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第六章 戴冠
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俺を先頭に、マキアを抱えたオウマを殿に、ヴァーマ・ドゥエルの女たちと、彼女らに手綱を曳かれた馬たちは砦まで帰って来た。
その頃には太陽は空の真ん中に登っており、陽射しを煌々と照り付けて来た。
森の中を駆ける風が、俺たちの背中を押している。
砦の門が見えて来ると、女たちは酷く安心したようで、中には門に辿り着く前にへたり込みそうになる者もあった。彼女らは互いに励まし合って立ち上がり、漸く砦の前まで戻って来た。
すると、俺たちを迎え入れるようにして、門が内側から開かれた。砦の傍の崖から、俺たちの帰還を眺めていた者がいたのだろう。それを門の中に報せたのだ。
門を潜ると、リオディン・ダグラ族の襲撃から逃れた、カーラを筆頭とする砦の人たちが迎えてくれた。
その多くは老人と子供たちであり、連れ去られた女たちの祖父母や両親、息子や弟たちであった。
戦士である男たちの数は、殆ど見えなかった。あったとしても、腕や脚を失う重傷を負って、殺す必要がないとみなされた者たちである。
彼らは兎にも角にも再会を喜び合い、家族と抱擁を交わし、逆に自らが慰み者とされた事を恥じて泣き出す者もあった。
「トゥケィ!」
カーラが掠れた声で俺の名を呼びながら、胸に飛び込んで来た。カーラはその小さな肩を震わせ、俺の胸に顔をうずめて、言葉にならない嗚咽を吐き出した。
俺は彼女の事を抱き締めてやりたかった。心配を掛けたな、けれど無事に戻って来たぞ……と。
しかしカーラの細い肩に手をあてがうと、俺の――今は元に戻っているが――手があの黒い鱗の生え揃った様子を思い出してしまい、果たして俺にその資格があるのかと、大きな迷いを抱いてしまう。
「泣くな、カーラ」
オウマがやって来て、言った。
オウマはマキアを地面に下ろすと、小さな声でカーラを一喝した。
「お前はこれから、この砦の司祭なんだぞ。そんな情けない姿を見せてはいけない」
「オウマさん、そんな事……」
マキアが俺の足元で、オウマに意見した。マキアはオウマに対して苦手意識を持っていた筈だが、今はそんな事がなかったかのように、彼に対して自然と言葉を吐き出した。この夜の体験で胆力を身に着けたのか? いいや、そうではないだろう、オウマに抱えられて運ばれている内に、彼の心の中の優しさを見出したのかもしれない。
カーラは俺の胸から顔を離すと、泣き腫らした真っ赤な眼を擦って、胸を張った。
「分かってるわよ、莫迦! これからあんたは私の部下なんだから、私を敬いなさいよね!」
「あぁ? 違うね、新しいヴァーマ・ドゥエルは戦士こそが頂点に立つ。寝言を唱えるだけの役立たずな司祭なんかその下の下で良いのさ」
「何ですってーっ!」
まぁまぁ、と、俺がカーラを、マキアがオウマをそれぞれ宥めた。
ふん、とそっぽを向くオウマ。カーラも同じようにしたが、すぐに俺の方に向き直って、言った。
「そうだ、トゥケィ、実は……」
カーラが言い掛けた所で、人波を分けて、一人の老人がやって来た。皺くちゃの、赤みを帯びた茶色い肌、白い蓬髪と髭を蓄えた、瞳ばかりは炯炯とした翁……
「長老……ご無事だったのですか!」
「何とかな」
長老ワカフ翁は、枯れ枝のような細い手を持ち上げて俺に応えた。
ワカフ翁は俺とオウマが出発する前には見付からなかった。恐らく、他の戦士たちと同じように殺されてしまったのだろうと思っていた。だがカーラが言うには、ワカフ翁は戦士長マモラの手引きでズァーカの秘密の通路に隠れていたという事だ。しかし老齢で力も弱っていたので、脱出口を開く事が出来なかった。
「そのまま生き埋めになっちまえば良かったものを」
オウマが不満そうに言った。彼は出立前から、自分を頂点とした新しいヴァーマ・ドゥエルの構想を練っていた。それに何より邪魔だったのは、このワカフ翁であっただろう。
「こら、オウマ!」
