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◇第3章 付かず離れず◇
心はずっと大忙し
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仕事、仕事、仕事。そうだ、仕事をしよう。
週明けの出社早々、玲旺は取り憑かれたように仕事に没頭した。
久我の営業アシスタントを任されている玲旺は、メールをチェックし、急ぎの案件や予定の変更がないことを確認した後、久我と伝達事項を共有する。久我が営業で出かけている間は、書類の山に囲まれて事務作業に追われた。
会議の資料作成に在庫の問い合わせ、発注作業。交通費の清算に、クライアント対応。その合間に郵便物の仕分け。目まぐるしく動いていれば、少しは気も紛れた。それに、どうせ弟でいなくてはならないのならば、「可愛い」よりも「頼れる」弟でいたい。
久我が求める理想の弟像は、恐らく庇護欲を掻き立てるような甘やかし甲斐のある存在だと解っていたが、そこは玲旺にも男のプライドがあった。
きちんと一人前になって、認められたい。
「あ、資料まとめておいてくれたのか。ありがとう、助かる」
入力作業に集中していると、頭上から久我の声が降ってきた。
「久我さん、おかえりなさい。先程札幌のショップから電話があって、ショーウィンドーの新レイアウト案、確認してほしいとの事でした」
「ああ、了解」
久我が玲旺の隣に座り、鞄から取り出したノートパソコンを開く。
フォーチュンの営業部は個人のデスクが決まっておらず、食堂の長テーブルのような大きなデスクがいくつも並んでいて、好きな場所で作業が出来た。とは言え、玲旺はいつも吉田や鈴木の側に座り、久我も玲旺の近くに来るので、顔触れは大体いつも同じだ。
「うー、肩が痛い。久我さん、私ももうすぐ出来上がるので、確認お願いします」
販促イベントの企画書を作成していた鈴木が、首を左右に振ってゴキゴキと骨を鳴らす。それから「あ、そうだ」と言って、コンビニの袋を漁りだした。
「甘いものが食べたくて、キューブのチョコいっぱい買ってきたんです。ハイお裾分け」
隣の吉田と目の前に座る久我にチョコを手渡したあと、斜め前に座る玲旺には手が届きそうもないと判断したらしく、鈴木がチョコを片手に構えた。
「桐ケ谷くん、いくよ!」
玲旺は「何が?」と思いつつ、鈴木が投げるようなモーションをしたので首を傾げながら見守る。鈴木の手から離れた小さなチョコが、放物線を描きながら玲旺の額に直撃した。
「いてっ」
「えっ、ごめんなさい! てっきり受け取ってくれるかと思って。大丈夫ですかっ」
鈴木が驚いて口元に手を当てた。吉田が笑いをこらえながら玲旺の額と机の上に落ちたチョコを見比べる。
「いやいや、今のは桐ケ谷くんがチョコをキャッチするべき場面かと」
そう言われて、玲旺は鈴木が投げる前に「いくよ」と声を掛けた理由に初めて気づいた。
「そっか、俺にパスしたのか」
「そ、そうです。あ、でも、食べ物を投げ渡される経験なんて、考えてみたら桐ケ谷くんには初めてのことかもしれないですね」
申し訳なさそうに縮こまる鈴木に、玲旺は慌てて首を振った。
「確かに初めてだけど、なんかコレ、気取らない仲間って感じでいいね。こういうお菓子も凄く新鮮」
玲旺が嬉しそうにチョコを手のひらに乗せたのを見て、鈴木と吉田が同時に立ち上がり身を乗り出した。
「桐ケ谷くん。前から思ってたんだけど、キミ、今まであんまり良い友達に巡り合えてなかった? 俺、明日から毎日桐ケ谷くんにおやつ買ってくるね。みんなで食べよう」
「桐ケ谷くん、コンビニ行ったことある? 今度お昼ご飯一緒に買いに行こうよ」
二人の顔があまりに真剣なので、玲旺は思わず噴き出した。
「うん。ありがとう、嬉しい」
チョコレートの包み紙を解いて、ゆっくりと口へ運ぶ。舌の上で溶けるチョコを楽しみながら美味しいと笑った玲旺を見て、鈴木も吉田も嬉しそうに笑みをこぼす。
本当に不思議だ。
ほんの数か月前だったら、こんな光景は考えられなかった。きっと二人に向かって「余計なことはするな」と怒鳴っていたに違いない。
