ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

文字の大きさ
3 / 138
第一章 俺と婚約者と従者

第2話 坊ちゃん、8歳になる

しおりを挟む

 ニコラ。
 それが、俺が最初に理解した単語。この体の名前だ。

 もしかして体が成長するにつれて俺の自我が眠りにつく日もくるんじゃないか。
 そんな淡い願望とすこしの恐怖は、三歳のある日、意識と体がはっきりとつながったときに打ち砕かれた。

 ニコラ・ロウは俺だ。
 目もよく見えず、他人事のようにニコラの泣き声を聞いていた頃とは何もかも違う。この体は完全に俺のものになった。あるいは俺の意識が、この体に完全にはまってしまった。

 俺とニコラが結びつくのを待っていたかのように、金髪美女の母親は亡くなった。
 もともと体が丈夫なほうではなく、ニコラを生んだあと調子を崩していたのだ。


 一から言語を習得するのには骨が折れたが、かえって無理なく普通の子どもっぽく振舞えたから都合がよかった。
 発音は英語に近しく、語順や文法は日本語に似た性質。現代語は三十二文字のアルファベットからなる。
 四十六文字のひらがなとカタカナに加えて何千種類もの漢字を使いこなしていた元日本人からすればシンプルで有難かった。


 ロウ家は古くから続く貴族であるらしい。

 国王が統治するベルティーナ王国で、南部国境線と東部沿岸に接するオーレリー地方、その一帯を治める辺境伯たる親父殿。
 二つ年上の穏やかで優しい兄貴。
 そして今は亡き母。
 この三人に加えて、広い邸には使用人も何人か雇われていた。みんな優しくていいやつらだ。

 そんな家族に見守られて、ニコラ・ロウはつつがなく成長していった。


 現在、八歳。
 日本での就学年齢に達しても学校には通わず、それ以前からついていた家庭教師の先生たちから、引き続き言葉や数学や歴史などを学ぶ。
 乗馬や剣術を教わる時間もある。いかにも名家のボンボンらしい嗜みだ。


 そして〈魔法〉。
 この世界には魔法が根付いているのだ。それも、かなり深く。


「そのことは、異世界にてんせいした時点で、うすうす気づいてはいたが」

 五歳の誕生日にプレゼントされた日記帳に、俺以外の誰も解読できない日本語でぐりぐりと書きつけていく。

 あまり字がきれいでないので、生前上司から散々「通信でボールペン講座でも受けろ」などと言われたものだが、今となっては汚いほうが可読性も低くなってよいだろう。
 見事なまでに子どものラクガキにしか見えない。

「テンプレであるスキルの付与とか、レベル上げとか、チートとか、そういう要素にはまだそうぐうしていない。親父殿や兄貴も、そういう話はしない。おそらくじゅんすいな魔法の世界なのだろう」

 政宗のレクチャーを思い出してみる。
 異世界に転生・転移するという設定の物語にはいくつかのパターンがあった。貴族に生まれたけど没落、勇者として魔王を倒す、はたまた魔王に転生する。そこから無双したり追放したりされたりザマァしたりエトセトラ。

 しかし今のところロウ家は領民からよく信頼され、没落しそうな気配はない。
 実在した〈魔王〉は二十年前に英雄によって封印されたばかりだという。
 したがって勇者となる必要もないし、俺は魔王ではない。

「つまり、俺は、のんびりと魔法をべんきょうして生きていけばいい……!」

 限りなくスローライフ系に近いというわけだ。よっしゃ、ヌルゲー。次男だから家を継ぐ必要もない。最高。

 魔法の世界で勇者だの魔王だの物騒な事態に巻き込まれるのは御免だ。
 素手同士のケンカならまだしも、魔法なんて一から学んでいる最中。ニコラはボンクラではなく才能もあるほうらしいが、中身がこれなのでまだまだわからない。

