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虎牢間《ころうかん》の闘い

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 洛陽に華雄将軍・敗死の報せが届いた。

「華雄が討たれただと?」

 董卓は呻き、双眸に猛獣のような光を浮かべた。

「李儒!」
「はっ」

 李儒が進み出た。

「見せしめだ。洛陽にいる袁紹の一族を皆殺しにしろ」
「御意!」

 李儒は手勢をひきいて、袁紹の叔父、太傅・袁隗の屋敷に乱入した。そして袁隗とその一族を皆殺しにした。二百余名が、惨殺され、首が広場に晒された。

 その後、董卓は全軍をひきいて、虎牢間と汜水関に出撃した。
 




 董卓軍最強の武将・呂布が虎牢間の前に、三万の精鋭を率いて、布陣していた。呂布の副将は、鉄色の髪と瞳をした張遼という武将だった。弱冠十九歳だが、武芸と統率力に秀でた猛者である。

  虎牢間の董卓軍の総大将は敗死した華雄にかわり、董卓の実弟・董旻が任命された。

  連合軍の帷幕に間者が、報告に来た。帷幕内には、袁紹、曹操など第一軍の諸侯たちが参集していた。

  間者の報告によれば、董卓は汜水関にいるという。虎牢間と汜水関の兵数はともに、十五万をこえ、これは董卓が全兵力を両関門に集結していることを意味していた。

「董卓も決戦をするつもりだな。いいだろう。我が一族の無念を晴らしてやる」

 袁紹が、碧眼に怒気をあらわした。すでに叔父・袁隗と袁一族が、処刑されたことが、彼に伝わっていた。

 連合軍は戦備を整えると、虎牢間の前に軍を進めた。

 先鋒は、鮑信、喬琩、陶謙の三諸侯軍、そして曹操が任命された。

 連合軍の兵力は六万余。

 曹操は六千騎を率いて、最右翼に陣勢をなした。

 早暁の冷気とともに、冬の陽光が大地に降り注いでいた。

 連合軍の軍勢が進むと同時に、呂布の軍勢も動いた。

 呂布の赤い瞳に、連合軍の鮑信、喬琩、陶謙、曹操の四つの軍団が映り込んだ。敵軍の士気の強弱、陣形の乱れ、地勢が、呂布の網膜から脳に入り込む。呂布は、一瞬で敵でもっとも脆弱なのが、喬琩軍だと悟った。

「喬琩軍に突撃せよ!」

 呂布は方天画戟を振り上げた。三万の騎馬兵が彼に続いて吶喊する。

 呂布の黄金の鎧兜に、陽光が反射した。赤兎馬が荒い嘶きをはっして大地を疾駆する。呂布の真紅の瞳が獣のように光った。

 喬琩の軍勢に突入し、方天戟を一閃した。一瞬で、六名が身体を両断されて吹き飛んだ。呂布の方天戟が、血の地獄を作りだした。

 呂布は微塵の容赦もなく、敵兵を切り裂いた。人間が鎧ごと両断され、馬が宙空に舞い上がる。

「化け物め!」

 喬琩は、悲鳴に近い叫びをあげた。  
  隊列が呂布個人の戦闘力で、切り裂かれて無力化していく。呂布の後につづく騎馬隊もまた凄絶だった。圧倒的な速力で、喬琩軍の兵士を槍で突き殺し、剣で切り裂く。

 喬琩軍の兵士は潰走し、喬琩は旗本に守られながら遁走した。

 呂布は喬琩軍を蹴散らした後に、軍を旋回させ、鮑信軍にむかって、突進した。

 呂布の黄金の鎧兜が血で塗装され、赤い神馬・赤兎馬とともに、紅の光をはなった。

「呂布を近づけさせるな! 大楯で隙間なく壁を作れ。遠間から奴を射殺せ!」

 鮑信軍の全軍を指揮する鮑信の実弟・鮑忠が叫んだ。 

  鮑信軍の最前列の歩兵部隊が、大盾をもちいて、隙間なく壁をつくった。壁の間から槍を出し、弓箭隊と弩兵隊が、呂布めがけて矢を放つ。 

 弓弦の音が弾け、矢が驟雨のごとく呂布めがけて襲いかかる。

 呂布の赤い瞳が、襲いかかる矢の雨をとらえた。矢が止まって見える。方天戟を水平に薙いだ。矢が風圧で吹き飛ばされる。

 呂布は方天戟を背中にしまうと、弓矢を取り出して構えた。狙いを定めて射る。豪速の矢が恐るべき速度で宙を切り裂き、鮑信軍の兵士の顔面に突きささった。その矢は貫通し、後ろにいる五人の兵士の頭を撃ち抜く。 

 呂布が矢を射るごとに、鎧兜を貫通し、人間が一矢で四、五人、撃ち殺されていく。

 鮑信軍から、悲鳴があがった。悪夢のごとき光景に将士が震え上がる。

「盾の壁を崩すな! 呂布を陣列内にいれてはならん!」             

 鮑忠が、怒号した。兵士達は大盾にへばりつくようにして身を守る。 呂布が、咆吼し方天戟を薙いだ。爆発音とともに、鉄製の大盾が兵士ごと切り裂かれた。鮮血が宙に舞い散り、盾の壁が崩れ去る。

 呂布が、赤兎馬とともに鮑信軍の内部に突入した。呂布は暴風とかした。周囲にあるもの全てを切り裂き、砕き、粉砕し、突き殺す。

 人間、馬、剣、盾、鎧、すべてが呂布のために破壊されていく。

  「旗本隊! 兄上を逃がせ!」      

  鮑忠が、槍を握りしめた。旗本が、主君・鮑信を護衛しつつ後退する。

 呂布は鮑忠に姿を視界に映した。鮑忠の豪奢な軍装が、将軍たることを示していた。赤兎馬を駆り、鮑忠に無言で襲いかかる。

 鮑忠は槍を呂布の首めがけて突きだした。鮑忠も導士であり、豪勇でなる男であった。

 だが、相手が悪かった。

 呂布が斬撃を見舞うと勝負は一瞬でついた。鮑忠は、槍をつかんだ両腕ごと首を切断されて絶命した。

 呂布軍は一方的に、鮑信軍を蹂躙した。すでに鮑信軍は指揮系統を喪失しており、呂布は一挙に壊滅させるつもりだった。

 だが変事がおきた。突如、呂布軍の後軍に曹操軍六千騎が、突撃した。
曹操の指揮は卓抜していた。斜め後方から、呂布軍の陣形のもっとも脆弱な部分を突いて、陣形を乱した。曹操は鋭い剣のように呂布軍を切り裂いていく。

 呂布は心中で舌打ちした。

(包囲されると厄介だな)

 冷徹に判断を下すと、副将の張遼を呼んだ。

「張遼! 我が軍の半数をまかす。頃合いを見て撤退しろ!」
「御意!」

 若き張遼が答えた。 

 呂布は一万五千の手勢を旋回させると、曹操軍めがけて奔馳した。曹操軍に攻撃をくわえる直前、『曹』の旗がひるがえった。

 曹操は全軍に撤退を命じて、整然と呂布軍から距離を取った。その動きは毒蜂のように狡知なものだった。

(冷静な奴だ)

 と、呂布は思った。曹操の用兵は、忌々しいほどに理知的だった。呂布は全軍に陣地に戻るように命じた。遅れて張遼ひきいる一万五千も撤収する。

 呂布が陣地内に帰還した後、平原が連合軍の死体で埋め尽くされた。
 
 
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