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13話
翌日の日曜日、理乃は祐介から指定された待ち合わせ場所に赴くべく、身支度を整えていた。
祐介から連絡された店はそれなりにきちんとしたところのようで、身だしなみにも気を使う。
普段は着ない他所行きのワンピースに着替えて、お出かけ用のメイクを施す。
オフィス用とは違う、少し色の濃いリップを塗ったら、チェーンバッグに荷物を詰めてパンプスを履く。
デートのようなものに行くのは、実は随分と久しぶりだ。
理乃は激務だったこともあり、なかなかデートなどをする時間も取れなかった。それが原因で彼氏に振られたわけだが。
振られた理由も「男みたいに働いて、女らしさのかけらもない。この先も一緒にいたいと思えない」というものだ。
その言葉が頭にこびりついて、仕事が忙しいうちは恋愛はよしておこうという気持ちも湧いていた。
その結果が、オフィスで自慰行為に及ぶという暴挙だ。その挙句上司に見られて不適切な関係に陥っているのだから、目も当てられない。
理乃はぐるぐるとここしばらくのことを思い返しながら、祐介との待ち合わせ場所に向かった。
「お待たせ。待った?」
「いや、全然。理乃ちゃん、普段と雰囲気違うね。よく似合ってるよ」
「ありがとう」
完全にカップルの会話だ。これで心は達明にあるのだから、理乃としては居た堪れない。
「じゃあ、お店入ろうか」
案内されたのは、イタリアンのリストランテだった。
優美な内装に、洗練されたスタッフの立ち居振る舞い。
年齢相応にいい店に行く機会も経験している理乃ですら、少し緊張してしまうような格式のあるところだ。
「随分いい店ね」
「うん。今日は理乃ちゃんに伝えたいことがあって」
来た、と理乃は思った。
祐介はフレンドリーで明るい性格だが、大手企業でプロジェクトの主任にまで昇り詰めた男だ。
男がここぞという勝負をする時に、こういう店を戦場に選ぶことくらい、理乃とて察しがつく。
今日、おそらく祐介は理乃を口説く気だった。
それに応えるのか、応えないのか。
先日母から来た電話を思い出す。
いい加減身を固めろとせっつかれた。
(私だって、自分がいい歳なのはわかってる。いいかげん、曖昧な関係に溺れてる場合じゃないことくらい……)
でも、達明が好きだ。どうしようもなく。
何度も体を重ねるうちに、余計に引き返せなくなってしまった。
「……ちゃん。理乃ちゃん?」
気がつけば、祐介から名前を呼びかけられていた。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた。何?」
「いや、もうすぐコースが運ばれて来るけど、飲み物はどうする?」
「えっと……、じゃあ、ワインにしようかな。銘柄はお任せで、料理に合うものを」
「わかった」
いけない、今日は祐介に対するお礼を伝える日だというのに、と理乃は気を引き締める。
「祐介くん。改めてこの間はありがとう。それから、弊社のミスで大変なご迷惑をおかけしてごめんなさい」
「そんな、ほんとに気にしないで。俺は理乃ちゃんを助けられればそれでいいだけだから」
意味深な言葉を祐介が言う。
理乃はそれに対して、曖昧に笑って応じた。
会話は思いの外弾んだ。
元々大学時代同じゼミだった仲間だし、思い出話に花が咲く。
「あの教授の口癖、覚えてる?」
「ああ、いっつも学生のこと、『諸君』って呼んでたよね。今時諸君って、そんな言葉遣いする人いるんだって思った」
「それそれ!」
和やかな笑いが場を包む。
「懐かしいなぁ。こうやって学生時代のことを話す機会、なかなかないから、楽しいよ」
「私も。大学時代の友達なんて、みんなバラバラに就職しちゃって、なかなか会う機会もないものね」
「そう考えると、こうやって同じプロジェクトで一緒できたのも奇跡みたいなもんだよね」
祐介は「俺はその奇跡に感謝してるんだ」と静かに言った。
コースも終了に近づき、デザートが運ばれてくると、祐介は居住まいを正した。
「理乃ちゃん、伝えたいことがあるんだ」
「うん」