「案ずるな、オウマよ。砦を危機に陥れた儂は、最早、長老としての資格はない。引退じゃ」
「え? そんな、ワカフ翁……まさか、オウマにその座を?」
「いや。オウマ、お主が思っているように、儂は次の長老として……」
カーラの問い掛けに首を横に振ったワカフ翁は、そのまま、俺の事を見つめた。
「トゥケィよ、ゼノキスァの子よ、お主を、推薦したい」
「な――俺が、長老?」
「のう、オウマよ。主も初めからその心算じゃったのじゃろう」
俺は、ワカフ翁直々に次期長老として推薦された事、そしてオウマがそのように思っていた事に驚き、ワカフ翁とオウマの顔をそれぞれ眺めた。ワカフ翁は皺だらけの顔を穏やかに微笑ませ、オウマは照れたようにそっぽを向いていた。
「俺とお前じゃ、結局、人望の度合いが違うからな。だが勘違いするなよトゥケィ、俺は、ヴァーマ・ドゥエルを俺の思うように変える為には、その方が都合が良いと思っただけだ。お前はそのお人好し加減で砦の連中を虜にしろ、だがまつりごとの全ては俺が取り仕切る。俺はお前を傀儡にする為に、長老として推薦したに過ぎないって事を、忘れるんじゃないぞ」
オウマは俺の胸を指でつついて、吐き捨てるように言った。何故かその様子を聞いて、マキアが嬉しそうに笑みを浮かべている。
「話は済んでいるようじゃの。今、砦にいる戦士はお前たち二人だけ……オウマが主を認めたのならば、後は儂がトゥケィ、主に長老として話すべき事を話し、そして砦の者たちに納得のゆく説明を行なえば良いであろう」
「話……」
俺は、あの男……ディバーダ族のゾデ・ナージのククーラ、ハーラ・グル・アーヤバの事を思い出した。
俺の身体に起こった不可解な現象、そして石鉈の中から現れたヒヒイロカネの剣……それらについて長老に問えと、あの男は言っていた。
「俺も、話したい事がありました……」
俺はワカフ翁に言った。
ワカフ翁は俺の意を汲んでいるものであるという風に頷くと、踵を返した。
俺はワカフ翁の後に続こうとする。
と、急に足元がぐらついて、立っていられなくなった。
「トゥケィ?」
カーラが俺の顔を、心配そうに覗き込む。彼女の顔が、俺からは波立つ水面に映ったものであるかのように、ぐにゃぐにゃと歪んで見えていた。
俺はそのまま地面に倒れ込んで、気を失ってしまった。
少し時は遡る――
トゥケィとオウマが、リオディン・ダグラ族を襲撃し、女たちを解放して、トゥケィとタムザ・クファーンとの戦いの最中にハーラ・グル・アーヤバが現れていた頃……
ディバーダ族の住まいである洞窟の奥深く、ヒヒイロカネの扉に阻まれた、泉の間。
本来ならば、ディバーダ族の酋長であるナーガ・ゾデのククーラと、その近親者であるカムンナーギしか足を踏み入れられない神聖な場所に、恐らく初めてそれ以外の、しかも異民族の男がやって来ていた。
ン・ダーモ――ヴァーマ・ドゥエルの民であり、直近のディバーダ族の襲撃の際、下級戦士の手に掛かって命を落としたと思われていた男である。
卑屈な表情を浮かべたン・ダーモは、唇をいやらしく吊り上げ、眼の前の裸婦の姿を眺めていた。単に眺めるだけではない。皮膚の上ばかりではなく、内臓まで見透かし、品定めをするような眼だ。
カムンナーギ・メルバだ。
ハーラ・グル・アーヤバの姉である。カムンナーギとはディバーダ族の言葉で司祭を意味し、集落の中ではナーガ・ゾデに次いで高い地位を持つ。
メルバは今、泉の中に膝の辺りまで浸かり、一糸纏わぬ姿を曝け出していた。だと言うのに、メルバの顔には羞恥や困惑の色はなく、極めて侮蔑的な、冷徹な光のみが湛えられていた。
「う、薄汚い小鼠だと……」
ン・ダーモは、メルバによってそのように称された。
「違うのか」
メルバがディバーダ族の言葉ではなく、ヴァーマ・ドゥエルで用いられている言語を口にしている事に、ン・ダーモは気付いていない。
「お前は目先の欲に囚われ、自分の故郷を我らばかりか、馬乗り族や鱗族にまで売った……それを薄汚いと言わずして何と言う? それとも今の神の都はお前のような鼠ばかりなのか」
「――っ」
メルバの冷たい眼で胸の内を見透かされて、ン・ダーモは動揺した。思わず腰から、翡翠の石包丁を取り出して、裸体の女に突き出した。
