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第四章 戦いの狼煙
第七節 取調室
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「――はぁ!? 小川が、保釈?」
雅人から治郎の話を聞き――と言っても、神社で純と戦っていた事しか雅人は知らなかった――、彼にスーパー銭湯を案内して町を見回りながら署に戻った玲子は、食堂で飛岡と向かい合いながら眉を顰めた。
先に署に戻っていた飛岡は、ラーメンを啜りながら頷いた。
「池田組の顧問弁護士を通じて保釈金が出てな。解放せざるを得なくなった……」
「何でですか? 実際に店から、ブツが出てるじゃないですか」
ブツというのは、麻薬を意味する隠語だ。小川が経営を任されていたソープランド“ハードコア”では、従業員の一部に麻薬を使用させており、店が摘発された折にこれらも発見されている。
「それが紛失したんだよ」
「紛失!?」
「だから小川を押さえて置く事が、出来なくなったんだ」
「紛失ってどういう事ですか……」
身を乗り出しそうになった玲子の前で、飛岡は唇の前に人差し指を立てた。
玲子は飛岡の動作の意味を察して、声を低くした。
「署内に、小川――池田組と繋がっている人間がいるって事ですか」
店から押収された、“アンリミテッド”と思しき麻薬を始めとした品々は鑑識に回され、倉庫に保管されている。これを勝手に持ち出す事は許されない。その許されない事が行われた事実は、警察署内に池田組と通じる者の存在を示唆している。
「そうなる……」
「そんな。それじゃあ、何も変わってないじゃないですか、三年前と」
玲子は拳をテーブルに打ち付けた。
自分の眼の前に置かれていた丼の中で、ラーメンのスープが激しく波立った。
「勝義会が池田組に変わっただけじゃないですか。結局、暴力に脅されるしかないんですか?」
「――ラーメンが冷めるぞ」
飛岡は麺を啜った。平静を保とうとしているが、飛岡だって現状を良く思っている訳がない。
ただ、玲子でさえ長いものに巻かれる事を覚え始めている。玲子より早く組織の一員となった飛岡が、その呪縛から逃れられているとは思えなかった。
それでも、その警察の傷痕に齧り付いて血を吸おうとする邪悪な暴力を許せない正義の心だけは、絶対に手放したくはなかった。
玲子は一先ず落ち着いて、食事を続けた。
「しかし、奴らを突き崩す方法は一つじゃない」
「え?」
「この間の酔っ払い、意識を取り戻したそうだ」
治郎と思しき男によって、昏倒させられていた男である。
「奴の家をガサ入れした所、出て来たぜ、ブツが。そのルートから、池田組を攻める。午後には取り調べが出来る程度には回復するだろうと医者は言っていた」
飛岡の言ったように、太陽が真上に達した頃、警察病院から泥酔男――野村寅一が取調室に連れて来られた。
四畳くらいの部屋の中央と入り口の近くにテーブルが一基ずつあり、窓際のパイプ椅子に野村寅一が座り、反対側に飛岡が腰掛けていた。その脇に玲子がおり、入り口の横のテーブルには書記を務める警官がパソコンの画面と向かい合って、会話内容を記録している。
「君は配偶者の女性――萌生さんに、日常的に暴力を振るっていたね」
「暴力って……そんな事じゃないっすよ、ただ、少し手を払っただけです」
「血が出るまで殴る事を、暴力って言うんだよ。シラフの時はどうか知らないが、少なくとも酒を飲んで泥酔したら、それくらいの事はやっていたんだろう」
「酒の席の事じゃないっすか。刑事さんだって、お酒飲んだらそうなるでしょ?」
「なる奴は酒なんか飲むな! 兎に角、お前は萌生さんに二度と近付けさせないからな」
「何で刑事さんが勝手に決めるんすか!? あれは、俺の女っすよ! 俺が俺の女をどうしようと、あんたたちには関係ないじゃないですか!」
野村寅一がそう言った所で、玲子がテーブルを掌で叩いた。
誰がどのような意図で行なったかに関わらず、急に大きな音を立てられれば驚いて反応する。
玲子は溜め息を吐きながら、
「蚊が飛んでいたので、少し手で払っただけです」
と、その手をズボンのポケットに入れた。
