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3話
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理乃は体の重だるい感触に引きずられるようにして、意識を浮上させた。
全開になっているカーテンから、朝日が差し込んできて目を焼く。
激務で荒れているはずの部屋からは、なぜかゴミが少し消えていた。
「って、達明さん!」
一気に意識が覚醒し、昨日のことを思い出す。
達明はすでに理乃の家を後にしてしまったようだが、腰の重だるさと乱れた服が、昨日の情事を夢ではないと知らしめる。
達明はどうやら、理乃の部屋を少し片付けて帰ったらしい。
いくら激務とはいえ、コンビニ弁当の空き容器で散らかった部屋を好きな人に見られたことに、理乃は激しく落ち込んだ。
「軽い女って思われてたら嫌だなぁ……」
今更だけれど、ただでさえ職場で一人遊びするような淫乱女だと思われているのだ。
このまま、ただ達明に遊ばれて終わりになってしまうのだろうか。少なくとも、自分が男だったらこんなダメな女を本命にはしない。
大型の案件を済ませた後の土曜日だと言うのに、気持ちは晴れない。
好きな人と体を重ねたとはいえ、到底心が重なったとは言えない行為なのだ。
でも——。
(達明さん……優しかったな)
それは確かだった。
意識が遠のいていく時、そっと頭を撫でてくれた手の感触を思い出す。
その度に胸が酷く疼いた。ときめきと、切なさと、焦がれる思いと。渾然一体となった感情のまま、スマートフォンに手を伸ばす。
達明からの連絡は——、ない。
(そりゃそうだよね。一夜限りの女だし)
あの堅物上司である達明にとって、部下に手を出してしまったのは黒歴史のはずだ。
オフィスであんな行為に及んでいた理乃にも問題があったとはいえ、である。
のそのそと起き上がって、散らかった部屋を片付ける。もうこの部屋に達明が来ることはないだろうが、それでも万が一の可能性に賭けて、綺麗にしておきたかった。
散らかった部屋は見られているし、もう手遅れかもしれないが。
恋をすると女は変わるという。
その言葉を実感せざるを得ない。
何せ、土曜日一日は家事をして過ごし、日曜日に理乃は、オフィス用の服をおしゃれにするべく買い物に出掛けてしまったのだ。
(使う時間なくて随分給料も溜まっているし、たまにはいいよね)
そんな風に自分に言い訳をしながら、カードを握りしめてファッションビルへ向かう。
達明の好みはわからないが、なんとなく性格的に清楚系が好きそうなイメージだ。
「何かお探しでしょうかぁ~?」
オフィスカジュアルのブランドで、ああでもないこうでもないと服を見ていると、店員に話しかけられた。
アパレル店員の営業特有の、間延びした話し方だ。
理乃は勇気を出して、相談してみる。
「職場に着て行くオフィスカジュアルの服で、清楚系のものを探しているんです」
普段はパンツスタイルの理乃だが、スカートなども着てみるのはいいかもしれない。
「お客様ですと、お肌の色が明るいのでこちらの淡い色のブラウスとカーディガン、それにこちらのタイトスカートなどを合わせるのはいかがでしょうか?」
さすがプロ、あっという間にコーディネートが完成する。
体のラインが出るタイトスカートは少し恥ずかしいけれど、達明の好みには合っていそうなイメージだ。
この店員のスキルを見込んで、理乃は全てを正直に相談してしまうことに決めた。
「あ、あの……。実は、職場に好きな人がいて……。すごく堅物で、多分清楚系が好みっぽい人なんですけど、そう言う男性にウケがいい服装を平日五日分揃えたいんです。着回しとかも含めて相談できますか?」
さらさらな栗色の髪をハーフアップにした店員の、大きな瞳がキラリと輝いた。
「すっごく素敵ですぅ~! 私にお任せください! 着回しも含めてバリエーションをつけられる、一週間オフィスコーデ、揃えてみせますね!」
店員のテンションの上がり方に、相談した理乃の方がたじたじになった。
店員はシュバババっと音がしそうなスピードで、服を揃えていった。
それをまとめて試着室に持ち込み、試着させてもらう。
淡いピンクのセットアップにブラウス。
グレーのパンツにはざっくりVネックのシャツを合わせて、鎖骨見せで色気も醸し出す。
甘めのフレアスカートには、きちんと感のあるボウタイブラウスとジャケットを合わせて。