「へへっ……そうさ、俺は薄汚い鼠だよ。あいつらのようにはなれっこねぇ……」
ン・ダーモの脳裏に浮かんでいるのは、自分が兄貴分と慕っていたオウマ、アーヴァン、そしてトゥケィなどの戦士たちの顔だ。彼がオウマたちに対し、何らかの劣等感を抱いていたのは明白であった。
「だが、それならそれなりに、俺のやり方で、力を手に入れてやるんだ」
「力……ほぅ、若しや鼠よ、あれを求めての事か」
メルバが意外そうな顔をすると、ン・ダーモは唇を歪めた。メルバに石包丁を突き付けながら、彼女が浸かっている泉に歩み寄ってゆく。
「案内して貰おうか、お前たちが持っている、あれがある場所に」
「無駄だ、あれはお前には使えぬよ。せめて、ナーガ・ゾデのククーラになってからにするんだな」
「うるせぇッ」
ン・ダーモは鋭く叫ぶと、泉に無遠慮に踏み入った。そしてメルバの白い腕を掴み、手前に引き寄せると、泉の畔に押し倒した。形の良い乳房が左右に垂れ、しかし刹那の後には重力に刃向かって綺麗なお椀型を取り戻した。
「ディバーダ族の祈祷師は酋長の近親者だって話だな。なら、お前が俺の子を産めば、俺にだってその資格があるって事だろう!?」
メルバの身体に覆い被さってゆこうとするン・ダーモ。しかしメルバの表情は変わらない。
「愚か者め、既にゾデ階級など関係ない」
「う!?」
「洞窟の中を見なかったのか? 既に我らは滅びたも同然だ。あの男……我が弟、ナーガ・ゾデのククーラ、歴代最恐の虐殺者……ハーラ・グル・アーヤバの手によってな」
「――」
「だとすれば、鼠よ、お前にあれを渡してみるのも一興か? ふ――鼠が龍に化ける事など、まずあり得ないと思うが……」
カムンナーギ・メルバはそう言うと、ン・ダーモの胸に手を当てた。そしてその指先にぴんと気を張ると、ン・ダーモの身体が垂直に跳ね上がった。
ン・ダーモは背中を天井に打ち付け、そのまま泉の中に落下した。立ち昇った水柱が水面に波紋を起こし、泉の中を穢してゆく。
ン・ダーモが泉の水を飲んでしまい、咳き込みながら岸まで泳いで来る間に、メルバは衣装と装飾品を身に着け終えている。
身だしなみを整えたメルバは、静かに禊の間から洞窟へと足を踏み出した。ン・ダーモがそれを追う。
二人は、骸が転がり、異臭を放つ洞窟を歩き、外へ向かった。
その頃には太陽は空の真ん中に登っており、陽射しを煌々と照り付けて来た。
森の中を駆ける風が、俺たちの背中を押している。
砦の門が見えて来ると、女たちは酷く安心したようで、中には門に辿り着く前にへたり込みそうになる者もあった。彼女らは互いに励まし合って立ち上がり、漸く砦の前まで戻って来た。
すると、俺たちを迎え入れるようにして、門が内側から開かれた。砦の傍の崖から、俺たちの帰還を眺めていた者がいたのだろう。それを門の中に報せたのだ。
門を潜ると、リオディン・ダグラ族の襲撃から逃れた、カーラを筆頭とする砦の人たちが迎えてくれた。
その多くは老人と子供たちであり、連れ去られた女たちの祖父母や両親、息子や弟たちであった。
戦士である男たちの数は、殆ど見えなかった。あったとしても、腕や脚を失う重傷を負って、殺す必要がないとみなされた者たちである。
彼らは兎にも角にも再会を喜び合い、家族と抱擁を交わし、逆に自らが慰み者とされた事を恥じて泣き出す者もあった。
「トゥケィ!」
カーラが掠れた声で俺の名を呼びながら、胸に飛び込んで来た。カーラはその小さな肩を震わせ、俺の胸に顔をうずめて、言葉にならない嗚咽を吐き出した。
俺は彼女の事を抱き締めてやりたかった。心配を掛けたな、けれど無事に戻って来たぞ……と。
しかしカーラの細い肩に手をあてがうと、俺の――今は元に戻っているが――手があの黒い鱗の生え揃った様子を思い出してしまい、果たして俺にその資格があるのかと、大きな迷いを抱いてしまう。
「泣くな、カーラ」
オウマがやって来て、言った。
オウマはマキアを地面に下ろすと、小さな声でカーラを一喝した。
「お前はこれから、この砦の司祭なんだぞ。そんな情けない姿を見せてはいけない」
