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第二章

いじわる令嬢

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 私たちは国境を越えようと牧歌的な牧草地を馬でひたすら移動していた。雄大な山脈を横目に私たちは朝からずっと馬を走らせていた。

 今晩、私は前回の旅で死んだ。その時間がいよいよ迫っている。

 先ほど立ち寄った巡礼教会で小耳に挟んだのは、同職ギルドが邪魔だという話だった。領地に着く前に大陸を横断する旅でこういう素直な意見を耳にできるのは、とてもありがたい。近頃ギルドは衰退を見せているのかもしれない。

 ――第一王子ウィリアムと婚約していた半年間、私のことを没落令嬢だと馬鹿にして陰口を叩いていた令嬢たちは、今頃どうしているのかしら?

 私はふとあの令嬢たちのことを思い出した。第一王子ウィリアムを色仕掛けで落としたと影口を叩いて私を罵っていた、あの深淵の令嬢を気取る方々だ。

 ――あの私のことを馬鹿にしていた令嬢たちは、私の今の姿を見たら笑うかしら?ざまあみろと悪口をまた言うのかしら?日に晒されて白い肌がうっすらと赤くなっているこの私の顔を見たら笑うかしら?

 私は一度も自分が生まれ育った地域を離れたことはなかった。それなのに、突然辺境伯に嫁入りすることになったと思ったら、領地に着く前に隣国の世継ぎ争いに巻き込まれてしまった。そのため命を脅かされる毎日だ。皇帝の孫である夫と、謎解きをしながら素敵な城から城に駆け巡る毎日だ。

 私は隣を走るラファエルを見つめた。とても素敵な旦那様だ。夫は朴訥ながらも凛々しい顔立ちに逞しい体をしていて、私にはとても優しい。

 新しくできた友人のレティシアを見つめた。彼女は絵画から抜け出たような美貌を持ちながら、強くて勇ましく、そして恋に落ちた男性の前では恥じらいを見せる可愛らしい女性だ。友人になったケネス王子も理知的で賢く、非常に優しかった。

 私は今の自分はとても幸せ者だと思った。

 私たちは、帝国自由都市の中でも、今最も繁栄していると言う城塞都市ショーンブルクを目指している。ショーンブルクの名前を最近聞いたのは、半年以上前のことかもしれない。

 私のことを第一王子ウィリアムを寝とったとして『薄汚い泥棒女狐』と面と向かって罵った伯爵家令嬢がいた。実際には寝とってはいない。多少は私の美貌とこの体をひけらかして第一王子を誘惑したのは認める。

 彼女は私のことを「没落令嬢のくせにでしゃばって」と罵ることが好きなようだった。なので、私は好きなようにさせておいた。第一王子ウィリアムを愛しているわけではなかったし、結婚する予定はなかったから。私はあくまで陛下に雇われた虫除けだった。

 その伯爵令嬢の名前はエリーザベトだ。名前は美しいけれども、裏で囁く言葉は全く美しくなかったと思う。いつも凝ったデザインで胸の大きくあいたドレスを着こなしていた。そんな彼女がよく自慢していたのは隣国のショーンブルクに従兄弟がいると言う話だ。彼女の叔父はショーンブルク一の富裕層だということだった。

 半年前のある日、エリーザベトはショーンブルクの大金持ちの叔父から贈られたと言う、黄金細工の『金の卵』を持ってきて、舞踏会で自慢をしていた。手のひらサイズの機械式時計で非常に珍しいものだった。わざとではないけれども、それが第一王子ウィリアムと戻ってきた私の腕にあたり、エリーザベトの手のひらから床に落ちて壊れた。

 機械式時計は儚いのだ。
 没落令嬢の私に弁償できるものではないし、私はほとほと困り果てた。エリーザベトはわざとそれを私にぶつけたのだと私は思っていた。

「困るわあ。これだからお金も教養もなく礼儀も知らない没落令嬢だと。親の顔が見てみたいわ」

 私に聞こえるようにエリーザベトは言って、周りの取り巻きの令嬢はくすくす笑っていた。

 私は自分の親のことを言われのたで頭に来てしまった。怒りに任せて、思わず彼女の頬に手を上げようと彼女に近づいた。そこで姉のマリアンヌに固く止められなければ、私は大騒ぎを起こしていただろう。

 そういえば、その珍しい機械時計はケネス王子がエリーザベトから買い取ってくれたのだった。そのことを今思い出した。ひら謝りして感謝した私に、ケネス王子はウィンクして「分解してどうなっているのか確かめてみたかったのですよ。ありがとう」とだけ言って舞踏会を抜け出して行った。

 私は懐かしい思い出に、少し笑ってしまって後ろを走るケネス王子とレティシアの様子をチラリと見た。二人は仲良く互いを時折見つめ合いながら、軽やかに走っていた。

 今晩のうちに牧草地を抜けてショーンブルクの城壁の中に入り込まなければ、近くにある陛下の狩猟小屋でも借りなければならなくなる。

 私たちは黙々と馬を走らせていた。

「叔父のことなんだけれど」

 先ほどの休憩地で、ラファエルが私たちに話したことが私の頭をよぎった。

「父上の兄上である叔父は次の皇帝だ。ただ、いまだに世継ぎに恵まれない。僕が記憶する限り、叔父は狂信的な性格の持ち主だったと思う。僕がジークベインリードハルトに戻ったことが叔父の耳に入れば、相当怒り狂うだろう。なので、ここから先は僕らの身分は秘密にしよう。良いだろうか?」

 雄大な山脈を見ながら私たちはうなずいた。権力者が怒り狂ったとあれば、特に次の皇帝候補が怒り狂ったとあれば、つまり皇太子が怒り狂ったとあれば、私たちの命などひとたまりもないだろう。

「わかった。そもそも、後継者争いは叔父上の味方の騎士たちが起こしているものなのか。それとも叔父上自身が起こしているものなのか。どちらなのか知っている?」

 ケネス王子はラファエルに率直に聞いた。

「両方だろう。それぞれが別々に行動しているのだと思う。例えばヴァイマルの大聖堂でレティシアに何かを投げつけようとした男がいただろう?今まで襲ってきた敵とは明らかに雰囲気が違った。両方が別々に行動しているのだろう。もしくは第三の敵の存在があるのかもしれない」

 ラファエルの言葉に私はゾッとした。馬を走らせていると、ラファエルの言葉が蘇ってきて、そのうち、私はショーンブルクの従兄弟を自慢していたエリザベートのことをすっかり忘れていた。

 その時、ようやく城塞都市ショーンブルクの城壁が見えてきた。城門に向かって私たちは馬を進めたのだった。


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