久我に出会ってから、本気で叱られたり甘やかされたり、距離が縮んだと思ったら突き放されて、それでも側にいたくて必死で、ずっと心が大忙しだった。
ブンブン振り回されているうちに、棘も鎧もすっかり削ぎ落とされ、自分をぐるっと囲っていた壁もいつの間にか消えてしまったようだ。
物思いにふける玲旺の横から久我の大きな手のひらが伸びてきて、チョコが当たった額を「良かったね」と言いながらそっと撫でる。
玲旺は口をもぐもぐさせながら、久我にこくりと頷いた。
「やっぱり桐ケ谷は可愛いなぁ」
「可愛いなんて言っていられるのも今のうちですからね。バリバリ仕事こなして、直ぐに久我さんに追いつきますから!」
チョコを頬張りながら地団駄を踏む玲旺に、久我は目を細めた。
「それは楽しみだ」
玲旺の方を向いたまま頬杖をついて、クスッと笑う。
大人の余裕と色気を感じさせるような、優雅な久我の笑顔に心臓が小さく跳ねた。無意識に唇を見つめてしまい、慌てて目を逸らす。
パソコン画面に向き直り作業を再開させようとしたが、目の端に映る久我がまだこちらを見ているような気がした。視線を戻すと、やはり久我は玲旺を眺めたまま微笑んでいる。
「まだ何かご用ですか?」
平静を装って、あえて鷹揚に尋ねた。そんな大人ぶった玲旺が可笑しかったのか、久我が小さく肩を揺らして笑う。
やっぱり陽だまりみたいだ。この人を独り占め出来たらどんなに良いか。
濃い茶色の髪から覗く形の良い耳。シャープな顎のライン。色香が漂う首筋。ワイシャツの下に隠された鎖骨も、きっと綺麗なんだろう。
触れてみたい。そんな事を考えていたら、知らぬ間に久我の頬に手を伸ばしていた。
予想外の行動に、久我は驚いた風に眉を上げた後、頬に触れる前に玲旺の手を掴んで止める。
「何? 俺の顔になんかついてる?」
「あ、いや……」
自分でも何をしてるんだと戸惑った玲旺は「睫毛がついてたから」と、しどろもどろに答えた。久我は薄く笑った後、「そう」とだけ言って、自分のノートパソコンに向き直る。
また拒まれた。
弟で構わないと納得したはずなのに、こんなことでいちいち傷つく未練がましい自分が嫌になる。
仕事をしよう。久我に追いつけるように、頼ってもらえるように、何よりも自分の為に。
週明けの出社早々、玲旺は取り憑かれたように仕事に没頭した。
久我の営業アシスタントを任されている玲旺は、メールをチェックし、急ぎの案件や予定の変更がないことを確認した後、久我と伝達事項を共有する。久我が営業で出かけている間は、書類の山に囲まれて事務作業に追われた。
会議の資料作成に在庫の問い合わせ、発注作業。交通費の清算に、クライアント対応。その合間に郵便物の仕分け。目まぐるしく動いていれば、少しは気も紛れた。それに、どうせ弟でいなくてはならないのならば、「可愛い」よりも「頼れる」弟でいたい。
久我が求める理想の弟像は、恐らく庇護欲を掻き立てるような甘やかし甲斐のある存在だと解っていたが、そこは玲旺にも男のプライドがあった。
きちんと一人前になって、認められたい。
「あ、資料まとめておいてくれたのか。ありがとう、助かる」
入力作業に集中していると、頭上から久我の声が降ってきた。
「久我さん、おかえりなさい。先程札幌のショップから電話があって、ショーウィンドーの新レイアウト案、確認してほしいとの事でした」
「ああ、了解」
久我が玲旺の隣に座り、鞄から取り出したノートパソコンを開く。
フォーチュンの営業部は個人のデスクが決まっておらず、食堂の長テーブルのような大きなデスクがいくつも並んでいて、好きな場所で作業が出来た。とは言え、玲旺はいつも吉田や鈴木の側に座り、久我も玲旺の近くに来るので、顔触れは大体いつも同じだ。
「うー、肩が痛い。久我さん、私ももうすぐ出来上がるので、確認お願いします」
販促イベントの企画書を作成していた鈴木が、首を左右に振ってゴキゴキと骨を鳴らす。それから「あ、そうだ」と言って、コンビニの袋を漁りだした。
「甘いものが食べたくて、キューブのチョコいっぱい買ってきたんです。ハイお裾分け」
隣の吉田と目の前に座る久我にチョコを手渡したあと、斜め前に座る玲旺には手が届きそうもないと判断したらしく、鈴木がチョコを片手に構えた。
