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23.うっかり断れなかった約束
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『美術館のチケットいらない?』
姉の夏美から連絡がきたのは、年の瀬が迫る12月のはじめだった。
告げられた美術展の名を、丹原は思わずオウム返しした。
「ハプスブルクの至宝展?」
『そう! 仕事でもらったからあげるわ。私行かないし』
「いや、俺も行かないよ?」
さも、行くでしょ?と言いたげな姉に、冷静に突っ込みを入れる。
興味がないわけではないが、チケットを譲り受けてまで行きたいかというと話は別だ。けれども夏美は、電話の向こうで飄々と続けた。
『あんたじゃなくて庭野君のためよ。一緒に行きなさいよ、あの子と』
「は? なんで庭野?」
『ポニーさん興味あると思うのよね。ほら。小説の参考になるかもだし』
そうか?と思わず足を止めて、スマホ相手に首を傾げてしまう。すると夏実は、やたら自信満々に続けた。
『ほら、前に言ってたじゃない。庭野くんの部屋に、色んな分野の参考文献があったって。歴史ってネタの宝庫じゃない? こういう展示会も、絶対興味あると思うのよね!』
結局夏美に押し切られ、後日丹原は美術館のチケットを受け取った。
ハプスブルクの至宝展は、その名の通り、歴史で栄華を誇ったハプスブルク家の絵画や工芸品、武具に至るまで特別に集めた期間限定の企画展だ。
テレビでも紹介されていたが、かなり見ごたえのある人気の展覧会だ。少しでも世界史を齧ったことがあれば楽しめる内容だろう。
だからといって、会社の後輩と一緒に行くかというと話は別で。
「……庭野と行って来いって言われてもな」
財布に忍ばせたチケットを覗き、丹原を考え込む。夏美がくれたチケットは二枚。庭野に一枚だけ渡しても余るわけだけど、一緒に行くのはなんか違う気がする。
といって自分が持っていても、ひとりでは行かない気がする。しばらく考えて、二枚とも庭野に渡してしまおうという結論に至った。
そんなある時、ちょうど休憩室で庭野と二人きりになるタイミングがあった。さっそく丹原は、財布からチケットを出して庭野に見せた。
庭野の食いつきは、思ったより良かった。
「うわーー! ハプスブルクの至宝展じゃないですか! 六本木でやってるやつですよね? 俺、めちゃくちゃ行きたかったんです!」
きらきらと目を輝かせる庭野に、若干圧されてしまう。とはいえ、喜んでもらえるなら良かった。姉にもらったチケットも、心から望む人間の手に渡って本望だろう。
ほっとしつつ、丹原は二枚とも庭野に渡そうとした。だがその前に、期待たっぷりに庭野に聞かれてしまった。
「いつ行きます? 先輩、今度の土曜日って暇ですか?」
「は?」
「え?」
真顔で聞き返したら、純真無垢な一点の曇りもない瞳で問い返されてしまった。しばらく見つめあってから、コホンと咳払いをして丹原から口を開いた。
「えっと……。え? 一緒に行くのか?」
「だって2枚ありますよ、これ?」
確認のために聞けば、こてんと首を傾げられてしまう。
いや。だからなんで、一緒に美術館に行くことにこれっぽっちも疑問を抱かないんだ。そのように戦慄しつつ、丹原は気を取り直して説明した。
「2枚ともお前にやろうと思ってたんだ。俺はたぶん行かないし」
「えー! 一緒に行きましょうよ!」
妙に食い下がられてしまった。
「や、だからそこまで興味ないんだって」
「なんでですか? 先輩、美術館嫌いとか?」
「嫌いってわけじゃないけど」
「じゃあ、行ってみましょうよ! 行ってみたら、案外楽しいかもしれないし!」
(ぐいぐいくるな!?)
なぜか一緒に行きたがる庭野があんまりに熱心なので、丹原はうっかり押し切られてしまいそうになる。
けれども冷静に考えて、週末に男二人で、それも会社の後輩と美術館に行くのはなんとなく抵抗がある。だから丹原は、チケットを二枚とも押し付けようとした。
「一人で行くのが嫌なら、興味がある誰かを誘えばいいだろ。とにかく、これはやるから。どうせ貰い物だし、好きに使ってくれ」
「――うん。だから、好きに使う」
立ち去りかけた丹原の手が、後ろから摑まれる。何気なく振り返れば、驚くほど近くに庭野のきらきらフェイスがあった。
(う、わ……っ)
「土曜日の11時。美術館前で待ち合わせ。どう?」
「へ?」
はっと我に返って確認すると、摑まれた手にチケットを一枚握らされている。慌てて返そうとするが、庭野はにこにこと笑みを浮かべてさっと丹原の手を逃れた。
「じゃあね、先輩! 俺、待ってますから!」
「は? あ、おい、庭野!?」
丹原の制止も虚しく、庭野は爽やかに手を振りながらさっさと休憩室を出て行く。置いてけぼりをくらった丹原は、ひとり地団駄を踏むのを我慢していた。
(庭野の奴! 俺相手に、無駄にイケメンオーラ振りまくなよ!)
