おもしろ中編小説集

オガワ ミツル

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極寒・厳しい戦争の思い出

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 私は毎年訪れてくる身の凍るような極寒の冬が来ると、父を思い出す。
 温かい暖炉の前で、冬になると目を通す父が残した古い日記がある。
 私はその分厚い日記を1枚1枚めくりながら、書かれた文字を読み取りその時の光景を想像し、父の気持ちを思っていた。

 もう幾度となく何回も読み直していた。
 その度にいつも複雑で、厳粛な気持ちになる。人が生きるとは何か? 何故生きるのか? そのことを深く考えさせられるのである。
 暖炉には薪がパチパチと勢い良く弾け、暖かい炎が、その熱が私を暖めてくれる。眼を閉じると、そこに父の息吹と父の魂を感じるのである。外には雪が降り始め、その白い粉が舞い始めていた。

 私は幼い頃の父のことをあまり憶えていない。
 父は、私が母の胎内にいたとき、ある戦争に駆り出されていた。
 その戦争は、激しい戦争だったが父は死なずに、ただ一人生きて戻ってきたのだった。
 帰国してから父は直ぐには家には戻らなかった。

 それにはある理由があるからである。家に帰ってきた時、その姿はやつれて人が変わったように見え、まるで亡霊のようだったと母から昔聞いたことがある。
 母は乳飲み子の赤ん坊の私を抱え、父を信じて待っていたのである。
 そして夢のような気持ちで父を迎えた。そして二人は再会した。父が生きて帰れたこと、それは本当に奇跡だったのである。

 それから長い長い、時間が流れていった。その母も父も今はいない。
 私は成長しずっと後の或る日、父の遺品を整理していたとき、ふと、紙に包んであった古く分厚い日記を押入の奥から偶然見つけたのである。それがこの日記である。
 今までに、それに気が付かなかったのが不思議である。

 それは時を待って、戦争の悲惨さを伝えようと言う父の魂のような気がしたのである。その紙は薄汚れ、ところどころに判読できない文字があるが識別が出来なくもない、文面からして戦地から戻り、間もなく書いたように思われる。

 それがこの日記である。そこには父の戦時下での生々しい思いを綴ってあった。この日記を読んでいると、父の思いがヒシヒシと伝わってくる。

 私は今、温かい暖炉の前で椅子に座り、その日記を紐解いてみた。
 そして読み始める。それは長い日記だった。


             父の日記

 私は寒い季節になると、あの昔のことを思い出す。
 あのとき経験したことは、決して思い出したくないことであり、胸が苦しくなる・・その一方で、その記憶の中に何故か懐かしい記憶として蘇ってくる部分がある。

 もうとっくに忘れていた古いことも、人という者は何故か、急に記憶という形で蘇ってくるようである。記憶は、本来楽しいことや、嬉しかったこと、幸せな気持ちになるときなど、アドレナリンのようなホルモンがでて、脳を活性化し楽しい気持ちにさせる。

 その反面に嫌なことや、思い出したくないことは自然と脳がそれを抑制し、不快な気持ちにさせないように働くのだろう。

 しかし、私のあの極寒での思いは、幸せで楽しいことではなかったが、何故か、冬になると私の古傷のように蘇り、我が心を痛めるのである。と同時に、懐かしさと切なさが共に湧き上がってくるのも事実である。そんなときに、ふと足の傷に触れると痛みが走る。

 それは戦場で受けた古傷であり、何故か寒くなると痛みだし、痛みが余計にあの当時の生々しい記憶を呼び戻すのである。それは今は亡き戦友や部下達の心の叫びなのかも知れない。
 痛みは肉体だけでなく、私の心の痛みとして永久に消えることはないだろう。

 その痛みこそ、ただ一人残された私の罪なのだろうか。彼等を忘れないために、そうされているように思える。あの時、私だけ生きようとは思っていなかったが、どういう訳か私だけが生き残っているのだ。

 しかし、その罪は私だけが負わされるものでなく、もっと大きなものがあると思わずにいられない。むしろ私も被害者であると思わないことはないが、自責の念に駆られるのは、未だに自分だけが生き残っているという事実である。
 そう思いながら見る窓の外は降りしきる大雪であり、あの当時の極寒の冬の雪とちっとも変わっていないようである。


