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雄飛の章

第二話 真心

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「レオン、朝ですよ。レオン」


 レオンの頭を抱きしめたまま目を覚ましたリーザは、自分の胸に顔を埋め、抱きしめたまま眠っているレオンに声を掛ける。


「んー、お義姉ちゃんー」

「はい、お義姉ちゃんですよ。レオン起きましょう」

「お義姉ちゃんぎゅってして」

「もうレオンは甘えん坊なんですから。ぎゅっ。......はいレオン起きましょう」

「うん......」


 リーザに抱きかかえられながらレオンは寝台で身を起こす。


「お義姉ちゃんが先に着替えちゃいますからレオンは少し待っててくださいね」

「......うん......」

 まだ寝ぼけたままの義弟を見て、久々に良く眠れたみたいねと安堵したリーザは、昨晩リーザたちが寝ている間に用意されたのであろう、二人の着替えやらなにやらが全て準備されているのを見つけた。
 レオンと抱き合って一緒に寝ているのを見られちゃいましたねと少し恥ずかしく思いながらも、リーザはレオンを残し素早く寝台から降りると、手早く歯を磨き顔を洗い、がばっと寝間着から着替え、ふんす! と気合を入れる。


「さぁ次はレオンの着替えですよ!」


 まだ寝ぼけている様子で完全無抵抗のレオンを寝台から降ろし、ふんすふんすと寝間着を脱がすと、一晩中ずっとリーザが抱きしめていたせいか少し汗ばんでいて、顔も涙の跡でぐしゃぐしゃだった。
 洗面器に入れられていた水でタオルを濡らし、顔を拭き、体も拭いていく。


「レオン、随分とたくましくなりましたね。それにいつの間にか身長も抜かれてしまいました」


 やっと下着一枚の自分の状況に気づいたのか、それまで無抵抗だったレオンが声をあげる。


「お義姉ちゃん流石に恥ずかしいよ」

「恥ずかしがることなんてないのですよ。ほんとうの二人だけなのですから」

「でも......」

「はい、拭けましたよレオン。次はこの椅子に座って口を開けてくださいませ」

「えっ歯磨きくらい自分でやるよ」

「駄目です。いつもはフリーデリーケにその役目を取られてしまっているのですから、たまにはお義姉ちゃんに歯磨きさせてくださいませ」

「......あーん」

「レオンは素直で良い子ですね。はい磨きますよー」

「おへえひゃんはいふぁほう」

「わたくしはレオンのお世話をするのが大好きなのですから、気になさらないでくださいませ。はい終わりました。これでお口をゆすいでくださいませ」

「そういえばフリーデリーケに歯を磨いてもらった時っていつの間にか口までゆすいでいるんだけど」

「気にしちゃだめですよレオン」

「でも、たまに三人ぐらいいるよね」

「わたくしは四人ぐらいは最低でもいると思いますよ」

「そうなんだ」

「はい、じゃあ服を着せますね」

「はーい」


 などと甲斐甲斐しくレオンの世話をしていると寝室の扉がノックされる。
 リーザが「どうぞ」と声を掛けるとクララとフリーデリーケが入ってくる。


「レオン様、リーザ様おはようございます」

「レオン様、姫様おはようございます」

「おはよう」

「おはようございますクララ、フリーデリーケ」

「ゆうべはお楽しみでしたね」

「?」


 珍しくクララがレオンにだけ分かる程度に口元をほんの少しひくひくせながら訳の分からないことを言ってくる。


「そうですね、久々に姉弟水入らずで話せてとても楽しかったですよクララ」

「姫様、こちら片づけておきますね」

「ありがとう存じます、フリーデリーケ」

「レオン様、リーザ様、朝食の準備が整っております」

「うんわかった。一緒に行こうお義姉ちゃん」


 レオンはリーザの手を握る。


「ええ、レオン。一緒に」





 いつものように朝食を手早く済ませ、打ち合わせ、朝議を終わらせて談話室で一息ついているレオンとリーザ。
 イチャついてるのは相変わらずだが、どこか無理をして明るくしているような感じも無く、穏やかな空気に包まれている。
 一晩でずいぶんと雰囲気が変わりましたわね。と思いながらお菓子とお茶を配膳するフリーデリーケ。


