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出会い
菜の花
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「ただいま」
そういうとすぐに声が出なくなった。心臓はまだ深く鼓動を打っている。気が抜けたように口を開けていたらその鼓動が誰かに聞こえそうだったので、和哉は力の抜ける口に必死に力を入れた。
部屋に行きたかったけどあいにく香菜が友達と算数ドリルを解いているらしいので、そのままリビングに直行した。全く、小学生とは気楽な生き物だ。
母も父もいない。和哉はドアのそばにバックを置き去りにしてソファーに倒れ込んだ。年季の入ったソファーは優しい温もりで和哉を包んでくれる。
「お兄ちゃん、おかえり」
香菜がひょっこりと顔を出す。ジュースのおかわりをしに来たらしい。
「ごめんね、トモちゃんもうちょっとで帰るから、それまで待ってて」
ひたひたについだオレンジジュースを手に小声で香菜は言う、が、そんなの全く耳に入ってこなかった。
和哉はまだ、言い表せない桜色の気持ちにすっかり侵されていた。
透き通るような声で歌う彩音。吸い込まれるような目でこちらを見つめてくる彩音。少し下を向いてはにかむ彩音。
わずか数分の出来事が頭の中を駆け巡る。
これから自分はどうすればいいのか、ふとそんな思いが過ぎった。彩音と仲良くなりたい。けど、これ以上話す口実も無いし、異性だし、第一平常心を保っていられそうになかった。
そして、和哉の中をぐるぐる回る一番大きな問題点。それは。
この気持ちは、一体なんと言うのだろうか?
帰り道、また例の河原を通ってみる。
同級生のはずなのに、今日は一回も会っていない。クラスも違うようだし、また一層話しかけにくくなったような気がした。
今日は夕方から拓馬と裕翔と祭りに行く予定だ。だから早く帰って香菜と両親の分の夕飯を作らなければならない。和哉は少し駆け足で進む。
…と、そこにまたあの声が聞こえた。
ふと足を止める。急いでいても、やはり話しかけたいものは話しかけたい。仲良くしたいものは仲良くしたいものなのだ。
目の前には、昨日と同じ光景と音が広がっていた。彩音は今日もあの場所であの時と同じ歌を歌っている。
「その歌、なんて言うんだよ」
気づいた時にはもう、彩音のすぐ後ろの草むらに寝転がって声をかけていた。
「あっ、昨日の」
それだけいうと、彩音は和哉の隣に腰を下ろす。とくん、と心臓が1回だけ深く打った。
「ユーレイズミーアップっていうの。」
ほら、と彩音は和哉の前に手書きの楽譜を掲げる。
「いい曲なんだよ」
そう、とだけ返す。彩音はまた少しはにかむと楽譜をじっと見つめた。
「あのさ、お前、何組だよ」
「3組」
「そうか。俺、1組」
ぎこちない会話が続く。本当に言いたいことは、本当に聞きたいことは、これじゃないことを和哉は知ってるのになかなか言い出せない。
「あのさ」
「ねえ、名前、何?」
えっ、と気の抜けた声を漏らす。彩音から質問されたのはこれが初めてだ。
「名前、あなたの。聞いてなかったから」
ああ、とだけいうと和哉は左を向く。彩音が昨日そうしてくれたように、しっかりと彩音を見つめる。
「俺、和哉」
一瞬だけ笑いかけてみせる。彩音もそれを見て笑みを返してくれた。
彩音の笑顔が見れたのなら、もうなにも怖くない気がした。
「あのさ、今日祭りあるじゃん」
「…うん」
「一緒、行かねえか」
目頭が熱くなるのを感じた。鼓動は強かに和哉を打っていく。
和哉が口を閉じてから彩音が口を開くまで、何十年もの歳月が立ったような気がした。一秒が一時間にも、一年にも感じられた。
「ごめん、祭りは、ちょっと」
想像していたようで予想外の言葉に、一気に力が抜けた。もし立っていたりしてたなら、倒れこんでしまっていただろう。
「そうだよな…昨日あった相手に」
「いや、そういうわけじゃなくて、その」
いいんだよ、と声を漏らす。空が段々と紅くなり始めているのがわかった。喉元まで来ていた言葉をぐっと押し込むと、和哉はおもむろに立ち上がった。
「じゃあ、また。」
「うん、ごめんね」
彩音は下を向いたままそう口にした。このままじゃ、いけない。和哉は直感的にそう思った。
「明日、また来ても、いいか」
彩音はふと顔を上げた。その頬はまたりんごのように染まっていた。
「うん、また話そ」
彩音はいつもの笑顔を浮かべる。
その笑顔に自分なりの精一杯の笑顔を見せつけて、和哉は坂道を駆け上った。