店員の見立てはどれも的確で、着てみると理乃の雰囲気にピッタリと合った。
今までコンプレックスだった少し男性的な鋭い眼差しにも、女性らしい服装がきちんと似合うように色や柄が計算され尽くしている。
「あの、じゃあこれ一式、ください!」
「かしこまりましたぁ~。おまとめするので少々お待ちください」
大人買いした洋服を大きな紙袋に入れてもらう。
店の出入り口まで見送ってもらって、紙袋を渡される時——。
「恋、叶うといいですね!」
店員にウィンクされて、理乃は少し気恥ずかしい思いをしながらも、くすぐったい気持ちで紙袋を受け取った。
次は、コスメカウンターに向かう。
今まで化粧もオシャレも最低限で過ごしてきた。
アカウントプランニング部は企画も営業もこなすため、クライアントとの打ち合わせがある日にはきちんと化粧もしていたけれど、それも地味なブラウンアイシャドウばかりだった。
たまには、少しおとなしめのピンクシャドウなどを買ってみるのもいいかもしれないと考えたのだ。
女性らしい柔らかい雰囲気になれば、この「冷たそうで、何考えているかよくわからない」と言われる顔も、少しはマシになるかもしれない。
そんな期待を胸に、コスメカウンターの店員に話しかける。
「すみません、オフィス向けのアイシャドウとチークで、ピンク系統のものはありますか? 顔を柔らかい雰囲気にしたくて……」
「はい。ございますよ。ご案内をいたしますのでこちらのお席にどうぞ」
カウンターの席へと案内され、色とりどりのコスメを見せられる。
「こちらのクリームシャドウは、一色でグラデーションを作れて、時短にもなりますし柔らかいピンクブラウンでオフィスにもぴったりです」
時短、なんといい言葉だろう。
おしゃれをすると決心したとはいえ、理乃が激務であることに変わりはない。毎日無理なく続けられるなら、それに越したことはなかった。
アイシャドウとチーク、それにリップも勧められたものを買って、コスメカウンターを後にする。
大型の案件が終わったとはいえ、明日からまた忙しい日々が始まる。
それでも、少しでも変わった、女性らしくなった自分を、達明に見てもらえたらな、と思いながら、理乃は眠りについた。
その翌日のことである。出勤した理乃を見た達明は——。
全開になっているカーテンから、朝日が差し込んできて目を焼く。
激務で荒れているはずの部屋からは、なぜかゴミが少し消えていた。
「って、達明さん!」
一気に意識が覚醒し、昨日のことを思い出す。
達明はすでに理乃の家を後にしてしまったようだが、腰の重だるさと乱れた服が、昨日の情事を夢ではないと知らしめる。
達明はどうやら、理乃の部屋を少し片付けて帰ったらしい。
いくら激務とはいえ、コンビニ弁当の空き容器で散らかった部屋を好きな人に見られたことに、理乃は激しく落ち込んだ。
「軽い女って思われてたら嫌だなぁ……」
今更だけれど、ただでさえ職場で一人遊びするような淫乱女だと思われているのだ。
このまま、ただ達明に遊ばれて終わりになってしまうのだろうか。少なくとも、自分が男だったらこんなダメな女を本命にはしない。
大型の案件を済ませた後の土曜日だと言うのに、気持ちは晴れない。
好きな人と体を重ねたとはいえ、到底心が重なったとは言えない行為なのだ。
でも——。
(達明さん……優しかったな)
それは確かだった。
意識が遠のいていく時、そっと頭を撫でてくれた手の感触を思い出す。
その度に胸が酷く疼いた。ときめきと、切なさと、焦がれる思いと。渾然一体となった感情のまま、スマートフォンに手を伸ばす。
達明からの連絡は——、ない。
(そりゃそうだよね。一夜限りの女だし)
あの堅物上司である達明にとって、部下に手を出してしまったのは黒歴史のはずだ。
オフィスであんな行為に及んでいた理乃にも問題があったとはいえ、である。
のそのそと起き上がって、散らかった部屋を片付ける。もうこの部屋に達明が来ることはないだろうが、それでも万が一の可能性に賭けて、綺麗にしておきたかった。
散らかった部屋は見られているし、もう手遅れかもしれないが。
恋をすると女は変わるという。
その言葉を実感せざるを得ない。
何せ、土曜日一日は家事をして過ごし、日曜日に理乃は、オフィス用の服をおしゃれにするべく買い物に出掛けてしまったのだ。
(使う時間なくて随分給料も溜まっているし、たまにはいいよね)