「そういえば」


 とリーザが立ち上がる。


「カール、今日から近衛が本格配属されるので護衛隊士は任務終了と聞きましたが」

「はい、本日近衛との交代を持って、我ら旧護衛隊士はレオン様、リーザ様の護衛の任を離れることになりました」

「そうでしたか、では皆様に。レオン、よろしいですか?」

「うん。お義姉ちゃん。クララあれを」

「かしこまりました」


 リーザはそういうとポシェットから箱を取り出し、箱の中を確認すると、護衛隊士の前に移動する。


「グレゴール、大変お世話になりました。グレゴールのその寡黙で勤勉な姿はとても頼もしかったですよ。それにわたくしたちの侍女が重い荷物を運んでいるときなど、良く手伝っていただいてありがとう存じます。侍女に代わってお礼申し上げます」


 というと、箱の中から紙に包まれたボンボンをふたつ取り出すと、グレゴールに両手で差し出す。
 グレゴールは慌てて跪き、その飴玉を両手で受け取る。


「少しですが、わたくしからのお礼です。フリーデリーケが作ってくれたわたくしのとっておきのアプフェルボンボンです」

「はっ......恐れ多くも、ありがたく頂戴致します」

「今までありがとう存じます。新しい転属先はゲオルクの重装歩兵隊と聞いています。長柄武器なら何でも扱えて力持ちのグレゴールならば大丈夫かと思いますが、お体に気を付けて頑張ってくださいませ」

「はっ......ありがとうございます!」


 リーザはにっこり微笑むと、隣の護衛隊士の前に移動する。


「トーマ、大変お世話になりました。トーマにはいつも明るく接して頂いてわたくしとても嬉しかったのですよ」


 その場にいる護衛隊士一人一人に礼を言い、アプフェルボンボンを渡していくリーザ。
 ボンボンを受け取った護衛隊士たちは涙をこらえて俯いている。
 彼らは技量抜群で選抜された爵位も高い精鋭だ。
 だが王族が手ずから恩賞を下げ渡すなど彼らでも異例中の異例だ。
 しかも名前どころか次の転属先や任務中の言動を全て把握した上で、礼を言われるなど家臣冥利に尽きるというものだ。


「カール、大変お世話になりました。先日カールからツヴァイハンダーの目録を頂きましたけれど、とうとう一本も取れずじまいでした。次こそは必ずカールから一本取りますので、覚悟しておいてくださいませ」

「はい。楽しみにしております」

「少しですが、わたくしからのお礼です。とっておきのアプフェルボンボンです」


 すでに跪いていたカールはリーザからボンボンを受け取る。
 リーザがこの場にいる護衛隊士全員にボンボンを配り終えたのを確認したレオンは、「じゃあ俺からも」と言って立ち上がる。


「護衛隊士の皆、今までお疲れさまでした。それぞれの転属先に確認を取ったところ、やはり鎧や主武器は支給品になるとの事だったけれど、副兵装ならば自由だということで、こちらを皆へのお礼として準備しました」


 レオンはそう言うと、クララ他侍女数人が抱えてきた彫刻が施された箱を一つ受け取るり、カールに差し出す。
 先程から跪いたままのカールは、慌ててレオンから差し出されたそれを受け取る。


「開けてみて」

「これは、なんと素晴らしいカッツバルゲル!」

「儀礼剣とは違って装飾は最低限だけど、ヘレーネの実家で打って貰った業物だよ。戦場で少しでも生き残れる可能性を上げるために、是非使って欲しい」

「陛下、いえ、レオン様......ありがとうございます」


 レオンは侍女から箱を受け取ると、一人ずつ手ずから渡していく。


「トーマ、今までありがとう。転属先が弓騎兵隊って聞いたから、馬上でも扱いやすいように細身だけど刀身は長いものを拵えてみたんだ。一応トーマに合わせてみたけど、調整はヘレーネの店で。俺の方から頼んであるんからいつでも訪ねてね」

