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終章 俺と婚約者と

第8話 共犯者

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 大聖堂での修了式が終わると、寮に戻って全体集会が行われた。明日からはじまる凍季休暇の注意事項や、年明けの新年度開始日程などの事務報告が伝えられる。
 星降祭の二週間後に卒業式があり、四回生たちが卒業していったので、人数が少なくてどこか寂しい。


 ロロフィリカ・クラメルは一身上の都合で退学したと通知された。


 無論事情を全て知っているはずの寮監アンジェラ先生は、顔色一つ変えずに事務連絡の一環で端的に知らせた。親しくしていた同級生の女子たちが残念そうに眉を下げるなか、リディアだけが真っ直ぐにアンジェラ先生を見つめていた。

 アデルを除けば、この一年でリディアが一番長く一緒に過ごしたのは間違いなくロロフィリカだ。
 それでも裏切りの傷など誰にも感じさせない、凛とした横顔だった。

 一方の直接殺されかけたエウフェーミアも、静かに爪先に視線を落としていた。事が事だけに誰かに話すことはできない。長い時間をかけて、ひたすら自分の内側に伸ばした階段を下りながら、傷と向かい合っていくしかない。

 集会のあとは夕方から感謝祭だ。
 感謝祭というのはざっくりいうと忘年会みたいなものである。収穫祭以降これまでの実りに感謝し、ここから始まる厳しい凍季を無事乗り越えられることを祈って、食べて飲んで踊る。
 収穫祭と同じく、大食堂と中庭を使って開催されるお祭りだ。

 エウはミーナと一緒に踊りにいった。
 中庭に組まれたキャンプファイヤーの光で、シルバーブロンドが橙色にひかっている。楽しそうな笑顔を浮かべてスカートの裾を翻す姿を、俺は少し離れたところから見守った。
 いつもの流れでなんとなくトラクと並んでいたら、派手な三人組が近寄ってきた。

「よっ、ニコ! 一年お疲れさーん」
「ルウ。ありがとう」

 飲み物片手に肩を組んできたルウが、ぐりぐりと意味の解らない頬ずりをしてくる。「あだだだだ」「ほっぺ削れる」と唸りつつ唐突な愛情表現を受け取った。

「凍季休みのはじめはロウ家に世話になるぜー。朝から晩まで耐久戦闘訓練しような、ニコラ!」
「嫌だよ。なんでわざわざ長期休暇にそんなことしないといけないのさ」
「はァん? 入学当初から数えて負傷回数の多い弟分を鍛えてやろうっつー兄心だよ」
「ぐ……」

 負傷が多いのは事実だから反論できねえええ……。

 そんな俺とルウのやりとりをのほほんと眺めていた兄貴は、トラクの琥珀色の眸を覗き込んだ。

「いつもニコと仲良くしてくれてありがとう。もしよかったら、きみもルフにも遊びに来てね」

「こちらこそ、ニコラにはいつもお世話になっています。バルバディアのプリンスのご自宅に招待してもらえるなんて光栄だなぁ!」

「本物のプリンスの城には敵わないけれど、風光明媚でいいところだよ」

 ははははは、と一見爽やかに微笑みあいながら二人はグラスをちーんと鳴らした。ルネッサンスしてんじゃねぇよ。
 凄まじく白々しいやりとりに、傍らのリシが虚無の表情になっている。多分俺も同じ顔をしている。


 バルバディア側に、身分を隠して入学することを承諾させるほどの事情。
 教会上層部であれば知っているエウの魔力量異常を知っていたこと。
 そして公爵家の長女たるリシが膝をつく相手──となると、考えられる可能性は一つ。


 さすがに末恐ろしいのでまだ確かめられずにいる。本人が「実はぼくさ~」とか言いださない限り触れずにおこうと思う。怖いから。


「じゃあね」

 キャンプファイヤーの周りにいた同級生に呼ばれて、兄貴とルウが歩きだした。その一歩後ろについたリシは、去り際にほんの少しだけトラクを見やり、僅かに目礼をして去っていった。

「……ってお兄さんは言ってたけど、どう、凍季休み?」
「本気で言ってるのかよ……」

 げんなりと答えると、トラクは愉快そうに口角を上げた。

「つれないなぁ。仲良くしようよ」

 左手に葡萄酒を掲げ、右手を差し出したトラクの眸は楽しそうに煌いている。

 エウの身に宿る莫大な魔力が魔王復活の要となることは今回の儀式でも判明した。
 今回失敗したとしても、魔王軍が諦めるとは考えにくい。それは第三配下の死に際の言葉にも明らかだ。畢竟、エウフェーミアの死の回避が魔王復活の先延ばしにもつながる。


「ぼくらは一緒に世界の未来を変えた──共犯者なのだから」


 そのために彼の力が必要になることも、全くないとは言いきれない。
 なにせ相手は魔王なのだ。

「……利害が一致しただけだ。共犯者、だからな」
「じゅうぶんさ」

 貴族といえど根っこは庶民。緊張で手汗を掻きそうになったが根性で抑え込み、この国で最も高貴な血の流れる薄い掌を、そっと握り返した。
 すると全力で掴まれる。

「痛い痛い痛い、何だよ!?」
「じゃ、頑張ってね。プロポーズ」
「…………!?」
「情報屋トラクさんを舐めないほうがいいよ?」

 トラクはにやりと口角を釣り上げて、悪役然と微笑んだ。
 どいつもこいつも俺より立派な性悪っぷりじゃねえか……。俺は口の端を引き攣らせてトラクの手を引っ張り、至近距離で「テメエ」と小声で凄んだ。

「どっからその情報が出てきたかはどぉぉぉでもいいが、誰にも言ってねえだろうな。ましてやエウフェーミアに変なこと吹き込んじゃいねぇだろうな。事と次第によっちゃ今すぐ忘却魔法をかけてやる……!」
「やだなぁニコラ、顔がものすごく悪役っぽくなってるよ?」
「誰のせいだ!!」
「ははははは」

 もしかしたらこの一年で最もドスのきいた声を出していたかもしれない。
 うっかりトラクに本性をべろっと披露してしまった俺の肩に、とんとん、と指が乗る。

「なにけんかしてるの?」

 エウだった。
 ミーナや女友達と一緒にくるくる踊っていたせいで、髪が一筋頬にかかっている。半ばトラクを突き飛ばすように手を放して、乱れた髪を撫でつけてやった。
 トラクの本当の身分? 知らん! 

「けんかなんてしていないさ! どうした、疲れたのか?」
「ううん、あのね、曲がワルツになったの。ニコも一緒に踊ろうよ」
「そうか。……じゃあトラク、そういうことだから」

 にっこりと胡散臭さ満点のお坊ちゃまスマイルを向けると、肩を震わせながら笑いを堪えるトラクが「ハイハイ」とうなずく。
 ミーナや寮生たちの待つ中庭へ向かう後ろ姿を見送ると、エウは俺の手をきゅっと握った。
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