庭野に関心を抱くようになってから知ったことだが、庭野は女性社員の人気が高い。
すらりと背高のスタイル抜群のシルエットや、まるで少女漫画のヒーローのような人懐っこくも甘い顔の作り。ふわふわと柔らかそうな髪質と、明るい瞳。
そうしたビジュアルから、庭野は裏でこっそり白王子と呼ばれているらしい。
忠犬よろしく駆け寄ってくる姿や、少年のようにきらきらと目を輝かせた無邪気な表情。そっちの印象が強いせいで、丹原なんかは「あの庭野が王子?」と首を傾げていたが、さっきの庭野は確かに王子だった。白王子だった。
(うっかりトキめいちまったじゃねえか! ああ、調子狂う……!)
なんということか。度を越したイケメンオーラは、性別の壁をも超えてしまうらしい。
ガシガシと髪をかきむしって、頭の中から庭野のきらきらフェイスを追い出そうとする。
――ちなみに。
庭野の「白王子」のあだ名は、丹原の「黒王子」のあだ名と対になってつけられたものだということや。最近、黒王子と白王子が頻繁に一緒にいるところが社内で目撃されることで、密かに一部の女性社員の胸をときめかせていることなど。
丹原も知らない事実がいつくかあったりするのだが、それはまた別の話だ。
「土曜日11時……ね。あいつ、本気か?」
コーヒーを飲んだりしてようやく落ち着いた頃。丹原は改めて、手の中のチケットを見た。
もしかしたら冗談かも。希望的観測でそう思い込もうとしてみたが、無駄だった。待つと言ったら待つ。庭野はきっと、そういう奴だろう。
(……まあ。ポニーさんの取材に付き合うと思えば、仕方ないか)
最終的に諦めた丹原は、スマホの予定帳に『土曜11時 美術館』と書きこんだのだった。
姉の夏美から連絡がきたのは、年の瀬が迫る12月のはじめだった。
告げられた美術展の名を、丹原は思わずオウム返しした。
「ハプスブルクの至宝展?」
『そう! 仕事でもらったからあげるわ。私行かないし』
「いや、俺も行かないよ?」
さも、行くでしょ?と言いたげな姉に、冷静に突っ込みを入れる。
興味がないわけではないが、チケットを譲り受けてまで行きたいかというと話は別だ。けれども夏美は、電話の向こうで飄々と続けた。
『あんたじゃなくて庭野君のためよ。一緒に行きなさいよ、あの子と』
「は? なんで庭野?」
『ポニーさん興味あると思うのよね。ほら。小説の参考になるかもだし』
そうか?と思わず足を止めて、スマホ相手に首を傾げてしまう。すると夏実は、やたら自信満々に続けた。
『ほら、前に言ってたじゃない。庭野くんの部屋に、色んな分野の参考文献があったって。歴史ってネタの宝庫じゃない? こういう展示会も、絶対興味あると思うのよね!』
結局夏美に押し切られ、後日丹原は美術館のチケットを受け取った。
ハプスブルクの至宝展は、その名の通り、歴史で栄華を誇ったハプスブルク家の絵画や工芸品、武具に至るまで特別に集めた期間限定の企画展だ。
テレビでも紹介されていたが、かなり見ごたえのある人気の展覧会だ。少しでも世界史を齧ったことがあれば楽しめる内容だろう。
だからといって、会社の後輩と一緒に行くかというと話は別で。
「……庭野と行って来いって言われてもな」
財布に忍ばせたチケットを覗き、丹原を考え込む。夏美がくれたチケットは二枚。庭野に一枚だけ渡しても余るわけだけど、一緒に行くのはなんか違う気がする。
といって自分が持っていても、ひとりでは行かない気がする。しばらく考えて、二枚とも庭野に渡してしまおうという結論に至った。
そんなある時、ちょうど休憩室で庭野と二人きりになるタイミングがあった。さっそく丹原は、財布からチケットを出して庭野に見せた。
庭野の食いつきは、思ったより良かった。
「うわーー! ハプスブルクの至宝展じゃないですか! 六本木でやってるやつですよね? 俺、めちゃくちゃ行きたかったんです!」
きらきらと目を輝かせる庭野に、若干圧されてしまう。とはいえ、喜んでもらえるなら良かった。姉にもらったチケットも、心から望む人間の手に渡って本望だろう。
