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第九章 悪役と主人公は再び対峙する
閑話・とある婚約者のひとりごと(1)
しおりを挟むニコラが、リディアとトラブルを起こして医務室へ運ばれた。
教えてくれたのはロロフィリカだった。ヒュースローズ寮の自室でミーナにダンスを教えていたエウフェーミアを訪ね、泣きそうな顔で経緯を教えてくれたのだ。
天気がよかったから、リディアとアデルと三人でピクニックをしていたという。
そこにトラクが合流し、リディアの魔力についてみんなで相談していたところ、通りがかったニコラが話しかけてきたそうだ。
「リディアの持ってた魔石のことで、ニコラが妙に突っかかってきたの。ニコラっていつも何だかんだ適当なところで切り上げていくのに、今日は無能だとか薄汚い只人だとか……とにかくひどいことを言って、アデルに杖まで向けたのよ。あと少しで魔法が発動するところだった」
言葉をなくした。
人に対して杖を向ける。それは攻撃の意思表示だ。
魔法はよりよい生活のための知恵、慈悲深き〈隣人たち〉のご加護であり、騎士団などの例外を除いてその杖をけっして他者に向けてはならない。
それが、魔法を武力にしないために定められた、魔法使いたちの誇り。
ニコラは軽率に魔法を使う人ではなかった。
少なくともエウフェーミアの知るニコラは、無暗に魔法をひけらかすような人ではなかったはずだ。
「そりゃ、ニコラがリディアたちのことをよく思ってないのは前からだけど、あんな、ひどい……。シリウスさんのことだって、雇ったのは慈善事業とか言うんだよ。あんなに仲がいいように見えてたのに嘘でしょ!?」
それは、さすがに嘘だ。シリウスはロウ家に雇われるより前からニコラの友人だった。それも、ニコラが『ロウ家次男』としての澄まし顔でなく、ざっくばらんな素顔で接しているほど親密な。
でもだとしたら──なんのためにそんな嘘を。
「エウフェーミアなら知ってる? ニコラ、きっと何かあったんだよ。じゃないと絶対おかしい」
静かに涙を流すロロフィリカの肩を、エウフェーミアは抱きしめた。
……彼女の、ニコラに対する仄かな想いを感じ取ったのはいつだっただろう。
薬草学のフィールドワークで起きた事件に前後して、あ、と思うことが多くなっていた。
気づけばロロフィリカは、エウフェーミアと同じような温度の瞳でニコラを見上げていたから。
「……ごめんなさい、ロロフィリカ。わたしにも、何も……」
とにかくニコラに会いに行かないと。会って、話をしないと。
何がしたいの、ロロフィリカをどうしたいの、ニコラは一体何を考えているのって──逃げずに、ちゃんと訊かないと。
駆けつけた医務室には、ギルバートがすでにいた。
ベッドに寝かされたニコラの呼吸はひどく浅く、外傷はないのになぜか魔力だけが極端に枯渇しているようだった。大型の魔法をいくつも連発すれば魔力が尽きることもあるだろうが、リディアたちとの言い合いでどうしてこんな状態になるのかさっぱり解らない。
ギルバートが譲ってくれた椅子に腰かけ、エウフェーミアはニコラの手を握った。
氷のように冷えきっていた。
不必要なほどこの身のうちに余っている魔力を、つないだ手と手の皮膚が触れあったところから、ニコラへと分け与える。
天海のくじらの三原則、魔力の譲渡に抵触する行為ではあるが、この程度であれば医療行為の一種として例外的に認められていた。建前としては、譲渡ではなく貸与である、ということになっている。
いつも、いつも、エウフェーミアの感情の揺れに反応しては暴走する厄介な魔力だった。
こんなもののせいで両親も姉も死んだ。ニコラと婚約者になってからも何度か弾けて、彼に怪我を負わせたこともある。
憎くて堪らない魔力だけれど、ニコラを助けられるなら、今日だけは許してあげていい。
少しのあいだエウフェーミアたちをじっと見つめていたギルバートが、静かに口を開く。
「リディアさんが無意識に発動した魔法に呑まれたらしい。何か感じなかった?」
「ごめんなさい、お兄さま。わたし寮にいて……」
「ああ、そうか。寮には魔力の障壁がかけられているから感知は難しいね」
こくり、エウフェーミアはうなずいた。
ニコラの魔力なら、どこにいても、どんな群衆の中でも、探そうと思えば見つけられる自信がある。
けれど意図して距離を取っていたここのところ、彼の居場所を特定しようとするという意識がなかった。
