上 下
47 / 68
第二章

婚約破棄事件の余波

しおりを挟む
 草原の先の鬱蒼とした森を抜けると、そこは絵のように美しい街が待っていると言うショーンブルクの城門だった。城壁がぐるりと街を取り囲んでいる。城門を無事に抜けて、私たちは花の都、帝国自由都市ショーンブルクに入った。日が暮れかけている。

 私が前回の旅で死んだ時刻が近づいてきている。夜が来たら、私は前回死んでしまった時刻を無事に超えられたのか、はっきりする。

 あちこちに屋台が立ち並び、人々は実に生き生きとした表情で通りを練り歩いていた。行き交う人々の色鮮やかな衣服が眩しい。売り子の掛け声があちこちで飛び交い、往来は賑わいを極めていた。

 木綿や麻織物の反物が所狭しと積み上げられた店、珍しい美味しそうやお菓子を売る店、香辛料を売る店、数えきれないほどの店が軒を連ねていた。

「この座標だと、だいだいこの辺りだと思う」

 ケネス王子は地図上のある印を指差した。
 この街にはあちこちに高い塔があった。その塔のうちのいずれかに、もしくは今度こそ大聖堂に宝石が預けられている可能性がある。

 ケネス王子が指差したあたりには、このショーンブルクのすぐ近くにあるマンスフェルト銅山の精錬所の銅を扱う商会があった。つまり、この国の銅山のほぼ全てを所有するロレード商会の支店だ。この街の近くには塩坑もあり、その所有者もまたロレード商会であり、彼らは塩生産でも大きな富を得ていた。ロレード商会はここで生産された貴重な塩の交易も行っていた。

 マーケットが開かれているマルクト広場を通りぬけ、立派な建物の前を歩いているど、私たちは街の行き交う人々が同じことを話している場面に何度も遭遇した。

「ロレード家が先の戦争で皇帝に融資をしたおかげで爵位を賜るらしいぞ」
「まあ!ついにお貴族様になるのね」
「あれほど急激に金持ちになった奴らは見たことがないよ」

 どうやら今日は街中でその話題で持ちきりのようだ。ロレード商会が発行している新聞を手にしている人々も多く見かけた。エレオノーラの実家はまだまだ飛ぶ鳥落とす勢いでさらなる拡大中ということらしかった。


 銀行の前で人々が談笑しているのを私は見つめた。みな、生き生きとして闊達で頬の血色がよく、街全体に活気があるのがよく分かった。陛下の国の私が住んでいた街より、今まで通り過ぎてきたどの街より、人々が自由に振る舞っているのに私は驚いた。

 レティシアは慣れた様子で街を進み、ロレード商会の支店の前にくるとこちらを振り返って肩をすくめた。

「なんと言って中に入ったら良いのかしら?」

 ラファエルの身分は隠さなければならない。ケネス王子の身分を明かしても、たちまちに周囲の興味を惹きつけてしまうだろう。

「ここでは様子を見て正体を明かす必要があるよ。なぜなら、おばあ様の手紙が預けられている可能性があるから。その場合は僕の正体が分からないと渡さないだろう」

 ラファエルはささやいた。

「じゃあ、銅と塩の買い付けにきた、商人に転じた田舎貴族の振りをして中に入ろう。妻を連れてこの街にやってきたことにするんだ」

 ケネス王子がささやき、私たちはうなずいた。騎士と侍女たちには通りで待っていてもらう。馬を引いて通りで待つ彼らを残して、私たち4人はロレード商会の大きな建物の中に入って行った。建物の隣には立派な塔があったが、まずはロレード商会からだ。


 ラファエルは上機嫌そうな店員に声をかけられてにこやかに応じた。

「銅と塩の買い付けなんだが、良いかな?」
「ええ、どのくらい必要でしょう」
「まずは私は支店長と少し話しをしたいのだが、良いだろうか」

 その店員はラファエルの様子を爪先から髪の毛のてっぺんまで一瞬見つめ、「いいですよ。少々お待ちいただけますか」と答えて店先から中に入って行った。

 私たち4人は顔を見合わせて、待っていた。すぐに店員は戻ってきて、私たちを奥の部屋に案内した。

「では、こちらでお待ちいただけますでしょうか」

 店員の態度が、先ほどよりも心なしか恭しい態度になったように思ったけれども、気のせいかもしれない。私たちは壁一面に貼られた銀山と銅山、金発掘の山の位置と精錬所の位置、それに港の位置が明確に記された地図を見つめて待った。山から港へのルートが細かく書き込まれているもので、非常に珍しい地図だ。