 それはあの戦争中のことである。
 その頃は世界的に不穏な状況であり、いつどの国が攻めてくるか、あの国はすでに侵略され、陥落したという情報は直ぐに巷に広がり、人々の気持ちを憂鬱にさせていた。

 その為に様々な情報が飛び交い、世界は混沌としていた時である。
 自分の国も例外ではなく、国内はその不穏な噂で溢れていて、新聞やテレビのニュースは連日そんな報道を流していた。

 その頃の私は結婚したばかりだった。妻は身ごもっていた。しかし戦争に参加しないわけには行かなかった。それは私だけでなく、男子なら誰でもそうであるからだ。私はそんな状況下にいて、その年の夏に或る部隊の兵隊の一人として船に乗り、多くの戦士と共に大陸へ派遣させられていた。

 私の肩書きは、或る部隊の別働隊でありその責任者だった。
 その小隊は十数人の隊員で、他の小隊に比べ少なかった。私の部下達はおよそ私よりも若い。彼等は若かったが、選ばれた若者達であり、体力的にも、頭脳的にも優秀だった。

 私と彼等の任務は主に特殊活動で、その国の情報を収集したり、時により、偽の情報を流して敵を混乱させることである。勿論、その任務に携わる者達は私達だけではなかった。その中の一部だが、横の繋がりはない、それはそれぞれに役割と任務が異なるからである。

 戦争は深くのめり込んでいて、決して楽観できる状況でなく、誰もが危機感を肌で感じてはいたが、それを口にすることは出来なかった。
 ある時私達を戦地に送り込めという指令が出た。その指令が私にきたとき、いよいよだと思った。

 私は当初はその意気込みに燃えていた。若い部下達も私と思っていることは同じだった。
 戦時下では、どんな時でも部下は上司に忠実でなければならない、たとえ上官が間違ったことを言ったとしてもそれを逆らったり、忠告したりすることは出来ないのである。
 それが上意下達であり、軍隊という組織でもあるからだ。

 或る意味では、みな同じ一つの方向へ進むが時には間違った情報や行動で無理に突っ走り、
それが為に後で取り返しのつかないことになる。

 その結果、多くの命が失われることもある。
 無謀な計画ほど怖ろしいものはない。
 戦時中は誰もが自由に発言をすることは許されていない。
 統率を乱す者、それは危険分子と思われ脱落者を意味した。しかし、私はそう言うことが性に合わなかった。少なくとも、自分の部下には兄貴分として暖かく接したいと思っていたし、そのように行動はしていたが、公には出来ない。

 お互いを信頼してこそ、強固なる関係を築くことが出来る、特にこういう特殊な任務を担うものたちには当然だった。私はそう思っていたし、部下達も同じ気持ちだった。

 あの頃に於いては、私達の小隊はそういう意味では珍しかった。
 故に、行動はスムーズであり、一人の脱落者も出さずに行動が出来たと思っている。或る時期までは・・。
 我が軍は当初、破竹の勢いで大陸を侵略し次から次へと侵攻していた。
 勝っているときは誰もが高揚し、活気に溢れていた。いつも届くのは味方や援軍が勝ったという朗報ばかりである。その度に拍手が起こり、夜の食事時では滅多に無い酒が振る舞われ祝杯を挙げた。
 当然、私も意気が高揚しており勝利の美酒に酔っていた。

 しかし、戦争というものは勝ってばかりではなく、時々相手の凄まじい攻撃にさらされ、少なからず被害を被る時がある。
 戦火が激しくなり、その年の秋も終わりかけ、厳しい冬の時期になり始めていた。大陸の寒さは余計に私達を苦しめた。戦争は攻防戦が激化し、何やら怪しい雲行きになってきていた。

 軍人という者は常に常勝を信じ、それに突き進み、部下を適切な判断で指導し、その強いリーダーシップの心構えを持っていなければならない。指導者になった人間にはその気骨を要求される。

