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最終話 挨拶と笑顔
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あの夜、どれだけワインを飲んだのか、もう覚えていない。ただ、朝になって目が覚めた時、全身を襲う倦怠感と、胸の奥に残るロイドへの痛みが、現実を突きつけてきた。
それでも、私は起き上がらなければならない。仕事に行かなければ。この壊れそうな心を抱えたまま、私はギルドに向かった。
ギルドの扉を開けると、いつもの喧騒が私を包み込んだ。だが、何かがおかしい。
受付カウンターに立つステファニアとセシリアはいつも通りの、明るい笑顔を私に向けている。
彼女たちは、昨日私が客室でロイドに告白した後の、態度の急変に何かを察したはずだ。
それなのに、彼らからの視線を感じない。
「ルーシャさん、おはようございます! 顔色、悪いですよ? 二日酔いですか?」
セシリアが茶化すように言った。その言葉に、私は戸惑った。
なぜ、彼女たちは昨日何事もなかったかのように振る舞っているのだろう?
私を腫物のように扱わないのはなぜなのか?
いくら考えても答えは見つからない。
自分の席に着き、いつものように業務に取り掛かろうと、視線を依頼掲示板に移した。そこに貼られた依頼書を見て、思わず息をのむ。昨日、張り出されていたはずの、南の山脈のワイバーン討伐依頼が、影も形もなかった。
代わりに目につくのは、ロイドが最初に選んだ薬草採集依頼や、魔物の毛皮収集などの依頼。そう、私がロイドと出会ったばかりの頃に貼られていた、比較的簡単な初心者向けの依頼ばかりだ。
まさか、と、私は自分の目を疑った。日付を確認するため、ギルドの公式日報に目を走らせる。そこに記されていた日付は、私がロイドと初めて出会った日の、前日を示していた。
慌てて冒険者登録資料を確認する。新しい登録者順に並んだ資料にロイドの名前はなかった。さらに、つい先日対応したばかりのベテラン冒険者の死亡報告書もない。
何もかもが、私の昨日の記憶とは違っていた。何度も目を擦り、記録を確かめる。夢ではない。現実だ。一体何が起こったのか、全く理解が追いつかない。
頭を強く打たれたかのような衝撃が走った。目の前が真っ白になり、脳裏に一瞬、あの夜、目に焼き付いた宝石を象ったワインボトルがフラッシュバックする。
まさか、そんな馬鹿な。時間が巻き戻されたの?
信じられない。信じたくない。けれど、私の記憶と、目の前の現実が、確かにそう告げていた。私はあの失恋の夜、一体何をしたのだろう。あの苦しみの中で、一体どんな奇跡が起こったというのだ。
手が震える。過去に戻った? なぜ? どうして? 混乱と動揺で、呼吸が乱れた。
私は、ロイドに告白し、フラれ、失意の底にいたはずだ。あの激しい痛みが、今も胸に生々しく残っているのに。
私は慌てて、周囲の冒険者たちに目を向けた。見慣れた顔ばかりだが、ロイドの姿はどこにもない。
もちろん、いるはずがない。まだ、彼はここに来ていないのだから。
この状況は、まさしく、彼と出会う前の世界。あの失恋の痛みも、彼への募る思いも、全ては私の記憶の中にだけ存在する。
このギルドの誰もが、私がロイドに恋をしたことなど知らない。私は、彼のことを、まだ知らないはずの「ルーシャ」に戻っている。
胸の奥に、再び激しい感情が渦巻く。
これは夢なのか?
それとも、現実に起こったことなのか?
昨日まで感じていた、あの鉛のような絶望感は、確かに私の身体に残っていた。しかし、今はそれだけではない。
奇妙な感覚が私を包み込む。私は、確かに、ロイドに出会う前の、何も知らない自分に戻った。
しかし、私は全てを知っている。
彼との出会い、彼への恋、そして、告白と失恋、その果てしない痛みを。
これは、二度目のチャンスなのだろうか?
