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第11話 辺境の虚偽
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数週間の長旅の末、私たちはようやくマチス・モロア辺境伯の領地にたどり着いた。森を抜け、開けた平野に立つ辺境伯の館が見えた時、私の胸には安堵と、かすかな期待が入り混じった感情が広がる。
父の友人であり、シリエルの叔父でもある彼ならば、きっと私たちを助けてくれるに違いない。そう信じたかった。
私たちは慎重に館の門を叩いた。門番に事情を話すと、すぐに兵が数人現れ、クロイツが持つ剣を警戒しながらも、私たちを館の奥へと通した。広間には、白髪混じりの髪をきっちりと撫でつけ、恰幅の良い男が立っている。彼がマチス・モロア辺境伯だ。
「これは、これは、マリー様。まさか、このような形で再会するとは……」
辺境伯は、一見すると友好的な笑顔で私たちを迎えてくれた。彼の瞳は細められ、目尻には笑い皺が刻まれている。亡き父の友人として、そして何よりも、私の身を案じているかのように、優しい言葉をかけてくれた。張り詰めていた心が、彼の温かい言葉に、乾いた土が水を吸うように、じんわりと解けていった。数週間の疲労が、体から抜けていく。
「お父上には、生前、大変お世話になりました。まさか、このようなことになるとは……心よりお悔やみ申し上げます。そして、セヴラン殿下、アルバート殿下も……」
彼は深々と頭を下げ、惜しむような言葉を並べた。私が憔悴しきっていることにも気づいたようで、すぐに湯と食事、そして清潔な寝間着の用意を使用人に指示する。
久々に口にする温かい食事、そして肌触りの良い寝間着に、私は全身の力が抜けていくのを感じる。温かい湯で体を清め、柔らかいベッドに横たわると、これまでの過酷な旅の疲れが一気に押し寄せ、私はすぐに深い眠りに落ちた。
◆◆◆◆
しかし、その安堵は長くは続かなかった。
翌日、辺境伯は私を自身の執務室に呼び出すと、温かい茶を差し出しながら、彼は穏やかな口調で語り始めた。
「マリー様。現在の王都の情勢は、誠に憂慮すべき事態です。保守派が権力を掌握し、開明派の皆様は弾圧されています。公爵家も、陛下も……誠に残念なことです」
彼の言葉には、悲しみが滲んでいるように聞こえた。彼は開明派に属していると聞いていたから、当然の反応だと思った。しかし、私の胸には、拭いきれない違和感が残った。辺境伯の言葉の端々に、私がかつて見てきた貴族たちとは少し違うものを感じたのだ。その友好的な態度の裏に、何か別の意図が隠されているように思えた。
「このような状況下では、マリー様お一人では、この先の道のりは非常に困難を極めるでしょう。そこで、僭越ながら、私から一つご提案がございます」
辺境伯はそう言って、机に広げた地図を指差した。
「マリー様には、我がモロア家の血を繋ぎ、この領地を安定させるお力をお貸しいただきたい。私の息子、デニスを婿として迎え、この領地を共に治めていただきたいのです」
私は彼の言葉に、驚きを隠せなかった。私の夫であるアルバート様が亡くなったばかりだというのに。そして、彼がなぜ、私と彼の息子を結婚させようとするのか。その意図を測りかねて、私は言葉に詰まった。
「デニスはまだ若輩ではございますが、聡明で勇敢な男です。マリー様のお力添えがあれば、この領地はさらに発展し、やがては王都をも凌ぐ力を持つでしょう。そうなれば、憎き簒奪者に立ち向かうことも可能となるはずです」
辺境伯の言葉は、私の心に警鐘を鳴らした。私が王太子妃であり、公爵家の生き残りであることに価値を見出し、それを自身の勢力拡大に利用しようとしているのではないか。その考えが頭をよぎり、私は強い嫌悪感を抱いた。
その日の夕食時、私は辺境伯の息子、デニス・モロアと引き合わされた。デニスは、父親とは似ても似つかない、精悍な顔立ちの男だった。礼儀正しく挨拶を交わし、私の現状を気遣う言葉をかけてくれる。しかし、彼の眼差しにも、父親と同じ種類の、冷たい光が秘められているように感じられた。それは、私を値踏みする視線。
食事が進むにつれて、辺境伯は事あるごとに、デニスと私の縁談を持ちかけてきた。デニスもまた、私の言葉に熱心に耳を傾け、私を称賛する言葉を繰り返す。その会話は、まるで用意された台本のように完璧に計算されていた。
会食を終え自室に戻った私は、辺境伯とデニスの言葉を何度も反芻した。震える唇を固く結び、決して彼らの思惑通りにはならないと心に決めた。
だが、その決意は、甘い幻想に過ぎなかった。
一筋の希望と思った辺境伯の館は、私にとって安全な場所ではない。
