鏡の国 〜わたしのひかり〜

五十嵐旭

文字の大きさ
3 / 7
第一章

鏡の中の

しおりを挟む
「かがみの、なか」

 巴も口に出して、周囲をキョロキョロと見回してみる。足元の草原、目の前の城、森、街。鏡の中に広がっているとは到底思えない、世界。

「でも、こんなに広くて、外、みたいな」
「あら、鏡の中に外の世界が広がってたらおかしい? 初めて入ったんでしょ?」

 ルナの話は尤もで、巴は言葉を飲み込むほかなかった。
 洗面台や、服屋や、部屋にだって置かれる鏡。全ての鏡の中に、こんなに広くて、綺麗な世界が広がっている可能性だって捨てきれない。鏡の中に入ったのは、これが初めてなのだから。
 ふと、微かに、まるで音楽のようなものが耳に届いた。街の方向だろうか。何の音かと気になったところで、ルナが言った。

「パレードね。もうすぐ終わってしまうけど」
「ぱれー、ど?」
「ええ。 ちょうどいいわ、見に行きましょ! せっかくだから、見て欲しいの!」

 ルナが、巴の手を取り、走り出す。慌てて巴も足を動かして駆けだした。背丈の差があるのに着いていけるのは、ルナが巴に合わせてくれているからだろう。見えてきた住宅街からは、カラフルな風船がちらほら見えていた。
 大きな通りに、恐らくここに住んでいるのであろう人たちが列を為している。すし詰め、というほどではないが、自由に歩き回るのは少々難しい。スペースのある場所を見つけて、二人は通りの方面を覗いた。
 見えたのは、兵士と、馬車と、火と。絢爛とは言い難いが、それでもどこか重厚な雰囲気を纏う馬車から手を振っているのは、笑顔の若い女性だ。
 やわらかそうな、ふわふわとした髪、綺麗な瞳。一瞬しか見ることは出来なかったが、それでも、その表情も可愛らしさも、しっかりと記憶に残った。

「きれい……」
「あの人はね、アリス様。綺麗な人でしょう? この国の王様のお妃様で、今は女王様。とっても優しくて、いい人よ」
「前はお妃で、女王様?」
「王様が替わったの。新しい王様は見習いだから、今はアリス様が女王様で、この国のトップ。いっちばん、偉い人!」

 大振りに腕を広げて笑うルナの、国のトップ、という言葉に巴は感嘆した。恐らく二十代前半といった先ほどの女性が、この世界で一番偉いという事実。更にルナは続ける。

「実はね、アリス様も貴方と同じで、鏡の向こうから来たお方よ」
「鏡の、向こう……?」

 ルナの言う、鏡の向こう。それは、元々の巴のいた世界。あの手を振っていた女性もまた、鏡を通り抜けて来たということだろうか。
 馬車が過ぎ去り、自然と人影もまばらになっていく。閑散としてきた中で、ルナはぽつりと呟いた。

「さて……どうしようか? 巴、どうしたい?」

 ん? と、ルナが巴の顔を覗き込む。聞かれているのだとわかり、慌てて巴は考え込んだ。
 どうしよう。どうしたら良いのか、正直、よく分からない。先程見た女性が、巴と同じ場所から来たというのなら。それなら、話を聞いてみたい。どうやって来たのか。どうしたら、帰れるのか。

——本当に、帰りたい?

 脳内に、そんな疑問がふと浮かんだ。だが、頭を振って気付かなかったことにする。
 帰りたいに決まっている。帰らないといけない。だってそうだろう。知らない場所に迷い込んだなら、元の場所に戻らないといけない。当たり前のことだ。当たり前のことなんだから。

「どうか、したの?」
「……ううん」
「そう?」

視線を伏せる巴に、ルナは心配そうに問いかける。何も言わない巴に、ルナは首を傾げると、じゃあ、と続けた。 

「お城へ、行ってみる?」
「おし、ろ?」
「アリス様のところ。お話、聞いてみる?」

 アリス、とは、先程の女性——つまり、この国のトップ、女王様で、巴と同じ場所から来たという人だ。
そうだ。そう思っていた。どうやってこの世界に来たのか。なぜ、自分だったのだろうか。聞かなくてはと思っていた。願ってもないことだ。巴はルナを見やると、小さく頷いた。

