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闇とワルツを04
しおりを挟む一晩中走り続けた。
肺は破れそうだった。
うまく呼吸できない喉をかきむしりたかった。
なぜ足が動かなくなったのか、解らなかった。
何度も何度も山道に這いつくばりながら、ルーダンはようやっとのこと、故郷にたどり着いた。
たどり着かなければよかった、と思うほどの光景が広がっていた。
魔物はいなかった。目的を終えた魔王軍の一端は既に去ってしまっていた。
明け方の炎は勢いを失い、ちろちろとそこかしこで控えめに揺れていた。
警備兵だったはずの男の首が、ご丁寧に皮を剥がれて門扉に飾られていた。
あちこちに死体が転がっていた。
身体の一部を欠損したもの。焼かれたもの。拷問の痕があるもの。串刺しにされたもの。明らかに乱暴された裸のもの。臓腑をまき散らされたもの。
肉の焼ける臭いに吐き気を覚えながら、生きた人間の気配を察知して、ルーダンは機織り小屋に向かった。
「んうっ、あっあ、あふ、あぁ」
だらしなく口の端からよだれを垂らしながら、魔王フーラは体内に突き入れられる肉の剣に屈していた。
「なあ魔王」
ルーダンは動きを止め、フーラの顎を捉えて目を合わせる。
「子宮脱ってどういう状態か解るか?」
「あ、ぇ、あぁ……」
もはや言葉もうまく喋ることができない。聞きなれない単語に魔王は戸惑う。
「子宮がここから身体の外に出ちまってることだよ。あれは酷かったな。エメリアはどうやら何体もの魔物に代わる代わる乱暴されたらしい。それこそオークみたいなやつに。子宮口から精液が溢れて――水溜りみたいになってたな。骨も何本も折れてたんだ。胸も片方食い千切られてた。生きてたのが不思議なくらいだったよ」
エメリアは一命を取り留めたが、気が狂れてしまっていた。一日中茫然と窓の外を眺めているか、部屋の隅にうずくまって何かに怯えていた。そして半年が経つ頃。
「手足もろくに形成できてないような肉塊を産んだんだ。その何日か後、エメリアは階段から落ちて死んじまった……。全部、お前が統率してた魔王軍のせいだよ」
「あぐっ!」
「エメリアが死んだのは事故だったと思うか? ……おれは、身投げしたんじゃないかと思ってる。あの襲撃の日以来一歩も部屋の外になんか出なかったんだから」
「あ、ぁあ、いや、やめ……それ、そこはだめえぇ!」
「入るよ、魔族は身体が丈夫だしな。この張り型はお前の部下が人間に使うために作ったらしいけど……まあまさか魔王の尻の穴に入れられるとは思ってなかっただろうな」
「いぎぃぃっ! いいぃいたい、痛いぃっ! やめ、ぬい、ぬいて」
「エメリアが同じことを言わなかったとでも? お前の指示で魔物は人間を略奪し強姦してきたんだ。お前も同じ目に合うのが筋ってもんだろ」
「あぐ、あぁっぁ、ぐるしい、お、お」
「お前が壊してきた人間の分だけ、お前も苦しむがいいさ」
「ゆる、して……あぁあ……」
「おれは優しいよ。お前らみたいに目玉を繰り抜いたり、全身の骨を折ったり、爪を一枚一枚剥がしたりしない。感謝してほしいくらいだ」
言葉にならない許しを請いながら、魔王フーラはまた失神して寝台に崩れ落ちた。
霧深い山奥の祠で、ルーダンは神がかった巫女の言葉を聞いた。
『ルーダン、ヒトの騎士。ヒトが魔に怯え、屈せんとした時、立ち上がった気高き勇者よ。いま、そなたに光を授けよう。神々より齎されし精霊の剣、そなたの心に正義のある限り、その行路を照らすであろう』
そうして、ルーダンは霊剣を手にした。その強い加護が、彼を常に守っている。
「それで――」
フーラの頬を叩いて起こした勇者は、冷たい瞳を魔王に向けながら尋ねた。
