されど御曹司は愛を知る

雪華

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◇第5章 愛してはいけない◇

深海②

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 次の週末、管理会社の事務所で結果を知らされた久我は愕然とした。希望していた区画どころか、フロアの奥まった人があまり来なそうな場所を割り当てられていたのだ。それだけでも重い負担となるのに、あの好立地を手に入れたのは、よりによってジョリーだった。

「結果は承知しました。では、このお話は白紙に戻していただけますか。フォーチュンはこちらでの出店を取りやめます」
「えっ!」

 担当者が顔色を変える。
 これで配置をジョリーと代えてくれればそれで良いし、このままこちらの希望が通らないなら本当に撤退して構わない。

「フォーチュンさんの実力を鑑みた結果なんです。あの場所でも、御社なら集客力はありますし……売り上げは見込めますでしょう?」

 冗談じゃないと久我は憤る。
 他の店だとあの悪条件では長続きしないから、フォーチュンの企業努力で何とかしろとババを引かされたのだ。

 商業施設への出店は、通常よりも金がかかる。それなのになぜ店を出すのかと言えば、それ自体が実績となり宣伝になるからだ。無名のアパレルなら出店できただけでもチャンスと捉えるかもしれないが、今の条件ではフォーチュンにはまるでメリットが無い。
 どうしたってジョリーと場所を比較され、奥に追いやられたという悪印象を持たれてしまう。
 結果は覆らないと判断した久我が、溜め息とともに決別を告げる。

「残念ですが、今回は縁がなかったという事で」
「ほ、本当に白紙にしちゃうんですかぁ? 勿体ない」

 担当者は狼狽えていたが注目度の高い施設なので、代わりは探せば幾らでもあると考えたのだろう。それ以上引き留める事はしなかった。

 契約せずにそのまま事務所を出て、駐車場へ向かう。胃がムカムカして吐きそうなのに、前から来る人物を見て本格的に気分が悪くなった。スマホ画面に目を落とし、気付かないフリをしたまま通り過ぎる。

「おいおい、久我さん。無視すんなよ」

 ガサガサした下品な声に名を呼ばれ、仕方なく立ち止まった。舌打ちしなかっただけ上出来だろう。

「ああ、すみません気付きませんで。こんにちは、紅林くればやしさん」

 声の主はジョリーの御曹司だった。相変わらず体に合っていないスーツを着ている。

「もう店舗の場所聞いたろ? 今回でハッキリしたな、どちらが今後期待されているか。そりゃ、似たような商品なら安い方が良いに決まってるからなぁ。これからは、やっぱりジョリーの時代だよな。ま、恨むなよ」

 商業施設の一等地を手に入れた紅林は、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。「似たような」じゃなくて、お前らがただ真似てるだけだろうと、呆れてものが言えなくなる。
 陳腐な挑発や優位性を自慢するところなど、三十路を過ぎているのに紅林の言動は子供っぽい。

「我が社には値段なりのこだわりと矜持がありますよ。それに期待の有無ではなく、低価格を好んだ施設側の単純な都合でしょう。今回はこちらと縁がなかったので、我々は撤退します」
「なんだ、勝負しないのかよ。ウチと張り合う前に怖気づいちゃった?」

 馬鹿か。と、喉まで出かかった。

「リソースと手間を割いてまで、あの場所に執着するメリットはゼロと言うことです。同じ労力をかけるなら、別の企画を立ち上げてもっと有意義な店を作ります」

 商業施設のメリットは、建物自体に集客力があることと、施設も宣伝してくれるので広告費が多少は浮くことだ。しかしデメリットも大きい。 
 テナント料は毎月売り上げによって変動し、売り上げが多いほど賃料も高くなる。もちろん、売り上げが低くても下限額のテナント料を支払わなければならない。

 あの区画で利益を上げるのは相当な努力と工夫が必要だろう。
 それなのに一等地にあるジョリーより格下のような印象を与えかねず、全く努力に見合わない。どう考えても出店はマイナスでしかなかった。

「つまんねーの。逃げるんだ」
「逃げるが勝ちと言う言葉もございましょう。少なくない額の金を動かすんです。引き際を間違えたら、大ダメージですから」
「はいはい。言い訳ごくろーさん。じゃ、もっと有意義な店づくりがんばってねー」

 棒読みで告げながら紅林がひらひらと手を振る。事務所へと消えて行く背中を見送りながら、ぎりっと奥歯を噛み締めた。久我は車に乗り込むと、「くっそ!」と思い切りハンドルを叩く。自分に腹が立って仕方なかった。

 もっと早く施設側の動きに気付いていたら、回避できた事態かもしれない。
 もっと上手く動けていたら、ジョリーの鼻を明かせたかもしれない。

 玲旺がいなかった二週間、ずっと浮ついていた自分の不甲斐なさがどうにも許せなかった。注意力は散漫になり、取引先へのフォローも疎かになっていた。誰よりも玲旺を支えていたいのに、今のままでは取り返しのつかない失態をおかして、足を引っ張りかねない。

 滅入りながらも上司に電話で事の顛末を報告すると『君らしくないミスだね』と驚かれ、久我は言葉に詰まる。

「……これをミスと呼ばなくて済むように、別のやり方で挽回してみせます」
『そうか。期待しているよ』

 いっそ罵ってくれ、罰を与えられた方が楽だと、片手で目を覆った。そんな甘えは許されないと理解している。自分の立場上、この企画以上のもので失地回復を目指さねばならない。「はい」と答えて電話を切った。
 本当にどうかしている。ただ、玲旺がいないだけで。

 しばらく動けずにハンドルに顔を埋めてジッとしていたが、助手席に放り投げたスマホが鳴りだしてそちらに目を向けた。

「桐ケ谷……?」

 慌てて取った電話の向こうから、『もしもし?』と玲旺の声がする。

『あ、久我さん? 今外回り中なんでしょ。俺、今桜華大にいるんだけど、迎えに来てよ』

 いつもと変わらない生意気な話し方で、なんだか気が抜けた。

「お前、いつ日本に戻ったんだよ。って言うか、確かに桜華大は帰りに寄れるけど、そこまで三十分かかるぞ。電車で戻った方が早いんじゃないか?」
『挨拶は今から。久我さんがこっちに着く頃に丁度終わるよ。また電話する』

 言いたいことだけ言うと、あっという間に電話は切れた。久しぶりに聞いた玲旺の声に指先が震える。あんなに重かった体が嘘のように簡単に動き出し、気付くと車を走らせていた。

 顔を見るのはあの夜以来だ。僅かに緊張している自分に気付く。何でこんな情けない失敗をした日にと思いながらも、やっと会えるという気持ちが強かった。
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