されど御曹司は愛を知る

雪華

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◇第4章 月も星も出ない夜◇

どの分岐点を選んでも②

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「着きましたよ」

 運転手に告げられて顔を上げる。開いたドアの向こうに目を向けて、玲旺はギョッとした。

「何で藤井がここにいるんだよ」
「こんばんは。さあ、早く降りてください」

 呆然としていたら、腕を掴まれ引きずり降ろされた。背後でバタンとドアが閉まり、タクシーが走り去っていく。

「俺、金払ってないのに」
「どうせ久我がアプリを使って配車したんでしょう? だったら彼のカードで決済されますから、心配無用です」

 久我の名前を言い当てられて、玲旺は驚いて藤井の顔を凝視した。

「なんで久我さんってわかるの?」
「玲旺様の体に全く合っていないこのシャツに、見覚えがあったもので。……おや?」

 藤井は呆れたように鼻で笑い、玲旺が着ているワイシャツの襟を指で軽く摘む。襟を少し引いて背中を覗き込み、眉間に皺を寄せながら眼鏡の位置を直した。

「背中に赤紫の痣がいくつもついていますよ。どこで悪い虫に噛まれたんでしょうねぇ」

 玲旺の顔がカッと赤くなる。藤井の手を跳ね除けると、鋭く睨んだ。

「俺に触るな。そんな事よりシャツを見ただけでわかるなんて凄いな。久我さんの事なら何でも知ってんの? そんなに好きなんだ」
「フォーチュンのオーダーシャツだと言っていたので記憶に残っていただけです。好き? 私が彼を? 高く評価はしておりますが、違います。想い人は他にいますので」
「へぇ。藤井に想い人がいたなんて初耳。どんな人?」

 意外な返答に玲旺は興味を持ったが、藤井は少しも表情を崩さず淡々と話しを進めていく。

「相当に鈍感な人です。まぁ、どうこうなるつもりはないのでその方が有難いんですがね。それよりも、こんな時間に私がここであなたを待っていた理由は気になりませんか?」

 豪邸と言っても差し支えない一軒家が並ぶ高級住宅街。その中でも一際大きい玲旺の自宅前で、藤井は肩をすくめて見せた。

「見合いを断ったから……?」
「いいえ。あの見合いはただの付き合いで、結果はどうでも良いのです。それよりも、虫除けも兼ねた人事異動をお伝えに参りました」

 藤井は鞄の中から一枚の紙を取り出すと、玲旺に良く見えるよう掲げた。そこには辞令が書いてあり、玲旺は驚きの余り言葉を失う。

「週明けから秘書課に転属願います。玲旺様は最近社内外から評判も高いので、そろそろ幹部の近くで業務に携わっても良いだろうとの判断です。早速ですが日曜から二週間、イタリア出張に社長と同行して頂きます。その後はロンドン支社へ研修に」
「それは、俺が久我さんの家へ行ったせい?」

 血の気が引いて青白い顔をした玲旺は、震えながら辞令を受け取った。藤井は静かに首を横に振る。

「以前から決まっていた事です。まぁ、ロンドン支社への研修は、多少時期を早めましたがね」

 藤井は玲旺の着ているシャツを見ながら、含みをもたせた言い方をした。

「こんな話……道端でするもんじゃないだろ」
「全くその通りです。あなた様が真っ直ぐ帰宅してくださっていれば、リビングでゆっくりご説明できたのに残念です」

 返す言葉が見つからず、玲旺は黙り込んで俯いた。けれど、もしかしたら丁度いいのかもしれない。 
 二週間の出張に加えて海外へ研修ならば、物理的に久我と距離を置くことが出来る。顔を合わせなくて済むと知ったら、きっと久我は胸を撫で下ろすだろう。

「わかった。俺の代わりに引継ぎを頼む」
「さすが玲旺様、ご理解頂けて嬉しく思います。全て滞りなく手配いたしますので、後はお任せください。それではこれで失礼しますね。ゆっくりとお休みになってください」

 藤井は玲旺に頭を下げると、暗い夜道を帰っていった。一人残された玲旺は途方に暮れて天を仰ぐ。星どころか月すら見当たらない夜空では、感傷に浸る気にもなれない。

「久我さん、どうしよう。ホントに最後の夜になっちゃうよ」

 届かない言葉をひっそり呟く。真っ暗な空が実はただの黒い布で、今にも上から落ちてきて飲み込まれてしまいそうな気がした。
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