されど御曹司は愛を知る

雪華

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◇第2章 人の上に立つ素質◇

弟の仮面を被ろう②

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 久我は目を細めながら、玲旺の髪をゆっくりとすくい上げるように梳かす。髪の間を滑る指先に、玲旺は思わずうっとりしてしまった。今までこんな風に、誰かに大切そうに触れられた事など一度もない。そもそも、玲旺も誰にも気安く髪を触らせるなどしたことがなかった。

 この関係性を、疑似的な兄と弟と表現するのは正しいのだろうか。もっと別の、もっと特別な呼び名があるのではないか。
 だんだん息が苦しくなってくる。
 先程は耐えきれずに突き放してしまったが、もうこの鳴りやまない心臓の理由を認めた方が良い気がしてきた。ずっとこうして髪を撫でていて欲しい。この暖かさを手放したくない。すがり付きたい衝動を抑えながら久我を見上げる。

 しかしもう一方で、「本当にいいの?」と内側から問いかける声がした。久我は男で、自分も男で、それはつまり今までの自分の価値観を一切合切壊してしまう。
 もしもこれが部屋で一人きり自問している状況だったなら、もう少し冷静でいられたのかもしれない。けれど現実には目の前に久我がいて、優しい笑みを玲旺に向けている。
 胸の奥が甘く疼いた。チラチラと小さな灯が揺れているような、なんとも言えないもどかしさに包まれる。

――男とか女とか関係なく、久我が欲しい。
 
 胸の奥に押し込めようとした本心が、幾重にも包んだ言い訳を突き破る。
 いっその事、もっと距離を詰めてみようか。唇が触れそうなくらい近くに。
 そうしたら久我はどんな顔をするのだろう。驚くだろうか。拒むのだろうか。
 そもそも久我が同性を愛せるのかどうかもわからないが、それでもうんと困らせて、その思考の全てを自分だけで埋めてみたい。
 そう思ったら居てもたってもいられず、玲旺は思い切って口を開く。

「久我さん、俺……」

 瞬間、久我の表情が強張ったような気がした。

 久我は玲旺の声に被せるように、「さあ、後半も頑張ろうな」と告げてサッと身をひるがえす。 
 早々に接客に戻った久我に置いて行かれた玲旺の脳裏に、もしかして逃げられた? という疑念がよぎる。まるで玲旺が何を言おうとしたのか察し、明らかに警戒したように見えた。 

 今までの久我の態度から、少なからず好意を持ってくれているのではないかと期待していた玲旺は、肩透かしを食らったような気持になった。部下と接する態度にしては距離が近いし、二人の時は敬語はいらないなんて特別扱いしてくれたのに。
 やはり久我が自分に求めるポジションは、あくまでも恋人ではなく、手のかかる可愛い弟なのかと落胆する。

 久我に言いそびれた言葉は行き先を失くし、胸の底におりのように沈んでいった。それと同時に、弟でも上等じゃないかという思いも沸く。
 これで良かったのかもしれない。勢いに任せて自分勝手に想いを告げ、距離を取られるくらいなら今のままの方がずっといい。
 恋人じゃないなら、別れも来ない。始まっていないのだから終わりなんて来るわけがない。

 今度はちゃんと、弟の仮面を被ろう。
 その仮面を付けている間は、側にいる事を許される。髪や頬を撫でて甘やかして貰える。
 それでいい。それだけでいい。

 華やかな会場の片隅で玲旺は独り決心すると、どこも傷ついていないような顔で売り場へ戻った。

 その後の久我は露骨に玲旺を避ける事もなく、いつもと変りないように見えた。相変わらず玲旺の頭を撫でたりもする。きっとこの距離なんだ、と玲旺は納得した。これ以上近づくと、恐らく遠ざけられてしまう。

 撤収後に一人乗ったタクシーの中で、じれったさに思わずため息を漏らした。結ばれないのが解っていながら側にいたいと願う自分は、いつからこんなに不器用になってしまったのだろう。そもそも今までどんな恋愛をしてきたっけと、疲れた頭で考え始める。

 友達付き合いに辟易していた玲旺は、上辺だけの交友関係しか持たなかった。他人に好意を持つことも、強烈に誰かを欲したこともない。
 言い寄られて気が向けば一夜を共にし、そのまま二度と会わないこともあれば、何度か肌を合わせてどちらかが飽きたら離れると言う雑な終わり方しか知らなかった。
 ただの自慰行為の延長だ。こんなものを恋愛とは呼べないだろう。まともな経験がないうえに、片想いが初めてという事実に打ちのめされる。

「俺って恋愛偏差値ゼロだったんだなぁ」
 
 自己分析して途方に暮れた。
 それでもこの恋は粗末にしたくない。叶わなくても失いたくないと、強く思う。
 やはり久我に不用意に近づくべきではないと、改めて考えながら窓の外に目をやった。週末の二十二時などまだまだ宵の口といった具合で、繁華街は人通りも多い。コンビニや居酒屋の看板が煌々としていた。

 賑やかな街並みを眺めながら、そこから隔離されたように静かな車内で、玲旺は自分で自分を抱きしめるように腕を組む。寒い訳ではないのに、どうしようもなく体が冷えていく。

 恋心に気付いたその日に失恋した自分が情けなくて、流れる夜景を見ながら弱々しく笑った。
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