「察してるかもしれないけど、俺は理乃ちゃんに好意を持ってる。それはゼミにいた頃からうっすら思っていたことだけど、再開して仕事を頑張ってる理乃ちゃんを見て、改めて好きだなって思った。どうだろう、俺と付き合ってはくれないかな?」
それは、真摯な言葉だった。
祐介の少し幼く見える丸い目は、真面目な光を湛えて真っ直ぐに理乃を見つめている。
決して悪い相手ではない。
欠点らしい欠点だって、見当たらない。理乃のことを真摯に想ってくれていて、順番を守って口説いてくれている。
冷静に考えれば、達明より祐介の方が条件はいいのだろう。
大手不動産会社の有望株で、年齢も同年代だし、話も合う。
それでも——。
達明のあの男らしく大きな手で、優しく髪を撫でてくれた時の感触を思い出す。
理乃を愛おしげに、優しく見つめる瞳。欲望にギラついた目で、射抜く瞳。達明の眼差しの数々が思い出される。
「……祐介くん。こんな私に、そんな風に言ってくれてありがとう。でも、ごめんなさい。私、好きな人がいるの」
理乃ははっきりと、そう言った。
不誠実な返答はしたくなかった。
今時のオトナの女ならば、達明とうまく行かなかった時の保険に、祐介との関係を曖昧なままに引っ張るという人もいるのだろう。
でも、理乃はそこまで器用じゃない。
「……そっか、わかった。——答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど、好きな人って、もしかして、原さん?」
「っ!? な、なんで……?」
見事に言い当てられて、理乃は危うくむせるところだった。
「いや、なんとなく二人の雰囲気が、息が合ってていい感じだったから」
「そう……?」
「うん。原さんが相手なら敵わないのも納得できるよ」
祐介はそう言うと、儚げに微笑んだ。
ディナーを終えて、店を出る。
理乃は繰り返し自分もお金を払うと言ったが、祐介は頑なに「自分が誘ったから」と言って理乃に財布を出させなかった。
「それじゃあ、また」
「うん。プロジェクトでまたよろしく」
祐介は最後まで礼儀正しく、家まで理乃を送ってくれると言ったがそれは固辞して、帰路に着く。
マンションの四階にたどり着くと、自宅の前に黒い人影があった。
一瞬、変質者かと思い身構える。
だが、ドアに寄りかかって腕を組んでいたのは、達明だった。
「は、原さん!?」
祐介から連絡された店はそれなりにきちんとしたところのようで、身だしなみにも気を使う。
普段は着ない他所行きのワンピースに着替えて、お出かけ用のメイクを施す。
オフィス用とは違う、少し色の濃いリップを塗ったら、チェーンバッグに荷物を詰めてパンプスを履く。
デートのようなものに行くのは、実は随分と久しぶりだ。
理乃は激務だったこともあり、なかなかデートなどをする時間も取れなかった。それが原因で彼氏に振られたわけだが。
振られた理由も「男みたいに働いて、女らしさのかけらもない。この先も一緒にいたいと思えない」というものだ。
その言葉が頭にこびりついて、仕事が忙しいうちは恋愛はよしておこうという気持ちも湧いていた。
その結果が、オフィスで自慰行為に及ぶという暴挙だ。その挙句上司に見られて不適切な関係に陥っているのだから、目も当てられない。
理乃はぐるぐるとここしばらくのことを思い返しながら、祐介との待ち合わせ場所に向かった。
「お待たせ。待った?」
「いや、全然。理乃ちゃん、普段と雰囲気違うね。よく似合ってるよ」
「ありがとう」
完全にカップルの会話だ。これで心は達明にあるのだから、理乃としては居た堪れない。
「じゃあ、お店入ろうか」
案内されたのは、イタリアンのリストランテだった。
優美な内装に、洗練されたスタッフの立ち居振る舞い。
年齢相応にいい店に行く機会も経験している理乃ですら、少し緊張してしまうような格式のあるところだ。
「随分いい店ね」
「うん。今日は理乃ちゃんに伝えたいことがあって」
来た、と理乃は思った。
祐介はフレンドリーで明るい性格だが、大手企業でプロジェクトの主任にまで昇り詰めた男だ。
男がここぞという勝負をする時に、こういう店を戦場に選ぶことくらい、理乃とて察しがつく。
今日、おそらく祐介は理乃を口説く気だった。
それに応えるのか、応えないのか。
先日母から来た電話を思い出す。
いい加減身を固めろとせっつかれた。
