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第六章 その名は蛟
第一節 蛇と群狼―おおかみ―
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市街地の喧騒を離れた閑静な山の中に、池田組の屋敷はあった。
その周辺を、数台のパトカーが取り囲んでいる。
野村寅一の一件によって、池田組による違法薬物の売買が決定的となり、家宅捜索の令状が裁判所によって出され、色めき立った水門署の刑事たちが総出で出動したのであった。
池田組との繋がりが僅かでも残っており、保守的であった上層部を黙らせ、正義の血気を燃やす若い刑事たちが中心となって、とうとう念願の池田組一網打尽を胸に抱いて現着した。
その中には、顔に包帯を巻いた飛岡の姿もあった。
本当ならば、玲子もこの場所へ来たかった所だろう。しかし野村寅一が強奪したパトカーで暴走した際に人質となった渋江杏子のケアの為に、彼女が病院に連れ添っている。
捜索の結果、敷地内の蔵からは大量の薬物が発見された他、届けを出していない銃火器や刀剣類も発見され、それらの売買によって得た大金も確認された。諸々の罪によって、池田組の構成員たちが続々とパトカーに乗り込まされる事となる。
「また会ったな」
飛岡は、つい先日、署内の勾留施設から出て行った小川に、にやりと笑った。
小川は飛岡に噛み付いてゆきそうになったが、他の刑事たちに押さえ込まれて、大人しくされた。
木原のような幹部たちも手錠を掛けられ、残るは池田組の首領である池田享憲だけである。刑事たちは奥の間に引っ込んで出て来ない池田享憲を捕らえるべく、乗り込んだ。
屋敷は広く、構造も複雑で、まるで迷路のようだった。それでも道なりに進んでゆくと、大層な襖が閉じられた部屋があり、その向こうに人の気配があった。
飛岡を含む五人の刑事が、手帳を構えて襖を開け放った。
「水門市警察署の者だ。池田享憲、麻薬取締法、銃刀法、並びに組織犯罪処罰法違反によりお前を逮捕する――」
そうして語気を強めて乗り込んで行った刑事たちだったが、襖の奥から現れた光景と、空間に充満した匂いに言葉を失った。
男女の濃厚な体臭が、八畳ばかりの和室の中には漂っていた。一歩踏み込むだけで、肌に匂いが染み込んで発情させてしまいそうである。襖で仕切られていた空間が、まるで異界のように感じられた。
その上座、床の間の掛け軸を背にして、池田享憲ではない一人の男が畳床に腰掛けている。
半裸だ。
深海魚のように白く、ぬめりを感じさせる皮膚が、均整の取れた筋肉の上にぴたりと張り付けられている。
水分を含んだような黒髪を、肩の位置まで下ろしていた。
その下半身に、女が被さっている。
無造作に垂らした両脚の間に腰を下ろし、額を畳に擦り付けていた。
その背中に花と狼の刺青が鮮やかに刻み込まれており、額の指標として置いたらしき両手で作った三角形が腕ごと震えると、その肩口の刺青が小刻みに歪んだ。
女の上半身は、土下座をしているようだった。だが下半身は蛙のように開かれ、半裸の男と深く結び付いている。
その男の後ろに、池田享憲が小さな身体を丸めていた。金と人脈を駆使して回避した筈の強硬捜査が自分の前に突き付けられた現実を、受け入れ難いものであると考えているようだ。
「池田!」
飛岡が声を上げた。池田享憲が、女と繋がる半裸の男――蛟の背に隠れるような動きを見せた。
「その男を、こちらへ渡して貰おう。それと君にも、参考人として付いて来て貰う」
警察側に、半裸の男の情報は入っていないようであった。しかし池田組の屋敷の奥座敷で、刺青を背負った女とまぐわいながら、池田享憲を匿うようにしているのであるから、組織の中で重要なポジションを担っている事は明らかである。
用心棒というのが、それらしいだろうか。
「それは出来ません。主が表した敬意に応じるのが、客たる私の役目……」
蛟は、自らに跨る女の尻を、ぱちんと叩いた。
「この人たちにお帰り願いなさい」
蛟が言うと、女は震える声で返事をして、顔だけを持ち上げた。
脂汗を掻いた、血の気のない顔に髪の毛を張り付かせ、女は何かに怯えたような表情で言葉を紡ぎ始めた。
「皆さま、どうか……この場は、お引き取り下さい……」
「そういう訳にはいかない!」
刑事の一人が怒鳴るように言うと、蛟は冷たい笑みを浮かべた。
女は、自分の中で蛟が怒張してゆくのを感じた。するとその眼がかっと見開かれて、臆面もなく声を荒らげて刑事たちに言った。
