不思議な短篇集

さきがけ

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友達を作る本

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 私は一人で図書館に住んでいる。友達はいない。ずっとひとりぼっちだ。昔はもっとたくさん人がいたんだけど、ある日から全部が変わってしまった。生き残ったのは私一人のようだった。それ以来私以外の人間には会っていない。

 最初の頃は、お店から水やまだ食べられる缶詰なんかを集めながら、もう車の通らない道路を歩いて、ずいぶん長い間他の人間を探しながら旅をしていたんだけれども、他の人間は誰一人、その手がかりさえも見つからなかった。

 ある時立ち寄った誰もいない町で、なんとなく一枚の広告に目がとまった。風に吹かれるボロボロの色あせた写真には、幸せそうな家族が笑う様子が映っていた。それを見たとき、いるかも分からない人間を探し続ける寂しさに胸が苦しくなった。自分でも理由は分からなかったが、張りつめていた糸が切れる様にその苦しみに耐えられなくなった。そして、その日から私は人を探すのをやめることにした。

 それから私はこの巨大な図書館にたどり着いた。長い間放置されていたせいで荒れていたが、しっかりした作りだった。もうテレビもネットもないこの世界で、本だけが人に会える唯一の場所だった。

 SF、ミステリー、恋愛、冒険、小説は何でも読んだ。また、実用書も読んだ。ビジネス書なんかは読んだって役には立たないのだけれども、私を人がいっぱいいた頃の世界に連れて行ってくれた。この図書館を見つけて以来、私は来る日も来る日もここで本を読んでいる。

 本に没頭しているときだけは、私はひとりぼっちではないのだった。しかし、だからこそ本から顔を上げたときに私を襲う孤独はごまかしきれなくて、私の心を少しずつ蝕んでいた。

    楽しい物語を見つけたとき、私は新しい友達ができたような気持ちになる。本に出てくる個性豊かな人達と一緒に笑ったり泣いたり怒ったりする。でも悲しいことに、どんな物語にも終わりがある。最後のページを読み終わってしまったとき、本の中の皆は消えてしまって、私は誰もいない一人の世界に取り残される。そんなとき私は、考えるべきではないと思いつつも、もしここに私以外の人間がいてくれたらと思わずにはいられなかった。

 ある日、私は図書館の蔵書の中に奇妙な本を見つけた。その日私は興味が無くてまだあまり入ったことのない貴重図書の部屋で本を探していた。その部屋は他の部屋と違って窓がなく、昼間でも薄暗い上、少しかび臭くてなんだか不気味だった。「類聚國史 巻第二十五」「史記 孝文本紀 第十」「海國兵談」どれもきっとすごい本なのだろうけども、私には文体も内容も難しくて読めない。仕方ないので他のところへ探しに行こうとしたとき、私は部屋の隅に古い本が何冊か乱雑に置いてあるのに気づいた。私はその本の山が気になって、一冊手に取ってみた。ものすごく分厚い。劣化してはいるけど、周りの本ほど古そうには見えない。タイトルは「自分の中に異なる心を作る手順」。この本に従えば、私の中にもう一つの心ができるというのか。私は本を開いた。


 本書は貴方の精神の内部にもう一つの人格を作り出す術を伝授するものである。ここに紹介される手順を正しく実行し、最後まで悉く遂行すれば、貴方の中にもう一つの人格が形成されるであろう。この人格に関しては、視界の中にその存在を認めること、他人と対話するごとく対話することが可能である。即ち、この人格は貴方のみ認識し得る幻の人間である。また、...