 扉がノックされた音がして、誰かが部屋にするりと入ってきた。気品のある老婦人だが、短いプールポアンと長いゆったりとしたズボンをはいている。男装の老婦人だ。その女性を見るなり、ラファエルは驚きの声をあげた。

「おばあさまっ!」
「あぁ、ラファエル。やはりあなたは辿り着いたのね」


 ラファエルは老婦人を嬉しそうに抱きしめ、老婦人はラファエルの顔をしげしげと見つめて、驚いたような嬉しいようないろんな感情が溢れ出てくるような様子だった。

「あなたがやはり次の皇帝なのね。これで皆の覚悟が決まったわ」

 老婦人がラファエルの腕の中で小さな声でそうつぶやいたのが聞こえた。

 ――この方が皇后様ということね!?なぜここに皇后様がいらっしゃるのかしら?

「私が次の皇帝とは……?」

 ラファエルは老婦人に尋ねた。老婦人は嬉し泣きのような表情のまま、ラファエルの顔を見上げて少し悲しそうに言った。

「この旅は大国ジークベインリードハルトの皇帝を決める試験ですよ」

「なぜ、そんなことをするのですか?叔父上は皇太子です。次の皇帝は伯父上で決まりのはずです。私は皇帝になることに興味がありません」

 ラファエルは皇后の言葉に反論した。皇后は皺の目立つ目尻に涙を少し浮かべて、首を振った。

「この国の民を守り抜く力があるものが皇帝にならなければならない掟なのです。あなたは生まれた時からすでに後継者争いに巻き込まれていたのです。私も二人の息子と可愛い孫が争いに巻き込まれるのは心底嫌です。しかし、我が一族はジークベインリードハルトを名乗る家系です。責任を全うするために、一族の中から皇帝は選び抜かれなければならない」

 皇后の言葉は凛としており、一切の澱みがなかった。

「リシェール伯という辺境伯は仮の姿。コンラート地方を治めた後に、やがてあなたには皇帝になっていただくことになります。そのためには皆を説得するために最後の3つの宝石を手に入れる必要があります」

 皇后は厳しい声でラファエルに告げた。最初にラファエルを見つめて喜びの表情浮かべていた顔から一転して、非常に厳しい表情だ。

「七日前、あなたが宝石探しのルートを辿り始めた知らせは、ベルタの城から届きました。その知らせを受けて、私はドキドキしながらここであなたを待ちました。あなたが無事でいるかどうか、あなたが無事に辿り着けるかどうか、私はこの1週間、気が気ではありませんでした。あなたは非常に快調にここまで辿り着いています。歴代最速の最短日数で辿り着いたと言えます」

 皇后は短いプールポアンと長いズボンといった男性の格好のまま、ポケットから手紙を取り出して、ラファエルにそっと差し出した。

「これが、ここでの私の手紙ですよ。ラファエル、良い知らせを城で待っています」

 そこまで話した皇后は、やっと私の存在に気づいたようだった。

「あら、失礼しましたわ。あなたが私の孫のラファエルの花嫁かしら?」

 私はそこで慌ててご挨拶をした。

「初めまして、皇后様。ご挨拶が遅れました。ラファエルと結婚しましたロザーラと申します」

 皇后は私を見つめて一瞬チラッと嫌な顔をした。

「あなたの髪は昔の私の髪みたいだわ。少し違うけれども似ているの。ラファエルがここまでたどり着いたのは、あなたの助けがあったからでしょう。無事にここまで一緒に来てくれて、私からもお礼を申し上げますわ。でも、あなたは最初は隣国の第一王子の婚約者だったというではありませんか。半年で自分から婚約破棄なさったんですってね。私はそのことを存じておりますのよ」