 だが私が選ばれたのも、それとは少し違っていた。
 一つには大学を出ており、生真面で優秀な学生と見られたようである、私は学校では優秀な生徒だった。

 特に小さい頃から科学が好きで、色々な溶剤や薬剤を混ぜて実験等をしていたり、その他に、色々な物を考えるのが好きで様々な論文を書いていた。私は変わった学生だったのである。そんなところを眼に付けられたのかもしれない。

 私は学校を出て新聞社で働き、ジャーナリストとして忙しかったが、そこで知り合った事務員の女と結婚した。彼女は平凡な女だったが幸せだった。まだ新婚気分が抜けない頃の話である。

 或る日、私は会社を通じて政府の或る機関から抜擢され、軍学校で学ぶことを命じられた。
 その選定の基準は今でも分からない、多分に仕事柄、情報に関する知識を認められ、それを考慮されたのだろうが、自分ではそれに当てはまるとは思えなかった。

 私は特別に自分から志願したわけではないが、命令でありそれを断ることは出来なかった。
 学校では、兵器の扱いや、戦略のこと、どう敵を欺き攻略するか、爆弾の処理の仕方、暗号の解き方等・・様々な戦術的で学術的なこと等を徹底的に教えられた。

 そこでの課程を修了すると、時をかわさず私は戦地に駆り出された。
 いよいよ戦争が厳しさを増してきたからである。
 私が出国するとき、特別に面談室で腹が出てきた妻との別れを許された。妻は眼に涙を浮かべ、私の目をじっと見つめながら言った。

「お国の為に・・ご苦労様です、でも無駄死だけはしなでください、必ず帰ってきてくださいね、この子の為にも・・その時にはあなたの好きなものを作って待っていますね」と気丈にしていたが、部屋を出るときに背中で泣いていた。

 私は特殊任務に就いた。
 その時、妻の写真を1枚だけ懐に深くしまっていた。それから、国を出てから大夫経ったが、これ程時間が長いとは今まで思ったことはなかった。
 その内に戦争も激しさを増し、敵も味方も被害が甚大であり多数の負傷者や死者が出ていた。前線に駆り出されている私達は、次第にその情勢を把握できなくなっていた。

 おそらくは混乱した戦時下では情報が遮断されて届かず、様々な憶測や不安が入り交じり、もはや情報どころではなく、人海戦術的な戦いになっていたのである。

 私は始めて戦争というものの実態を知った思いだった。
 無謀な侵略戦争の無意味をようやく理解した。特殊活動という名目だったが、それらしき行動をしたのは初めだけだった。

 やがて混乱が顕著になって、肝心な情報が枯渇してくると、本来の目的を失い、ただの小集団でしかなかった。大切に持っていた重い通信器もすでに役に立たず、砕いて捨てた。
 戦争は勝っても負けても、誰も勝者にはなれないと悟っていたが誰にもそれを言うことはなかったし、言えなかった。
 しかし、言いたかった、胸の中では後悔していた。
(こんなはずじゃなかった)と。


 そう自問自答しながらも、突き進むしかなかった。
 戻れと言う指令がない限り、後退は許されない、ただひたすらに不鮮明な地図を頼りに進むのみである。私は部下と共に適地に侵攻しながら、銃と剣で遭遇した敵を殺傷してきた。そうしなければ自分達が殺されるからである。

 特に見知らぬ適地では、どこからどんな敵が襲い掛かるかもしれず、とてつもない恐怖なのだ。時には、戦士でもない普通の人がこういう戦時下になると、飢えのため、食べるために獲物を見つけると凶暴に成りうるのだ。正常な感覚が通用しなくなる、それが戦争の怖さである。

 適地を突き進む中で、あれ程いた部下達は一人二人と傷つき倒れていった。
 途中で地雷の近くを通りかかったとき、それに触れた部下の数人は吹き飛ばされ屍と化していった。
 私達は目の涙をこらえ地中に埋め、墓標を立て冥福を祈った。
 我々に出来ることはそれしか出来なかった。昨日まで行動を共にした若者は今はいない。悔しかった、切なかった。
 出来ることなら私が変わってやりたい、と思いながら目の前に浮かぶ身重の妻のことを思うと、どうしても死ねなかった。