「グレゴールは体が大きいし、重装歩兵用の籠手を付けたままでも握りやすい柄にして厚重ねで拵えたカッツバルゲルにしたよ」


 カールが渡されたカッツバルゲルを見ると、柄にカールの名と、<我が忠臣へ贈る>と刻印がされている。箱の中に入ったままカッツバルゲルの柄を握ってみると、驚いたことに自分の手とぴったり合うのだ。
 自分の為だけに用意された業物。
 忠臣を失いたくないという心遣い。
 カールは刻印された自分の名が歪んで見えなくなる。


「直接手渡したかったのだけれど、今この場に居ない護衛隊士には後程個別に届けさせます。クララよろしくね」

「かしこまりました」

「フリーデリーケ、今持ってきてもらったボンボンは小分けにしておいてくださいませ。今簡単なお手紙を書きますので一緒にお渡ししてください」

「かしこまりました、姫様」

「あ、あの! リーザ様」


 トーマが意を決したようにリーザに声を掛ける。
 周りの護衛隊士はまたこいつ勝手なことを不敬だろなにやってんだ馬鹿とリーザ達に聞こえないように小さい声で咎める。


「トーマ、なんでしょうか?」

「そ、その、出来ましたら私にも、リーザ様のお手紙を頂きたく」

「まぁ、わたくしなんかの手紙が欲しいのですか?」

「是非! 家宝にさせて頂きたいのです!」

「ふふふっ、大袈裟ですね。トーマなら感状をいくらでも頂いてるのではないですか?」

「いえ、リーザ様のお手紙が頂きたいのです」

「まぁ。では喜んで書かせていただきますね。トーマ以外にも欲しい方はいらっしゃいますか?」


 リーザが問いかけた途端、護衛隊士全員が「私も是非頂きたいです!」の返事だったので、リーザはにっこりと微笑むと


「では、皆さまの分も書かせていただきますね」


 と談話室の隅にある文机で、フリーデリーケが持ってきた紙とペンで一人一人に手紙を書き始めた。


「レオン様申し訳ありません」


 自身も手紙が欲しいと言い出したカールも、流石に申し訳なく思ったのかレオンに謝罪する。


「大丈夫だよカール。お義姉ちゃんは護衛隊士の転属が決まった日から、どうすれば今までのお礼の気持ちを伝えられるかって考えてたからね。俺はボンボンなら喜ぶよって言ったんだけど、ボンボンだけで大丈夫か心配だったみたいだし。むしろ手紙が欲しいって直接言われて、嬉しかったと思うよ」

「ウーヴェ達の遺族への手紙の件でも、彼らの遺族はとても喜んでおりました」

「そう、それなら良かったよ。どうしても補償内容とかが決まるまでに時間がかかるからね。まずは非公式でも感謝の手紙を出そうってお義姉ちゃんが提案してくれたんだよ」

「大変素晴らしいお方ですね。リーザ様は」

「俺の自慢のお義姉ちゃんだからね」


 レオンは亡くなった方々が父上を護ってくれたおかげで命を多少でも伸ばすことができ、口頭ながらも無事群臣の前で王位継承が行われたこと。
 もし父上を護りきれずに亡くなったなどと誹謗中傷を受けるようなことがあれば厳罰を持って対応するのでいつでも相談して欲しいこと。
 社稷の臣として顕彰の予定ではあるが、まずは取り急ぎ、非公式ながら感謝の念気持ちを表明するという内容。
 リーザは亡くなった方々のおかげで陛下と直接お話をすることが出来た事に感謝しておりますという内容で、それぞれランベルトを護ろうと命を落とした全ての遺族に手紙を送っていたのだ。

 そうこうしてると「ここにいる皆さまの分が書けました」と文机から立ち上がり、桃色の封筒と、ボンボンの入った小袋を持って護衛隊士に渡していく。


「こちらトーマ宛てのお手紙です。恥ずかしいので後でこっそり読んでくださいませ。あとこちらはフリーデリーケ特製の、先程渡したアプフェル以外のツィトローネ、キルシュなど色々入ったボンボンの詰め合わせです」

