフマからアートを精製する方法だ。禁術のアプローチはちと違う」
隣の男はそこで少し間を置いた。
「どれだけ巧くやったとしても、ラフマの一部をアートに取り込むのは効率が悪い。たかが知れてるってわけだ。そこでニバル派の連中は考えた。融合がダメならその逆を試せばいい。つまりはアート、人間の魂の分裂だ。この方法なら、ほぼ無限に力が産出できる。が、これには厄介な問題があった。文字通り致命的なやつがな。お前の親父さんもそれで死んだ」
「問題って?」
「苦痛だよ。魂の割れる痛みはまさに無限の苦しみだ。お前の親父さんも、最期は正気を失くして自殺した」
「そんなの嘘だ!」
「なぜそう思う? じゃあ逆に訊こうか? かつてルイス・ホードは最愛の妻、ホリー・ホードの復活のために、四大霊剣をたった一人で集めてみせた。それなのに、だ。彼は妻を蘇らせなかったばかりか、自らも消息を絶ってしまった。大切な一人息子さえ捨てて。なぜだと思う? 答えは明白だと思わないか?」
父さんは闇の魔術に狂っていた……? 僕は急激に胸が苦しくなるのを感じた。
「そのへんにしておきなさい」
出し抜けにべつの誰かが言った。暗闇に目を凝らすと、背の高い、白髪の坊主の老人が立っていた。僕の牢の鉄格子に触れ、そのまま窓の汚れを落とすように消してしまう。左耳には、リングのピアスがついていた。
「オズ校長?」
「けっ、モウロクじいさんのおでましか! あんたの愛弟子のガキだからって、職権乱用もいいところだぜ。早く俺も出してくれよ」
「口を慎め青二才が」
オズ校長は僕の腕を掴んでひっぱりあげると、そのまま牢の外に出してくれた。
「朗報だよ。ラルフ君は無事だった」
「え?」
「昨夜、自分の足で帰ってきたよ。カミラさんもホテルにいる。これにて刑期は満了だ。今から行けば学園祭のダンスパーティーに間に合う。せっかくだから楽しんでくるといい」
「はあ」
急な話に混乱して、まともに返事ができなかった。
「気をつけたほうがいいぜ」隣の牢の男が言った。「偽りの復活は、悪魔が好んで使う常套手段だ。死者の復活は神にしかできない。奴らは真似したがるがな。なあ、じじい、俺も一緒に行かせてくれよ。このガキの手助けをしてやるからよ」
「半端者の力などいらん。彼は二つに分かたれた魔術者の世界に、再び調和をもたらす予言の子だ。どんな魔術も凌駕する。神の加護がついている」
オズ校長はそう言い残すと、モクモクと煙を立ち昇らせて、藁の人形に変わってしまった。
けっ、と隣の男が唾を吐いた。
学生牢は大学の本館の地下にあった。雄ネジのような螺旋階段の坂にそって、鉄格子の部屋が連なっている。冷たいコンクリートの床の上に、便器と硬いベッドだけの部屋だった。食事はパンと野菜のスープ。当然、日差しの入る窓はなく、時間の感覚は次第に薄くなっていく。牢獄生活で最もきついのは、孤独でも変わらない食事でもなく、一日に終わりが来ないということだった。だんだん独りごとが増えていき、やがてするはずのない声が聞こえるようになった。森の声。父さんの声。僕らを襲ったバリアム公爵の声――。
「……違う違う、俺は本物の人間だ」
僕は必死に無視を決め込んだ。
「隣の独房に入ってる。お前、新入りだろう? ラルフ・シーモアを知ってるな?」
僕は壁に耳を当てた。
「俺はあいつの妹と親友だった。ジェイン・シーモア。利発で美人のいい子だったよ」
「ラルフさんを知ってるんですか?」
僕は壁の向こうに話しかけた。
「おお! 俺の存在を信じたのか。だったらお前は正常だってことだ。狂ったことのある奴はみんな知ってる。幻聴は知らないことも話すってな」
隣の男は高笑いをした。
「お前、ルイス・ホードの息子だろう?」
僕は返事をしなかった。僕は父さんの名前を知らなかった。
