重装クロスブラッド

石動天明

文字の大きさ
上 下
1 / 30
第1話 クロスブラッド誕生

Part1 妄想の達人

しおりを挟む
 俺は妄想の達人を自称している。

 両親が共働きで、俺は家に独りでいる事が多かった。特に、外に働きに出ている母親は置いておくとして、空手道場を経営していた父は俺の事を余り相手にせず、昼は併設されたエクササイズ教室のトレーナー、夕方以降は児童や学生、社会人らへの指導をやっていた。

 加えて幼い頃の俺は、身体が決して強くなく、父の稽古に耐えられるような体力を持ち合わせていなかった。だから父の背中を見ても空手をやろうとは思わなかったし、それが多少は緩和された今でも運動は好きではない。

 そんな俺が独りでいる間、父が母に言われて俺にやらせていたのは、ビデオを見せる事くらいだった。子供向けのヒーロー番組やテレビアニメのビデオをテレビにセットして、その前に小さな俺を座らせ、

“少ししたら戻る。大人しく見ているんだぞ”

 と言って、エクササイズ教室や道場へ向かって行った。

 幼い俺は、何度も繰り返し同じビデオを観て育ち、暫く観なくなった今でも何となく内容を反芻出来るくらいにはなっている。流石に中学生にもなろうというのに、そういうものは周りと同じように観なくなったのだが。

 保育園に預けられていた期間も、俺は部屋の中で本を読んだりブロックで遊んでいたりする事が多かったので、泥だらけになったような記憶はない。

 そんな幼少期を過ごした俺は、独りでいる事が当然と思うようになり、小学校に上がってもなかなか友達を過ごす事が出来ないでいた。

 ただ、それを苦痛とは思わなかった。何故なら創作物に触れる事によって孤独に順応した俺は想像力の発達が著しく、学校の机の模様を見て、そこに様々な物語を描き出す事が出来るようになっていた。

 学校の机は、俺にとってブラウン管も同じだった。昨日は鎧を着た戦士に見えたものが、今日はドラゴンに変わっている。騎士と戦っていたライオンのような怪物は、次の日にはか弱いお姫さまであった。

 日々変わる机の模様を眺めていると、俺はそれだけで嬉しくなり、休み時間に追いかけっこしたりボールを投げ合ったりしているクラスメイトと同じ空間にいる事は却って億劫であった。

 そんな想像力を……いや、妄想力を培うのに俺は、益々本を良く読むようになった。教室にある数冊の本を読み終わると、図書室へ行って毎日のように様々な種類の本を読み漁り――と言っても、それは文字通り読んでいるだけで、本のテーマなんかを見付ける事は苦手だったのだが――、幾らかの小遣いを貰えるようになるとしょっちゅう書店へ足を運んだ。

 時々、両親は俺を、国道沿いのショッピングモールに連れて行ってくれた。そんな時は大概、店舗の中に入っている本屋へダッシュして、漫画や小説の類を父親が持った買い物かごの中に放り込んで行った。

 たまに会う祖父母なんかは、そんな俺の様子を見て、将来はさぞや優秀な学者になるのだろうと勘違いしたらしい。

 けれども残念な事に、俺は辞書とか研究書にはいまいち興味がなかった。動物図鑑も恐竜図鑑も昆虫図鑑も、それは物語への没入度を引き上げる道具でしかない。

 俺は別に昆虫が好きなのではなく、その昆虫が物語の中でどう動くか、それを想像する為に知識を付けたかっただけなのである――知識量として、それは昆虫採集が趣味の人間には遠く及ばないが――。

 その物語についてだが、俺が好んだのはアクションや冒険であった。子供向けのヒーローというのは、どうしたってそうしたジャンルから抜け出すのは難しい。

 ……か弱い女子供が、邪悪な犯罪者や醜悪なモンスターに襲われている、そこにクールなオートバイや自動車で駆け付けて、パンチやキックを繰り出して悪人を退ける。コンクリートの上で跳ね回り駆け回り、時にはぼろぼろに傷付いても一瞬の隙を突いて無敵の超人に“変身”、圧倒的な力で正義を遂行する。

 そういうものに触れている時、俺は自分の病弱さを忘れた。俺はそうしたヒーローに守られる立場にありながら、自分こそが四角いガラスの向こうで所狭しと活躍する超人だと思い込んでしまう。