 ニコラの体に、俺の魂──。

「……てんせいというより、ひょういといった方が正しいか。……ひょういって漢字でどう書くんだ? ああ、スマホがほしい。せめて漢字辞典がほしい。あるわけないけど」

 ぶつぶつとぼやきながらも、俺は必死に日本で生きていた『俺』の情報を書き綴った。

 生まれた土地。家族。
 小学校時代の悪友。担任。政宗のこと。
 中学に入ってからできた仲間。
 ケンカして骨折して入院までしたこと。そこで出会った初恋の女子。

 二十七歳で死ぬまでの人生史を書き終えたら、あとは日本や、世界のことを、取り留めもなく。

 俺はニコラ・ロウだ。
 日本で生きていたあの頃にはもう戻れない。
 それでも忘れたくなかった。忘れることが恐ろしかった。俺を俺たらしめる記憶や土台がなくなることは、もはや死と同義ですらあった。

「このせかいは、おぼえることが多すぎる……」

 一瞬だけ思考が沈んだ瞬間、羽ペンの先から垂れたインクが紙面に真っ黒な滲みをつくる。
 ああクソ、やってしまった。
 二十一世紀の文明の恩恵を受けまくっていた元二十七歳、いまだにこの羽ペンの扱いに慣れることができず、同じような失敗を何度も繰り返している。なんて不便な世界なんだ!

「……誰かはやくボールペンをかいはつしてくれぇ……シャーペンでもいい……えんぴつでもいいぞ……」

 嘆いていてもインクは消えない。
 ただし、文明の利器とおさらばした代わりに存在する魔法。それ自体には心躍るものがあるので、どんどん使えるようになりたいものだ。

「杖はこんど作りにいくから、そしたら使える魔法もふえて、あんていしていくんだろうな」

 だって魔法だぜ、魔法。
 思っていたよりも魔法の先生から教わる理論がごちゃごちゃしていたので早速躓きかけているが、実践できるようになればまた違ってくるはずだ。
 期待に胸を膨らませていると、自室のドアがノックされた。

「坊ちゃん。よろしいですか」

 白紙を一枚挟んで日記帳を閉じる。
「いいよ」と声をかけると、メイド頭のナタリアが顔を覗かせた。

「旦那さまが坊ちゃんをお呼びでいらっしゃいます」
「お……父上が?」

 あっぶねえ、親父殿って言いかけた。
 言葉を教えてくれた家族や使用人が総じて丁寧な言葉を使っていたため、俺もそれなりに上品な口調で育つことができたが、たまに本や使用人たちの会話で仕入れたよろしくない単語が出そうになるのだ。

 これはもう仕方ない。だって中身が俺だから。

「はい。坊ちゃんにお客さまがいらしています」
「お客? 覚えがないな」

 ナタリアはロウ家に長く勤めていて、俺も生まれたときから世話になっている。使用人というか親戚のおばちゃんみたいな人だ。
 日記帳を机の引き出しにしまう俺を呆れたように見やり、「昨日旦那さまが仰ったのをもうお忘れですか」と溜め息をついた。

「なにか言われたっけ」
「本日は坊ちゃんの婚約者候補のお嬢さまがお見えになる日ですが?」
「…………あああああっ!」

 そうだった!!
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

社畜サラリーマン、異世界でパンと魔法の経営革命

遊鷹太
ファンタジー
過労死寸前の30代サラリーマン・佐藤健は、気づけば中世ヨーロッパ風の異世界に転生していた。与えられたのは「発酵魔法」という謎のスキルと、前世の経営知識。転生先は辺境の寒村ベルガルド――飢えと貧困にあえぐ、希望のない場所。「この世界にパンがない…だと?」健は決意する。美味しいパンで、人々を笑顔にしよう。ブラック企業で培った根性と、発酵魔法の可能性。そして何より、人を幸せにしたいという純粋な想い。小さなパン屋から始まった"食の革命"は、やがて王国を、大陸を、世界を変えていく――。笑いあり、涙あり、そして温かい人間ドラマ。仲間たちとの絆、恋の芽生え、強大な敵との戦い。パン一つで世界を救う、心温まる異世界経営ファンタジー。

異世界に転生したので幸せに暮らします、多分

かのこkanoko
ファンタジー
物心ついたら、異世界に転生していた事を思い出した。 前世の分も幸せに暮らします! 平成30年3月26日完結しました。 番外編、書くかもです。 5月9日、番外編追加しました。 小説家になろう様でも公開してます。 エブリスタ様でも公開してます。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

処理中です...