不思議な短篇集

宮沢新一

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増えるシロ

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 私はそれを、芸術鑑賞会の日に森の中で見つけた。

 私のいる学校は全寮制で、生徒はみんな学校の建物にくっついている寮に入る。だからこの日位しか一年の内で外に出られる日はない。本当なら決められた時間まで建物の中で絵を見て感想を書かなきゃいけなくて、絶対外に出ちゃいけないって言われているんだけども、学校の外の世界を見れるチャンスなんてこのときしかないから、私は感想を書くのをルームメイトのイライザに任せて、先生が見ていない隙に外へ抜け出した。

 外の世界は本当に見たことのないものばかりだった。美術館の周りは森になっていて、そこを探検しているとき私はそれを見つけたんだ。

 それはピンポン球くらいの大きさで、真っ白い毛が生えていて、小さい目が二つあった。"かわいい!"それを見つけた瞬間私は思った。それにしばらく見とれていたら、私はもう戻らなければいけない時間になっていたことに気づいた。そして迷わずそれをポケットの中に入れて駆けだした。

 私は部屋に戻ってから、それをイライザに見せた。「ほら、みてこれ。森で見つけたんだ。かわいいでしょ。」「なにそれ!ちっちゃい!てかそれ持ってきてよかったの?」「いいよ、ばれなきゃ。どこにおいておこうかな。隅っこのところに置いてていい?」「いいよ。」

 これはなんだかよく分からないけれど、とても愛らしい。毛並みはふわふわして気持ちいいし、匂いを嗅ぐとほんの微かにいい匂いがする。丸っこいけど、底が平らになっているからどこかに転がってったりはしない。私はそれにシロという名前を付けた。大切にしてあげなくちゃね。私は生活がちょっと楽しくなったと感じた。

 次の日目を覚ますと、シロが二つに増えていた。二つとも全く同じ大きさで並んでいて、見分けが付かない。

 「イライザ!シロが増えてる!」「は?」イライザは二つのシロを見てびっくりした。「えぇ...訳が分からない。」「増えちゃったから、特別片方はイライザにあげるよ。」「いらない。」イライザは笑った。「あとそれ床にくっついててとれないし。」

 この学校には、ここでだけ使える通貨がある。掃除をしたりして働くと貯められて、給食にプラスして食べ物や飲み物を買うときに使える。

 私が通貨でステーキを給食に追加しようとしているとき、イライザが言った。「ねえ、そこに募金箱が出てるよ。遠くの国の恵まれない子供達にステーキ代あげたら?」「え、やだよ。自分で稼いだから好きなように使うよ。」「そうやってたくさん稼げるのも豊かな国に住んでるからじゃないですか?」イライザは寮母さんの口調をまねしていった。「うるさいな。まず自分がやってからいえよ。」イライザは時々めんどくさい時があると私は思った。

 その日部屋に戻ったら、またシロが増えて4匹になっていた。どうやら増え続けるらしい。それからもシロは日に日に数を増していった。

 ある日イライザが言った。「ねえ、そろそろシロをなんとかするべきだよ。あれ、最初はいい匂いだったけど、増えてくるにつれて匂いきつくなってきたよ。だんだん具合悪くなってくるよ。」シロはもう全部で16匹になっていた。「え、そっかあ。じゃあとりあえず床から剥がしてみなくちゃね。」

 そう言ってひとつ引っ張ってみたが取れない。そこで私は男子寮からカミソリを借りてきて、隙間に刺しこんで剥がしてみることにした。「あれ、結構むずい。」刃物を見たせいか、そいつは怯えるようにきゅーきゅー鳴き始めた。「大丈夫だからね。すぐ終わるから。」私はなだめながらカミソリを差し込んでいった。

 カミソリが半分くらいまで入ったところで、鳴き声がゆっくりと消えた。その時、カミソリを持った手に何かぬるいものが触れた。「あっ」見てみると、それは真っ赤な血だった。シロの体は床に完全に癒着していたのだ。目は輝きを失って、毛はボロボロ抜け落ちてしまった。死んでしまったシロの姿はどこかグロテスクだった。殺してしまった。私は胸が罪悪感でいっぱいになった。何でこんなことしてしまったのだろう。

 「ごめん!」イライザは謝った。「私が剥がしてってなんか言うから!」「イライザのせいじゃないよ。私が悪いんだ。私が...」私は泣き出しそうな気分になった。

 それから私はシロを剥がすためいろいろな方法を試した。でもどれもダメだった。もちろん、無断で持ってきたものなので今さら大人には相談できない。あれからイライザはシロについて何も言っていないけど、早くなんとかして欲しいと思っているだろう。私は焦っていた。

 そんなある日だった。私がいつものように部屋に戻ると、ドアを開けた途端むせかえるほど強い匂いがした。部屋の中に目をやると、イライザがぐったりと椅子の上に倒れていた。床に目をやると、シロが床一面のみならず、壁にも、ベッドの足にもびっしり生えていた。数が多いほど増えるスピードが上がるシロは、今爆発的に増えてる真っ最中だった...

 「うあああ!!」私は発作的な衝動に襲われて、近くのシロ達を靴で何度も踏みつけた。血が広がって、部屋を覆うシロ達が一斉にきゅーきゅーという声で鳴き始めた。それから私は部屋中のシロを皆殺しにした。床に生えているものは踏みつけて潰し、壁に生えているものは近くにあったイライザのテニスラケットでこそげ落とした。私はシロを虐殺する中で、自分が半分はパニックに陥っていながら、残りの半分の理性的な部分は、それを見ていながら止めようとしないのにも確かに気づいた。

 気がついたときにはシロは一匹も残っていなかった。私は自分でも驚くほど冷静に、床に散らばるシロの残骸を片付け、掃除して、血で汚れた手を洗った。最初に殺してしまったときのような罪悪感は感じなかった。部屋に入って部屋中に広がるシロを見たときに、私の上っ面を作っていた道徳観が剥がれ落ちたようだった。

     私は気づいた。結局私は自分の利益を守るためなら他を犠牲にすることを選ぶんだ。考えてみれば、私は動物の肉を食べてるし、恵まれない子供への募金はしない。もし目の前に豚がいても殺して食べようとはしないだろうし、何人かで救命ボートに乗っていたらその人達と平等に水と食べ物を分け合うだろうけど、それが間接的になることで、自分の行動から目を背けて、自分を道徳的だって思い込みながら他の人を犠牲にできるんだ。

 シロを全部殺す前と殺した後で、私は何も変わっていない。あんな今までに無いくらい厄介な存在のせいで、奇跡的に私の本当の部分が表面に出て来ただけなんだ。そこに気づいたって意味では、今の私の方が道徳的なのかも知れない。

 掃除が終わって部屋が元通りになった頃、イライザが目を覚ました。「うう...まだ頭が痛い...私どのくらい気を失ってたんだろう...あ、ありがとう。シロ達、なんとかしてくれたんだね。」私はイライザの方を向いてうなずいた。イライザはそれ以上は何も聞かなかった。
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