 だからなのか、机ばかり見つめていて身体が疲れ、ふと視線を投げた蒼い空の下の校庭を眺めて、時々思う。

 今、この場に、テレビで見たような悪人や怪物が現れた時――俺はあのヒーローたちのように鮮やかに戦って、クラスメイトや教師を守るのだ。

 しかし数式や英語を口にし、その解や和訳を答える教師と生徒のやり取りに、我に返る。自分にはそんな力などないし、この平和な町でそんな物騒な事件は起こらない。仮に何かあったとしても、俺は教師の誘導に従って他のみんなと一緒に逃げるだけだ――。

 でも。
 それでも。

 まだ、時々、思う事があるのだ。

 俺にそんな力があれば。
 俺が、あの日見たヒーローになれたのなら。

 そんな事を考えている暇があるなら、一つでも漢文や歴史や化学式を覚えた方が良いのだが……けれど、どうしたって俺は、そういう妄想をしてしまう。

 だから俺は、妄想の達人なのだ。

 激しい妄想をしつつ、現実に戻って自分を切り替えられる、それが達人だ。

 妄想をするだけに留まらず、現実とごちゃ混ぜにしてしまうようなら、それは素人である。同じ社会不適合者でもランクが違うのだ。

 しかし、俺はこの日、その認識を改めようかと思った。
 俺は妄想の達人だから、俺の妄想は決して俺の眼の前には存在しない筈なのだ。

 それなのに……

「聞いてくれ、朔耶さくや

 その夜、俺の前にいる筈がないそれが、俺に言った。

「俺の名はミライ。朔耶、君たちの時代は今、最大の危機に晒されている」

 ミライと名乗ったそいつは、その場にへたり込んだ俺の前にしゃがみ、俺の肩を掴むような動きをしながら、必死の形相で言った。

 だが、俺の肩に触れたミライの手は半透明になっており、しかも俺は触れられた感覚がなかった。そして俺を見据えるミライの顔も、その手と同じで透けており、向こうの景色が見えている。

「急げ朔耶! そのクロスピナーにリバーサルメダルを装填し、俺と共に戦ってくれ!」

 ミライの半透明の身体の向こうには……巨大な、怪物が立っていた。

 黒く膨らんだ身体から、硬質そうな赤い体毛がめちゃくちゃに生えている。地面に突いている二本の肢には鋸のような爪が生えていた。その肩口から広がるのは鴉のような翼だが、翅の一本一本は昆虫のそれのように透けて薄い。肩の間から長くて太い頸が伸び、頭には四つの眼があり、しかも牙を覗かせる口らしい器官は人間でいうと額の部分にある。

「奴はリアライバル。ブラッド粒子の暴走が引き起こすソウルリバーサル現象によって人間が変化してしまったものだ。早くしないと戻れなくなる。今、あの人を救う方法は、君と俺とが力を合わせる事だけなんだ!」

 怪物は四つある眼で俺を見下ろし、ゆっくりと近付いて来ている。夜の校庭、地面の砂利を擦りながら迫る怪物を前にして震える俺は、とても妄想通りの鮮やかなヒーローにはなれない。

 だが、ミライの言うように、俺の手にはクロスピナーとリバーサルメダルがあった。折り畳み式の携帯電話に似たデバイスを開くと、上側に縦長の窪みが開いている。この窪みは、片面が黒、片面が赤のメダルの横幅と同じサイズであった。

 貯金箱に小銭を入れる如く、メダルが填め込まれる。そして病的な震えを孕んだ手でデバイスを閉じた。

 するとクロスピナーの隙間から赤と黒の粒子が噴出し始めた。それと共に聞こえる金属の唸りは、メダルが内部で回転している音だ。

「ゆくぞ朔耶。ヒーローになるんだ!」

 ミライは言った。
 どくんと高鳴る俺の心臓。

 ヒーロー。

 その言葉が俺を、未知の世界へと誘った。

「叫べ! “重装じゅうそう”だ!」

 ミライの言葉に従うように、俺はへたり込んだ情けない姿のまま、同じように叫んだ。

 怪物は俺の眼前まで迫っている。そして丸太のような腕を振り上げ、金槌の如き前肢こぶしを打ち下ろそうとした。

「――重装!」

 俺はあらん限りの声で叫んだ。

 ……本当に叫べていたかは分からない。しかし少なくとも俺の、想像力の限りは、叫んだつもりであった。

 俺の身体を、赤と黒の光が包み込む――
しおりを挟む

処理中です...