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1.求婚 ダメ。王子の魅力は破壊力があり過ぎ。抵抗は難易度高な模様。

01 そういうわけで、名前を変えた

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 子供の頃の記憶だ。

「なんなのよー!」
 怒号が飛ぶ。
「おまえはうるさいっ!」

 わたしたちは急いで居間に走った。居間の隣の5畳の和室で、父と母が焼酎と水を洗面器でかけあってずぶ濡れで怒鳴りあっていた。
 水浸しの畳。
 髪の毛から何から何までずぶ濡れの父と母。あたりに焼酎の匂いが充満している。

 魔法使いだって、互いの魔力を互いに封印すればただの人。どん底はトコトンどん底だ。

 5畳の畳には天井の板がない。寝ている間にネズミが走り回ってうるさいと母が怒り、ある日、母は長い箒の先っぽで下からつついて天板を全て剥ぎ取ったのだ。

「帰ろ。ほら、こっちにきて帰ろ。」

 隣の家のおばさんがすっ飛んできて、あまりの衝撃の光景に呆然と立ち尽くす隣の家のみずえちゃんの手を急いで取った。

 わたしたち含めて、子供たちは体が硬直したように固まって、父と母の衝撃の喧嘩をひたすら呆然と見つめていた。
 畳に母は座り込み、ずぶ濡れの髪をなんとか顔から振り払おうとしていた。父は空の洗面器を畳に放り投げた。父もずぶ濡れだ。傍に焼酎の一升瓶が転がっていた。母が父の頭からひっくり返してかけたのであろう。

「子供の前で何しとる!」

 隣に住む祖母と祖父が急いでやってきて、事態の収集を図った。祖父は線香工場の社長で、祖母は旅館の経営者だ。そのあとは、祖母と祖父によっておさまった。私たち子供は祖父の家にいき、気づいたら、父と母の様子は普段と同じ元に戻っていた。

 そんなこんなで、わたしは、子供の頃から母親姓になった場合の姓名判断をしている魔法少女だった。


「苗字、変えました。」

 わたしは人事に一言だけ言って証拠の書類を提出した。戸籍謄本を見せた。人事のその若い男性は「変えたんですね!」と驚いたような表情でわたしを一瞬見て、「了解っす!」とだけ言って書類を受け取った。さすが人事。余計なことは言わない。

 別にやりたかったことじゃない。でも、結果的に子供は名乗る姓を選べるので、今度は母の姓になろうと思っただけだ。

「結婚したの?」

 人事から戻った私に、二つ隣の席のジョンはそう聞いてきた。

「違う。選べたから、選んでみただけ。」

 わたしはそれだけ答えた。

 結婚した。いや、実は今まで結婚していて、今までの苗字が旦那さんの苗字で、今回離婚したから旧姓に戻った。その二パターンで職場中で噂が流れた。

 残念。どれも違う。
 選べたから母の姓を名乗ることに決めただけだ。(本当は侯爵夫人に追われているからだけれども、それは秘密だ。)

 ―まあ、わたしにはこっちの名前の人生も用意されていたというわけで、今回選んでみました。そういうことです。―
 このフレーズは結局、ジョンにしか言えなかった。

「いつまで綺麗かなあ?」
「綺麗なうちに結婚した方がいい。噂されるうちが華だから。これは本当。」

 ジョンはわたしの顔をまじまじと見て私に言った。セクハラ発言が絶えないこの人は、私の職場の同僚だ。

 わたしは魔法少女から、顔まあよし、性格きつい、借金を借金で返すような魔女忍まじょしのになった。わたしの名前はウルフ沙織。魔女忍まじょしの。令和から数億年未来の地球、魔歴22年に生きる23歳。

 なんとかこの人生に立ち塞がる防壁を打破しようと気分一新して、名前まで変えた。改名だ。時には自分ではどうにもならないことだってある。使えるものは使って、打破してみるのだ。

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