私の部屋の外には、警護のためクロイツが常に控えている。しかし、部屋と彼を監視するかのように数名の辺境伯の配下が通路にいる。
私は今、見えない鎖で繋がれた監獄にいる。
父の友人であり、シリエルの叔父でもある彼ならば、きっと私たちを助けてくれるに違いない。そう信じたかった。
私たちは慎重に館の門を叩いた。門番に事情を話すと、すぐに兵が数人現れ、クロイツが持つ剣を警戒しながらも、私たちを館の奥へと通した。広間には、白髪混じりの髪をきっちりと撫でつけ、恰幅の良い男が立っている。彼がマチス・モロア辺境伯だ。
「これは、これは、マリー様。まさか、このような形で再会するとは……」
辺境伯は、一見すると友好的な笑顔で私たちを迎えてくれた。彼の瞳は細められ、目尻には笑い皺が刻まれている。亡き父の友人として、そして何よりも、私の身を案じているかのように、優しい言葉をかけてくれた。張り詰めていた心が、彼の温かい言葉に、乾いた土が水を吸うように、じんわりと解けていった。数週間の疲労が、体から抜けていく。
「お父上には、生前、大変お世話になりました。まさか、このようなことになるとは……心よりお悔やみ申し上げます。そして、セヴラン殿下、アルバート殿下も……」
彼は深々と頭を下げ、惜しむような言葉を並べた。私が憔悴しきっていることにも気づいたようで、すぐに湯と食事、そして清潔な寝間着の用意を使用人に指示する。
久々に口にする温かい食事、そして肌触りの良い寝間着に、私は全身の力が抜けていくのを感じる。温かい湯で体を清め、柔らかいベッドに横たわると、これまでの過酷な旅の疲れが一気に押し寄せ、私はすぐに深い眠りに落ちた。
◆◆◆◆
しかし、その安堵は長くは続かなかった。
翌日、辺境伯は私を自身の執務室に呼び出すと、温かい茶を差し出しながら、彼は穏やかな口調で語り始めた。
「マリー様。現在の王都の情勢は、誠に憂慮すべき事態です。保守派が権力を掌握し、開明派の皆様は弾圧されています。公爵家も、陛下も……誠に残念なことです」
彼の言葉には、悲しみが滲んでいるように聞こえた。彼は開明派に属していると聞いていたから、当然の反応だと思った。しかし、私の胸には、拭いきれない違和感が残った。辺境伯の言葉の端々に、私がかつて見てきた貴族たちとは少し違うものを感じたのだ。その友好的な態度の裏に、何か別の意図が隠されているように思えた。
「このような状況下では、マリー様お一人では、この先の道のりは非常に困難を極めるでしょう。そこで、僭越ながら、私から一つご提案がございます」
辺境伯はそう言って、机に広げた地図を指差した。
「マリー様には、我がモロア家の血を繋ぎ、この領地を安定させるお力をお貸しいただきたい。私の息子、デニスを婿として迎え、この領地を共に治めていただきたいのです」
私は彼の言葉に、驚きを隠せなかった。私の夫であるアルバート様が亡くなったばかりだというのに。そして、彼がなぜ、私と彼の息子を結婚させようとするのか。その意図を測りかねて、私は言葉に詰まった。
「デニスはまだ若輩ではございますが、聡明で勇敢な男です。マリー様のお力添えがあれば、この領地はさらに発展し、やがては王都をも凌ぐ力を持つでしょう。そうなれば、憎き簒奪者に立ち向かうことも可能となるはずです」
辺境伯の言葉は、私の心に警鐘を鳴らした。私が王太子妃であり、公爵家の生き残りであることに価値を見出し、それを自身の勢力拡大に利用しようとしているのではないか。その考えが頭をよぎり、私は強い嫌悪感を抱いた。
その日の夕食時、私は辺境伯の息子、デニス・モロアと引き合わされた。デニスは、父親とは似ても似つかない、精悍な顔立ちの男だった。礼儀正しく挨拶を交わし、私の現状を気遣う言葉をかけてくれる。しかし、彼の眼差しにも、父親と同じ種類の、冷たい光が秘められているように感じられた。それは、私を値踏みする視線。
食事が進むにつれて、辺境伯は事あるごとに、デニスと私の縁談を持ちかけてきた。デニスもまた、私の言葉に熱心に耳を傾け、私を称賛する言葉を繰り返す。その会話は、まるで用意された台本のように完璧に計算されていた。
会食を終え自室に戻った私は、辺境伯とデニスの言葉を何度も反芻した。震える唇を固く結び、決して彼らの思惑通りにはならないと心に決めた。
だが、その決意は、甘い幻想に過ぎなかった。
一筋の希望と思った辺境伯の館は、私にとって安全な場所ではない。
私の部屋の外には、警護のためクロイツが常に控えている。しかし、部屋と彼を監視するかのように数名の辺境伯の配下が通路にいる。
私は今、見えない鎖で繋がれた監獄にいる。
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