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第四章 戦いの狼煙
第十三節 過去の人
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逆さまになったパトカーから運び出された時、杏子は気絶していた。その身体を抱きかかえたのは、赤毛の巨漢――明石雅人である。
スーパー銭湯で食事をした後、いずみと出会って治郎を探すのに協力した雅人は、繁華街や花街の方へやって来ていた。
そうしているとパトカーが細い道を突っ切って飛び出して来た。雅人はその前に歩み出ると、向かって来るパトカーに対して前蹴りを繰り出した。
雅人の蹴りはパトカーのフロントに突き刺さり、車を停止させた。それでもアクセルを吹かそうとするので、仕方なしにもう片方の足で蹴り上げ、パトカーを引っ繰り返してしまったのである。
そうしてドアを歪めてやり、手をねじ込む隙間を作って、助手席に押し込まれていた杏子を助け出したのだ。
「……渋江さん……」
雅人は気絶した杏子を見て言った。
三年前に出会い、自分に或る事を依頼した女だ。
あの時の事を思うと、雅人の胸に悔しさがこみ上げる。
あの時、自分がもっと強ければ、あんな思いをさせずに済んだのだ。
しかしそれはそれとして、雅人にとって杏子は、既に過去となった人間だ。
今までに出会ったあの人や、あいつや、彼と同じで、二度と再び、会う事はないと思っていた。
それがどうして、自分がこの町を訪れたこのタイミングで、ここに現れたのか。
――妙な事もあるものだ。
雅人は気を失った杏子を抱えたまま、背後を振り返った。
引っ繰り返ったパトカーが、もぞもぞと動いている。
かと思うと、逆さまになった床下部分を突き破って、異形となった一人の男が現れた。
野村寅一という名前を、雅人は知らない。
だが、野村寅一を知っている人間がこの場にいたとしても、すぐにそれとは分からないであろう。
精々襟足までだった髪が、肩の下まで伸びて、生え際から縮れている。顔が、眼や口元を除いて硬質な体毛によって覆われていた。頸が太くなって顎が押し上げられ、頭部が胴体と平行になっている。服を内側から突き破るくらいに、肩や胸、太腿が膨張していた。テーマパークのマスコットの着ぐるみでも身に着けたかのように広がった手。その指先からは黄色い爪がナイフのように尖っていた。
「……“アンリミテッド”の実験体だな。いや、この町そのものが実験場か」
雅人は、怪物然とした姿の野村寅一と向かい合った。
野村寅一は赤い眼で雅人を睨み付けると、顎を大きく開いて息を吐き出した。黄色い牙は、自分の唇を傷付けるようにぎざぎざに生えている。この時に涎と一緒に顎からこぼれたのは、それまで生えていた歯であろう。
野村寅一はパトカーから脱出し、雅人に向かって飛び掛かった。
空中高く舞い上がった野村寅一の身長は、パトカーに乗り込む前と比べて大きくなっている。雅人を凌ぐ二メートル近くまで、成長しているのではないかと思われた。
雅人は杏子を抱えたまま、近くの塀の上に跳び乗った。
どうやら、昨晩も訪れたリフレの入った建物らしい。昼頃から既に営業しているようで、表の騒ぎに釣られて客引きスタッフが何人か飛び出して来た。
その途端、野村寅一はのこのこと現れたスタッフに狙いを付けて、襲い掛かった。
眼の前でひっくり返っているパトカーに驚いていたスタッフの一人が、野村の巨大な掌に顔を掴まれて、地面に押し倒された。
別のスタッフが悲鳴を上げて、逃げようとする。
これを、最初のストンピングで圧殺した野村が追った。
雅人が塀を蹴って、野村寅一の前に立つと、横蹴りを炸裂させた。
野村寅一の身体が、暴走パトカーを停止させる雅人のキックによって吹き飛ばされる。
「あ、あんた……」
雅人に声を掛けたのは、昨日の客引きの男だ。
「昨日はどーも。あれからお客は入った?」
「い、いえ、それが、どうにも……」
客引きスタッフは、余りの事態に動揺して、雅人の問い掛けに答えてしまった。
雅人は笑いながら、
「だから言ったろ。男の客引きじゃ、お客なんか入らないよ。可愛い女の子じゃないと、やる気が削がれちまうぜ」
「その、うちは……そういう、あれじゃなくて、ただのリフレ、な訳でして……」
「そっか、そうだったな」
雅人は客引きスタッフに、腕の中の杏子を預けた。滅多に人の事を、そのように抱える事はないのだろう、客引きスタッフは腕と腰をがくがく震わせ、杏子の身体をどうにか落とすまいとした。
「そろそろ警察が来るだろう。後の事はよろしく」
雅人は客引きスタッフの肩を叩いて踵を返し、野村寅一に視線を戻した。
自分が暴れさせ、突き破ったパトカーに激突させられていた野村寅一が立ち上がっている。
雅人は、野村が床を破ったパトカーからオイルが漏れているのを、匂いで感じた。
と、本物の警官の乗るパトカーが、サイレンを鳴らして花街に侵入して来る所であった。
