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第8話 四ノ宮家の晩餐
しおりを挟むその夜、貴美子様は鳳凰館の舞踏会の余韻に酔いしれていました。ダンスの先生に習った自分のダンスが、あの鳳凰館の舞踏会の中でこんなにもうまくいくとは思っていなかったからです。
いつも自分に優しく教えてくださったダンスの先生に感謝するとともに、未だにあの興奮が冷めやらないのです。
そして、それ以上に貴美子様を興奮させているのは、舞踏会で出会った南郷亮介という青年でした。それは今までに彼女が出会った男性にはないタイプだったからです。
ダンスを組んだ時のあのフィット感、豪華なワルツのステップに合わせて自分を優雅にリードしてくれるあの方が忘れられないのです。しかし、ダンスをしているからといって、ひ弱な感じではないのです。むしろ剣術などが似合いそうな青年だったからなのです。
それだけではなく、その青年は話題が豊富で、貴美子様を楽しませてくれたのです。そんな気持ちを抑えることができずに、彼女は夕食の時にそのお話を母親にしたのです。
「ねぇ、お母様、貴美子は今日、お友達と一緒に鳳凰館の舞踏会に行ってきたのです」
「まぁ、あの鳳凰館に?」
「そうです。お母様、私がダンスを習っているのはご存知ですよね?」
「ええ、そうね。それは私も聞いています。何事も熱心な貴美子のことですもの、でもよく鳳凰館に入ることができたのね」
「はい、わたしのお友達の芦川美紗子さんに誘われたのです」
「あぁ、あの子爵でいらっしゃいます芦川様のお嬢様のことね」
「ええ、彼女にも鳳凰館から招待状が来ていて、それでわたしと彼女と二人で出かけていったのです」
「驚いたわ。二人とも度胸がいいですこと」
貴美子様のお母様はそれを聞いて苦笑しておりました。今、世間では鳳凰館のことについてはいろいろな噂が立っておりましたが、それははっきり言えば賛否両論ということなのです。
一部の開国論者が新政府になって以来、目立とうとする行為が噂になっていたのです。
「あの西洋かぶれしたダンスとやらにうつつを抜かすとは何事だ。古くからある日本の伝統に則ったものもあるというのに、全く腹立たしい限りだ」という方もおられますが……。
「いや、さすがにあの西洋の文化にいち早く接触し、新しい文明を推し進めるのはまことに結構なことでございます」と囃はやし立てるように両極端の意見がございます。
しかし、貴美子様のお父様は先見の明があり、いち早く一人娘の貴美子様にそのような教育を施していましたので、べつにそれは驚くことではありません。
四ノ宮家の夕食の時にもその話題が上っておりました。そこには、当主で父親の四ノ宮太郎様とお母様、喜美子様の三人以外には召使が何人かおりました。
いつも忙しいお父様と家族全員が一堂に会してお食事をするのは、最近は珍しいようでございます。
「あなた、今日は貴美子が鳳凰館の舞踏会に行ったそうですよ」
「ほう、あの鳳凰館かね」
「はいそうです。お父様」
「あなた、そこで貴美子は舞踏会で注目を浴びたそうです」
「ほう、それはよかった。いずれお前にもそういう場を設けたいと思っていたのだが、それは気が早いのう」
そう言って貴美子様のお父様は笑っておられました。
「あなた、そこで貴美子は素敵な男性と親しくなったようです」
「そうか、それでその相手の男性はどんな家柄なのかな」
どうやらお父様は、貴美子様のお相手がどんな方か気になるようです。男子の後継者のいない四ノ宮家にとっては、有能な男子を婿養子として向かい入れることが必要だったからでございます。 貴美子様は少し躊躇っておいでになりました。その訳はご自分にもわかっていらっしゃるからでしょう。
「あの、軍人の方と聞いております。お父様」
「なに? 軍人だというのか?」
「はい」
「ふうむ……」
今まで穏やかに聞いていた貴美子様のお父様のお顔が硬くなったのを、お母様は心配してみておられました。なぜならばお父様は、軍人という方達をあまり快く思っていなかったからなのです。それは彼の個人的な感情かもしれません。
四ノ宮家は華族であり公家の出でしたので、高い教養を持っておりました。それに比べまして彼の持っている軍人に対する思いはあまり良いものではありませんでした。
それは明治十七年に発布された華族令によるものでございましょう。維新のゴタゴタとした時期に、武家上がりの家とで、その地位を巡りまして、ちょっとしたことがあったようでございます。教養と気品がありますお父様にとって、そのプライドが許さなかったのです。
一部にはそういうこともあったようでございますが、それは偏見でございましょう。武家の出身でも教養があり立派な方はたくさんおられたのですから。当然、貴美子様はお父様のそのようなお気持ちを察しておりましたが、隠しごとがお嫌いな貴美子様は、それでもご自分の気持ちを伝えたいと思ったからなのでしょう。
恋とは、そのように厚い壁をも打ち砕くような強いパワーをもっているとは、さすがにお父様もまだ気づいていないのです。
しかし、まだこの時点では、貴美子様は亮介様とこの後に思わぬ展開になるとはご自身も思っていなかったのでございます。
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