そんな風に自分に言い訳をしながら、カードを握りしめてファッションビルへ向かう。
達明の好みはわからないが、なんとなく性格的に清楚系が好きそうなイメージだ。
「何かお探しでしょうかぁ~?」
オフィスカジュアルのブランドで、ああでもないこうでもないと服を見ていると、店員に話しかけられた。
アパレル店員の営業特有の、間延びした話し方だ。
理乃は勇気を出して、相談してみる。
「職場に着て行くオフィスカジュアルの服で、清楚系のものを探しているんです」
普段はパンツスタイルの理乃だが、スカートなども着てみるのはいいかもしれない。
「お客様ですと、お肌の色が明るいのでこちらの淡い色のブラウスとカーディガン、それにこちらのタイトスカートなどを合わせるのはいかがでしょうか?」
さすがプロ、あっという間にコーディネートが完成する。
体のラインが出るタイトスカートは少し恥ずかしいけれど、達明の好みには合っていそうなイメージだ。
この店員のスキルを見込んで、理乃は全てを正直に相談してしまうことに決めた。
「あ、あの……。実は、職場に好きな人がいて……。すごく堅物で、多分清楚系が好みっぽい人なんですけど、そう言う男性にウケがいい服装を平日五日分揃えたいんです。着回しとかも含めて相談できますか?」
さらさらな栗色の髪をハーフアップにした店員の、大きな瞳がキラリと輝いた。
「すっごく素敵ですぅ~! 私にお任せください! 着回しも含めてバリエーションをつけられる、一週間オフィスコーデ、揃えてみせますね!」
店員のテンションの上がり方に、相談した理乃の方がたじたじになった。
店員はシュバババっと音がしそうなスピードで、服を揃えていった。
それをまとめて試着室に持ち込み、試着させてもらう。
淡いピンクのセットアップにブラウス。
グレーのパンツにはざっくりVネックのシャツを合わせて、鎖骨見せで色気も醸し出す。
甘めのフレアスカートには、きちんと感のあるボウタイブラウスとジャケットを合わせて。
店員の見立てはどれも的確で、着てみると理乃の雰囲気にピッタリと合った。
今までコンプレックスだった少し男性的な鋭い眼差しにも、女性らしい服装がきちんと似合うように色や柄が計算され尽くしている。
「あの、じゃあこれ一式、ください!」
「かしこまりましたぁ~。おまとめするので少々お待ちください」
大人買いした洋服を大きな紙袋に入れてもらう。
店の出入り口まで見送ってもらって、紙袋を渡される時——。
「恋、叶うといいですね!」
店員にウィンクされて、理乃は少し気恥ずかしい思いをしながらも、くすぐったい気持ちで紙袋を受け取った。
次は、コスメカウンターに向かう。
今まで化粧もオシャレも最低限で過ごしてきた。
アカウントプランニング部は企画も営業もこなすため、クライアントとの打ち合わせがある日にはきちんと化粧もしていたけれど、それも地味なブラウンアイシャドウばかりだった。
たまには、少しおとなしめのピンクシャドウなどを買ってみるのもいいかもしれないと考えたのだ。
女性らしい柔らかい雰囲気になれば、この「冷たそうで、何考えているかよくわからない」と言われる顔も、少しはマシになるかもしれない。
そんな期待を胸に、コスメカウンターの店員に話しかける。
「すみません、オフィス向けのアイシャドウとチークで、ピンク系統のものはありますか? 顔を柔らかい雰囲気にしたくて……」
「はい。ございますよ。ご案内をいたしますのでこちらのお席にどうぞ」
カウンターの席へと案内され、色とりどりのコスメを見せられる。
「こちらのクリームシャドウは、一色でグラデーションを作れて、時短にもなりますし柔らかいピンクブラウンでオフィスにもぴったりです」
時短、なんといい言葉だろう。
おしゃれをすると決心したとはいえ、理乃が激務であることに変わりはない。毎日無理なく続けられるなら、それに越したことはなかった。
アイシャドウとチーク、それにリップも勧められたものを買って、コスメカウンターを後にする。
大型の案件が終わったとはいえ、明日からまた忙しい日々が始まる。
それでも、少しでも変わった、女性らしくなった自分を、達明に見てもらえたらな、と思いながら、理乃は眠りについた。
その翌日のことである。出勤した理乃を見た達明は——。
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