ほっとしつつ、丹原は二枚とも庭野に渡そうとした。だがその前に、期待たっぷりに庭野に聞かれてしまった。
「いつ行きます? 先輩、今度の土曜日って暇ですか?」
「は?」
「え?」
真顔で聞き返したら、純真無垢な一点の曇りもない瞳で問い返されてしまった。しばらく見つめあってから、コホンと咳払いをして丹原から口を開いた。
「えっと……。え? 一緒に行くのか?」
「だって2枚ありますよ、これ?」
確認のために聞けば、こてんと首を傾げられてしまう。
いや。だからなんで、一緒に美術館に行くことにこれっぽっちも疑問を抱かないんだ。そのように戦慄しつつ、丹原は気を取り直して説明した。
「2枚ともお前にやろうと思ってたんだ。俺はたぶん行かないし」
「えー! 一緒に行きましょうよ!」
妙に食い下がられてしまった。
「や、だからそこまで興味ないんだって」
「なんでですか? 先輩、美術館嫌いとか?」
「嫌いってわけじゃないけど」
「じゃあ、行ってみましょうよ! 行ってみたら、案外楽しいかもしれないし!」
(ぐいぐいくるな!?)
なぜか一緒に行きたがる庭野があんまりに熱心なので、丹原はうっかり押し切られてしまいそうになる。
けれども冷静に考えて、週末に男二人で、それも会社の後輩と美術館に行くのはなんとなく抵抗がある。だから丹原は、チケットを二枚とも押し付けようとした。
「一人で行くのが嫌なら、興味がある誰かを誘えばいいだろ。とにかく、これはやるから。どうせ貰い物だし、好きに使ってくれ」
「――うん。だから、好きに使う」
立ち去りかけた丹原の手が、後ろから摑まれる。何気なく振り返れば、驚くほど近くに庭野のきらきらフェイスがあった。
(う、わ……っ)
「土曜日の11時。美術館前で待ち合わせ。どう?」
「へ?」
はっと我に返って確認すると、摑まれた手にチケットを一枚握らされている。慌てて返そうとするが、庭野はにこにこと笑みを浮かべてさっと丹原の手を逃れた。
「じゃあね、先輩! 俺、待ってますから!」
「は? あ、おい、庭野!?」
丹原の制止も虚しく、庭野は爽やかに手を振りながらさっさと休憩室を出て行く。置いてけぼりをくらった丹原は、ひとり地団駄を踏むのを我慢していた。
(庭野の奴! 俺相手に、無駄にイケメンオーラ振りまくなよ!)
庭野に関心を抱くようになってから知ったことだが、庭野は女性社員の人気が高い。
すらりと背高のスタイル抜群のシルエットや、まるで少女漫画のヒーローのような人懐っこくも甘い顔の作り。ふわふわと柔らかそうな髪質と、明るい瞳。
そうしたビジュアルから、庭野は裏でこっそり白王子と呼ばれているらしい。
忠犬よろしく駆け寄ってくる姿や、少年のようにきらきらと目を輝かせた無邪気な表情。そっちの印象が強いせいで、丹原なんかは「あの庭野が王子?」と首を傾げていたが、さっきの庭野は確かに王子だった。白王子だった。
(うっかりトキめいちまったじゃねえか! ああ、調子狂う……!)
なんということか。度を越したイケメンオーラは、性別の壁をも超えてしまうらしい。
ガシガシと髪をかきむしって、頭の中から庭野のきらきらフェイスを追い出そうとする。
――ちなみに。
庭野の「白王子」のあだ名は、丹原の「黒王子」のあだ名と対になってつけられたものだということや。最近、黒王子と白王子が頻繁に一緒にいるところが社内で目撃されることで、密かに一部の女性社員の胸をときめかせていることなど。
丹原も知らない事実がいつくかあったりするのだが、それはまた別の話だ。
「土曜日11時……ね。あいつ、本気か?」
コーヒーを飲んだりしてようやく落ち着いた頃。丹原は改めて、手の中のチケットを見た。
もしかしたら冗談かも。希望的観測でそう思い込もうとしてみたが、無駄だった。待つと言ったら待つ。庭野はきっと、そういう奴だろう。
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