 彼等の散乱した形見の一部を懐に入れ、本国に帰ることが出来たならそれを遺族に渡すのが我々の使命だと思った。
 重い足を引きずりながら突き進む中で、途中で遭遇した敵を見つけると、亡き仲間達の復讐とばかりに我々は敵をがむしゃらに殺傷した。
 そこには理性というものが作用しない。あるのは(復讐)という残酷な二文字だった、
 我々は感情を殺すことで自分達を納得させていたのである。


 戦争とはこのように悲惨でありながら、不幸なことに誰もそれを止めることが出来なかった。そのような雰囲気に人を追いつめるのである。
 それには人間の醜い欲と業があるからである、自分のせいでは無い。(戦争というものが悪いのだ、私ではない)そのように自分で定義し、決めつけ諦めるしかなかった。

 或る日遭遇した敵の中に少年の戦士がいた。
 いきなり襲いかかってきた時、振り向き私は彼に銃を向けた。私は彼が少年だと知り躊躇したが、彼の心臓を避け腕を打ち抜き、彼の戦意を喪失させることで彼を殺さなかった。その時の私はもう誰も殺したくなかった。

 その少年がどうなったのか知らない。今でも、地面に倒れ込んだ彼の眼が未だに忘れられない。(自分を殺せ)という少年の声を心で聞いたが私は殺さなかった。地面には少年の血が流れていた。私は腰に付けていた手拭いを彼の前に投げ捨てた、もし彼が自分でそれを巻く気力があれば巻け、という意味でもあった。

 偶然にも、その場には私しかいなかったが、もし誰かがいたら殺していただろう。
 統率者の自分が、敵を見逃すことは出来ない。それが決まりだからである。私の銃が彼の腕を打たなかったら、私は彼の武器で殺されていただろう。それを思うと、今でも背中に戦慄が走る。

 季節はいつしか真冬になっていた。
 着ている軍服も破れ見る影もない、寒さのために途中で調達した布等を羽織ると温かい。進みながらも時々味方の小部隊に遭遇するが、彼等も私達と同じだった。
 お互いに知り得た情報を交換し、ひたすら命じられた任務を遂行するのである。私は部下の一人で歩行が遅くなりがちな若い兵士に声を掛けた。

「寒くなったな、雄一郎・・身体は大丈夫か?」
「は、はい、小隊長、大丈夫です」
「うむ、そうか」
「はい」

 そう言いながらもその若者は気丈に足を引きずっていた。
 あの時の地雷で、飛んできた破片が彼の足を傷つけたようである。
 しかし、幸運なことに私だけがまだ無傷だった。その時には、私の部下は5人ほどに減っていた。

 それから或る村に入ったとき、焼け焦がれた家や、兵隊達の軍足で荒らされた田畑があった。その数々の悲惨な光景を見ながら、私は目を覆った。私達が銃を抱えながら荒らされた村に入ったとき、人は逃亡した後で、残された様々なる物や食料などが散乱していた。

 かまどには火の燃えかすなどがくすぶっており敵が残っていないのを確認すると或る家に入った。食べる物を探すためであり腹が空いて、今にも死にそうだからである。
 私達は小屋に入り残っていた残飯を転がっている鍋に入れ、火を付け食べた。
 たいした物ではないがこれが美味い、疲労と飢えに悩まされている兵隊にとってそれはご馳走である。
 私達は犬のようにそれに食らい付いていた。


 誰もいないと思っていた村にも少しの人は残っていた。
 武器を持たない無抵抗の人間である。それは、身体の弱い人や、逃げるのを諦めた人などであり、老人を除いて若い女はあまり見かけない。飢えた兵士達に乱暴されるのを怖れたからだろう。
 彼等は私達を怖れていた。その眼が私の心に何かを訴えているようだった。
(殺さないで欲しい・・)もし、このような戦争がなければ幸せに暮らしていたはずの人々。戦争さえなければ、このような悲しい眼でお互いを見ることも無かった。

 言葉が通じない為に私は手振りで態度を示した。
(恐れることはない、私達はお前達に危害は与えたりはしない、これを食べて、少し休んだら出て行くから安心しなさい)
 それを彼等は見て感じ理解し、安心したようである。

 私達は残飯を食べ、水を飲んで一休みすると、また何処へと重い足を引きずりながら歩き始めていた。そこを出るとき、少しの食べ物を確保していた。このまま食料も水も無ければ、私達はどうなっていたかわからない。いずれは餓死していただろう。

