さて、問題です

五十嵐旭

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僕は誰でしょう?

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「さて、問題です」

 目の前の彼が、にやりと口角を上げる。肩下どころか腰の近くまで伸びた長い黒髪は、今はゴムで纏められていた。切れ長の瞳には、こうした現実離れした髪型でさえよく似合っている。尤も、それは自分も同じなのだけれど。
 同じ顔。同じ声。ほくろの位置まで同じなのは、母親も知っている。もしかしたら指紋まで同じかも、なんて、指紋認証のスマートフォンを手に顔を見合わせて笑ったのは、いつだっただろうか。

「親愛なるお兄様は、この二人きりの機会に何か企んでいるようです。それは何でしょうか」
「自分でお兄様、なんていうの気持ち悪いよ、兄さん。ああでも、そうだなあ……」

 少し視線を逸らして、考えるフリをする。あくまでフリだ。だって、もう分かっているのだから。後頭部で無造作に纏めた髪を、手持無沙汰にわさわさと触った。兄のものと違って、ゴムを解いたとしても肩につくかどうかだろう。そっくりすぎる自分達を、周囲は髪型で判断した。それは家族である、母も同じだ。
 そんな自分達が、今日から、親元を離れて暮らす。電話は偶にするだろうが、顔を合わせるのは次の正月、ほぼ一年後だろう。夏に休暇を取れるほど、新社会人は甘くない。まあ、それは半分は言い訳なのだけれど。
にやりと、口角を上げる。その顔は、きっと目の間の彼と瓜二つのはずだ。

「一年あれば十分だ」
「オーケー、兄弟」

 言葉が無くても、考えは手に取るようにわかる。自分がそうであるように、それは、兄も。
 言葉に乗らなかったその企みは――
 


 起こしていた上半身は、もう無理だと言わんばかりに力が抜け、背中は硬い地面に叩きつけられた。握力の無くなった手からは、ガシャンと音をたてて何かが滑り落ちた。
 焦げ臭い匂い、そこに仄かに漂う、鉄の匂い。手に触れる何かは、水のようなのに生温かく、気持ち悪い。ああ、体温だからか、と思いながら、どうにか顔を横に向けた。
血の海に散らばる黒い髪。横たわる、身体。
 顔も四肢も綺麗なその身体は、胸にだけ、大きな鉄骨が突き刺さっていた。
 巨大なトラックが、自分の真横に倒れているのが視界の端に見える。後部からは資材として積み込んでいたのであろう、鉄骨が何本もはみ出していた。数本の鉄骨は絶妙なバランスで自立していて、風でも吹けば今にもこちら側に倒れてきそうだ。
 自分と同じ顔の彼は、その双眸を閉ざしたままだ。まるで眠っているようで、それでもその胸から溢れ出す赫色と、生えた鈍色が、どうしたって逃げられない現実を突き付けてくる。
ようやく、遙か遠くからサイレンが聞こえた気がした。こんな田舎町、これだけ大きな音で事故が起きても、誰も通り過ぎることは無い。自力で救急車を呼んで正解だった。
 ぶわりと、強い風が吹く。ふらふらと揺れていた視界の端の鈍色が、風にあおられて、ゆっくりとこちらに倒れてきた。避けられない。避けられる、わけがない。
 ああ、せめて、横の彼だけは――
 


「――、目が、覚めた……?!」

 瞼が重い。耳元で響く声が、どうにも五月蠅くて、億劫だと思いながらもゆっくりと目を開けた。
 白い天井と、目元を腫らした母の顔。端に映った見知らぬ男は、驚いた顔をして誰かを呼びに走って行った。

「よかった、目が覚めて、本当に良かった……!」
「……ここ、は」
「事故にあったのよ、貴方たち二人。ずっと目が覚めなくて、本当に心配したんだから」
「じ、こ?」
「トラックが飲酒運転で、貴方たちに突っ込んできたのよ。鉄骨を沢山乗せていて、とても大きくて重いトラックだったの。生きていたのが、奇跡だって」

