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雪鏡
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しおりを挟むこの先、誰かと結ばれるようなことが、もしもあったとしても。
あの子と過ごした時間をなかったことにはできやしない。
淡い初恋だったことは否定しても仕方がないし、私の大切な一部なのだ。
「あ、こら。だめだと言ってるでしょう」
大事に仕舞うように胸に手を置いてひとり頷くと、外からそんな声が聞こえてきた。
叱るというよりは、叱りきれずに困惑しているという声だ。仔犬でも迷いこんだのか。
「その……姫様はね。そうそうお出ましにはならないものよ」
自らの発言に余程自信がないのか、ちっともそうは思っていないのがバレバレすぎて吹き出してしまう。
「貴女が笑うところではないわよ、もう。ちょっと見てくるわ」
しかし、長閑もそれに同意することなく。
むしろ、同意できないことに苛立ちを覚えたのか、すたすたと騒ぎの方へ行ってしまった。
ぴしゃりと閉められてしまった戸に耳を寄せる。だが、よく聞き取れない。
どうやら、長閑が声を落としたようだ。つまり……。
「私に用なんでしょう? 」
ひょっこり戸から顔を出してみると、皆一瞬だけぎょっとした。
長閑とその侍女は諦め顔で額に指を当てているし、私に用があるという人物はこの機を逃すまいとこちらへ駆けてくる。
「いらっしゃい。ずっとそんなところにいては風邪を引くわ。用なら、中でもいいでしょう? 」
「……な……いえ!! そんなこと、できるわけありません。私はただ、お預かりしたものを確かにお渡ししたくて」
まだ子供なのに、滅相もないと首を振るなんて。
「ありがとう。でも、受け取るには近づかなくてはいけないわ。外は寒いから、よければあなたの方から来てもらえると嬉しいのだけれど」
目を真ん丸にした次には、眉間に皺が寄る。
姫に近づくか、それとも姫を寒空の下へ呼びつけるか。どちらの方が失礼だろうと、悩んでいる姿はまだ幼さを残している。
「それには及びません。こちらへ置いていきますので、私が去りましたらお取りください」
「あら。直接私に渡したくて粘ったのではないの? 私が取りに行く前になくなってしまうかも」
頑固な彼につい、意地悪を返してしまう。
すると彼はムッとして女三人を順番に睨んだ後、スッと私の前に歩を進めた。
「失礼を」
「ちっとも。ごめんなさい、寒かったでしょう」
頑として中までは入ってくれないが、こうして戸を開けていれば、少しは暖気も流れてくるだろうか。
どこの子だろう。
鼻の頭が赤くなっている。
大雪姫の邸を訊ねて寝込んでしまうなんて、洒落にならない。
「いえ。それより、どうかこちらをお受け取りください」
本当に頑固。
きっぱりと拒まれたことに落胆しながら、差し出されたものに目を遣る。
渡すまで帰らないというよりは、何がなんでも私に渡してさっさと帰るという態度だ。
「申し訳ありません。どうしても、ちゃんと姫のもとへ届いているのか確認したくて。……やはり、最近はご覧になっていないのですね」
「……すぐにお渡しするわけにはいかないわ。それは普通のことでしょう? 」
私が沈んでいたから、あれ以降目に入らないようにしてくれていたのだろう。
それは確かに、特に無礼でもおかしなことでもない。そう、普通のこと。
「それが、お二人でなければ。でも……もっと近い間柄ではありませんか。これでは、あの方がお可哀想です」
「……だとしても、近い関係から敢えて一度遠ざかったのもあの方のご意志だわ。あなたも主が心配だと思うけれど、私も同じ気持ちなのよ」
あんなにも近かった。
それは普通ではないけれど、すぐに会え、触れることもできた。
困り顔をするのはいつも兄様で、それでも明確な拒絶をされることはなく。
それなのに私は、こうしていざ手を伸ばされると、これまでのことは忘れたように背中を向けたのだ。
この子の言い方からすると、これが初めてではないのだろう。
もう何度も足を運び、雪風に晒され。今日よりも無下にあしらわれることもあったかもしれない。
あの方も、どうしてわざわざこの子に頼んだのだろうか。たとえば一彰みたいに、もっと楽に邸に出入りできる者は他にもいるのに。まさか、それほど一彰を遠ざけたいのだろうか。
「……っ、違うんです! これは私が勝手にしていることで……あの方をこれ以上悪く思わないでください」
せめて、肩や袖に積もった雪を払おうとすると、それすら身を引かれてしまう。
どうやら、私にあまりいい印象はもっていないみたい。
「受け入れてくださいとは申しません。でも、どうか伝わりますように。主は姫を心から想っておいでです」
知っていると思っていた。
形はどうあれ、とても大切に想われていることは確かだと。
でも、そんなの勝手な思い込みと言い訳で、実際はあれから少しも触れようとはしない体のいい理由。
「……ありがとう。確かに受け取ったわ。だから、もうお帰り」
「……では」
ポンと――しかし、重々しく放られた文を私が拾うのを確認すると、彼は短くそう吐いてすぐさま走り去った。
「まあ。あまりに無礼な童ではありませんか? 」
「叱ってははだめよ。あの様子だと、本当に一人でお咎めを受けてしまうわ」
そう言いながら、侍女は私の返事に安心したように小さく笑って下がっていった。
「それにしても、あの子は兄……恭一郎様のことが大好きみたいね」
「それは……」
「それは、あいつの不器用さを知っているからだ」
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