「そろそろ、王女の居所を吐いてもらおうか」
「……っ、そ、それは……あうっ!」
逡巡した魔王の頬を張って、ルーダンはため息を吐いた。
「シュリンタ姫は魔法国家デラキルの歴史上でも最高峰の魔力を持った王族らしいな。お前たち魔族は、俺が王女と交わって、魔族にとっての恐るべき敵を生すことを恐れているんだろう?」
「…………」
「安心しろ。俺は王女をデラキルに連れ帰って王位に就く気もなければ、王女を自分のものにしようという気もない。俺の終の棲家は――ここだ」
どこか寂しそうなルーダンの目を、魔王フーラはぼんやりと見ていた。
『王女は、北の塔の牢にいる。どこも欠けてはいない。鍵は牢番が持っている』
ようやっとフーラからそれだけ聞き出したルーダンは、フーラのローブを携えて北の塔を登った。
魔王が勇者に屈したという事実は魔王城全体に知れ渡っており、ルーダンはその上背と光の剣を見せるだけでどの回廊も扉もくぐることができた。
「うっ……、ゆ、勇者」
牢番のオークが戦慄いた。
「鍵を開けろ」
「ま、魔王さまは」
ルーダンはオークを睨みつけ、顎で鍵穴を示した。オークはしぶしぶ鍵束からひとつを選び出し、牢の鍵穴に差し込んだ。油を差していない扉が音を立てて開く。
広い牢の真ん中に、ベッドがあった。
「デラキル王女、シュリンタ殿下ですね」
王女はほとんど襤褸切れのようになったドレスを纏い、濁った目でルーダンを見返す。その瞳に、わずかに光が戻る。
「あな、たは……?」
「私はルーダン。辺境の小国のしがない騎士です。お父上との約束で、あなたを救いに参りました」
「父上が……、あなたが……勇者さま……!」
みるみるうちに涙がこぼれ、シュリンタのドレスにしみを作る。
「さあ、ここを出ましょう。お父上が王城でお待ちです」
「で、でも、いけません。わたくしは……わたくしは」
シュリンタの白い脚が破れた裾からちらりと見えた。
「魔物に、ああ……穢されてしまいました。拐かされてから一年の間、わたくしは何度も――魔物の子を産まされてしまったのです。きっと今もわたくしの腹には……」
それ以上を、ルーダンが遮った。
「殿下。それでもあなたは帰るべきだ。ここに魔王のローブがあります。これを着ていれば、道中魔物に襲われることはない」
王女は何か言いたそうにしていたが、ルーダンの低い声に促され、小さく頷いた。
「――勇者さま、あなたは一緒にデラキルに帰ってくれませんの?」
不安そうにシュリンタが尋ねた。
「私にはまだやるべきことがあります。本当に申し訳ないが、ご一緒できません。陛下には、『ルーダンは魔王と相討ちになった』と」
「そんな……!」
「殿下、ここから一番近い人間の住処は西のファタ公国のエムンという要塞です。道案内に下級の魔物を付けましょう。それと、これを。私の使っていた魔除けのアミュレットです。私には、もう必要ありませんので」
「勇者さま……」
「魔王のローブには魔物を従属させる力があります。エムン要塞までなら難なく辿り着けるはず。さあ、お早く」
ルーダンの案内で魔王城の入り口まで連れられたシュリンタは、尚も惜しげにルーダンを見つめる。
詳しい事情を知らない小さな下級悪魔が、ルーダンに持たされた地図をくるくると回している。
「殿下、幸運を祈ります」
「勇者さま……、どうか、ご無事で」
何度も振り返りながら、シュリンタは魔王城を発った。
荘厳な装飾の施された扉が閉じ、ゴンと音を立てた。その内側で、勇者は呟く。
「『ご無事で』……か。それは無理だろうな」
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