 鉄骨。トラック。夕焼けの道で、正面に迫ったもの。ああ、そうだ。そうだった。それなら――

「……あいつ、は」
「……!」

 目の前の母は、視線を伏せた。瞳を潤ませて、言葉にならない声で何度も唇を震わせて、そして。

「落ち着いて、聞いて。
あの子は、死んだの。お兄ちゃんを、――貴方を、残して」

 理解が、追いつかなかった。


「あの子、即死だったのよ。心臓に、鉄骨が刺さって。貴方と一緒。でもね、その上、あの子の頭に別の鉄骨が、倒れて……」
「顔は、潰れてたわ。足首も、きっとトラックに轢かれたときね、折れてたみたい。だから倒れた鉄骨からも逃げられなかったんじゃないかしら」
「貴方、二週間も寝ていたんだから。もう遺体は火葬しちゃったけど、胸の傷まで一緒で、びっくりしちゃった。貴方に刺さった鉄骨だけ、ぎりぎり心臓から逸れてたのよ」

 看護師に点滴を替えられている間も、隣で母は話し続けた。とうの昔に父は死別しているから、このギリギリの極限状態で、話せる相手が当事者である息子しかいないのだろう。母はいつでも自分勝手で、己にしか興味のない人間だった。だから、実の息子の見分けだって、髪型頼りだったのだ。
 話を聞きながら、状況を整理する。トラック。鉄骨。心臓。記憶と事実の誤差を、自分なりに埋めていく。寝たきりだったからだろう、身体だって思うようには動かない。右手、左手と順に力を入れていってみた。

 足は、動いた。



「また、来るわ」

 母はそう言って席を立った。面会時間はとうに過ぎている。ドアに手をかけた母は、そのまま立ち止まって、少ししてから振り返った。

「髪、切ったのね。昔は腰まであったじゃない。好きなバンドの真似、だったっけ?」

 震える声で、母は尋ねてくる。指先も微かに震えている。ああ、この人は本当にわかっていない。一年、離れただけで、こうもわからなくなるものだろうか。そう思案していると、母は視線を伏せ、拳を強く握った。

「事故の現場に、ね。髪の毛が、落ちてたそうなの。長い黒髪。それから、鋏も」

 一番の懸念事項は、きっとコレだったのだろう。ああ、そういうことか。この人は、自分が間違えていないか、聞くことさえ怖いのだ。
 上辺で取り繕った笑みを浮かべて、母は、首を傾げた。

「あれは、貴方が、切ったのよね……?」

「そうだよ。僕が切ったんだ」

 そう答えると、母は大きく安堵の溜息を吐いた。

「そう、そうよね。ああもう、事故にあって髪を切るって意味が分からないわ。どうしたの?」
「瓦礫に髪が挟まっちゃって。起き上がるのに邪魔だったから、必死で切ったんだ。でも、これくらいでも似合うでしょ?」
「ええ、そうね。それでも絶対に、その長さはキープなのね」

 そう言って母はくすりと笑う。つられて自分も、ようやく口角を上げて、笑った。
 ――肩下までの長さの髪が、首の動きにつられて肩を掠めた。
 

 夜になると、病室のガラスはまるで鏡のようになる。室内が明るくて外が暗いため、反射がわかりやすい。
 窓の向こうの自分は、肩下まで伸びた髪を触っている。胸元には仰々しい包帯が巻かれているが、それ以外はほぼ無傷だ。

 包帯を替える際、胸元の傷をようやく見ることが出来た。
 ――あいつは、怒らないでしょうか。大事なものを、貰ってしまって。
 傷を見ながら神妙そうにそう呟くと、看護師は目を潤ませて、でも微笑んで言った。
 ――お兄さんが、助かるためだったんです。怒らないと思いますよ。
 その言葉に、にこりと笑みを浮かべてみせた。ああ、安心した。やはりそうだったのだ。


 この心臓は、僕のものだったんだ。


 窓の向こうの彼は、笑っていた。震える手で触れようとすると、彼もまた、震える手を伸ばしてくる。指先が触れ合うかと思えば、指先は硬く冷たい窓ガラスに阻まれて、決して繋がることはなかった。
 今まで、母に嘘などついたことがなかった。元々そっくりな自分達だ。実は、なんて嘘をついてしまえば、母は余計に二人を見分けられなくなるだろう。母は精神が不安定で、物心ついたころから、余計な刺激はしないようにしていた。 だから、名乗る時に嘘をついたことは、一度たりともなかったのだ。
 だが、これから、そうはいかない。病室の扉の横、ベッドの柵、点滴のラベル。嘘は、日常になる。嘘とはいえ、《死んだふり》はつらいものだ――
 

 さて、問題です。

「僕は、誰でしょうか」 

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