「ですけど──そんなにも大きな魔法をリディアさんが? 彼女には、魔力がないはずでは」
「そうなんだけど、どうも儘ならない事情を抱えているみたいだ。イルザーク先生が駆けつけてニコを助けてくれたようだけど、詳細に関しては機密だとはっきり言われてしまったよ。──何か、あるのだろうね。あの魔力を持たない二人には」
リディアと、アデル。
魔力がなく、魔術の才能も皆無に等しいが、師匠がいるらしく魔法薬や薬草学の知識は豊富なリディア。明るくて朗らかでいつも笑顔だから、魔法使いとしては絶望的だけれど友だちが多くて人望がある。
対するアデルに関しては、真偽も定かでない悪い噂が蔓延しているせいで孤立しているから、エウフェーミアも詳しいことは知らなかった。だがリディア同様豊富な知識を持ち、彼の場合は魔術を上手に使いこなすし、恐ろしく頭の回転が速く決断力がある。
「……ニコ……」
そんな二人に執拗に絡んで、こんな状態になって。
一体ニコラは何を考えているんだろう。
優しい人だった。幼い頃からずっと。
緘黙状態にあったエウフェーミアに辛抱強く付き合ってくれた。魔力の暴走に巻き込まれたって嫌な顔ひとつしなかった。穏やかに笑って手を引いてくれ、知らない景色を見せてくれる──エウフェーミアにとっての、世界のすべて。
ほんの少し前まではいつも通りだったのに。
なのに。
「わたし、ニコの考えていること、全然わかりません。お兄さま」
「そうだね。……僕もだよ」
ロロフィリカの想いを、先手を打って言外に跳ねつけようとした姿にショックを受けた。
あの日から顔を合わせることが少なくなり、その数日の間にニコラは変わってしまった。
……おかしな失望に意地を張らず、きらいなんて言ってごめんねと謝っていれば、あるいは。
視界が歪み、ぽろぽろと涙が零れる。変化していく大切な人が怖かった。彼から逃げだしたあげく何もできずに泣くしかできない自分が、許せなかった。
「失礼します。……ニコラの容態はどうですか」
「やあ、トラク。見ての通りだよ」
そっとかけられた声に振り返ると、トラクは琥珀色の双眸を切なそうに細めて、エウフェーミアの肩を叩く。
「泣かないで、エウフェーミアさん。ニコラにも多分、こう……色々あるんだよ」
「わたしがきらいなんて言ったから? 無視したからかな。だから怒ってたの?」
トラクは苦笑いして首を横にした。
「それは関係ないよ。確かにショックは受けていたみたいで数日ほど愉快な顔で落ち込んでたけど、それを理由にリディアたちに八つ当たりするほどガキじゃないさ」
そう。
ニコラは時折、うんと年上の男の人みたいな表情で、まるで小さなものを慈しむようにエウフェーミアを撫でることがあった。
そんな一面も好きで、信頼していて、だからこそニコラを信じてはいけなかった。
ニコラはきっと、そうする必要があるならば、顔色一つ変えずに嘘をつける人だ。だから今回のリディアたちに向けたひどい言葉の数々だって、シリウスについて言い放った慈善事業という言葉だって、嘘に決まっている。
でも、どうして?
なんのためにそんな嘘を。
「なにかの間違いよね?」
「…………」
「ニコはそんなひどいこと言わない……確かにちょっと意地悪なところもあるけれど。優しくて、温かい人だったのよ……」
(……ああ、でも、わたしがニコの何を知っていたというのだろう……)
三歳のときに亡くなったという母君の魔石を肌身離さず持っていることを知っている。
たまに大人びた横顔になり、妹や娘を可愛がるようにエウフェーミアの面倒を見てくれる。戻らない何かを懐かしむように目を細めて、天海の遠くを眺めていることもあった。だけど本当に彼が考えていることを、教えてくれたことなんて一度もない。
エウフェーミアのことをどう思っているのかも。
黄色や橙色のバラの花束をロロフィリカに渡す澄ました横顔を思い出して胸がぎゅっと痛んだ。
すると、眼下のニコラが身じろぐ。
エウフェーミアはぱっと立ち上がり、握ったままだった手を放した。
「会わなくていいのかい、エウフェーミア。もう長いこと話していないんだろう?」
「今は……何を話せばいいのか……。お兄さま、あとをお願いします」
「わかった。またね」
逃げるように医務室をあとにして、エウフェーミアは廊下を駆けた。
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