このなんとも言えない気持ちは、今日これから作ろうとしている菜の花の天ぷらみたいにあったかくて少し苦いものなのだと、この時初めて知った。
そういうとすぐに声が出なくなった。心臓はまだ深く鼓動を打っている。気が抜けたように口を開けていたらその鼓動が誰かに聞こえそうだったので、和哉は力の抜ける口に必死に力を入れた。
部屋に行きたかったけどあいにく香菜が友達と算数ドリルを解いているらしいので、そのままリビングに直行した。全く、小学生とは気楽な生き物だ。
母も父もいない。和哉はドアのそばにバックを置き去りにしてソファーに倒れ込んだ。年季の入ったソファーは優しい温もりで和哉を包んでくれる。
「お兄ちゃん、おかえり」
香菜がひょっこりと顔を出す。ジュースのおかわりをしに来たらしい。
「ごめんね、トモちゃんもうちょっとで帰るから、それまで待ってて」
ひたひたについだオレンジジュースを手に小声で香菜は言う、が、そんなの全く耳に入ってこなかった。
和哉はまだ、言い表せない桜色の気持ちにすっかり侵されていた。
透き通るような声で歌う彩音。吸い込まれるような目でこちらを見つめてくる彩音。少し下を向いてはにかむ彩音。
わずか数分の出来事が頭の中を駆け巡る。
これから自分はどうすればいいのか、ふとそんな思いが過ぎった。彩音と仲良くなりたい。けど、これ以上話す口実も無いし、異性だし、第一平常心を保っていられそうになかった。
そして、和哉の中をぐるぐる回る一番大きな問題点。それは。
この気持ちは、一体なんと言うのだろうか?
帰り道、また例の河原を通ってみる。
同級生のはずなのに、今日は一回も会っていない。クラスも違うようだし、また一層話しかけにくくなったような気がした。
今日は夕方から拓馬と裕翔と祭りに行く予定だ。だから早く帰って香菜と両親の分の夕飯を作らなければならない。和哉は少し駆け足で進む。
…と、そこにまたあの声が聞こえた。
ふと足を止める。急いでいても、やはり話しかけたいものは話しかけたい。仲良くしたいものは仲良くしたいものなのだ。
目の前には、昨日と同じ光景と音が広がっていた。彩音は今日もあの場所であの時と同じ歌を歌っている。
「その歌、なんて言うんだよ」
気づいた時にはもう、彩音のすぐ後ろの草むらに寝転がって声をかけていた。
「あっ、昨日の」
それだけいうと、彩音は和哉の隣に腰を下ろす。とくん、と心臓が1回だけ深く打った。
「ユーレイズミーアップっていうの。」
ほら、と彩音は和哉の前に手書きの楽譜を掲げる。
「いい曲なんだよ」
そう、とだけ返す。彩音はまた少しはにかむと楽譜をじっと見つめた。
「あのさ、お前、何組だよ」
「3組」
「そうか。俺、1組」
ぎこちない会話が続く。本当に言いたいことは、本当に聞きたいことは、これじゃないことを和哉は知ってるのになかなか言い出せない。
「あのさ」
「ねえ、名前、何?」
えっ、と気の抜けた声を漏らす。彩音から質問されたのはこれが初めてだ。
「名前、あなたの。聞いてなかったから」
ああ、とだけいうと和哉は左を向く。彩音が昨日そうしてくれたように、しっかりと彩音を見つめる。
「俺、和哉」
一瞬だけ笑いかけてみせる。彩音もそれを見て笑みを返してくれた。
彩音の笑顔が見れたのなら、もうなにも怖くない気がした。
「あのさ、今日祭りあるじゃん」
「…うん」
「一緒、行かねえか」
目頭が熱くなるのを感じた。鼓動は強かに和哉を打っていく。
和哉が口を閉じてから彩音が口を開くまで、何十年もの歳月が立ったような気がした。一秒が一時間にも、一年にも感じられた。
「ごめん、祭りは、ちょっと」
想像していたようで予想外の言葉に、一気に力が抜けた。もし立っていたりしてたなら、倒れこんでしまっていただろう。
「そうだよな…昨日あった相手に」
「いや、そういうわけじゃなくて、その」
いいんだよ、と声を漏らす。空が段々と紅くなり始めているのがわかった。喉元まで来ていた言葉をぐっと押し込むと、和哉はおもむろに立ち上がった。
「じゃあ、また。」
「うん、ごめんね」
彩音は下を向いたままそう口にした。このままじゃ、いけない。和哉は直感的にそう思った。
「明日、また来ても、いいか」
彩音はふと顔を上げた。その頬はまたりんごのように染まっていた。
「うん、また話そ」
彩音はいつもの笑顔を浮かべる。
その笑顔に自分なりの精一杯の笑顔を見せつけて、和哉は坂道を駆け上った。
このなんとも言えない気持ちは、今日これから作ろうとしている菜の花の天ぷらみたいにあったかくて少し苦いものなのだと、この時初めて知った。
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