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3ー愛の着地

65 あなたのことを嫌いですってよ

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 外で鳥が鳴いている。実に爽やかな令和の朝だ。空は晴れている。

 今日は日曜日。
 わたしの部屋の食卓では、4人の大人がトーストをかじりながらまったりとコーヒーを飲んでいる。
 
 メンズのトレーナー上下を着たガッシュクロース公爵夫人、王子の母上、つまり元王妃である幸子さん、会社の同期の高梨、美月がぼーっとこんがり焼けたキツネ色のトーストを食べている。皆、たっぷりバターを塗ってトーストを頬張っていた。王子の母上はわたしが貸した高校時代のジャージを着ている。

 ――なんでっ!?

 わたしはなんでこうなったと思いながら、コーヒーマシンにお代わりのコーヒーをセットしていた。

「麦茶欲しい人ー!」
「はい」
「うっす!」

 手をあげた美月と高梨の前に、麦茶を注いだコップを置く。100円ショップで買った昭和レトロ柄のコップに、目ざとい公爵夫人がきらっと目を輝かせて注目した。
 
「あら?珍しい柄でございますわね。私も欲しいわ」
「差し上げますよ」

 わたしは愛想よく笑顔を振りまく。
 
「お母様、目玉焼きを召し上がります?」

 王子の母上に聞いたわたしは、母上にフンっ!と横を向かれた。

「あなたにお母様と呼ばれる筋合いはございませんっ!」
「失礼いたしました。幸子さんは目玉焼きを召し上がりますか?」
「いただこうかしら」

 わたしの高校時代のあずき色のジャージを着た母上は、ツンとすまして答えた。

「俺も手伝うよ」

 高梨が気を利かしてウィンナーと目玉焼きとレタスのセットを一緒に準備してくれた。

 目玉焼きまで食べた後は、みんなで美味しいケーキを仲良く食べた。
 
「美味しいわあ!」
「本当でございますわね」
「沙織さん、これはご自分で作られたの?」と王子の母上。
「いえ、買ってきました」
「あなた、これを自分で作れる?つまり、私が言いたいのは私の城でこのケーキを食べれるかと言いたいのよ」と王子の母上。
「頑張れば作れると思います」
「幸子さんの城って?」
「高梨、そこはつっこまないでいいから」
 
 
***

 昨日のこと。

 前の日に魔暦側でわたしと王子は、元王妃であらせられる王子の母上に婚約について猛反対された。
 
「あなたのお父様は、今は何のお仕事をされていらっしゃるの?大変な状況にお家がなったと聞きました。そのようなお家の方と王子が釣り合うわけがございません。王子が不幸になります。この婚約は恥です。……云々」

 非常にありきたりの絵に描いたような反応をされたのだけれども、当たり前のことを言われてわたしは内心ひどく落ち込んだ。ふわふわと宙に浮いていたような高揚感は見事に崩れ去った。誰しも、何年たっても親について悪口を言われるのは免疫がつかないもの。

 前の晩はかなり惨めな思いで眠りについた。

 朝が来て、令和側は土曜日だった。同期2人との高尾山までのドライブという予定をカレンダーに見つけて、わたしは飛び上がった。嬉しかった。こういう時こそ別のことで気を紛らわせたい。なにせ53年ぶりの二十代の同期とドライブだ。

 高梨の迎えが朝の9時の予定だったので、早めにメイクをして着替えを済ませた。ポットにコーヒーと麦茶を準備していると、玄関ドアを誰かが叩く音がした。不吉な音だ。

 インターホンではなく玄関扉を直打する人を、わたしは一人しか知らない。居留守を使いたかったけれども、また帰れなくなったであろう公爵夫人を放り出すことはできなかった。

 そこで、渋々カメラから玄関先をのぞいて私は叫んだ。

「ええっ!」
「沙織、いるんでしょう。こちらを開けてくださる?」
「どうされたんですか?」
「どうしたもこうしたも、この扉を開けてください」

 玄関先に立っていたのは、わたしが先日あげたメンズのトレーナー上下とナイキのシューズを身につけたガッシュクロース公爵夫人と、もう一人。

 もう一人は、なんと元王妃であらせられる王子の母上だ。王子の母上は煌びやかな宮廷忍びファッションを身につけて、困惑した表情で公爵夫人に連れられて立っていた。

 わたしは慌てて玄関扉を開けた。
 
「さあ、靴を脱いでくださいましね」

 そう母上に言ってズカズカと中に上がり込んできたガッシュクロース公爵夫人は、王子の母上を色々お世話しているようだった。

「どうされました?」
「沙織。わたくし、王子の母君大変に気が合いましてよ。母君はあなたのことが大っ嫌いなんですってよ。わたくし激しく同意でございますの。それで、意気投合いたしましてお連れしましたのよ」
 
「え…………どうしてここに?」
「どうしてって、また楽しいことをしたいからじゃありませんか」

 わたしは絶句した。穴が開くほど公爵夫人の勝ち誇ったような顔を見つめた。

 ――なぜ?
 
