68 / 138
第六章 猫かぶり坊ちゃんの座右の銘
第4話 救国の聖女
しおりを挟む
アキ先生の魔法史Ⅰは、世界樹ヴァルガルドから生まれた創世神話の概要をなぞって、神々が戦いを繰り返した神代を過ぎ、やがて古代へと差し掛かった。
幾年にも渡って続いた戦いによって地上の土地が悉く焦土と化したため、神々は、天海へと居住を移した。
強大すぎる神の力を、争いには使わなくなる代わりに、四肢を持つ生き物を生み出して自らの力を誇示するようになる。
それによって生まれたのが人間であり、動物であり、魔物であった。
つまり地上の生きとし生けるものは、大概、神々の姿に似せて作られた生き物なのだという。
神々の代理戦争の時代。これが古代だ。
長い間、人間も動物も魔物も自我を持たなかった。
しかしあるとき、人間の姿にツノを持つ種族──現在はすでに絶滅した魔人という種族だ──が、突如気づいた。
“我々は、なぜ、なんのために、どうして争っているのか?”
このひとつの問いによって、神々の代理戦争の手を離れ、地上は地上として存在することになる。支配を逃れ、争いをやめ、国ができ、社会が整った。
中世、魔法黎明期である。
「およそ二千年前、ベルティーナ王国は王国でなく、皇国と名乗っていました。当時隣り合っていた五つの国がまとまって、中でも強大な魔力を持っていたベルティーナ王国の王家が盟主だったのです。しかしあるとき、西の大陸から〈災禍〉がやってきたといわれています」
アキ先生の板書をノートにとりながら、俺は視界の端でこっくりこっくり揺れるエウの銀髪を横目に見た。
めっちゃ眠そう。
「皇国は〈災禍〉を、自国を滅ぼす不吉なものとして認め、打ち破ることを決めました。しかし当時、現在のような魔法は確立されていなかったどころか、魔力という概念すらなかった。そこでベルティーナ皇国のミュドラ皇帝は、騎士団のなかでも腕利きだった剣士とその部隊を、不思議な力を持つ第三皇女のメイにつけて送り出します」
ベルティーナ皇国第三皇女メイ。
俗に言う『救国の聖女』である。長く美しい銀髪と、透きとおる菫色の双眸をもち、その聖なる力で〈災禍〉を封印したといわれる英雄的存在。聖なる力というのはつまり魔力だけど。
同じようなシルバーブロンドと菫色の眸を持つエウフェーミアお嬢さんは、眠気と必死に格闘中だが。
「メイと騎士団は〈災禍〉を五つの要素に分解しました。右脚、舌、喉、目、そして残りの体と心臓。ベルティーナ王国極東部にある古代遺跡〈わすらるる峡谷〉、この地でメイは自ら人柱となり、心臓を封印する儀式を行っています」
はっ、とエウは顔を上げる。
半分くらい閉じかけの目蓋をぱしぱしと瞬かせ、斜めにこてんと倒れそうになり、そのたびにハッと起き直す。
おもしろかわいい……。がんばれー。
「生き残った騎士四人は、それぞれの部位を抱えて国内四か所に別れると、彼らもまた自らを人柱に立てて、封印されました。このうち右脚を封印したのが、ここからは見えませんけど、すぐそこの〈深奥の森〉の中にある洗心の石舞台です」
エウを応援していた視線を、俺は窓の外にやった。
洗心の石舞台。
前期末、リディアとともに迷い込み、自作の麻薬を売りさばいていたジェラルディン一味と鉢合わせた、あの白い建物のことだ。
「〈災禍〉とは何であったのか、これは今でも多くの研究者が調査していますが、一説によると魔人族が信仰していた神であったといわれていますね」
当時のベルティーナ皇国は、天海のくじらを唯一神とする信仰であったらしい。
昔は今のような魔法がなかったから、精霊や神々の存在がまだ信じられていなかったのだ。このあと色々あってベルティーナ皇国が王国として統一され、〈災禍〉の封印が解かれると、魔法が発生する。
現在の信仰のかたちになるのは千三百年前。
その三百年後にバルバディア魔法学院設立、さらに二百年後に〈魔王〉出現……となる。
「自分たちが災厄だと断じたものが、実は他者にとっての神だった。あまりに寓意的ですが、残る史料から見てもこの説が最も信憑性が高いようです。この〈災禍〉が何だったと思うか自分なりに考えてみてください。史料に当たってその説を引用するもよし、全く新しい説を唱えるもよし。次週の授業はじめにテストをするので、意見を考えてくるように」
アキ先生がそう締めくくると、授業終了の鐘が鳴った。
今度こそハッと意識を取り戻したエウが、真っ青になってノートと板書を見較べる。授業中ずっと笑いを堪えていた俺は、ようやく机に突っ伏して肩を震わせた。
本当は腹抱えて笑いたいんだけど人目があるもんで。
「……、ふっ……」
「に、に、に、ニコ」
「そんな真っ青にならなくても、ノートくらい見せてあげるよ」
「もうっ、起こしてよ……!」
ぺしぺしとエウに肩を叩かれながらノートやペンを仕舞っていく。あーおもしろかった。
それにしても、災禍の封印、か。
ベルティーナの魔法史において最も有名な封印は、二十年前まで断トツで〈災禍〉だった。魔王の封印方法がわからない以上、ある程度研究が進んでいるこっちを攻めてみるのもいいかもな。
よし、こういうときは図書塔だ。
幾年にも渡って続いた戦いによって地上の土地が悉く焦土と化したため、神々は、天海へと居住を移した。
強大すぎる神の力を、争いには使わなくなる代わりに、四肢を持つ生き物を生み出して自らの力を誇示するようになる。
それによって生まれたのが人間であり、動物であり、魔物であった。
つまり地上の生きとし生けるものは、大概、神々の姿に似せて作られた生き物なのだという。
神々の代理戦争の時代。これが古代だ。
長い間、人間も動物も魔物も自我を持たなかった。
しかしあるとき、人間の姿にツノを持つ種族──現在はすでに絶滅した魔人という種族だ──が、突如気づいた。
“我々は、なぜ、なんのために、どうして争っているのか?”
