アルフォンス・サーガ  ~大陸英雄伝~

黒木理

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第一章  戦雲

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 暗殺者達の死骸は即座に検視された。暗殺者達は、指輪に仕込んだ毒で自害。そして、鋼の胸甲、剣帯、短剣、脛当てには、シルヴァン皇子の紋章である《赤蜘蛛旗(ガルバトロス)》が、見せつけるように刻印されていた。

「まさか、アルフォンス閣下と、ミストルーン殿下のお命を狙うとは!」
 
 ベルン公国の将士達は驚愕と同時に嚇怒した。

「すぐさまシルヴァン皇子打倒の兵を挙げるべし! 我らベルン公国軍1万2千で、シルヴァン皇子を討つのだ!」
 
 と、即時の討伐を主張する士官までいる。
 
 アルフォンスは、将士達に軽率な発言は控えるように厳命した。北部総督シルヴァンは、20万をこす兵士を動員できる。たいするベルン公国軍は、1万2千。とてもではないがベルン公国単独で勝てる相手ではない。

「我らベルンは帝国南部領の一地方領国にすぎんのだ。
 北部全体を保持するシルヴァン皇子の3〇分の1程度の国力しかない。
 ベルン公国単独で、シルヴァン皇子を打倒する、などという妄言は二度と吐くでない。
 臣下の軽挙によって国が滅びた例は無数にあるぞ。軽挙はつつしめ!」
 
 宰相ヴェーラは過激な発言をした将士達を叱責した。
  アルフォンスと、ミストルーンの護衛が強化され、不審な人間を取り締まるべく、ベルン中に警戒網がしかれた。
  
 3日後、衝撃的な報がベルンにもたらされた。南部諸侯屈指の大貴族エドヴァール家の当主の弟とその娘が暗殺されたのだ。
 
 そして、南部総督イリアシュ皇子の正室・クリスティーネが、暗殺者に襲われたという。
 
 暗殺は未遂に終わり、クリスティーネ夫人は無事であった。そして暗殺の実行犯が、生きたまま捕らえられた。暗殺者は有能な衛兵に取り押さえられ、自害に失敗したのだ。
 
 暗殺者を拷問にかけると、

「北部総督シルヴァン皇子に、暗殺を依頼された」
 
 と、自供したという。
 
 その報は南部全土を激震させた。

◆◆◆◆

【聖暦3068年4月10日】
【場所 イリアシュ皇子の居城エルフィン城】
【南部総督イリアシュ皇子】

 イリアシュ皇子は、自身の居城エルフィン城の広間で、唸り声をあげていた。凶悪な面相が怒りで歪み、イリアシュの傍らにたつ小姓は怯えきって全身を震わせている。平素温和なイリアシュが、ここまで憤激した姿を見せるのは、珍しいことだった。
 
 広間には、主だった廷臣・文官・武官が参集していた。憤激しているのは、イリアシュだけではなく、彼らも同様だった。シルヴァン皇子は卑劣にも、イリアシュ皇子の正室・クリスティーネ夫人の暗殺を企んだのだ。

「暗殺犯の自供は得た。
 シルヴァン皇子が暗殺を命じたことは明らかだ。
即座に南部諸侯に檄を飛ばして、南部諸侯連合軍を編制し、北部総督シルヴァンを討滅すべし!」
 
 武官の1人が叫んだ。武官達の多くが賛同した。その時、白髪の老人が口を開いた。宰相ファルケンハインである。

「待たれよ。それは性急にすぎる」

「では、宰相閣下は、いかにせよと仰せられるおつもりか?」
  
 武官達が、老宰相ファルケンハインに注視した。有能かつ豪毅な、老宰相は荘重な声を発した。

「戦争をするにも大義がいる。
 まず、皇帝陛下にシルヴァン皇子の罪状を報告し、同時にシルヴァン皇子にこちらから問罪使を派遣するのだ。正義と事理がこちらにあることを世に示すためにも、これは必須である」
  
 文官の意見に広間は一瞬、静まった。彼の意見は確かに正論である。古来より戦争には大義名分が必要であり、大義を表明せずに戦をしかけて、敗亡した例は多い。

「殿下、如何なさいますか?」
 
 ファルケンハインが老いた顔を主君にむけた。イリアシュは椅子に座ったまま数秒沈黙し、やがて決断を下した。

「ファルケンハインの進言を用いる。皇帝陛下へ奏上し、シルヴァンにたいしては問罪使を派遣する。同時に、南部諸侯すべてに伝令を出し、南部諸侯連合軍を編制する準備をすすめよ」

「はっ」
 
 重臣達が一斉に敬礼した。
  
 イリアシュは、謁見の間を退出すると、クリスティーネ夫人のいる寝室にむかった。クリスティーネ夫人は、暗殺者に狙われた衝撃で寝込んでしまったのだ。幸い身体にはかすり傷1つないが、深窓の令嬢として生まれた夫人には、あまりに痛烈すぎる体験だった。
 
 愛妻家として知られるイリアシュは、夫人の眠る寝室に足を踏み入れた。室内には、イリアシュとクリスティーネの息子・長子エルヴィン、そして、長女ヒルデガルドが、3歳の弟・パールの手を握って、夫人の眠るベッドの傍らにいた。

「父上」

「お父様」
 
 エルヴィンと、ヒルデガルドはイリアシュの姿を認めると立ち上がって一礼した。次男パールも、兄と姉にならって、可愛らしく頭をさげる。
 
 イリアシュは醜怪な顔に笑みを宿した。エルヴィン、ヒルデガルド、パールの容貌は夫人に似ており、その顔立ちは秀麗である。
 
 3人とも明敏で、イリアシュにとっては、自慢の子供達であった。

「クリスティーネは?」

「薬を使ってお眠りになっておられます」 
  
 イリアシュの問いにエルヴィンが小声で答えた。

「そうか……」
 
 四三歳の皇子は、妻の安眠を妨げぬように静かに子供達を手招きした。
 
 廊下に出たイリアシュは子供達に真摯な眼差しを向けた。

「そなた達は、幼いが賢く強い。だから、予は隠さずに言うことにする。近い将来、父はシルヴァン相手に戦争をすることになるやも知れぬ。そなたらも覚悟を決めておくように」
  
 イリアシュの言葉にエルヴィンとヒルデガルドは毅然として頷いた。3歳のパールのみは、父の言葉が理解できず指を口にくわえてしゃぶり、首をかしげている。
 
 イリアシュは大理石の床に片膝をついて屈み、パールと視線の高さをあわせた。

「パール。父上は、悪い奴を倒しにいくことになるかもしれん。留守の間、ヒルデガルドを守り、領民と姉を守れ。これは男の義務だ」
 
 イリアシュが凶猛な顔ににあわぬ優しい声音でいうと、パールは、

「あい」
 
 と、元気よく頷いた。

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