 すごい。よく分からないけど、この本の通りにすれば私にだけに見える友達のようなものを作れるのか。私は心の底から喜んだ。これはこの図書館の中で一番私が読みたかった本かも知れない。私は長い前置きを読み飛ばして手順のはじめのページを開いた。


 まず始めに、これから教授する言語を習得していただきたい。言語といえども、これは英語日本語ドイツ語といった自然発生的にできたいわゆる自然言語というものとは違う、人工言語というものである。九世紀に西ローマを支配していたカール大帝は、もう一つの言語を習得することは2つ目の魂を手に入れることだと言ったように、言語とは只の情報伝達のための手段ではない。思考するために必要不可欠な、いわば貴方の精神を形作るものである。ここで説明する言語は、世界のどこにも使われていない上、日常生活で使うのには甚だ不向きである。しかし、これは貴方に多くの特殊な概念と新たな世界の捉え方を与え、貴方の精神に新しい人格を与えるための準備をするものである。


 それから私は、その人工言語というものを覚え始めた。それはとてつもなく難しいものだった。発音はないが、私の話す言葉とは文法、単語、活用どの面から見ても根本的に違っていて、おまけにこの言語オリジナルの文法用語がごまんとあった。頭痛がするほど脳に負荷がかかっているのを感じたが、説明はとても丁寧でわかりやすく、つまずくことはなかった。最初は気づかなかったが、本は何冊もあり、私はあの本の山の中から拾い出して勉強した。

 人工言語の章は3冊にわたっていたが、私はこの地獄のような孤独から抜け出すという決意を胸にただひたすらにそれだけを学び、およそ6週間かかってついにその言語の全てをマスターした。私はようやく次の章に移った。


 人工言語の習得、聡明な読者諸君であっても大義であったと思う。乗り越えてきてくれたことに敬意を表する。次の章では、習得してもらった言語を用いて書かれた特殊な文章を読みこむことで、いよいよ新たな人格を形作っていってもらう。様々な人物の人格を用意しておいた。この中から好きなものを選び、それに対応するページを読んで欲しい。そうすることで貴方の精神の無意識の領域に自動で人格が形成され、読み終わる頃にはその人物が貴方の前に現れるだろう。ただし、一つ注意として、文章を読んでいる途中に人格が現れ始めたとしても、読むのを中断してはいけない。また、複数人人格を読み込むのも避けて欲しい。もし自分の作りたい人格がリストに無い場合、次から6冊にわたって始まる章で私の確立した理論を理解し、人物の人格を文章として保存する方法を習得して欲しい。
 

 私は人格の保存されているという本を何冊か見つけた。名前の後にざっと人物紹介が載っている。大体は哲学者とか科学者とか文豪とか、偉人と呼ばれる人たちで、私は少しがっかりした。どれも私と友達になってくれそうな気がしない。

 そんなとき私は一つだけ私と同じくらいの年の男の子が混じっているのを見つけた。名前はチャーリーだ。私は気になってみてみた。どうやらこれは、この本の著者の一人息子らしい。だが、若くして事故か何かで死んでいるようだ。この人にしよう。死人を自分の頭の中に呼び込むのは少し抵抗があるが、よく考えてみればどうせ他も皆死人だ。私はチャーリーの文章を読み始めた。


 それはとても不思議な感覚だった。私は文章を読み進めているのだけれど、その内容は私を突き抜けて私の無意識の部分に吸収されていくようだった。
 半分くらいまで読み進めたところで自分の後ろに微かにおぼろげな気配のようなものを感じ始めた。私は胸が高鳴るのを感じた。うまくいってる!あの本は嘘じゃなかったんだ!私は必死に自分を落ち着かせながら読み進めた。八割ほど読み進めたところで気配はついに口をきいた。

 「ここは...?」ああ、人の声を聞くのはいつぶりだろう。私は感動で胸がいっぱいになった。涙が出そうだった。あと数十行かというところでチャーリーは言った。「きみは...?ここのひと?」だめだ。まだ答えちゃいけない。私は答えたい気持ちをこらえて読み続けた。「ねえ、ここがどこか知ってる?」あともう少し。「聞こえてる?」よし、読み終わった!「はじめまして!私はペネロペ。ここは図書館だよ。」チャーリーは突然答えた私に少し驚きながら言った。「ああ、そうなんだ。僕、どうしてここにいるんだろう。」私はあの本を見つけてから今に至るまでを彼に話した。でもチャーリーの正体と、現実の彼がもう死んでしまっていることは話せなかった。