 村人達も食べる物が余っているわけではない。
 しかし、それを私達に与えなければどうなるのかわからないという恐怖感があったのだろう。それを私は知っていたが、生き延びるためには仕方がなかった。
 寒さのために、途中で調達した布などを身体にまとった私達は乞食と見間違うようだ。
 顔も身体も薄汚れていた、風呂に入りたかった。その黒い顔を見たとき、我が部下と思えないほど変貌していた。

 この大陸の冬は厳しかった、とてつもなく寒い。その時の私達5人はお互いを励まし合っていた。もう上官や部下という立場ではなく、一つの生きる仲間と言った方がよい。その中でもやはり年上の私は若い彼等のリーダーだった。

 もしこの広野に取り残されたら、何処へ行く当てもなくただそれは死を意味するからである。それは誰もが同じだった。
 この状況下で生き延びるのには当然体力が一番だが、それ以上に生きたいという強い信念が必要である。

 だが、それを持ち得ていても、自分だけの意志ではどうにもならない時もある。劣悪な条件下では、ふとしたことで、負傷した傷であったり、体調が悪いときなど、それが思わぬ時に出てきて苦しめるときがある。

 何よりもその強い意志が、生きたいと言う気持ちが萎えたとき脱落を意味する。
 その思いが強い者だけがここまでこれたと言える。
 しかし、これから先のことはわからない。どんな危険なことが我々を襲ってくるのか想像もつかなかった。

 その時には、もう私は任務などはどうでも良かった。何とか生き延びて、この若者達と共に国へ帰りたい、その一念だった。彼等も私と同じ気持ちだったが、情勢は厳しかったのである。

 私の気持ちを強くしていたのは、妻とこれから生まれてくる子供のことだけだった。愛する妻と、子供をこの手で抱きしめたい、その熱い思いが私の支えでありそれが私を強くしていた。
 村を出てから私達は大夫歩いた。
 吹いてくる風は冷たく、容赦なく我々を責める。私は破れた地図を見て歩きながら言った。

「たしか、この先に我が陣営があるはずだ、もう少しだ頑張ろう」
「はい・・小隊長、でも・・」
「どうした?」
「あぁ、もう限界です、これ以上歩けません・・・足が・・」

 私はその若者の足を見た。彼の左足には布で巻かれてあり、血が付いてそれが既に乾いていた。ここに来るまでに、破片を足に受けて傷付いていたのである。付ける薬があるわけでなく、痛んでいるのかもしれない。
 私はそれが前から気になっていた、しかしどうすることも出来なかった。

「勇一、そうだったな、でももう少しだ、なんとか頑張れ」
「はい・・」
 心なしかその若者の声は元気がなかった。
 私は歩きながら彼に肩を貸した。歩けども歩けども、我が陣営らしきものは見つからない。広い荒野に降り始めた雪で視界がずっと悪くなっていた。私は歩きながら、弱々しい声を聞いた。私は後ろを振り返った。

「どうした、健太郎?」
「はい、先程あそこで食べた物が当たったようで苦しいです、もう駄目です」
「えっ、そうだったのか、何故早くそれを言わない」
「はい、直ぐ治ると思ったのですが、前から体調が、もう身体も言うことを聞きません」
「そうか、誰か、健太郎に手を貸してやってくれ」
「いえ、小隊長・・私はもう歩けません、限界です、先に行って下さい」
「馬鹿を言うな!ここまで頑張ってきたじゃないか、もう少し頑張れ」
「は、はい・・」

 しかし、負傷者を背負いながら荒野を彷徨う旅は苦しい。
 このままでは共倒れになってしまう、と思いながらも気力で黙々と歩いていた。やがて負傷していた二人の若者は息絶えていた。

 私達は泣く泣くその屍を埋め彼等の形見を持ち、再びあてもなく三人は荒野を彷徨っていた。私は歩きながら幾度と無く幻聴に悩まされていた。苦しかった。食料も尽き、水筒の水ももう出なかった。