 黙り込んだわたしに、王子の母上は猛烈な剣幕で文句を言い始めた。
 
「で、これはなんなんですか?沙織さんっ!」
「あ、お母様。ここはわたしのもう1つの部屋で」
「あなた、どういうことなのっ!髪の色も違うじゃないの。王子はこのことを知っているの?」
「いえ、王子はまだご存知ありません」

 わたしは王子の母上が憤慨する様子にうなだれた。

 ――説明不能。絶体絶命…………

 そこにガッシュクロース公爵夫人が割って入ってきた。メンズのトレーナを上下着たスタイルで堂々と立ち、人差し指を口元にあててウィンクをした。1512年のファッションリーダーはドンキのトレーナーを着てもどこか素敵だ。
 
「あーら、母君。女にも秘密の時間が多少は必要でございますわよ」
「秘密の時間?」

「そうでございますわよ。とんでもなく楽しい時間をここでは過ごせますのよ。殿方には内緒で。楽しさについてはわたくし断言いたしますわ。沙織と一緒にこの世界で遊ぶのは楽しいでございますわよ」
「そ、そうですか」

 なんだか分からないけれども、このまま二人をここには置いては行けない。そもそも今日は同期と高尾山に行きたい。
 
 ――仕方ないっ!

 わたしクローゼットのところまで走って行った。この前ふくよか過ぎた公爵夫人には無理だった高校時代のジャージを王子の母君に差し出した。

「あの、楽しいことをこれからしますので、こちらに着替えていただけないでしょうか」
「これを着ろとあなたはわたくしに言っています?」とカチンときた様子の王子の母君。
 
「あら、母君は細くてスタイル抜群でらっしゃるから、きっと着こなせますわ。わたくしなんて、入りもしなかったですのよ。この前試しましたのでございますわよ」と公爵夫人。

 それを聞いた王子の母上は、仕方なく着替えてくれた。

「それから、沙織さん!」
「はいっ!」
「わたくしのことは『幸子さん』と呼んでください。わたしはあなたの母ではございませんので。よろしくって?」
「御意!」
 
 わたしは思わず魔女忍の返事をしてうなずいた。

 この状況で、同期の高梨と美月が到着したというLINEメッセージが届いた。
 
「さあ、出発ですよっ!幸子さんはこちらの靴を履いてください!」

 わたしは王子の母上にコンバースのスニーカーを差し出した。
 
 バタバタとわたしは二人を部屋から連れ出し、コーヒーポットと麦茶の入った袋を公爵夫人に持たせて、自分はパーカーやチョコなどのおやつの入ったリュックを持ち、高梨の乗ってきた車のところまで急がせた。

「えっ!だれっ?」
「どなたですか?沙織の親戚の方ですか?」

 公爵夫人と王子の母上を見た同期の二人は、驚愕した。
 
「沙織、突然どなたをお連れしたの?」
 
 驚く同期二人を尻目に、公爵夫人と王子の母上を車の後部座席に座らせて、わたしは「申し訳ないっ!」とLINEを二人に送った。

「こちらの世界の馬車のようなものです」

 そう公爵夫人に説明して、高尾山に向けて高梨に車を出してもらったのだ。

 王室のファブ4ならぬ、奇妙な組み合わせの4人組とわたしは、こうして高尾山登山に向かった。

「素晴らしいわっ!」
「この乗り物は最高よっ!」

 ガッシュクロース公爵夫人と王子の母上は、高尾山のケーブルカーに乗って大興奮だった。

「あの二人は誰?」
「田舎の親戚なの。急に連れてきてごめんね。世間知らずでちょっと変なおばさま二人だけれど許してー」
 
 わたしは同期の高梨と美月に何度も謝った。
 同期の二人は珍しい生き物を見るような目で、温かくおばさま二人を見守ってくれた。
 
 忍歴側での王子との婚約成立と、わたしを狙うガッシュクロース公爵夫人を籠絡できるかが、美しい高尾山にかかっていた。

 空の青と雲の白と山脈の緑は、どの地球でも変わらない。山の新鮮な空気を吸って風を浴あび、汗をかいて頂上まで行った。その後、五人でお蕎麦を食べた。公爵夫人と王子の母上は楽しそうに笑い出して、高梨と美月との会話が弾んでいた。

 私は53年ぶりの令和の23歳で、幸せな時間を過ごしていた。
 
 帰りのケーブルカーでも大はしゃぎだった公爵夫人と王子の母上は、高梨と美月と一緒にわたしの部屋でお酒を飲んだ。5人でSwitchゲームをして盛り上がった。

「うわ、ぜんぜんできないわっ!沙織さん、どうするの?」と母上。
「幸子さん、ちょっと貸してくださいっ!」と高梨。

「高梨、上手わねー」と母上。
「負けないわよ!」と公爵夫人。
「夫人、右に逃げてください。敵が来ています」と美月。
 
 わたしの命を狙っていたはずのガッシュクロース公爵夫人と、わたしを憎んでいたはずの王子の母上は、楽しい時間を過ごしたようだ。
 そして酔ってみんなでわたしの部屋で寝てしまったのだ。

 みんなが寝てしまったあとのこと。
 わたしは寝てから魔暦側で起きた。奉行所の業務を1日こなしたあと、令和の日曜日で目覚めた。

 こうして、皆で一緒に朝ごはんも食べた。
 
 これで何かが変わるだろうか。

 「この人は誰?」
 ガッシュクロース公爵夫人は、机の上に飾ってあったわたしの祖母の写真を指差してわたしに聞いた。
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