 「そうだ。私ここに住んでるんだよ。この図書館を案内してあげるよ。」「ここに住んでるの!」チャーリーは驚いて言った。

 それからの日々は幸せだった。チャーリーは好奇心豊かで、私とたくさん話したがった。私は今までどれだけ一人でさみしかったかを語って、チャーリーは親身になって聞いてくれた。それからチャーリーは面白い話をたくさんしてくれて、一緒にいるととても楽しかった。チャーリーがいれば食料調達も楽しい。あくまでも私の想像でしかないから物を掴もうとしても透き通ってしまい、手伝ってくれることはないけれど。本だって、一緒に読んだ。私はもうひとりぼっちじゃなかった。

 しかし、異変は少しずつ起きた。それに最初に気づいたのはある朝だった。私は自分のまだ食べていないはずの缶詰のからが転がっているのを見つけた。食べたことを忘れていたのだろうか。その時私は思った。次に、日中自分が何をしていたのか思い出せないことが出てきた。ある時間帯の記憶が飛んでいる。「最近元気ないけど大丈夫?」私が悩んでいるのをチャーリーは心配そうに尋ねた。私はチャーリーにそのことについて何か知らないか聞いてみたが、彼は何も知らないようだった。

 私の記憶が飛ぶ頻度は高くなる一方だった。昼間に図書館の二階で本を読んでいたと思ったら、次の瞬間朝になっていて図書館の外にいる。私が意識を失っている間はチャーリーがこの体を支配しているのだろうか。チャーリーは違うと言うが本当かどうかは確かめようがない。しかしチャーリーを頭の中に呼び込んだことに原因があるのは確かだ。チャーリーの人格が私の意識を侵食しているのかも知れない。

 私はもう一度あの本を読み直してみた。そして、チャーリーの文章の最後のページが破れて無くなっていることに気づいた。あのときは急いで読んでいたから気づかなかったけど、本当は読み終わってなかったんだ。このままだと何が起こるか分からない。私という存在が、自分でも知らないうちに消えてしまうかも知れない。明日に消えてもおかしくない。

 そう考えていたらまた意識が飛んで、さっきまで明るかった空が真っ暗になっていた。私は底知れない恐怖に襲われた。

 私はついにチャーリーを私の頭の中から消す決意をした。いなくなってしまうのは胸が引き裂かれるようにつらいけれど、このまま自分が消えていってしまうのはとても恐ろしい。あの本には人格の消し方も載っていた。丸五日言葉に触れない生活をしていればいいらしい。長い間本を読まずにいるのはつらいだろうが仕方ない。私は腹を決めた。

 言葉に触れない生活を続けて気づいたのは、頭の中が静かになったと言うことだ。いつも私は言葉を使って考えていたが、言葉から離れていると考えることも少なくなってくるのだった。五日もかからずチャーリーはいつの間にか消えてしまった。

 チャーリーがいなくなって、私の精神は元通りになり、記憶が飛ぶこともなくなった。しかし戻ってきた孤独に耐えることは前以上に苦しいものであった。また始まった一人きりの生活の中で、私はもうさみしさを本でごまかすことができなくなっていることに気づいた。そしてもう一度現実に向き合って、人を探しに出かけることに決めた。

 旅を始めて2年ほどしたときだろうか。廃墟になったコンビニの奥で雨をしのぎながら寝ていた私は遠くの方から聞こえてくるガサガサという音で目を覚ました。まさか。私は高鳴る胸を押さえ音の方へ向かった。

 そこには、私のずっと探していた私以外の人間、本物の人間が缶詰を手に持って、驚いた顔をして立っていた。
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