玲子の眼には、普段の明るさとは程遠い冷たさがあった。他人を、自力で動く肉人形程度にしか思っていない野村寅一に対する侮蔑の念が、玲子にそんな顔をさせているのだ
雅人から治郎の話を聞き――と言っても、神社で純と戦っていた事しか雅人は知らなかった――、彼にスーパー銭湯を案内して町を見回りながら署に戻った玲子は、食堂で飛岡と向かい合いながら眉を顰めた。
先に署に戻っていた飛岡は、ラーメンを啜りながら頷いた。
「池田組の顧問弁護士を通じて保釈金が出てな。解放せざるを得なくなった……」
「何でですか? 実際に店から、ブツが出てるじゃないですか」
ブツというのは、麻薬を意味する隠語だ。小川が経営を任されていたソープランド“ハードコア”では、従業員の一部に麻薬を使用させており、店が摘発された折にこれらも発見されている。
「それが紛失したんだよ」
「紛失!?」
「だから小川を押さえて置く事が、出来なくなったんだ」
「紛失ってどういう事ですか……」
身を乗り出しそうになった玲子の前で、飛岡は唇の前に人差し指を立てた。
玲子は飛岡の動作の意味を察して、声を低くした。
「署内に、小川――池田組と繋がっている人間がいるって事ですか」
店から押収された、“アンリミテッド”と思しき麻薬を始めとした品々は鑑識に回され、倉庫に保管されている。これを勝手に持ち出す事は許されない。その許されない事が行われた事実は、警察署内に池田組と通じる者の存在を示唆している。
「そうなる……」
「そんな。それじゃあ、何も変わってないじゃないですか、三年前と」
玲子は拳をテーブルに打ち付けた。
自分の眼の前に置かれていた丼の中で、ラーメンのスープが激しく波立った。
「勝義会が池田組に変わっただけじゃないですか。結局、暴力に脅されるしかないんですか?」
「――ラーメンが冷めるぞ」
飛岡は麺を啜った。平静を保とうとしているが、飛岡だって現状を良く思っている訳がない。
ただ、玲子でさえ長いものに巻かれる事を覚え始めている。玲子より早く組織の一員となった飛岡が、その呪縛から逃れられているとは思えなかった。
それでも、その警察の傷痕に齧り付いて血を吸おうとする邪悪な暴力を許せない正義の心だけは、絶対に手放したくはなかった。
玲子は一先ず落ち着いて、食事を続けた。
「しかし、奴らを突き崩す方法は一つじゃない」
「え?」
「この間の酔っ払い、意識を取り戻したそうだ」
治郎と思しき男によって、昏倒させられていた男である。
「奴の家をガサ入れした所、出て来たぜ、ブツが。そのルートから、池田組を攻める。午後には取り調べが出来る程度には回復するだろうと医者は言っていた」
飛岡の言ったように、太陽が真上に達した頃、警察病院から泥酔男――野村寅一が取調室に連れて来られた。
四畳くらいの部屋の中央と入り口の近くにテーブルが一基ずつあり、窓際のパイプ椅子に野村寅一が座り、反対側に飛岡が腰掛けていた。その脇に玲子がおり、入り口の横のテーブルには書記を務める警官がパソコンの画面と向かい合って、会話内容を記録している。
「君は配偶者の女性――萌生さんに、日常的に暴力を振るっていたね」
「暴力って……そんな事じゃないっすよ、ただ、少し手を払っただけです」
「血が出るまで殴る事を、暴力って言うんだよ。シラフの時はどうか知らないが、少なくとも酒を飲んで泥酔したら、それくらいの事はやっていたんだろう」
「酒の席の事じゃないっすか。刑事さんだって、お酒飲んだらそうなるでしょ?」
「なる奴は酒なんか飲むな! 兎に角、お前は萌生さんに二度と近付けさせないからな」
「何で刑事さんが勝手に決めるんすか!? あれは、俺の女っすよ! 俺が俺の女をどうしようと、あんたたちには関係ないじゃないですか!」
野村寅一がそう言った所で、玲子がテーブルを掌で叩いた。
誰がどのような意図で行なったかに関わらず、急に大きな音を立てられれば驚いて反応する。
玲子は溜め息を吐きながら、
「蚊が飛んでいたので、少し手で払っただけです」
と、その手をズボンのポケットに入れた。
玲子の眼には、普段の明るさとは程遠い冷たさがあった。他人を、自力で動く肉人形程度にしか思っていない野村寅一に対する侮蔑の念が、玲子にそんな顔をさせているのだ
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