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3章 ひとつ目の狐
11.
しおりを挟むその言葉を聞いた時、驚くほどストンと胸の中が整理された。
ここに来る前に、永倫に言われたとおりだ。自分がどうすべきはではなく、自分がどうしたいかを考えた時、自ずと答えは見えてくる。
藍玉はいま、彼女が築き上げた分厚い壁を、ほんの少しだけ壊して答えた。彼女が抱えるものの全容はわからないが、そこにはかなり躊躇いがあったはずだ。
だとしたら自分は、そんな彼女に手を貸してやりたい。それが紅焔のやりたいことだ。
(……ったく。俺も丸くなったもんだ)
やれやれと肩を竦めてから、紅焔は呆れた目で藍玉を見下ろした。
「だとしたら、その恰好はダメだな。侍女の服で都に出てみろ。昼間はまだ良くても、夜には悪目立ちがすぎる」
「それは、まあ、たしかにそうですが」
「ついて来い。俺に考えがある」
言いよどむ藍玉に背を向けて、紅焔はさっさと歩きだす。戸惑いながらも、蘭玉は後ろを追いかけて来ていた。
できるだけ周囲の目を避けて、小道を選ぶ。そうしてたどり着いたのは、紫霄宮の中にある私物庫だ。
藍玉がキョロキョロと室内を見ている前で、紅焔はゴソゴソと奥の棚を探る。
「確かここに予備の一着が……あった。これを着ろ、藍玉」
「まあ」
ばさりと投げられた服を受け取り、藍玉は目を丸くした。紅焔が投げたのは、深い藍色の男物の服一式だ。派手過ぎず、地味過ぎず。最近試験に受かった文官見習いあたりが身に着けていそうな、絶妙なラインだ。
「旦那さま、これは?」
「昔、俺が着ていたものだ。それを着れば、上手く都に溶け込めるだろう。俺にはまだ別の服があるから、心配しなくていい」
「別のって……旦那さまも変装をするのですか?」
「たまにこういうことをするんだよ。民に紛れて、都の情報を集めるためにな」
そこではないと、藍玉の目が告げている。己の一着を引っ張り出してから、紅焔はにやりと笑った。
「こうなったら乗りかかった舟だ。俺もこの国の王として、悪名高き最厄の怨霊から生まれる異形とやらをこの目で見ておきたい。俺に同行するという形で、君に外出許可を与えよう」
「危険です。旦那さまもご存知でしょうが、ひとつ目の狐はひとを喰らいます。以前のように、再び死にかけるような目に合うかもしれないのに……」
「そうならないために、君が一緒に行くんだ」
藍玉の前に立った紅焔は、彼女の小さな頭にポンと手を置いた。
「俺が君の危険に目を瞑るように、君も、俺が危険な橋を渡ることに目を瞑れ。それで気が引けるのであれば、全力で俺を守ってみせろ。それが、ひとつ目の狐を追う条件だ」
藍玉は目をまん丸にして、紅焔を見上げている。賢い彼女にはきっと伝わったはずだ。条件を果たすには、まずは彼女自身が、自らの身を守らなければならない。必ず二人一緒に、無事に城に戻る。これはそういう約束であり、縛りだ。
何か言いたげに見つめていた藍玉は、やがて衣を抱きしめて口を尖らせた。
「……旦那さまはズルいです。意地悪です」
「これまで散々、君には振り回されてきたんだ。たまには逆も悪くないだろ」
「ずるがしこくて、まるでイジワル狐みたいです」
「おーおー。今回に限っては、最高の褒め言葉だな」
笑って答えた直後、紅焔は驚いて瞬きした。顔は見えないが、藍玉が自分の胸に飛び込んできたのだ。押し付けるようにしてそこに納まる華奢な体を、紅焔はポカンと見下ろす。
(藍玉……?)
「隣の部屋で着替えてまいります」
すぐに離れた藍玉は、直前の行動については触れずに、いつもの平坦な声でそう宣言する。「あ、ああ」と頷く紅焔に、藍玉はくすりと微笑んだ。
「着替えを覗きたければ、好きにしてかまいません。しかしその時は、今度こそ『キャー、ヘンタイ』と大声で叫んでさしあげます」
「さっさと行け!」
紅焔が怒ると、藍玉は澄ました顔で部屋を出て行った。
(まったく、あいつは!)
ああいえば、こういう。本当に、実に口の減らない妃だ。
けれども。
(少しは、喜んでもらえたのだろうか)
無言で胸に飛び込んできた、自分より一回りも小さな彼女を想う。彼女がどんなつもりであんなことをしたのかは不明だが、悪い意味ではないのは確かだ。もしもあれば、へそ曲がりな彼女の精一杯な感謝の表現だとしたら。
(……悪い気は、しなかったな)
僅かに赤くなった頬を、紅焔は大きな手で撫でる。それから、自らも慌てて変装の為に着替え始めたのだった。
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