雅人は野村寅一と逆さのパトカーに歩み寄り、右手を前に出した。
花街の通りで、大きな爆発が起こった。
スーパー銭湯で食事をした後、いずみと出会って治郎を探すのに協力した雅人は、繁華街や花街の方へやって来ていた。
そうしているとパトカーが細い道を突っ切って飛び出して来た。雅人はその前に歩み出ると、向かって来るパトカーに対して前蹴りを繰り出した。
雅人の蹴りはパトカーのフロントに突き刺さり、車を停止させた。それでもアクセルを吹かそうとするので、仕方なしにもう片方の足で蹴り上げ、パトカーを引っ繰り返してしまったのである。
そうしてドアを歪めてやり、手をねじ込む隙間を作って、助手席に押し込まれていた杏子を助け出したのだ。
「……渋江さん……」
雅人は気絶した杏子を見て言った。
三年前に出会い、自分に或る事を依頼した女だ。
あの時の事を思うと、雅人の胸に悔しさがこみ上げる。
あの時、自分がもっと強ければ、あんな思いをさせずに済んだのだ。
しかしそれはそれとして、雅人にとって杏子は、既に過去となった人間だ。
今までに出会ったあの人や、あいつや、彼と同じで、二度と再び、会う事はないと思っていた。
それがどうして、自分がこの町を訪れたこのタイミングで、ここに現れたのか。
――妙な事もあるものだ。
雅人は気を失った杏子を抱えたまま、背後を振り返った。
引っ繰り返ったパトカーが、もぞもぞと動いている。
かと思うと、逆さまになった床下部分を突き破って、異形となった一人の男が現れた。
野村寅一という名前を、雅人は知らない。
だが、野村寅一を知っている人間がこの場にいたとしても、すぐにそれとは分からないであろう。
精々襟足までだった髪が、肩の下まで伸びて、生え際から縮れている。顔が、眼や口元を除いて硬質な体毛によって覆われていた。頸が太くなって顎が押し上げられ、頭部が胴体と平行になっている。服を内側から突き破るくらいに、肩や胸、太腿が膨張していた。テーマパークのマスコットの着ぐるみでも身に着けたかのように広がった手。その指先からは黄色い爪がナイフのように尖っていた。
「……“アンリミテッド”の実験体だな。いや、この町そのものが実験場か」
雅人は、怪物然とした姿の野村寅一と向かい合った。
野村寅一は赤い眼で雅人を睨み付けると、顎を大きく開いて息を吐き出した。黄色い牙は、自分の唇を傷付けるようにぎざぎざに生えている。この時に涎と一緒に顎からこぼれたのは、それまで生えていた歯であろう。
野村寅一はパトカーから脱出し、雅人に向かって飛び掛かった。
空中高く舞い上がった野村寅一の身長は、パトカーに乗り込む前と比べて大きくなっている。雅人を凌ぐ二メートル近くまで、成長しているのではないかと思われた。
雅人は杏子を抱えたまま、近くの塀の上に跳び乗った。
どうやら、昨晩も訪れたリフレの入った建物らしい。昼頃から既に営業しているようで、表の騒ぎに釣られて客引きスタッフが何人か飛び出して来た。
その途端、野村寅一はのこのこと現れたスタッフに狙いを付けて、襲い掛かった。
眼の前でひっくり返っているパトカーに驚いていたスタッフの一人が、野村の巨大な掌に顔を掴まれて、地面に押し倒された。
別のスタッフが悲鳴を上げて、逃げようとする。
これを、最初のストンピングで圧殺した野村が追った。
雅人が塀を蹴って、野村寅一の前に立つと、横蹴りを炸裂させた。
野村寅一の身体が、暴走パトカーを停止させる雅人のキックによって吹き飛ばされる。
「あ、あんた……」
雅人に声を掛けたのは、昨日の客引きの男だ。
「昨日はどーも。あれからお客は入った?」
「い、いえ、それが、どうにも……」
客引きスタッフは、余りの事態に動揺して、雅人の問い掛けに答えてしまった。
雅人は笑いながら、
「だから言ったろ。男の客引きじゃ、お客なんか入らないよ。可愛い女の子じゃないと、やる気が削がれちまうぜ」
「その、うちは……そういう、あれじゃなくて、ただのリフレ、な訳でして……」
「そっか、そうだったな」
雅人は客引きスタッフに、腕の中の杏子を預けた。滅多に人の事を、そのように抱える事はないのだろう、客引きスタッフは腕と腰をがくがく震わせ、杏子の身体をどうにか落とすまいとした。
「そろそろ警察が来るだろう。後の事はよろしく」
雅人は客引きスタッフの肩を叩いて踵を返し、野村寅一に視線を戻した。
自分が暴れさせ、突き破ったパトカーに激突させられていた野村寅一が立ち上がっている。
雅人は、野村が床を破ったパトカーからオイルが漏れているのを、匂いで感じた。
と、本物の警官の乗るパトカーが、サイレンを鳴らして花街に侵入して来る所であった。
雅人は野村寅一と逆さのパトカーに歩み寄り、右手を前に出した。
花街の通りで、大きな爆発が起こった。
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