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かくれんぼ

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・・・




比較的暖かな午後、約束通り来てくれた兄様が、私の姿を見てぷっと吹き出す。
綿衣を重ねた私は、重さと笑われたことへの不満を表す為に唇を尖らせた。

「だって、温かくしていないと連れて行かないって! 」

これ以上、兄様の機嫌を損ねたくない。
それに、兄様も長閑と同じく有言実行だ。
年上であるからというのもあるけれど、昔から兄様がだめと言ったらいくら強請ってもだめだった。
とはいえ、そういう時は大抵私が悪い時で。
多くのことは、いつも譲歩してくれていたと思う。今日だって。

「いや。存外、いい子にしてくれるなと思っただけだ」

いつまで経っても子供扱いだけれど。
私だって、いつまでも兄様に甘えてばかりだ。
いいかげん、兄離れしないと。
私に女性を紹介しないのは、私が大きな原因というものあるだろう。

こっそり見上げてみると、やはり美男だ。
もてるだろうに、ますます申し訳なくなってくる。
今日は部屋からすぐに寄ってくれたのだろうか、この前よりも薫物の香りが少し強いかも――。

(……って、何を考えてるんだろう……! ) 


「それにしても、もったいないな。お前は我が妹ながら、意外と愛らしいと思うのに。逢瀬がこんな真っ昼間、あんな色気も雰囲気もない場所で、挙句の果てに相手が私か。それこそ、呪われているんじゃないか」

突っ込みどころがありすぎて、どれからいこうかと口を開き、やや間が生まれてしまった。

「……褒め言葉じゃないですよね、それ」

「妹だからな。つい、甘くみてしまうのだ」

なのに、一番言いたいことは言えなかった。
そんな気持ちを知るはずもない兄様は、まるで悪戯が成功した少年みたいに楽しげだ。

「行こうか。着ぶくれて、可愛くなったお前を連れて行かぬわけにはいかないだろう」

意地悪を言ってくれてよかった。
拗ねているのではなく、兄の欲目ながら愛らしいと言われて照れていることがばれずに済む。

外に出ると、シャリシャリと足下で砂利が鳴った。
敷地内とはいえ、部屋から出て地面を踏んでいるのだと思うと胸が踊る。
すうっと肺に広がっていく冷たい空気が、いつもの小さな世界から一歩抜け出したのが現実だと知らせてくれた。

「兄様はいいなあ。こうして歩いていても、誰にも見咎められなくて」

「そうでもないぞ。お前をあそこに連れて行くと母上に言ったら、散々小言を食らった」

その言葉に嘘も誇張もなさそうだ。
事前に申し出ればそうなることは分かっていただろうにと、首を傾げる私に兄様の目尻が下がる。


「恩義ある人の愛姫を連れ出すのだからな。黙っているわけにはいかない。私は、人拐いにはなりたくない」

その台詞のすべてに同意できない。
兄様が私といるのを「拐う」などと表現できるはずもないし、それに。

「兄様、それは……」

「晴れてよかったな」

足が止まらずに済んでいるのが不思議なくらい、ぎゅっと唇を噛んだ。
今、絶対にわざと不自然に話題を変えた。
つまり、もうそこに触れるなということだ。
なら、これならばどうだ。

「兄様。もしも私がまた消えてしまったって、兄様は何も悪くないわ。私が望んだことで、兄様は仕方なく付き合ったんだもの。ここからいなくなっただけで、死んでしまったとは限らないし。どこかで幸せになったと思ったって」

「小雪」

今度こそ、足が止まる。
鋭く呼ばれて、全身が固まってしまったみたいに動かない。

「もしも、あれがただの夢ではなく、お前を連れ去ってしまう邪悪な存在だとしたら。私はその者を絶対に許さぬ。たとえ、お前が言うようにそれが優しいのだとして、ただお前といたいだけなのだとしてもだ。そんなものが本当に存在するなら、私はどうにか、お前がまたいなくなる前に」

――必ず、殺してみせる。


「そうする必要があるのか、確かめたいのだ。でなければ、お前を連れてくるものか。それも、かなり危険だと思って実行はしたくなかった」


大切に思ってくれてるのだ。
一彰と二人、私を発見した時の兄様は、酷く自分を責めていたと聞いた。
混乱している兄様の様子など、今の私は想像できない。
いつだって穏やかで優しく、時に意地悪も怖いことも言うけれど、私にとっても大切な人だ。

「ほら」

枯れ葉や湿った土の匂い。
足下が悪くなると、何もなかったように手を差し伸べてくれた。

「嫌な気分だ。まるで、お前を生け贄に差し出しに行くような」

「もう」

冗談ぽく笑ったけれど、相当不本意なのだろう。
何度も話を変えては、そこに戻ってくる。
花を見るには、まだかなり早い。
それでも整えられた庭から、鬱蒼とした小さな森に視界が変わりゆくにつれ、記憶も昔に戻っているのかもしれない。

「あ……」

それから少し歩くだけで、もうそれは見えた。

どんぐりの木。

「まだあるんですね。それに変わってない」

急に目の前に木の幹が現れて、驚いて見上げる。
あの時よりも小さく見える、なんてことはなくて。
今こうして顔を上げても、やはり大きい。
もしかして、私がちっとも成長していないせいなのかもしれないけれど。

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