「お願い! 帰って! お願いします、帰って、帰って下さい! 帰れ! 嫌だっ、嫌、死ぬのは嫌ッ、嫌だ、嫌、いや、いや……嫌ァッ!」
突如として狂乱した女に刑事たちが戸惑っていると、蛟はぱちんと指を鳴らした。
その周辺を、数台のパトカーが取り囲んでいる。
野村寅一の一件によって、池田組による違法薬物の売買が決定的となり、家宅捜索の令状が裁判所によって出され、色めき立った水門署の刑事たちが総出で出動したのであった。
池田組との繋がりが僅かでも残っており、保守的であった上層部を黙らせ、正義の血気を燃やす若い刑事たちが中心となって、とうとう念願の池田組一網打尽を胸に抱いて現着した。
その中には、顔に包帯を巻いた飛岡の姿もあった。
本当ならば、玲子もこの場所へ来たかった所だろう。しかし野村寅一が強奪したパトカーで暴走した際に人質となった渋江杏子のケアの為に、彼女が病院に連れ添っている。
捜索の結果、敷地内の蔵からは大量の薬物が発見された他、届けを出していない銃火器や刀剣類も発見され、それらの売買によって得た大金も確認された。諸々の罪によって、池田組の構成員たちが続々とパトカーに乗り込まされる事となる。
「また会ったな」
飛岡は、つい先日、署内の勾留施設から出て行った小川に、にやりと笑った。
小川は飛岡に噛み付いてゆきそうになったが、他の刑事たちに押さえ込まれて、大人しくされた。
木原のような幹部たちも手錠を掛けられ、残るは池田組の首領である池田享憲だけである。刑事たちは奥の間に引っ込んで出て来ない池田享憲を捕らえるべく、乗り込んだ。
屋敷は広く、構造も複雑で、まるで迷路のようだった。それでも道なりに進んでゆくと、大層な襖が閉じられた部屋があり、その向こうに人の気配があった。
飛岡を含む五人の刑事が、手帳を構えて襖を開け放った。
「水門市警察署の者だ。池田享憲、麻薬取締法、銃刀法、並びに組織犯罪処罰法違反によりお前を逮捕する――」
そうして語気を強めて乗り込んで行った刑事たちだったが、襖の奥から現れた光景と、空間に充満した匂いに言葉を失った。
男女の濃厚な体臭が、八畳ばかりの和室の中には漂っていた。一歩踏み込むだけで、肌に匂いが染み込んで発情させてしまいそうである。襖で仕切られていた空間が、まるで異界のように感じられた。
その上座、床の間の掛け軸を背にして、池田享憲ではない一人の男が畳床に腰掛けている。
半裸だ。
深海魚のように白く、ぬめりを感じさせる皮膚が、均整の取れた筋肉の上にぴたりと張り付けられている。
水分を含んだような黒髪を、肩の位置まで下ろしていた。
その下半身に、女が被さっている。
無造作に垂らした両脚の間に腰を下ろし、額を畳に擦り付けていた。
その背中に花と狼の刺青が鮮やかに刻み込まれており、額の指標として置いたらしき両手で作った三角形が腕ごと震えると、その肩口の刺青が小刻みに歪んだ。
女の上半身は、土下座をしているようだった。だが下半身は蛙のように開かれ、半裸の男と深く結び付いている。
その男の後ろに、池田享憲が小さな身体を丸めていた。金と人脈を駆使して回避した筈の強硬捜査が自分の前に突き付けられた現実を、受け入れ難いものであると考えているようだ。
「池田!」
飛岡が声を上げた。池田享憲が、女と繋がる半裸の男――蛟の背に隠れるような動きを見せた。
「その男を、こちらへ渡して貰おう。それと君にも、参考人として付いて来て貰う」
警察側に、半裸の男の情報は入っていないようであった。しかし池田組の屋敷の奥座敷で、刺青を背負った女とまぐわいながら、池田享憲を匿うようにしているのであるから、組織の中で重要なポジションを担っている事は明らかである。
用心棒というのが、それらしいだろうか。
「それは出来ません。主が表した敬意に応じるのが、客たる私の役目……」
蛟は、自らに跨る女の尻を、ぱちんと叩いた。
「この人たちにお帰り願いなさい」
蛟が言うと、女は震える声で返事をして、顔だけを持ち上げた。
脂汗を掻いた、血の気のない顔に髪の毛を張り付かせ、女は何かに怯えたような表情で言葉を紡ぎ始めた。
「皆さま、どうか……この場は、お引き取り下さい……」
「そういう訳にはいかない!」
刑事の一人が怒鳴るように言うと、蛟は冷たい笑みを浮かべた。
女は、自分の中で蛟が怒張してゆくのを感じた。するとその眼がかっと見開かれて、臆面もなく声を荒らげて刑事たちに言った。
「お願い! 帰って! お願いします、帰って、帰って下さい! 帰れ! 嫌だっ、嫌、死ぬのは嫌ッ、嫌だ、嫌、いや、いや……嫌ァッ!」
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