(私だって、自分がいい歳なのはわかってる。いいかげん、曖昧な関係に溺れてる場合じゃないことくらい……)
でも、達明が好きだ。どうしようもなく。
何度も体を重ねるうちに、余計に引き返せなくなってしまった。
「……ちゃん。理乃ちゃん?」
気がつけば、祐介から名前を呼びかけられていた。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた。何?」
「いや、もうすぐコースが運ばれて来るけど、飲み物はどうする?」
「えっと……、じゃあ、ワインにしようかな。銘柄はお任せで、料理に合うものを」
「わかった」
いけない、今日は祐介に対するお礼を伝える日だというのに、と理乃は気を引き締める。
「祐介くん。改めてこの間はありがとう。それから、弊社のミスで大変なご迷惑をおかけしてごめんなさい」
「そんな、ほんとに気にしないで。俺は理乃ちゃんを助けられればそれでいいだけだから」
意味深な言葉を祐介が言う。
理乃はそれに対して、曖昧に笑って応じた。
会話は思いの外弾んだ。
元々大学時代同じゼミだった仲間だし、思い出話に花が咲く。
「あの教授の口癖、覚えてる?」
「ああ、いっつも学生のこと、『諸君』って呼んでたよね。今時諸君って、そんな言葉遣いする人いるんだって思った」
「それそれ!」
和やかな笑いが場を包む。
「懐かしいなぁ。こうやって学生時代のことを話す機会、なかなかないから、楽しいよ」
「私も。大学時代の友達なんて、みんなバラバラに就職しちゃって、なかなか会う機会もないものね」
「そう考えると、こうやって同じプロジェクトで一緒できたのも奇跡みたいなもんだよね」
祐介は「俺はその奇跡に感謝してるんだ」と静かに言った。
コースも終了に近づき、デザートが運ばれてくると、祐介は居住まいを正した。
「理乃ちゃん、伝えたいことがあるんだ」
「うん」
「察してるかもしれないけど、俺は理乃ちゃんに好意を持ってる。それはゼミにいた頃からうっすら思っていたことだけど、再開して仕事を頑張ってる理乃ちゃんを見て、改めて好きだなって思った。どうだろう、俺と付き合ってはくれないかな?」
それは、真摯な言葉だった。
祐介の少し幼く見える丸い目は、真面目な光を湛えて真っ直ぐに理乃を見つめている。
決して悪い相手ではない。
欠点らしい欠点だって、見当たらない。理乃のことを真摯に想ってくれていて、順番を守って口説いてくれている。
冷静に考えれば、達明より祐介の方が条件はいいのだろう。
大手不動産会社の有望株で、年齢も同年代だし、話も合う。
それでも——。
達明のあの男らしく大きな手で、優しく髪を撫でてくれた時の感触を思い出す。
理乃を愛おしげに、優しく見つめる瞳。欲望にギラついた目で、射抜く瞳。達明の眼差しの数々が思い出される。
「……祐介くん。こんな私に、そんな風に言ってくれてありがとう。でも、ごめんなさい。私、好きな人がいるの」
理乃ははっきりと、そう言った。
不誠実な返答はしたくなかった。
今時のオトナの女ならば、達明とうまく行かなかった時の保険に、祐介との関係を曖昧なままに引っ張るという人もいるのだろう。
でも、理乃はそこまで器用じゃない。
「……そっか、わかった。——答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど、好きな人って、もしかして、原さん?」
「っ!? な、なんで……?」
見事に言い当てられて、理乃は危うくむせるところだった。
「いや、なんとなく二人の雰囲気が、息が合ってていい感じだったから」
「そう……?」
「うん。原さんが相手なら敵わないのも納得できるよ」
祐介はそう言うと、儚げに微笑んだ。
ディナーを終えて、店を出る。
理乃は繰り返し自分もお金を払うと言ったが、祐介は頑なに「自分が誘ったから」と言って理乃に財布を出させなかった。
「それじゃあ、また」
「うん。プロジェクトでまたよろしく」
祐介は最後まで礼儀正しく、家まで理乃を送ってくれると言ったがそれは固辞して、帰路に着く。
マンションの四階にたどり着くと、自宅の前に黒い人影があった。
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