されど御曹司は愛を知る

雪華

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◇第1章 裸の王様◇

この世で一番怖い人①

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 駐車場へ向かう間ずっと、久我は一切口を開くことはなかった。空港の喧騒のお陰でお互い無言でも不自然ではない。以前の玲旺なら、会話が無いことなど気にも留めずにいただろう。  
 でも今は、自分の無責任さと無力さを自覚している。氷雨の件は今でも自分が悪かったと思わないが、「やり過ぎたかもしれない」くらいは考えられるようになっていた。
 
 久我の機嫌が気になって仕方ない。また営業部からも追放されてしまうのだろうか。せっかく、もう少し久我の元で学びたいと思ったのに。

 もっと久我の事が知りたい。

 生まれて初めて許しを請いたいと思い、久我の広い背中を見つめながら言葉を選ぶ。何度か口を開きかけたが、拒絶されたらと思うと中々声が出せない。そうこうしているうちにあの小さな車に辿り着いてしまい、また置いて行かれたらどうしようと急に不安になった。

「あ、あのさ」

 運転席に半分体を入れた久我が、動きを止めて玲旺を見る。助手席のドアの前で玲旺は意を決したように拳を握った。

「あの、さっきは悪かったって、ちょっと思ってる」

 脳内で書いたもう少しまともな謝罪のシナリオは掻き消えて、実際声に出たのは拙いものだった。情けなくなって、ぎゅっと目を閉じる。
 久我は心の底から呆れているに違いない。

「お前、ずっと難しい顔してたけど、もしかして謝るタイミング探してたの?」

 こらえきれないと言うように、久我が吹き出した。予想外の反応に、玲旺は驚いて目を開ける。

「そうか、ちょっとは悪いって思ったか。なるほど、今日一日でかなりの進歩だな」

 久我が運転席に乗り込んだのを見て、玲旺も慌てて助手席に乗る。久我は酷く疲れた様子で背もたれに体重を預けると、両手で顔を覆い、深く息を吐いた。
 やっぱり呆れられているのだと、沈む様な気持ちで玲旺は自分のつま先に視線を落とす。

「お前さぁ、ホント……車のドアは開けられないくせに、タクシーは捕まえられるのな。びっくりした」
「え?」
「俺、置き去りにしたフリして、ちょっと行った先で待ってたんだよ。車停めてさ。しょぼくれてお前が歩いてくるだろうと思って。そうしたら、タクシー拾ってさっさと行っちゃうんだもんなぁ。本当に参った」
「え! 走り去ったんじゃなかったの?」

 久我は思い出したようにククッと笑った後、大きな手のひらを玲旺の頭に乗せた。

「お前にしてみたら、置いてかれたと思って焦るよな。ごめん、俺もおとなげなかった」

 子どもをあやすように、玲旺の頭をポンポンと撫でる。やっぱり温かいと思いながら、玲旺は奥歯を噛みしめた。そうしないと、涙が零れてしまいそうだったから。

「……俺、また別の部署に異動させられる?」
「まさか。お前、見込みあるよ。あの場に一人で乗り込んだ度胸と、安易に鑑定しなかった冷静さは評価してやる」

 玲旺の頭から手を引っ込める時、久我の指先が頬に一瞬触れた。
 たったそれだけの事で、玲旺の鼓動は早くなる。顔が赤くなっていることを悟られないように、慌ててそっぽを向いた。
 窓に映る自分を見て、何て顔をしてるんだと玲旺は戸惑う。
 男性相手にときめくなんて、あり得ない。

「ちょっと寄り道して帰ろうか」

 久我は車を走らせると、直ぐに首都高に乗った。夕暮れの空はパステルをぼかした様な、淡い水色とピンクの見事なグラデーションで、前を行く車のテールランプが鮮やかに灯る。  
 フロントガラスいっぱいに広がる湾岸の景色に玲旺は圧倒され、後部座席からでは決して見る事の出来ない眺望に感動すら覚えた。「綺麗だね」と、素直にそんな言葉が出る。

「この時間は夜景とはまた違った魅力があるよな。ほら、レインボーブリッジ」

 ライトアップされて白く浮かび上がる主塔を見上げる。こんなにまじまじと眺めることなど無かったなと思いながら、運転席の久我に視線を移した。楽し気にハンドルを人差し指でトントン叩いているその横顔を、気付かれないように見つめ続ける。

 このまま大渋滞にでも巻き込まれたら良いのに。
 帰らなくていい理由が欲しい。

 願いと反してスムーズに流れる首都高に、玲旺はガッカリしながら小さく溜め息を吐いた。このままだと、三十分もしないで会社に着いてしまう。恨めしい気持ちで窓の外を睨んでいたら、『台場出口』の看板が示す矢印の方向へと車は進んで行った。

「え、お台場?」
「寄り道しようって言っただろ」

 高速を降りると、久我は手元のボタンを操作して助手席側の窓を全開にした。

「うわっ」

 一瞬で車内が潮の香りに包まれ、窓から流れ込んできた海風が玲旺の栗色の髪を巻き上げる。久我は深呼吸をすると、すまし顔で満足そうに頷いた。

「思ったより寒くないな、風が丁度いい。海って何かテンション上がるよなぁ」
「ちょ。自分の方の窓開けろよ。何で俺だけ」
「だって、こっちの窓開けたら風で俺の髪がボサボサになっちゃうじゃん」

 悪戯が成功した子どものように、あははと久我が笑う。玲旺は抗議の意味を込めて思い切り口を尖らせた。

「さすがにまだ仕事が残ってるから、車停めて海を眺める時間はないけど。まぁ、海沿い走るだけでも気分転換にはなるだろ?」

 寄り道も窓を開けたのも、自分への気遣いだと知って、驚くと同時に胸が震えた。

「おっ、自販機発見。ちょっと飲物買ってくるから待ってて」

 海浜公園の近くで車を停めると、久我は玲旺を車に残したまま、あっという間に自動販売機で缶コーヒーを二本買って戻ってきた。
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