「無視すんなよ。さんざん独りで話してたろう? ルイス・ホード。お前の親父さんは本当にすごい人だったんだぜ。彼の言い遺した〈第三の術〉――魔術界はその大いなる謎によって、以後、二つに分断された。つまり〈アベカ派〉と〈ニバル派〉の二つに。当時の優れた魔術者たちは、誰もがその謎の研究をした。のちに〈ニバル派〉と呼ばれる手合いだな。バリアム公爵もその一人だった。かつてはラルフも師事していたことがあったが、今では人と言うより悪魔だな」
僕は黙って聞いていた。
「ニバル派の魔術者たちは、のちに一つの答えを出した。〈闇の魔術〉と呼ばれる禁じられたアートの錬成法だ。アベカ派の年よりどもは否定したが、お前の親父さんも、その力を使ってたって話だ。どうだ? どんなものか知りたいか?」
知りたい、と僕は壁の向こうに言った。
「いいだろう。キーワードは魂の分裂だ。化学も魔術も似たようなもので、莫大なエネルギーを産出するには二つのやり方がある。一つ、本来ばらばらであるものを融合すること。二つ、本来ひとつであるものをばらばらにすること。前者は大昔から知られていた。自然のラフマからアートを精製する方法だ。禁術のアプローチはちと違う」
隣の男はそこで少し間を置いた。
「どれだけ巧くやったとしても、ラフマの一部をアートに取り込むのは効率が悪い。たかが知れてるってわけだ。そこでニバル派の連中は考えた。融合がダメならその逆を試せばいい。つまりはアート、人間の魂の分裂だ。この方法なら、ほぼ無限に力が産出できる。が、これには厄介な問題があった。文字通り致命的なやつがな。お前の親父さんもそれで死んだ」
「問題って?」
「苦痛だよ。魂の割れる痛みはまさに無限の苦しみだ。お前の親父さんも、最期は正気を失くして自殺した」
「そんなの嘘だ!」
「なぜそう思う? じゃあ逆に訊こうか? かつてルイス・ホードは最愛の妻、ホリー・ホードの復活のために、四大霊剣をたった一人で集めてみせた。それなのに、だ。彼は妻を蘇らせなかったばかりか、自らも消息を絶ってしまった。大切な一人息子さえ捨てて。なぜだと思う? 答えは明白だと思わないか?」
父さんは闇の魔術に狂っていた……? 僕は急激に胸が苦しくなるのを感じた。
「そのへんにしておきなさい」
出し抜けにべつの誰かが言った。暗闇に目を凝らすと、背の高い、白髪の坊主の老人が立っていた。僕の牢の鉄格子に触れ、そのまま窓の汚れを落とすように消してしまう。左耳には、リングのピアスがついていた。
「オズ校長?」
「けっ、モウロクじいさんのおでましか! あんたの愛弟子のガキだからって、職権乱用もいいところだぜ。早く俺も出してくれよ」
「口を慎め青二才が」
オズ校長は僕の腕を掴んでひっぱりあげると、そのまま牢の外に出してくれた。
「朗報だよ。ラルフ君は無事だった」
「え?」
「昨夜、自分の足で帰ってきたよ。カミラさんもホテルにいる。これにて刑期は満了だ。今から行けば学園祭のダンスパーティーに間に合う。せっかくだから楽しんでくるといい」
「はあ」
急な話に混乱して、まともに返事ができなかった。
「気をつけたほうがいいぜ」隣の牢の男が言った。「偽りの復活は、悪魔が好んで使う常套手段だ。死者の復活は神にしかできない。奴らは真似したがるがな。なあ、じじい、俺も一緒に行かせてくれよ。このガキの手助けをしてやるからよ」
「半端者の力などいらん。彼は二つに分かたれた魔術者の世界に、再び調和をもたらす予言の子だ。どんな魔術も凌駕する。神の加護がついている」
オズ校長はそう言い残すと、モクモクと煙を立ち昇らせて、藁の人形に変わってしまった。
けっ、と隣の男が唾を吐いた。
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