「オウマさん、そんな事……」
マキアが俺の足元で、オウマに意見した。マキアはオウマに対して苦手意識を持っていた筈だが、今はそんな事がなかったかのように、彼に対して自然と言葉を吐き出した。この夜の体験で胆力を身に着けたのか? いいや、そうではないだろう、オウマに抱えられて運ばれている内に、彼の心の中の優しさを見出したのかもしれない。
カーラは俺の胸から顔を離すと、泣き腫らした真っ赤な眼を擦って、胸を張った。
「分かってるわよ、莫迦! これからあんたは私の部下なんだから、私を敬いなさいよね!」
「あぁ? 違うね、新しいヴァーマ・ドゥエルは戦士こそが頂点に立つ。寝言を唱えるだけの役立たずな司祭なんかその下の下で良いのさ」
「何ですってーっ!」
まぁまぁ、と、俺がカーラを、マキアがオウマをそれぞれ宥めた。
ふん、とそっぽを向くオウマ。カーラも同じようにしたが、すぐに俺の方に向き直って、言った。
「そうだ、トゥケィ、実は……」
カーラが言い掛けた所で、人波を分けて、一人の老人がやって来た。皺くちゃの、赤みを帯びた茶色い肌、白い蓬髪と髭を蓄えた、瞳ばかりは炯炯とした翁……
「長老……ご無事だったのですか!」
「何とかな」
長老ワカフ翁は、枯れ枝のような細い手を持ち上げて俺に応えた。
ワカフ翁は俺とオウマが出発する前には見付からなかった。恐らく、他の戦士たちと同じように殺されてしまったのだろうと思っていた。だがカーラが言うには、ワカフ翁は戦士長マモラの手引きでズァーカの秘密の通路に隠れていたという事だ。しかし老齢で力も弱っていたので、脱出口を開く事が出来なかった。
「そのまま生き埋めになっちまえば良かったものを」
オウマが不満そうに言った。彼は出立前から、自分を頂点とした新しいヴァーマ・ドゥエルの構想を練っていた。それに何より邪魔だったのは、このワカフ翁であっただろう。
「こら、オウマ!」
「案ずるな、オウマよ。砦を危機に陥れた儂は、最早、長老としての資格はない。引退じゃ」
「え? そんな、ワカフ翁……まさか、オウマにその座を?」
「いや。オウマ、お主が思っているように、儂は次の長老として……」
カーラの問い掛けに首を横に振ったワカフ翁は、そのまま、俺の事を見つめた。
「トゥケィよ、ゼノキスァの子よ、お主を、推薦したい」
「な――俺が、長老?」
「のう、オウマよ。主も初めからその心算じゃったのじゃろう」
俺は、ワカフ翁直々に次期長老として推薦された事、そしてオウマがそのように思っていた事に驚き、ワカフ翁とオウマの顔をそれぞれ眺めた。ワカフ翁は皺だらけの顔を穏やかに微笑ませ、オウマは照れたようにそっぽを向いていた。
「俺とお前じゃ、結局、人望の度合いが違うからな。だが勘違いするなよトゥケィ、俺は、ヴァーマ・ドゥエルを俺の思うように変える為には、その方が都合が良いと思っただけだ。お前はそのお人好し加減で砦の連中を虜にしろ、だがまつりごとの全ては俺が取り仕切る。俺はお前を傀儡にする為に、長老として推薦したに過ぎないって事を、忘れるんじゃないぞ」
オウマは俺の胸を指でつついて、吐き捨てるように言った。何故かその様子を聞いて、マキアが嬉しそうに笑みを浮かべている。
「話は済んでいるようじゃの。今、砦にいる戦士はお前たち二人だけ……オウマが主を認めたのならば、後は儂がトゥケィ、主に長老として話すべき事を話し、そして砦の者たちに納得のゆく説明を行なえば良いであろう」
「話……」
俺は、あの男……ディバーダ族のゾデ・ナージのククーラ、ハーラ・グル・アーヤバの事を思い出した。
俺の身体に起こった不可解な現象、そして石鉈の中から現れたヒヒイロカネの剣……それらについて長老に問えと、あの男は言っていた。
「俺も、話したい事がありました……」
俺はワカフ翁に言った。
ワカフ翁は俺の意を汲んでいるものであるという風に頷くと、踵を返した。
俺はワカフ翁の後に続こうとする。
と、急に足元がぐらついて、立っていられなくなった。
「トゥケィ?」
カーラが俺の顔を、心配そうに覗き込む。彼女の顔が、俺からは波立つ水面に映ったものであるかのように、ぐにゃぐにゃと歪んで見えていた。