「リーザ様......ありがとうございます。一生の宝物にします」

「ふふふっ。トーマは大袈裟ですね。ボンボンは日持ちは致しますけれど、気温が高いと溶けてしまいますので早めに召し上がってくださいませ」

「ありがたく頂戴いたします!」


 残りの護衛隊士にも、手紙とボンボンの入った小袋とを渡していく。

 その様子を見ていたクララは、レオンとリーザが転属していく親衛隊員、特に護衛隊士らにお礼の品を渡したいと言った時に、これから各部隊の中枢で働く精鋭の忠誠心を高める方法として有効だと思っていた自身を恥じる。

 レオンは王としての立場から、いくらかはそういう効果を狙っていたであろう。
 だがこっそり手の大きさや体格などを調べさせて、わざわざ体格に合った特注のカッツバルゲルを用意させるなど、単に忠誠心を狙っただけでは無い事は確かだ。

 王城にはいくらでもこの無骨なカッツバルゲルよりも、見た目も良く価値のある品が転がっている。
 むしろ領地を失った高位貴族の子弟という彼らの立場を考えれば、後者の方が喜ばれるずだとクララは思っていた。
 だがレオンは武具に拘った。

 各部隊での鎧や主兵装は規格が統一され、品質的にもかなりの物のが支給される。
 だが副兵装、弓兵ならば弓以外、騎兵ならば馬上槍や長槍以外の武器に関しては、数打ちのそれなりの支給品を使うか、独自で用意するのがこの国での決まりである。

 レオンは、主武器を失った場合でも、最後の最後で命をつなぐ可能性のあるカッツバルゲルならばどうかとクララに提案した。
 それも手や体格、配属される部隊に合わせた、扱いやすく、簡単に破壊されないような業物のカッツバルゲルを。

 十五名の護衛隊士分ならともかく、残り二百名弱の親衛隊員分のカッツバルゲルを新規に打つのは流石に無理と説得して、親衛隊士分は武器庫の中から可能な限り体に合う良い物をということで話はまとまったのだが。

 ランベルトが装飾の施された重い儀礼剣を佩いていた為、とっさに抜剣出来なかった件が尾を引いているのだろうとクララは分析する。

 それにリーザの先程からの行動には真心と感謝の気持ちしか感じないのだ。
 打算などまったく考えていない。
 感謝している相手に喜んでもらえる為ならば躊躇することなく泥の中にすら入るだろう。


「クララ、クララ」

「っ申し訳ございません。レオン様」

「珍しいね、クララがぼーっとしてるなんて」

「大変失礼を致しました」

「いや、大丈夫。最近忙しかったしクララも出来るだけ休める時に休むようにね」

「お心遣い、ありがとう存じます」


 今朝こっそり着替えなどを置きにレオンの部屋に入った時に、抱き合って眠っていた二人を見て元気いっぱいですとは言わない。
 クララは従三品尚侍で様々な特権を与えられた公卿だ。
 主人の義姉に甘えてる姿を見て萌える所までは許されるが、決して口に出してはいけないのだ。

 その光景を思い出したのかまたクララの口元がひくひく動く。
 レオンはそれを見て、そろそろ休暇を出してあげないといけないなと見当違いの事を考えるのだった。


「マルセルが来るのってそろそろじゃない?」

「そうですね、入り口でマチアス卿をお待ちしておきます」


 そういうと談話室の扉の前まで移動する。
 レオンは「お義姉ちゃん」と声を掛け、手紙を配り終わったリーザの隣に並ぶ。


「そろそろ引継ぎの近衛が来ると思うんで、最後に挨拶を」

「「どうもありがとうございました」」


 レオンの掛け声でリーザと一緒に頭を下げる。
 恐れ多い! と恐縮する人間はこの場にはいない。
 レオンとリーザはこういう事が出来る人間だというのを皆理解しているからだ。

 護衛隊士たちは誰ともなく跪き、頭を下げて最敬礼をすることで、レオンとリーザへの返答とする。


「皆さまのご健勝をお祈り申し上げますね」

「「「はっ。ありがとうございます!」」」


 リーザの向日葵のような笑顔を護衛隊士達は忘れないであろう。
 部屋の外で待機しているクララは、真心を尽くせば高価な美術品よりも喜ばれるのですねと一人反省するのだった。
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