「行きたい、です」
「敬語なんていらないわよ。じゃあ、行こっか!」

 ルナは再び巴の手を取り、歩き出す。巴の手を握り込むその手の温もりは、とても気持ちが良かった。



 近付けば近付くほど、大きさを実感するその大きな建物——城。目の前にすると圧迫感、重厚感が変わってくる。城の手前の門扉もまた、分厚く、大きく、背の高いものだった。
 門の前には、しかめっ面の兵士と思われる人が、二人。教師と親以外の大人とあまり話したことが無く、巴は身体を強張らせて立ち止まった。ルナはそんな巴を見やった後、にこりと微笑んでそのまま歩みを進めた。

「ルナ、入れるの?」
「ふふ、ちょっとコネがあってね。だいじょーぶ、任せて」
「こね?」

 巴の疑問に答えることなく、ルナはその手を引いて門の前で立ち止まった。兵の二人の厳しい視線が、ルナに集中する。

「——お前は」
「久しぶり。アリスさまに会いたいの、通してくれる?」
「……後ろの子供はどうした」

 兵士がちらりと巴を見やり、思わず身体が固まりそうになる。ルナはにこりと笑って、答えた。

「——別の世界の子」
「なるほど、な。……通れ」

 兵は顔を見合わせ、一歩後ずさる。すると、示し合わせたかのように、背後の城門が鈍い音を立てて開いた。
 兵士と城門を後ろに見やりながら、巴はルナに耳打ちする。

「どうして、ルナは通れるの?」
「昔ね、ここでお仕事してたことがあるの。お掃除したり、ご飯作ったり、偶に兵士みたいなこともしたりね」
「やめちゃったの?」
「やめちゃったの」

 巴が聞くと、彼女は少し困ったように微笑んだ。聞かれたくないことなのだろうか。元々、助けて貰ったとはいえ、つい先ほど会ったばかりの彼女だ。あまり深入りされたくないこともあるだろう。巴はそれ以上追及することはなかった。
 そのまま彼女について、建物の中を進んで行く。まるで童話に出てくる外国の城そのもののような内装に、巴は目を瞠った。
 それまで淀みなく歩いていたルナは、幾つもの階段を上り、そして今までで見た中で一番大きな扉の前で立ち止まった。扉の丈は巴の背の三倍はゆうにあるだろうか。所々が蒼に輝く扉自体もまた今まで見かけたものとは違い、重厚な雰囲気を醸し出している。ルナは怪訝な顔をして、キョロキョロと左右を見回した。

「どうした、の?」
「ううん、別に。入ろっか」

 少し緊張した面差しで、ルナは扉に手を伸ばす。ギイ、と、重い音を立てて、扉はゆっくりと部屋の中へと傾いていった。

「初めまして、お嬢さん」

 部屋の中に一歩入るや否や、頭上から声が掛かる。まるで唄でも歌っているかのような、耳に心地よい声。顔を上げると、そこには一人の女性が、絢爛な椅子に座していた。
 薄茶色の、少しウェーブのかかったロングヘア。水色のドレスは幾重にも重なり、透けた生地の下から、絢爛な柄の金の刺繍が覗いている。濃い茶色の瞳は、とても嬉しそうな様子で巴とルナを映していた。

「それからルナ、久しぶり」
「アリスさま、お久しぶりです。お部屋の前に門番が居なかったのは、アリスさまの命令ですか?」
「ええ、そう。だって門番なんていたら、貴方は入ってこないでしょう? 城の兵からルナが来たとは聞いていたから、ルナとだって話したかったの。だからわざと兵を部屋の前から外したのよ」

 美しい女性——アリスの言葉に、ルナはどこか気まずそうに視線を逸らす。どうにも状況が飲み込めず、巴が二人を交互に見やっていると、アリスはにっこりと巴に向かって微笑みかけた。


「貴方も、鏡の向こうから来たそうね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

無能妃候補は辞退したい

水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―

Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜

日々埋没。
ファンタジー
​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

処理中です...