俺はそのまま地面に倒れ込んで、気を失ってしまった。
少し時は遡る――
トゥケィとオウマが、リオディン・ダグラ族を襲撃し、女たちを解放して、トゥケィとタムザ・クファーンとの戦いの最中にハーラ・グル・アーヤバが現れていた頃……
ディバーダ族の住まいである洞窟の奥深く、ヒヒイロカネの扉に阻まれた、泉の間。
本来ならば、ディバーダ族の酋長であるナーガ・ゾデのククーラと、その近親者であるカムンナーギしか足を踏み入れられない神聖な場所に、恐らく初めてそれ以外の、しかも異民族の男がやって来ていた。
ン・ダーモ――ヴァーマ・ドゥエルの民であり、直近のディバーダ族の襲撃の際、下級戦士の手に掛かって命を落としたと思われていた男である。
卑屈な表情を浮かべたン・ダーモは、唇をいやらしく吊り上げ、眼の前の裸婦の姿を眺めていた。単に眺めるだけではない。皮膚の上ばかりではなく、内臓まで見透かし、品定めをするような眼だ。
カムンナーギ・メルバだ。
ハーラ・グル・アーヤバの姉である。カムンナーギとはディバーダ族の言葉で司祭を意味し、集落の中ではナーガ・ゾデに次いで高い地位を持つ。
メルバは今、泉の中に膝の辺りまで浸かり、一糸纏わぬ姿を曝け出していた。だと言うのに、メルバの顔には羞恥や困惑の色はなく、極めて侮蔑的な、冷徹な光のみが湛えられていた。
「う、薄汚い小鼠だと……」
ン・ダーモは、メルバによってそのように称された。
「違うのか」
メルバがディバーダ族の言葉ではなく、ヴァーマ・ドゥエルで用いられている言語を口にしている事に、ン・ダーモは気付いていない。
「お前は目先の欲に囚われ、自分の故郷を我らばかりか、馬乗り族や鱗族にまで売った……それを薄汚いと言わずして何と言う? それとも今の神の都はお前のような鼠ばかりなのか」
「――っ」
メルバの冷たい眼で胸の内を見透かされて、ン・ダーモは動揺した。思わず腰から、翡翠の石包丁を取り出して、裸体の女に突き出した。
「へへっ……そうさ、俺は薄汚い鼠だよ。あいつらのようにはなれっこねぇ……」
ン・ダーモの脳裏に浮かんでいるのは、自分が兄貴分と慕っていたオウマ、アーヴァン、そしてトゥケィなどの戦士たちの顔だ。彼がオウマたちに対し、何らかの劣等感を抱いていたのは明白であった。
「だが、それならそれなりに、俺のやり方で、力を手に入れてやるんだ」
「力……ほぅ、若しや鼠よ、あれを求めての事か」
メルバが意外そうな顔をすると、ン・ダーモは唇を歪めた。メルバに石包丁を突き付けながら、彼女が浸かっている泉に歩み寄ってゆく。
「案内して貰おうか、お前たちが持っている、あれがある場所に」
「無駄だ、あれはお前には使えぬよ。せめて、ナーガ・ゾデのククーラになってからにするんだな」
「うるせぇッ」
ン・ダーモは鋭く叫ぶと、泉に無遠慮に踏み入った。そしてメルバの白い腕を掴み、手前に引き寄せると、泉の畔に押し倒した。形の良い乳房が左右に垂れ、しかし刹那の後には重力に刃向かって綺麗なお椀型を取り戻した。
「ディバーダ族の祈祷師は酋長の近親者だって話だな。なら、お前が俺の子を産めば、俺にだってその資格があるって事だろう!?」
メルバの身体に覆い被さってゆこうとするン・ダーモ。しかしメルバの表情は変わらない。
「愚か者め、既にゾデ階級など関係ない」
「う!?」
「洞窟の中を見なかったのか? 既に我らは滅びたも同然だ。あの男……我が弟、ナーガ・ゾデのククーラ、歴代最恐の虐殺者……ハーラ・グル・アーヤバの手によってな」
「――」
「だとすれば、鼠よ、お前にあれを渡してみるのも一興か? ふ――鼠が龍に化ける事など、まずあり得ないと思うが……」
カムンナーギ・メルバはそう言うと、ン・ダーモの胸に手を当てた。そしてその指先にぴんと気を張ると、ン・ダーモの身体が垂直に跳ね上がった。
ン・ダーモは背中を天井に打ち付け、そのまま泉の中に落下した。立ち昇った水柱が水面に波紋を起こし、泉の中を穢してゆく。
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