このひとつの問いによって、神々の代理戦争の手を離れ、地上は地上として存在することになる。支配を逃れ、争いをやめ、国ができ、社会が整った。
中世、魔法黎明期である。
「およそ二千年前、ベルティーナ王国は王国でなく、皇国と名乗っていました。当時隣り合っていた五つの国がまとまって、中でも強大な魔力を持っていたベルティーナ王国の王家が盟主だったのです。しかしあるとき、西の大陸から〈災禍〉がやってきたといわれています」
アキ先生の板書をノートにとりながら、俺は視界の端でこっくりこっくり揺れるエウの銀髪を横目に見た。
めっちゃ眠そう。
「皇国は〈災禍〉を、自国を滅ぼす不吉なものとして認め、打ち破ることを決めました。しかし当時、現在のような魔法は確立されていなかったどころか、魔力という概念すらなかった。そこでベルティーナ皇国のミュドラ皇帝は、騎士団のなかでも腕利きだった剣士とその部隊を、不思議な力を持つ第三皇女のメイにつけて送り出します」
ベルティーナ皇国第三皇女メイ。
俗に言う『救国の聖女』である。長く美しい銀髪と、透きとおる菫色の双眸をもち、その聖なる力で〈災禍〉を封印したといわれる英雄的存在。聖なる力というのはつまり魔力だけど。
同じようなシルバーブロンドと菫色の眸を持つエウフェーミアお嬢さんは、眠気と必死に格闘中だが。
「メイと騎士団は〈災禍〉を五つの要素に分解しました。右脚、舌、喉、目、そして残りの体と心臓。ベルティーナ王国極東部にある古代遺跡〈わすらるる峡谷〉、この地でメイは自ら人柱となり、心臓を封印する儀式を行っています」
はっ、とエウは顔を上げる。
半分くらい閉じかけの目蓋をぱしぱしと瞬かせ、斜めにこてんと倒れそうになり、そのたびにハッと起き直す。
おもしろかわいい……。がんばれー。
「生き残った騎士四人は、それぞれの部位を抱えて国内四か所に別れると、彼らもまた自らを人柱に立てて、封印されました。このうち右脚を封印したのが、ここからは見えませんけど、すぐそこの〈深奥の森〉の中にある洗心の石舞台です」
エウを応援していた視線を、俺は窓の外にやった。
洗心の石舞台。
前期末、リディアとともに迷い込み、自作の麻薬を売りさばいていたジェラルディン一味と鉢合わせた、あの白い建物のことだ。
「〈災禍〉とは何であったのか、これは今でも多くの研究者が調査していますが、一説によると魔人族が信仰していた神であったといわれていますね」
当時のベルティーナ皇国は、天海のくじらを唯一神とする信仰であったらしい。
昔は今のような魔法がなかったから、精霊や神々の存在がまだ信じられていなかったのだ。このあと色々あってベルティーナ皇国が王国として統一され、〈災禍〉の封印が解かれると、魔法が発生する。
現在の信仰のかたちになるのは千三百年前。
その三百年後にバルバディア魔法学院設立、さらに二百年後に〈魔王〉出現……となる。
「自分たちが災厄だと断じたものが、実は他者にとっての神だった。あまりに寓意的ですが、残る史料から見てもこの説が最も信憑性が高いようです。この〈災禍〉が何だったと思うか自分なりに考えてみてください。史料に当たってその説を引用するもよし、全く新しい説を唱えるもよし。次週の授業はじめにテストをするので、意見を考えてくるように」
アキ先生がそう締めくくると、授業終了の鐘が鳴った。
今度こそハッと意識を取り戻したエウが、真っ青になってノートと板書を見較べる。授業中ずっと笑いを堪えていた俺は、ようやく机に突っ伏して肩を震わせた。
本当は腹抱えて笑いたいんだけど人目があるもんで。
「……、ふっ……」
「に、に、に、ニコ」
「そんな真っ青にならなくても、ノートくらい見せてあげるよ」
「もうっ、起こしてよ……!」
ぺしぺしとエウに肩を叩かれながらノートやペンを仕舞っていく。あーおもしろかった。
それにしても、災禍の封印、か。
ベルティーナの魔法史において最も有名な封印は、二十年前まで断トツで〈災禍〉だった。魔王の封印方法がわからない以上、ある程度研究が進んでいるこっちを攻めてみるのもいいかもな。
よし、こういうときは図書塔だ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
30
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる