憑かれて恋

香前宇里

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第一章

インテリ住職 其の五

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 ――――あの日。栄慶さんに助けられた、あの時……

「た、助けてお坊さんっ! あの子、私を道連れにする気なのよっ、早く祓って下さい!!」
 私は袈裟けさすがり付き懇願する。
 だけど目の前の彼はお経を唱えるわけでもなく、ただ私の顔をジッと見ていた。
(何? 何なの、この人)
「ね……ねぇ、視えてるんでしょ、視えてるのよね? どうして祓ってくれないのよ!!」
 何もしてくれない事に苛立ち、つい語尾がきつくなってしまう。そんな私の様子を見ていた彼が、さとすようにゆっくりと口を開いた。
「貴方がここに差しかかった時、歩道側の信号は〝赤〟でしたよ」
「え…?」
「赤……信号……だった?」
 一瞬間を置いてから、私は彼に聞き返す。
「そう、赤信号でしたよ」
 改めて断言する彼を見て、私はこの場所に差し掛かった時、信号の色を確認した覚えがない事に気付いた。
 早くここから離れたい、その事しか考えてなくて……。
(もしかしてあの子……赤信号で渡ろうとした私を止めてくれたの?)
『 ……飛び出しちゃ……だめだって 』
 呟くように口を開いた少女の声に、私はハッと振り返り耳を傾ける。
『 青色になってから渡らなきゃだめってお母さんに言われてたのに……マナ……守らずに赤色で渡ったの…… 』
『 マナ……悪い子なの。ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい…… 』
 少女は大粒の涙を溢しながら、呪文のように同じ言葉をを繰り返す。
(あの子は母親の言いつけを守れなかった罪悪感から成仏できずにいたんだ……)
 それなのに私は道連れにしようとしてるとか、酷い事を言ってしまった。
「な、泣かないでっ! あなたは……マナちゃんは悪い子なんかじゃないよっ!!」
 そう訴えてみたが、私の声は届いていないのか、少女は止まることなく謝罪の言葉を口にし続ける。
 その悲痛な姿に胸が締め付けられるとともに、何もしてあげられない自分の不甲斐なさに涙がこみ上げ、私は思わず目を閉じる。
 私が泣いたって意味がないのに、苦しいのはこの子の方なのに……

 何もできない

 何もしてあげれない

 どうすることも出来ずにただ目を閉じて耐える私の頬に、温かい何かが触れた。
 目を開けると、お坊さんが私の頬に伝う涙を人差し指の背で拭ってくれていた。
「……ご、ごめんなさい。私、貴方にもキツく当たってしまって」
 助けてくれたお礼もまだ言ってなかったと心から感謝すると、彼はフッと笑みを浮かべ
「大丈夫だ、まだ間に合う」
 と答えた。
 そしてゆっくりと少女に近づくと、頭の上に右手を置くような仕草をする。
「ほら、信号が〝青〟になったよ。君は渡らないのかな?」
『 ──!! 』
 彼の声が届いたのか、少女は顔を上げ横断歩道の先を見る。信号は青……車は停止線の手前で止まっていた。
 少女がそれに気づいた事を確認すると、彼は「一緒に渡ろうか」と右手をそっと差し出し、二人は手を繋ぐような格好で横断歩道を渡り始めた。
 私はその後ろ姿を眺めながら、後に続いて歩道を渡る。
(そっか…)
 少女が私に言った、あの言葉……
『 お姉ちゃん……マナと一緒に…… 』
 あれは一緒に渡ってほしいって意味だったんだ。
(そうよね…すごく怖い思いをしたんだもの。もう一度一人で渡るなんて出来ないよね)
 そのせいか少女はどことなく不安げな様子が見て取れ、何度もお坊さんの顔色をうかがうような仕草をする。
 そしてその度に彼は優しげな笑みを浮かべ、頷き返していた。
 そんな彼の横顔を見るたび、私は胸が熱くなるのを感じた。



 やがて横断歩道を渡り終えると、彼は片膝を付き少女と目線を合わせる。
「ほら、ちゃんと青信号で渡ることができたよ、君はお母さんとの約束を守ったんだ」
『 うんっ、マナ……ちゃんと渡れたよ! 』
 安堵が混じった元気な声と共に、少女は少しずつ生前の姿を取り戻し始める。
『 マナ、もう大丈夫だよ。もう一人でいけるよ! 』
 そう言うと身体をふわりと浮かせ、愛らしい笑みを浮かべる。
『 お兄ちゃん、ここまで連れてきてくれてありがとう! 』
『 お姉ちゃんも、マナのこと悪い子じゃないって言ってくれて嬉しかったよ! 』
(私の声……ちゃんと届いてたんだ……)
 心が温かくなるのを感じながら、私は少女に向かって叫ぶ。
「げ、元気でねっ」
『 うんっ! 』
 少女は満面の笑みを浮かべ、淡い光に包まれながら空へと消えていった。
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