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序章 地獄戦線
第一節 燃える埠頭
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花巻玲子は、地獄の光景を見ていた。
海が燃えている。
コンテナの並んだ埠頭を、空を焦がすような紅蓮の炎が包み込んでいる。その炎の色が、紺色の海に反射しているのである。
コンテナを運ぶクレーンは、余りの熱量にひしゃげてしまっている。コンクリートの地面が脆くなり、陥没している部分も確認された。
赤い炎に照らされて、陽炎の如く揺らめく地面にあるそれが、蜃気楼であると思い込みたい気持ちはある。しかし不幸にして玲子は、それらが実態を持った存在である事を認識してしまっていた。
コンクリートには、無数の動物の死骸が転がっていた。どれも、大きさで言うとライオンや虎くらいのサイズである。しかし、犬とか熊のような体毛を生やしたものばかりではなく、犀やアルマジロを連想する角質化した皮膚を持つもの、蛇や蜥蜴の鱗があるもの――ここまでならばまだ分かる――、そして蟹のような硬質な外殻があったり、反対に烏賊や蛸のような軟体をしていたりする動物たちだ。
だがそれらは、図鑑や水族館で見るような可愛らしいものではない。どれも人間と同じくらいの大きさで、そして人間のシルエットを持っていた。
人間が、蟹の甲羅や蛇の鱗を持っているのだ。
そしてそれらが、獣毛を生やした腕を切断され、鱗を無数の弾丸で貫かれ、甲羅を砕かれて、複数の手足をもぎ取られて、血の海に沈んでいる。
夥しい怪物の死骸が放つ腐臭を、酸素を喰らう事で炎が掻き消しているのだ。
死の山。
血の河。
嗅覚がイカれていても分かる、噎せ返るような死の匂いに、若き女刑事はグロッキー寸前であった。
だが玲子はまだ意識を保ち、比較的被害の少ないコンテナの陰に隠れて、海とコンクリートの狭間に立つ、それらを見ていた。
その二つのシルエットは炎に囲まれながらも、怯む事なくその場に佇み、向かい合っている。
そのどちらも、やはり、日常生活では先ず眼にする事のない姿をしているのだった。
一方は、一言で表すのならば、鎧騎士だ。
黒いボディスーツの上に、蒼い、月の光にも似た輝きを孕んだ鎧を身に着けている。肩、腕、胸、腿、脛――全てが大きく膨らんでおり、身長に対して過剰な程の装備であるように思われた。
特徴的なのは、その頭部だ。鎧騎士と言ったのは、頭部に至るまでその蒼白い光を放つ鉄の防具を身に着けているからでもある。その兜は、ネックガードを含んで、何らかの獣をモチーフとしたような造りになっていた。ひさしと、分厚いチンガードの隙間に吊り上がったゴーグルが見え、眉間には第三の眼のように明滅するランプが確認された。
獣の兜の鎧騎士は、左手に大きな刀を、逆手で握っていた。三日月のように反り返った刃が、炎の赤色を照り返して燃えている。右手には十四年式に類似した形状の拳銃を握っており、向かい合った相手に銃口を突き付けていた。
炎に包まれた埠頭で、剣と銃を構えて立つ鎧騎士というだけで、玲子はお腹いっぱいであった。しかしその相手を見れば、胸焼けしてしまいそうになる。
鎧騎士が向かい合っている相手――それは、炎と同じ緋色の肌を持った、怪物であった。
シルエットは、人間のように見える。足元を見れば泥と煤で汚れた年季の入ったスニーカーに、太腿にほつれが見えるジーンズ。しかし腰から上が、とても人間とは思えない形状である。
樽型の胴体と、ゴムタイヤでも詰め込んでいるかのような大胸筋、ボーリング玉のような肩に、丸太のような二の腕と、複合装甲を思わせる広背筋――その表面を覆う皮膚が、火傷したように赤く腫れ上がっている。更にこの赤い皮膚の上を、ごつごつとした鱗のようなものが蔓延っているのだ。特に肩からは、炎が燃え立つように、赤い鱗が横に向かって張り出しており、仏典に説く所の炎肩仏のようである。
そしてそんな肩との境目が分からないくらいに太い頸には、蜥蜴の顔が乗っていた。
鼻から下顎までが前方に突き出し、捲り上げた唇からは自身の口元さえ傷付けかねないくらいにあちこちに飛び出た黄色い牙が伸びている。鱗の隙間に偶然填まり込んだような、剥き出しの黄色い眼。その瞳孔は縦長になっていた。頭部を炎のような大量の毛髪が覆い、毛先は周囲の熱で焼かれてちりちりと音を立てている。
これだけだと、彼らの足元に転がる無数の死骸と変わらないように思える。だが、鎧騎士の兜の眉間にランプがあるのと同じように、蜥蜴の顔をした人間の額にも、赤い宝玉のようなものがぐりぐりと突き出していた。
海と空を焦がす炎の中に佇む、蒼白い鎧騎士と、赤黒い蜥蜴男――