 私は慌てて首を振った。

「そのことにはわけがございまして―」

 しかし、私の言葉を皇后は遮った。手を振って私がそれ以上話すのを封じるような仕草をした。

「言い訳無用よ。隣国の陛下も意地が悪いわ。自分の息子のお下がりをラファエルと結婚させるなんて。リシェール伯で終わらない可能性を隣国の陛下だってご存知のはずなのに」

 男装の老婦人はイライラとした表情で私に嫌味を言った。

「おばあさま!ロザーラはおさがりなんかではありませんっ!」

 ラファエルはムッとした様子で自分の祖母にすかさず反論した。

「この美しい美貌と体にあなたは騙されているのかもしれませんが、私の可愛い孫にはレティシアがふさわしいと私は思っています!」

 レティシアがこの言葉にビクッとして、サッとケネス王子の顔を見た。皇后は私の後ろにたつプラチナブロンドのレティシアを見つけると、ぱあっと顔を輝かせて微笑んだ。

「まあ、レティシア!あなたも一緒なのね。ベルタの城の娘さんにドレスを選んで以来ね」

 皇后はレティシアの存在に大喜びだった。

 状況を見かねて、それまで黙って聞いているだけだったケネス王子が声をかけてきた。

「皇后様、父がいつもお世話になっています。隣国の第二王子ケネスと申します。この度、父より、レティシアを妻に迎えることをお許しいただきました。私は彼女を妻にします。幸せにしようと思います」

 ケネス王子の言葉に、皇后はあっけに取られたような表情になった。

「おばあさま……あの……私はケネス王子を愛しているのです。ケネス王子と結婚したいと私も心底願っているのです」

 レティシアは震える声で皇后に告げた。


「なんですって!?あなたは皇帝の花嫁になるべく育てられた人間よ。私はあなたが幼い頃からそう思って接してきていました。あなたはラファエルのことを愛しているのではなかったのですか!?」

 老婦人は卒倒しそうな表情で、穴が開くほどレティシアの顔を見つめた。けれどもレティシアは首を振るばかりで、青ざめた表情で黙りこんだ。今度は老婦人はゆっくりと私に目をむけ、やれやれと首を振った。

「隣国ではあなたのことを『薄汚い泥棒女狐』と呼ぶ令嬢がいるというではありませんか……そんな娘が皇帝の花嫁になる―」

 ひゅっと息を飲む音がしたと思った瞬間、男装の老婦人は―皇后は倒れ込んだ。私はすかさず倒れ込む皇后をぎゅっと抱き止めた。

 皇后は真っ青な顔で身動き一つしなくなり、私たちは慌てふためき、大至急医者を呼んでくれと店員にお願いした。そして店のカウチに皇后をそっと寝かせたのであった。

 大騒ぎになった。医者が呼ばれた。皇后は一命を取りとめたけれども、こんこんと眠り続けた。

 私が前回死神に出会った時刻を無事に過ぎたことに気づいたのは、だいぶ後のことだ。
 
 大国ジークベインリードハルトでの私の初日は散々な一日だった。しかし、今回は命だけは長らえたようだと私は自分を慰めた。命は助かったけれども、私の厳しい試練はまだまだ続くようだ。

 ――死神さま。ありがとうございました。私は選択を間違えなかったようです。生きのびるチャンスをいただき、それを無事に活かせたようです。ありがとうございました!



 皇后を運び込んだショーンブルク一番の宿屋の庭にはポインセチアが咲いていた。宿屋の主人から白いポインセチアを私は譲り受けた。

 白いポインセチアの花言葉は「慕われる人」「幸運を祈る」だ。皇后に贈ろう。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【R18】堕ちた御子姫は帝国に囚われる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:3,198pt お気に入り:286

愛されていたなんて思いもしませんでした

恋愛 / 完結 24h.ポイント:227pt お気に入り:1,173

妹の妊娠と未来への絆

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,445pt お気に入り:29

婚約者の彼から彼女の替わりに嫁いでくれと言われた

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7,614pt お気に入り:166

放逐された転生貴族は、自由にやらせてもらいます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:333pt お気に入り:3,130

【完結】真実の愛はおいしいですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,681pt お気に入り:209

雑多掌編集v2 ~沼米 さくらの徒然なる倉庫~

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:653pt お気に入り:6

処理中です...