 唇は荒れ、舐めると塩のように辛い。
 目がかすんできた、足も棒のように重い、いっそのことこの足を切断したいとさえ思ったほどである。寒さのために、五官という物が働くことを止めてしまったような気がした。これは死を予兆しているのだろうか。

 それは私だけでない、残された二人も同じ気持ちだろう。心の中では(早く楽になればいい、このまま死ねば良いのさ)という悪魔の囁きが聞こえたが、それを頭で振り払い黙々と歩いた。

(歩く先に何かが見える!)やっと目的の地にたどり着いた。
 やがて我々が行き着いたのは我が軍隊の敗れた跡だった。
 既にそこで我が軍は殲滅されていたのである。我々はそこで警戒していた敵に捕まり捕虜になった。
 後で、絶望の果てに私以外の二人の若者はそこで死んだ。
 いっそ敵に掴まるのなら死んだ方がましだと言って、自らの死を選んだのである。どうやって死んだのか、私は知らされない、ただ死んだという事実だけだった。

 隠し持っていた武器か何かで自らの命を絶ったのだろうか・・私達はそれぞれに隔離されていたので、それを私は後で知らされたのである。
 彼らも極限の中を生き延びてきて、それが限界だったのだろう。

 やっと彷徨い歩きながら見つけた自軍が壊滅されたと知り、それに希望を失ったのだろうか。それ以上に精魂を使い果たしていたのだろうか。その責任は私にある・・・と思い、私は自分を責めた。なんとか一緒にいてやりたかった。彼らのそんな気持ちを救ってやれなかった自分が悔やまれてならない。

 しかし、自分は生きなければならない。その思いは更に強くなっていた。
 そこでの異国の地で長い間、私は捕虜として過酷な労働を科せられた、食べる物を与えられたが、決してそれは満足する物ではなかったが、少なくとも飢えで死ぬことはなかった。

 大勢の捕虜と共に、太い丸太を背負い遠い場所へそれを人力で運搬するには過酷な仕事だった。一度、その重さに耐えきれず転倒し足を怪我したことがある。その古傷が今も痛む。
 私は一時は死ぬかと思ったがそれに耐えることが出来た。それは1枚の写真、妻の写真が私に生きる希望を与えてくれた。


 負傷した私を介抱し、助けてくれた者が一人いた。
 それは、敵国の幹部の一人だったのである。彼は怪我をしている私達に対し、彼の上官に毅然として言ったそうである。

「ここに収容されている捕虜は敵国の者とは言え、人道的に扱わなければならない、彼等をこういう立場にしたのは戦争であり、彼等だけの罪ではないのだ」

 私は後でそれを知り何よりも嬉しかった。
 それ以来、罪人の負担が軽くなり待遇も改善された。私はその将校の名前を今でも忘れていない。どの国にも、そういう者がいると言うことが嬉しかった。

 そして更に私は強く思ったのである。
(こんなところで死ねない、生きて帰らなければならない、国で待っている妻と、もう生まれているはずの子供のためにも)

 やがて戦争が終え終結した。
 私はその後、無事に国へ帰ることが出来た。私が常に手放すことが無く持っていた物は部下達の遺品だった。
 それらは人により違っていた、手紙や手帳であったり、小物、財布等大した物ではないがそれが彼等の全てだったのである。
 遺品を遺族に渡し、彼等のことを報告をしなければならない。

 私に残された仕事、それをしなければ何も進めない、私は心でそう決めた。成し遂げるまで、私は自分の家族の元には帰れなかった。それがせめてもの私を慕い付いてきて絶命した彼等に対する(つぐない)だからである。

 妻には生きて帰ったこと、家に帰るまでやらなければならないことがあること、それらを手紙で書いた。(妻はわかってくれる)そう信じていた。

 全国を回り全てが終わった時、私は妻と、生まれていた息子と再会した。
 妻は笑顔で新しい子供と共に私を迎えてくれた。そのときは暖かい春になっており、桜が咲いていた。

 その後、この悲惨な戦争を伝えるために私は作家になった。

 こうして日記は終わっていた。
 これが父が残した日記であり、父の書斎には反戦の為に書いた書籍が何冊か重なっている。
夜を徹して読んでいた私は気が付くと、あれ程降っていた雪は止み微かな空間からは日の光が見え始めていた。






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