いや、違う。これは、私が選択し直すための機会なのだ。
あの地獄のような失恋を、私はもう二度と経験したくない。
彼への愛と憎しみが入り混じった、あのドロドロとした感情に、もう飲み込まれたくない。彼を好きになったことへの後悔、告白の後悔。その全てが、私の心を蝕んだ。
私は、もう一度、冒険者ギルドの受付嬢として、自分らしく生きていきたい。
危険が付きまとう冒険者を恋人にしてはいけない、というギルドの不文律。
そして、モーリスを失ったあの時の痛み。それらを決して忘れない。
この過去への遡りは、私への警告なのだろう。
あの痛みを繰り返すな、と。
私は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
心が、少しずつ落ち着いていくのを感じる。過去に戻った意味を、私は理解した。
これは、ただのやり直しではない。過去の経験を教訓に、より強く、より賢く生きるための、新たな始まりなのだ。
今日が、彼が来る日の前日。ということは、明日。
明日、彼はこのギルドの扉を初めて開くだろう。私は、その瞬間を、知っている。
夕焼けがギルドの窓から差し込み、ホールを赤く染めていく。
私は、カウンターに手を置き、静かに目を閉じた。私の心は、複雑な感情の嵐を乗り越え、驚くほど澄み切っていた。痛みは残る。
だが、それはもう、私を縛り付けるものではない。むしろ、私を強くする糧となるだろう。
◇◇◇◇
そして、翌日。
ギルドの重い扉が、軋んだ音を立てて開いた。朝の光が差し込む中、そこに立っていたのは、見慣れない、そして懐かしい、あの若者だった。
黄金の絹糸のような髪、真新しい冒険者服。少し緊張した面持ちで、彼はギルドの内部を見回している。
ロイドだ。
彼の姿を見た瞬間、私の胸に温かいものが込み上げてきた。
それは、恋慕の情だけではない。どこか懐かしい、そして、未来への希望に満ち、複雑に絡み合った、けれど確かに温かい感情だった。
彼の目線が私を捉える。澄んだ瞳には、まだ何も知らない、純粋な輝きが宿っていた。
私は、未来を知る者として、胸の奥底で誓いを立てる。
(新しい出会いに相応しい笑顔で。そう、過去を乗り越え、前を向く、私の新たな人生の始まりに相応しい声で)
私は、これまで経験してきた全ての苦しみと、彼への想いを胸に秘めながら、カウンターの向こうで、彼に最高の笑顔を向けた。
「ようこそ! 冒険者ギルドへ!」
私の声は、ギルドの広い空間に、朗らかに響き渡った。(完)
――――――――――――――――――――
この物語を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
今後の創作活動の励みになりますので、作品への評価(いいねをタップ)や率直な感想をいただけると幸いです。
なお、明日から新しい恋愛小説を連載開始します。どうぞお楽しみに。
それでも、私は起き上がらなければならない。仕事に行かなければ。この壊れそうな心を抱えたまま、私はギルドに向かった。
ギルドの扉を開けると、いつもの喧騒が私を包み込んだ。だが、何かがおかしい。
受付カウンターに立つステファニアとセシリアはいつも通りの、明るい笑顔を私に向けている。
彼女たちは、昨日私が客室でロイドに告白した後の、態度の急変に何かを察したはずだ。
それなのに、彼らからの視線を感じない。
「ルーシャさん、おはようございます! 顔色、悪いですよ? 二日酔いですか?」
セシリアが茶化すように言った。その言葉に、私は戸惑った。
なぜ、彼女たちは昨日何事もなかったかのように振る舞っているのだろう?
私を腫物のように扱わないのはなぜなのか?
いくら考えても答えは見つからない。
自分の席に着き、いつものように業務に取り掛かろうと、視線を依頼掲示板に移した。そこに貼られた依頼書を見て、思わず息をのむ。昨日、張り出されていたはずの、南の山脈のワイバーン討伐依頼が、影も形もなかった。
代わりに目につくのは、ロイドが最初に選んだ薬草採集依頼や、魔物の毛皮収集などの依頼。そう、私がロイドと出会ったばかりの頃に貼られていた、比較的簡単な初心者向けの依頼ばかりだ。
まさか、と、私は自分の目を疑った。日付を確認するため、ギルドの公式日報に目を走らせる。そこに記されていた日付は、私がロイドと初めて出会った日の、前日を示していた。
慌てて冒険者登録資料を確認する。新しい登録者順に並んだ資料にロイドの名前はなかった。さらに、つい先日対応したばかりのベテラン冒険者の死亡報告書もない。
何もかもが、私の昨日の記憶とは違っていた。何度も目を擦り、記録を確かめる。夢ではない。現実だ。一体何が起こったのか、全く理解が追いつかない。
頭を強く打たれたかのような衝撃が走った。目の前が真っ白になり、脳裏に一瞬、あの夜、目に焼き付いた宝石を象ったワインボトルがフラッシュバックする。
まさか、そんな馬鹿な。時間が巻き戻されたの?