「桐ケ谷くん、いくよ!」
玲旺は「何が?」と思いつつ、鈴木が投げるようなモーションをしたので首を傾げながら見守る。鈴木の手から離れた小さなチョコが、放物線を描きながら玲旺の額に直撃した。
「いてっ」
「えっ、ごめんなさい! てっきり受け取ってくれるかと思って。大丈夫ですかっ」
鈴木が驚いて口元に手を当てた。吉田が笑いをこらえながら玲旺の額と机の上に落ちたチョコを見比べる。
「いやいや、今のは桐ケ谷くんがチョコをキャッチするべき場面かと」
そう言われて、玲旺は鈴木が投げる前に「いくよ」と声を掛けた理由に初めて気づいた。
「そっか、俺にパスしたのか」
「そ、そうです。あ、でも、食べ物を投げ渡される経験なんて、考えてみたら桐ケ谷くんには初めてのことかもしれないですね」
申し訳なさそうに縮こまる鈴木に、玲旺は慌てて首を振った。
「確かに初めてだけど、なんかコレ、気取らない仲間って感じでいいね。こういうお菓子も凄く新鮮」
玲旺が嬉しそうにチョコを手のひらに乗せたのを見て、鈴木と吉田が同時に立ち上がり身を乗り出した。
「桐ケ谷くん。前から思ってたんだけど、キミ、今まであんまり良い友達に巡り合えてなかった? 俺、明日から毎日桐ケ谷くんにおやつ買ってくるね。みんなで食べよう」
「桐ケ谷くん、コンビニ行ったことある? 今度お昼ご飯一緒に買いに行こうよ」
二人の顔があまりに真剣なので、玲旺は思わず噴き出した。
「うん。ありがとう、嬉しい」
チョコレートの包み紙を解いて、ゆっくりと口へ運ぶ。舌の上で溶けるチョコを楽しみながら美味しいと笑った玲旺を見て、鈴木も吉田も嬉しそうに笑みをこぼす。
本当に不思議だ。
ほんの数か月前だったら、こんな光景は考えられなかった。きっと二人に向かって「余計なことはするな」と怒鳴っていたに違いない。
久我に出会ってから、本気で叱られたり甘やかされたり、距離が縮んだと思ったら突き放されて、それでも側にいたくて必死で、ずっと心が大忙しだった。
ブンブン振り回されているうちに、棘も鎧もすっかり削ぎ落とされ、自分をぐるっと囲っていた壁もいつの間にか消えてしまったようだ。
物思いにふける玲旺の横から久我の大きな手のひらが伸びてきて、チョコが当たった額を「良かったね」と言いながらそっと撫でる。
玲旺は口をもぐもぐさせながら、久我にこくりと頷いた。
「やっぱり桐ケ谷は可愛いなぁ」
「可愛いなんて言っていられるのも今のうちですからね。バリバリ仕事こなして、直ぐに久我さんに追いつきますから!」
チョコを頬張りながら地団駄を踏む玲旺に、久我は目を細めた。
「それは楽しみだ」
玲旺の方を向いたまま頬杖をついて、クスッと笑う。
大人の余裕と色気を感じさせるような、優雅な久我の笑顔に心臓が小さく跳ねた。無意識に唇を見つめてしまい、慌てて目を逸らす。
パソコン画面に向き直り作業を再開させようとしたが、目の端に映る久我がまだこちらを見ているような気がした。視線を戻すと、やはり久我は玲旺を眺めたまま微笑んでいる。
「まだ何かご用ですか?」
平静を装って、あえて鷹揚に尋ねた。そんな大人ぶった玲旺が可笑しかったのか、久我が小さく肩を揺らして笑う。
やっぱり陽だまりみたいだ。この人を独り占め出来たらどんなに良いか。
濃い茶色の髪から覗く形の良い耳。シャープな顎のライン。色香が漂う首筋。ワイシャツの下に隠された鎖骨も、きっと綺麗なんだろう。
触れてみたい。そんな事を考えていたら、知らぬ間に久我の頬に手を伸ばしていた。
予想外の行動に、久我は驚いた風に眉を上げた後、頬に触れる前に玲旺の手を掴んで止める。
「何? 俺の顔になんかついてる?」
「あ、いや……」
自分でも何をしてるんだと戸惑った玲旺は「睫毛がついてたから」と、しどろもどろに答えた。久我は薄く笑った後、「そう」とだけ言って、自分のノートパソコンに向き直る。
また拒まれた。
弟で構わないと納得したはずなのに、こんなことでいちいち傷つく未練がましい自分が嫌になる。
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