宗教画の中の人物でもなければ眼にする事がない光景が、玲子の前には広がっているのだった。
海が燃えている。
コンテナの並んだ埠頭を、空を焦がすような紅蓮の炎が包み込んでいる。その炎の色が、紺色の海に反射しているのである。
コンテナを運ぶクレーンは、余りの熱量にひしゃげてしまっている。コンクリートの地面が脆くなり、陥没している部分も確認された。
赤い炎に照らされて、陽炎の如く揺らめく地面にあるそれが、蜃気楼であると思い込みたい気持ちはある。しかし不幸にして玲子は、それらが実態を持った存在である事を認識してしまっていた。
コンクリートには、無数の動物の死骸が転がっていた。どれも、大きさで言うとライオンや虎くらいのサイズである。しかし、犬とか熊のような体毛を生やしたものばかりではなく、犀やアルマジロを連想する角質化した皮膚を持つもの、蛇や蜥蜴の鱗があるもの――ここまでならばまだ分かる――、そして蟹のような硬質な外殻があったり、反対に烏賊や蛸のような軟体をしていたりする動物たちだ。
だがそれらは、図鑑や水族館で見るような可愛らしいものではない。どれも人間と同じくらいの大きさで、そして人間のシルエットを持っていた。
人間が、蟹の甲羅や蛇の鱗を持っているのだ。
そしてそれらが、獣毛を生やした腕を切断され、鱗を無数の弾丸で貫かれ、甲羅を砕かれて、複数の手足をもぎ取られて、血の海に沈んでいる。
夥しい怪物の死骸が放つ腐臭を、酸素を喰らう事で炎が掻き消しているのだ。
死の山。
血の河。
嗅覚がイカれていても分かる、噎せ返るような死の匂いに、若き女刑事はグロッキー寸前であった。
だが玲子はまだ意識を保ち、比較的被害の少ないコンテナの陰に隠れて、海とコンクリートの狭間に立つ、それらを見ていた。
その二つのシルエットは炎に囲まれながらも、怯む事なくその場に佇み、向かい合っている。
そのどちらも、やはり、日常生活では先ず眼にする事のない姿をしているのだった。
一方は、一言で表すのならば、鎧騎士だ。
黒いボディスーツの上に、蒼い、月の光にも似た輝きを孕んだ鎧を身に着けている。肩、腕、胸、腿、脛――全てが大きく膨らんでおり、身長に対して過剰な程の装備であるように思われた。
特徴的なのは、その頭部だ。鎧騎士と言ったのは、頭部に至るまでその蒼白い光を放つ鉄の防具を身に着けているからでもある。その兜は、ネックガードを含んで、何らかの獣をモチーフとしたような造りになっていた。ひさしと、分厚いチンガードの隙間に吊り上がったゴーグルが見え、眉間には第三の眼のように明滅するランプが確認された。
獣の兜の鎧騎士は、左手に大きな刀を、逆手で握っていた。三日月のように反り返った刃が、炎の赤色を照り返して燃えている。右手には十四年式に類似した形状の拳銃を握っており、向かい合った相手に銃口を突き付けていた。
炎に包まれた埠頭で、剣と銃を構えて立つ鎧騎士というだけで、玲子はお腹いっぱいであった。しかしその相手を見れば、胸焼けしてしまいそうになる。
鎧騎士が向かい合っている相手――それは、炎と同じ緋色の肌を持った、怪物であった。
シルエットは、人間のように見える。足元を見れば泥と煤で汚れた年季の入ったスニーカーに、太腿にほつれが見えるジーンズ。しかし腰から上が、とても人間とは思えない形状である。
樽型の胴体と、ゴムタイヤでも詰め込んでいるかのような大胸筋、ボーリング玉のような肩に、丸太のような二の腕と、複合装甲を思わせる広背筋――その表面を覆う皮膚が、火傷したように赤く腫れ上がっている。更にこの赤い皮膚の上を、ごつごつとした鱗のようなものが蔓延っているのだ。特に肩からは、炎が燃え立つように、赤い鱗が横に向かって張り出しており、仏典に説く所の炎肩仏のようである。
そしてそんな肩との境目が分からないくらいに太い頸には、蜥蜴の顔が乗っていた。
鼻から下顎までが前方に突き出し、捲り上げた唇からは自身の口元さえ傷付けかねないくらいにあちこちに飛び出た黄色い牙が伸びている。鱗の隙間に偶然填まり込んだような、剥き出しの黄色い眼。その瞳孔は縦長になっていた。頭部を炎のような大量の毛髪が覆い、毛先は周囲の熱で焼かれてちりちりと音を立てている。
これだけだと、彼らの足元に転がる無数の死骸と変わらないように思える。だが、鎧騎士の兜の眉間にランプがあるのと同じように、蜥蜴の顔をした人間の額にも、赤い宝玉のようなものがぐりぐりと突き出していた。
海と空を焦がす炎の中に佇む、蒼白い鎧騎士と、赤黒い蜥蜴男――
宗教画の中の人物でもなければ眼にする事がない光景が、玲子の前には広がっているのだった。
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