信じられない。信じたくない。けれど、私の記憶と、目の前の現実が、確かにそう告げていた。私はあの失恋の夜、一体何をしたのだろう。あの苦しみの中で、一体どんな奇跡が起こったというのだ。
手が震える。過去に戻った? なぜ? どうして? 混乱と動揺で、呼吸が乱れた。
私は、ロイドに告白し、フラれ、失意の底にいたはずだ。あの激しい痛みが、今も胸に生々しく残っているのに。
私は慌てて、周囲の冒険者たちに目を向けた。見慣れた顔ばかりだが、ロイドの姿はどこにもない。
もちろん、いるはずがない。まだ、彼はここに来ていないのだから。
この状況は、まさしく、彼と出会う前の世界。あの失恋の痛みも、彼への募る思いも、全ては私の記憶の中にだけ存在する。
このギルドの誰もが、私がロイドに恋をしたことなど知らない。私は、彼のことを、まだ知らないはずの「ルーシャ」に戻っている。
胸の奥に、再び激しい感情が渦巻く。
これは夢なのか?
それとも、現実に起こったことなのか?
昨日まで感じていた、あの鉛のような絶望感は、確かに私の身体に残っていた。しかし、今はそれだけではない。
奇妙な感覚が私を包み込む。私は、確かに、ロイドに出会う前の、何も知らない自分に戻った。
しかし、私は全てを知っている。
彼との出会い、彼への恋、そして、告白と失恋、その果てしない痛みを。
これは、二度目のチャンスなのだろうか?
いや、違う。これは、私が選択し直すための機会なのだ。
あの地獄のような失恋を、私はもう二度と経験したくない。
彼への愛と憎しみが入り混じった、あのドロドロとした感情に、もう飲み込まれたくない。彼を好きになったことへの後悔、告白の後悔。その全てが、私の心を蝕んだ。
私は、もう一度、冒険者ギルドの受付嬢として、自分らしく生きていきたい。
危険が付きまとう冒険者を恋人にしてはいけない、というギルドの不文律。
そして、モーリスを失ったあの時の痛み。それらを決して忘れない。
この過去への遡りは、私への警告なのだろう。
あの痛みを繰り返すな、と。
私は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
心が、少しずつ落ち着いていくのを感じる。過去に戻った意味を、私は理解した。
これは、ただのやり直しではない。過去の経験を教訓に、より強く、より賢く生きるための、新たな始まりなのだ。
今日が、彼が来る日の前日。ということは、明日。
明日、彼はこのギルドの扉を初めて開くだろう。私は、その瞬間を、知っている。
夕焼けがギルドの窓から差し込み、ホールを赤く染めていく。
私は、カウンターに手を置き、静かに目を閉じた。私の心は、複雑な感情の嵐を乗り越え、驚くほど澄み切っていた。痛みは残る。
だが、それはもう、私を縛り付けるものではない。むしろ、私を強くする糧となるだろう。
◇◇◇◇
そして、翌日。
ギルドの重い扉が、軋んだ音を立てて開いた。朝の光が差し込む中、そこに立っていたのは、見慣れない、そして懐かしい、あの若者だった。
黄金の絹糸のような髪、真新しい冒険者服。少し緊張した面持ちで、彼はギルドの内部を見回している。
ロイドだ。
彼の姿を見た瞬間、私の胸に温かいものが込み上げてきた。
それは、恋慕の情だけではない。どこか懐かしい、そして、未来への希望に満ち、複雑に絡み合った、けれど確かに温かい感情だった。
彼の目線が私を捉える。澄んだ瞳には、まだ何も知らない、純粋な輝きが宿っていた。
私は、未来を知る者として、胸の奥底で誓いを立てる。
(新しい出会いに相応しい笑顔で。そう、過去を乗り越え、前を向く、私の新たな人生の始まりに相応しい声で)
私は、これまで経験してきた全ての苦しみと、彼への想いを胸に秘めながら、カウンターの向こうで、彼に最高の笑顔を向けた。
「ようこそ! 冒険者ギルドへ!」
私の声は、ギルドの広い空間に、朗らかに響き渡った。(完)
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